周到に、納得ずくに

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 グローバル企業のナショナル・ディフェンス・ソリューション、というのが、正直、訳がわからなくなってきた。

 グローバルな国民国家主義というワケのわかんないものは、実はそんなに新しくはない。急に懐古めくけれども、小説「坂の上の雲」あたりの、広瀬中佐とロシアの令嬢との愛、なぞというくだりを玩味すれば手っ取り早い。

 軍人は天与の連帯意識を持ち、実は互いに殺し会うことを好まない、というのは、故き良き武士や騎士のナルシズムである。しかし、現在の世界事情は、そんな甘えた懐旧など、到底受け入れてはくれない。

 圧倒的大多数の人々は、その実、市井に生きており、自ら言うほどのインターオペラビリティの中にはいない。

 まだまだ国民国家を中心とする村の中に住む人を、周到に、納得ずくに強姦しようとする何かの心が、そこにあるように思う。

ホスセリ・ホホデミの兄弟の話 ―日本書紀より―

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 昔、天皇陛下の遠い遠い先祖に、「ニニギのみこと」という人がいました。この人は神様の子として、天皇陛下の祖先になることが最初から決まっていた人だと言われています。

 あるとき、ニニギのみことは海辺に行ってみました。そこにとても美しい女の人がいました。ニニギのみことはさっそく、

「あなたはどなたですか?」

と聞いてみました。美女は、

「私はオオヤマツミの神の娘で、カムアタ カシツ姫です。でも、みんなからはコノハナサクヤ姫と呼ばれています」

と答えました。そして、「それから、私にはお姉さんもいます。イワナガ姫といいます。」とも言いました。

 ニニギのみことはこの美女がすっかり好きになってしまいました。それで、すぐに

「突然なんですが、私と結婚してくれませんか?」

と言ってみました。美女は、

「……。お父さんのオオヤマツミの神がなんていうか……。お父さんにそう言ってみてくださいな」

と答えました。

 ニニギのみことはさっそく美女の家に行き、お父さんに「私はお嬢さんが好きなんです。どうかお嬢さんと結婚させてください」と言いました。

 お父さんは「では、うちの娘姉妹、二人とも妻にしてもらおう」と言いました。大昔のことですから、その頃は、奥さんは二人いても良かったのです。さっそくご馳走をこしらえ、披露宴のお祝いをすることになりました。

 ところが、お姉さんのイワナガ姫は、美しくありませんでした。ニニギのみことはお姉さんのイワナガ姫とは仲良くせず、美しい妹のコノハナサクヤ姫とばかり仲良くしました。

 たった一日で、ニニギのみこととコノハナサクヤ姫の間には赤ちゃんができました。

 お姉さんのイワナガ姫は面白くありません。怒ってこういいました。

「もしニニギのみことが私と仲良くしていたら、生まれてくる赤ちゃんは、とても長生きしたはずよ。私の名前はイワナガ姫、岩のように長く変わらずに生きる子になるはずなんだから。でも妹のコノハナばっかりかわいがったのはおあいにく様だわ。妹の名前は『木の花(このはな)咲くや姫』と書くのよ。だから、岩に比べれば花の命がとっても短いように、生まれてくる赤ちゃんだって、皆命が短くなってしまうわよ。」

 大昔にこうしたことがあったために、人間の寿命が決まってしまい、人というものはあまり長生きできなくなってしまったのだそうです。

 さて、コノハナサクヤ姫は、さっそくニニギのみことに

「あなた、赤ちゃんができたみたいだわ。私は元気な赤ちゃんを堂々と産みます」

と言いました。ところが、ニニギのみことはびっくりしてしまいました。

「赤ちゃんができた、って……?おいおい、僕たちはまだ、一日しか一緒に暮らしてないんだぞ?いくら僕が神様の子だからって、そんな話があるもんか。……いや、まてよ?……コノハナ、お腹の子は、ひょっとして、僕たちの子じゃないんじゃ……!?」

