電氣菩薩と映像夜間中学/根本敬

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 知人のTさんのところに寄ったら、またしてもスンゴク珍しい根本敬の本をかしてくれたワケだ。

電気菩薩―豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ〈上〉 電気菩薩―豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ〈上〉
価格:¥ 2,415(税込)
発売日:2002-01

 これがまた初版本で、並大抵のことで手に入るモノではない。正札「2300円+税」となっているのに、その上に貼られた「まんだらけ」の値札は3675円。

 で、コレ読んで、いよいよ根本敬の「映像夜間中学」に行ってみる決意を固め、昨日行きましたよ、ええ。

 場所は渋谷の多目的ホール、アップリンクファクトリー。万全を期して18時30分キッカリから整理券をもらいに飛び込み、整理ナンバー1番をゲット。

 根本玄人が並み居る中で俺ごときが一番前の席に陣取るのもどうかと遠慮し、2列目の席へ。

 だがしかし、席のワキに、「教科書もってきましたッ!」という誠意を示さんものと、その、Tさんから借りている「電氣菩薩」を置き、機会が許せばサインをいただこうという万全の態勢である。

  根本先生は本日は高熱だったらしく、なんだかおクスリで熱を下げ、15分遅れの登場。トークもなにやら高熱ふうラリルレボソボソスタイル。先生いつもああなのか?

 ネタは、まず幻の名盤系オサーン歌手「用心棒」の歌。佐伯一郎なる演歌歌手の紹介とともに。目を細めて聞き入る根本先生。高熱のためか恍惚のためか・・・ぬぅ、これが生根本かッ!

 それから「エメラルドカウボーイ」こと早田氏の映像。さんまと所ジョージの番組に早田氏が出演した映像とテレビショッピング出演時の映像。

 「『早田氏の人生10訓』がエメラルドお買い上げの方にもれなくプレゼント!」ってところでみんなウケてたが、チキショウ、俺は笑うのが遅れちまったぜ!初級者だからなあ・・・。そんで、エンエン早田氏のテレビショッピングビデオ。

 次に「警視-K」という、勝新太郎出演の刑事ドラマのオイシイところ。根本先生が愛あるマナザシで見入っていたのが印象的。

 しっかし、今調べて知ったが、主演の勝新太郎の登場人物名が「賀津勝利(がっつ・かつとし)」って、そりゃねぇよなあ。さておき、これも初級者の俺はただただ見入るばかりだった。

 4番目はイ・パクスの軽薄な感じのポンチャック。「今の韓流からは、ポンチャックは『なかったこと』にされちゃってますけどね」との根本先生の説に、来場者一同、深くうなずいていた。

 最後に、「インドネシアの川西さん」(と先生評するところの)ラマ・イラマの映像。
 根本先生のお体の具合が悪そうだったので、ことさらに居残るのもはばかられ、電気菩薩・初版本にサインは貰わなかった。

 俺には笑うところウケるところ感心するところがよくわかんなかったが、より深く根本世界を観た感じになった。

バイエル#29

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 バイエル29番、やっとこさ自己採点で45点の出来。

 関係サイトを見ると、「バイエルは47番あたりから、急に難しくなるんですよねー、それまでスイスイ進んでたのが、右と左がバラバラになって、ぱったり進まなくなる」みたいなことが書いてある。

 ・・・30番いく前に既にのっぴきならなく難しくなっちゃってる俺って一体。

バイエル#28

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 バイエル28番、やっとこさ60点ぐらいのデキ。

 あらためて16番ぐらいからおさらいしてみると、21番あたりのほうがよっぽど難しいように思うのだが、なんで28番がこんなに難しく感じるのであろうか。

バイエル#27

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 バイエル27番、ようやく60点ぐらいの出来。

 26番より黒鍵が少なくて、簡単だと思えるくらいなのだが、いかんせんオッサンなので、弾くのに冗談みたいに時間がかかる。

昭和5年生まれの私の父と明治生まれの私の祖母との天皇陛下に関するやりとり@山形のド田舎

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 昭和一ケタ生まれの父は、ある日、通っていた山形県の小学校で、その時代らしく現人神だ万世一系だと、天皇陛下についての当時としては普通のことを教わって、家に帰ってきた。

 当時の父にとって、神とか仏というのは「死んだもの」、すなわち「仏壇の中にいるもの」だった。だが、小学校の先生は、生きている天皇陛下が神だというではないか!それは、違和感を覚えるよりもまず、興奮を覚えずにはいられないような、驚天動地の新知識であったという。

 興奮した父は、帰るなりすぐに、その母(私の祖母)に、

「かーちゃんかーちゃん、テンノーヘーカってものはよう、神様らしいぞ!!死んでないのに、神様だってよう!偉いもんだのう、すごいのう!!」

と、興奮気味に教わったことを話した。そこには素直にモノを信じる子供の興奮があり、それがおかしいとか、そういう気持ちは無かった。

 ところが、それを聞いた祖母の反応がイカしている。

「・・・ったく、また学校はそんなクダラネェことを子供に吹き込んでッ。んなバカなことがあるもんかいッ。ナニを馬鹿なことを教えてまったく・・・何してる、さっさと飯でも食えッ!!」

 書き遅れたが、私の祖父(祖母の夫)は中学校の校長先生で、父は当時としては教育熱心な家に生まれた。当時のことだから、教員である祖父がご真影に拝礼するのは当然だし、生徒たちに万世一系のかしこきあたりについて教えるのもまた当然である。祖母は、そんな祖父を、当時のごく普通の女のならいとして、支えなければならない立場にあった。当然にして無論、祖母は女らしい、古風な良妻賢母で、内助の功の見本のように祖父を支えて生涯を終えた。いうまでもなく、左翼主義者ではなく、天皇を敬愛し、ごく普通の愛国者でもあった。

 だが、その祖母にして、この発言である。時局も日増しに緊張の度を加える昭和10年代、このようなことがもし官憲の耳にでも入れば、祖母が平穏ではすまないばかりか、祖父の職業すら危うくなる。更に書くなら、かてて加えて、曽祖父、つまり祖母の舅は警察署長であった。昔の国家警察がいかなるものかいうまでもない。天皇陛下を神でないなどと、息子の嫁が孫を叱っただと!?なんてことを仕出かしたのだ、とんでもない!!

 ・・・昭和一桁の父は、折に触れてはこの祖母の言動を語ることがあった。

 私は、この話の中に、明治生まれの田舎の女であった祖母の、堅固な「個」の確立、「気骨」のようなもの、を見る。また、その祖母を育てた、素朴な大人たちの、美しく平凡な世界観と常識をも見る。天皇陛下をこよなく愛し、敬いはしていても、それが神だとか、あるいはまたそれを子供に吹き込むなどとなれば、「クダラネェ」「馬鹿なこと」と、瞬時に判定する。

 当時も、おそらく、堅固な常識というものは、人によっては生きていたのだと思う。ただ、時代の流れが、そういうものを塗りつぶしたかに見えるだけなのではなかろうか。