「あなた、なんてこと言うのよ!!」

 コノハナサクヤ姫は怒りもしましたし、恥ずかしくて嫌な気持ちになってしまいました。悲しくなって、小屋に閉じこもってしまいました。

「分かったわ、こうしましょう。あなたが神様の子だっていうんなら、赤ちゃんだって神様の子だってことになるんだから、死ぬはずはないわね。他の人の子なら、死んでしまうわ」

コノハナサクヤ姫はこう言って、なんと、その小屋に自分で火をつけてしまいました。

 火をつけると同時に、もう赤ちゃんが生まれ始めました。

 火があまり大きくないときに、一人、赤ちゃんが生まれました。そこで、この赤ちゃんは「ホスセリのみこと」(()すせり、火が小さいこと)と言う名前になりました。

 火がだんだんめらめらと大きく燃え始めた時、また一人、赤ちゃんが生まれました。そこでこの赤ちゃんは「ホノアカリのみこと」(火の明かり)という名前になりました。

 火が燃えきってしまって、だんだん小さくなってきたときにもう一人、赤ちゃんが生まれました。そこでこの赤ちゃんは「ホホデミのみこと」(火ほでみ、火が沈んでいくこと)という名前になりました。

 赤ちゃんたちも、コノハナサクヤ姫も、火にはまったく焼けず、死にもしませんでした。それで、赤ちゃんたちはみな、ニニギのみことの赤ちゃんであることがわかりました。

 この赤ちゃんたちはすくすくと育ち、大きくなりました。

 ことに、一番上のお兄さん、ホスセリのみことは、海へ出て魚を釣ることが大変上手になりました。海の幸がこのお兄さんにはついていたのです。また、一番下の弟、ホホデミのみことは、山へ行って狩りをし、獲物をとることが大変上手になりました。山の幸がこの弟にはついていたからです。

 ですが、ある日、この二人は、自分たちの海の幸、山の幸が、少し飽きてきました。毎日毎日とってくる獲物や魚が同じなので、嫌になってしまったのです。

 そこで、兄のホスセリのみことは弟にこう言いました。

「なあ、ホホデミよ。たまには、お互いに仕事を取替えっこしないかい?俺の釣り針をお前に貸すから、お前はそれで魚を釣ってみなよ。俺はお前の弓矢を借りよう。それで山の獣をとってみるよ」

「なるほど、名案だね、兄さん。そうしましょう。」弟も賛成しました。

 二人は喜んでそれぞれ海と山に出かけていきましたが、釣りも狩りも、慣れない者が急にやっても上手にはできません。お兄さんは獣なんか一匹も仕留められませんでした。弟は魚が一匹も釣れないばかりか、釣り針がどこかへ行ってなくなってしまいました。

「ホホデミ、慣れないことはするものじゃあないな。お互い、元に戻ろうじゃないか、俺は海、お前は山、これが合っている。」

「そうですね、兄さん」

「さ、お前の弓矢を返すよ。……俺の釣り針を返してくれ、あれは縁起がいい海の幸の釣り針だものな」

「あ、いや、その、実は、兄さん。」と、ホホデミのみことは正直に釣り針がなくなってしまったことを言いました。

「なんだって!!」とホスセリのみこと。「なんてことをしてくれたんだ、あれは縁起のいい、海の幸の釣り針なんだぞ!?」

「ご、ごめんなさい兄さん。」弟は謝りました。

 ホスセリのみことに機嫌をなおしてもらおうと、ホホデミのみことは別の釣り針を作って返すことにしました。大昔のことなので、釣り針はお店には売っていませんから、自分で作るのです。

 ホスセリのみことの釣り針そっくりに作ったつもりでしたが、ホスセリのみことはそれを受け取りませんでした。カンカンに怒ってしまって、

「なんだ、こんな代わりの釣り針なんか!俺は、俺のもとの針を返せと言っているんだ!」

と、ますます頑固になるばかりです。

 ホホデミのみことはなんとか兄さんの機嫌を直してもらおうと、自分の刀を打ち砕いて、それで何百もの沢山の釣り針をつくり、それを籠に山盛りにして兄さんに差し出しました。ところが、これも兄さんは受け取ろうとしません。

「こんな違う釣り針が何百もあったって、もとの俺の針じゃあないじゃないか。元の釣り針ったら、元の釣り針だ!絶対に俺の、元の釣り針でなくちゃ、ダメなんだ!俺の元の釣り針を返せ!」

と、許してくれそうもありません。

 こんなにして謝っているのに、兄さんは許してくれないし、と言って、元の釣り針は、海の底のどこかへ行ってしまって、とても探せやしない……。

 ホホデミのみことはすっかり困ってしまい、とぼとぼと出て行きました。いつのまにか、海辺に来ていました。海辺に来たからと言って釣り針が見つかるはずはないのですが、そうせずにはおれなかったのです。

 ふと見ると、そこにお爺さんがいました。シオツツのお爺さん、という人です。お爺さんはホホデミのみことがしょげ返っているのを見て、

「おいおい、どうしたんじゃ。ずいぶんと悩んでいるようじゃな。」

「はい、実は……」ホホデミのみことは一部始終のことをすっかりシオツツのお爺さんに話しました。

「なるほど、それは困ったことになったのう」とお爺さん。「よろしい、わしにまかせなさい、なに、悪いようにはせん。」

 お爺さんはしっかりときつく編まれた、頑丈で大きな籠を持ってきました。そしてその中にホホデミのみことを入れ、有無を言わさず、籠ごとホホデミのみことを海に投げ込んでしまいました。

 ホホデミのみことの入った籠は、ぶくぶくと海の中へ沈んでいきましたが、不思議なことにホホデミのみことはなんともありません。

 やがて、海の中に美しい浜辺が現れました。

「ここは一体、どこだろう。」

 ホホデミのみことは籠から出て、歩き始めました。しばらく行くと、城がありました。城は大きくて立派で、美しく整っています。その城の門の前に井戸があり、井戸のそばに葉が青々と茂った木がありました。

 ホホデミのみことはそっと木の陰に隠れ、井戸のほうをうかがってみました。ちょうど、城の中からとても美しい若い女の人が出てきて、大きな鉢に水を汲みました。その水に、木の陰にいるホホデミのみことの姿が映りました。

 女の人はびっくりして、家の中に戻り、お父さんとお母さんに「家の前に見たことのない男の人がいるわ。木の下にそっと立っているの」と言いました。

 このお父さんは、海の神様でした。

 海の神様は、この人は怪しい人ではない、と、なんとなくわかりました。そこで、敷物をひろげて失礼のないようにしてから、

「さあ、そこの木の下にいる、若いお客さん。どうぞこの城に入っておいでなさい」

と、ホホデミのみことを招きました。

 入ってきたホホデミのみことの姿と、その立ち居振る舞いを見て、海の神様はホホデミのみことが高い位をもった立派な人物であることがすぐにわかりました。また、この海の神様のお城にやってきたのも、何かのわけがあることも感じ取りました。

「さて、お客人、どうしてこの私の城を訪ねてこられたのかな?」と、海の神様は聞きました。

 ホホデミのみことは、洗いざらい、これまでのことを正直に言いました。

「なるほど、よろしい。それならば、私が力になれるかも知れないぞ。なに、私は海の神様だ。まかせなさい。」

海の神様はそういうと、「おおい、お前たち、集まれ」と呼びかけました。そうすると、海じゅうの魚たちが、大きな魚も、小さな魚も、皆お城に集まってきました。

「おうい、魚たちよ。この方は、遠い所から来られた立派なお客人だ。ところで、お前たちに聞きたいことがある。このお客人は、釣り針をなくしてしまって困っているのだ。お前たちに何か心当たりはないか?」

 海の神様は沢山の魚たちにそう呼びかけました。

 魚たちは答えました。

「いいえ、知りません。釣り針のことはちょっと……。」

「ううむ、そうか。」

「でも海の神様、少し心当たりがあります。タイ君が今日は来ていません。来ていないのは、どうもこの前から、口が痛いと言っていて、病気だから今日は来ていないのです。ひょっとしたら、釣り針のことと関係があるかもしれません」

「なに、それは本当か。お前たち、さっそく行って、タイをここに連れてきなさい」

 海の王様のところへ、タイが連れてこられました。やはり、皆が思ったとおり、タイの口を調べてみると、口の中に釣り針が刺さったままになっていました。それでタイは痛くて休んでいたのです。その釣り針が、ホホデミのみことのお兄さん、ホスセリのみことの釣り針であったことは言うまでもありません。タイは無事に針を抜き取ってもらいました。

 ホホデミのみことはほっとしました。そこで、海の神様にお礼を言い、「お礼の印に、なんとか海の神様のお役に立ちたいのですが」と申し出ました。

 海の神様は「そうじゃな」と少し考えてから、

「お客人よ、あなたの立ち居振る舞いや立派な姿から、あなたはなみなみならぬ人とお見受けした。もしあなたさえよければ、私の娘のトヨタマ姫と、結婚してはもらえまいか。」

 ホホデミのみことは驚きましたが、もうあきらめかけていた釣り針を取り戻してもらった恩に報いようと、海の神様の申し出に従うことにしました。

 トヨタマ姫というのは、井戸に水を汲みに来ていた美しい姫のことです。もちろん、ホホデミのみことは美しいトヨタマ姫が気に入りました。二人は結婚し、仲良く暮らし始めました。

 ホホデミのみことは、お兄さんのホスセリのみことのことを忘れていたわけではなかったのですが、海の神様の城で、トヨタマ姫と暮らすことが楽しく、ついつい三年が経ってしまいました。

 ホホデミのみことは、やはりお兄さんにきちんと釣り針を返すことで、自分がしなければならないことを終わらせなければ、と考えるようになりました。トヨタマ姫はその様子をそばで見ていて、ホホデミのみことがなんとなく落ち着かないことがよくわかりました。

 そこでトヨタマ姫は、お父さんの海の神様に「お父さま、夫のホホデミのみことは、なんだかこの頃、元気がありません。ふるさとがだんだん懐かしくなってきて、悩んでいるのですわ」と言いました。

「なるほど、そうか。彼には、わしも多少無理を言ったところがあるかもしれないからな。」と海の神様は言いました。

 海の神様はホホデミのみことを呼んで、こういいました。

「ホホデミのみことよ、三年の間、わが一族の婿になってくれて、本当に嬉しかったぞ。ところで、だいぶ、ふるさとに帰りたいようだな。お主はよく尽くしてくれた。無理をしなくともよい、もし帰りたいのなら、ふるさとまできちんと送ってつかわそう。……さ、これは、お主が兄さんに返す、例の釣り針だ。」

海の神様は、釣り針もホホデミのみことに持たせてくれました。そして、

「よろしいか、この釣り針を、普通にお兄さんに返してはならん。お兄さんは頑固に怒ってしまっていて、普通に釣り針を返しても、もはや機嫌は直らんだろう。そこで、わしが今から教えるようにして、釣り針を返すのだ。よいか、兄さんにこの針を渡すときには、『なんだい、こんな、貧乏なつまらない釣り針なんか!それ!』そう言って、投げ返すのだ。いいな?」

それから、海の神様は、二つの宝石の玉を取り出しました。

「ホホデミのみことよ、この玉は潮満の玉(しおみつのたま)、もうひとつは潮涸の玉(しおひきのたま)という宝石だ。この潮満の玉を海につけると、海の水がどんどん増えて、兄さんはおぼれてしまう。兄さんをそれで懲らしめてやるのだ。兄さんが謝ったら、こっちの潮涸の玉を海につけなさい。そうすると、すぐに水が引いてしまう。そして兄さんを助けてやりなさい。こうやって、懲らしめてから助けてやれば、兄さんも頑固な心がよくなって、お主のいうことを聞くようになるだろう。」

 ホホデミのみことが帰り支度をし、いよいよ旅立つためにお別れを言う時になって、トヨタマ姫が

「あなた、私のお腹には赤ちゃんがいるのよ。」と言い出しました。

「なんだって、それはほんとうか!?」

「ほんとうよ。いずれこの子は生まれる。私、風や波が静かな日にあなたのふるさとの海辺へ行って赤ちゃんを産むから、そのときのために、赤ちゃんを産むための小屋を作っておいてちょうだい。」

 ホホデミのみことは驚きましたが、兄さんのホスセリのみことに釣り針を返さないわけにはいきません。赤ちゃんがお腹にいるトヨタマ姫を残して、ホホデミのみことはふるさとへ帰っていきました。

 兄さんのホスセリのみことは、ホホデミのみことを待ち構えていました。

「ホホデミよ。三年もの間どこへ行っていたのだ!心配をかけおって。……まあいい、ところで、お前、俺の釣り針のことを忘れていないだろうな!?さあ、俺の釣り針を、もとどおり返せ!」

ホスセリのみことは、どうせ釣り針など見つからなかったろう、と内心思っていました。ところが、ホホデミのみことが、正真正銘の元の釣り針をとりだしたので、ホスセリのみことはびっくりしてしまいました。

「な、なんだと!?あの釣り針が見つかったと言うのか!?……うーむ、そ、そうか。……ふ、ふん。そういうことなら、まあ、その釣り針、受け取ってやらんでもない。」ホスセリのみことはもっと弟をいじめて苦しめてやろうと思っていたので、拍子抜けがしてしまいました。

「さ、兄さん、約束の釣り針はこのとおり、お返ししますよ。ふん、『なんだい、こんな、貧乏なつまらない釣り針なんか!それ!』」

 ホホデミのみことは海の神様に教わったとおり言って、釣り針を憎々しげにホスセリのみことに投げつけて返しました。

 そんな返し方をすれば、ホスセリのみことが怒り出すのは当然です。

「おい、ホホデミ!お前今、なんて言った!」

ホホデミのみことは、ここだ、と、海の神様にもらった潮満の玉を取り出し、さっと海につけました。海の水がどんどん増え、兄さんは溺れました。

「わぁーっ!たすけてくれぇー!お、俺が悪かった、なんでも言うことを聞く!」

「ほんとうですね?じゃあ、お助けしましょう。」

今度は潮涸の玉を海につけます。海の水はどんどん減って、兄さんは助かりましたが、助かったと分かったとたん、また怒り始めました。「ホホデミ、よくも俺に恥をかかせてくれたな!?」

「ふん、そうですか、じゃあ、これでどうですか」潮満の玉をまた海につけます。

溺れだした兄さんは「わあー!!本当に、俺が悪かった、今度こそ、助けてくれー!」

「いいえ、さっきも兄さんは約束を破りましたからね。私は約束どおり釣り針をお返ししたじゃありませんか。兄さんも約束を守ってください。」

「わかった、守る、守る!なんだってする、た、助けてくれー!」

 ホホデミのみことは、さんざんホスセリのみことを悩ませ、苦しめてから、ようやく潮涸の玉を海につけてホスセリのみことを助けてやりました。

 ホスセリのみことは、もうすっかりしょげてしまって、弟をいじめようという気持ちがなくなってしまいました。

「ホホデミよ、お、俺も男だ、約束を守ろう。俺が悪かった。今すぐ、俺は芸人になる。そして、お前のそばにいて、お前のために芸をやり、毎日楽しませてやろう。これから先、代々ずっとだ。それが証拠に、さあ、見てくれ」

そう言って、ホスセリのみことはフンドシ一丁の姿になりました。それから、赤い絵の具で顔におもしろおかしい模様を描くと、見たこともないような変な手振りで、足を上げたり、腰を振ったりして踊り始めました。

 大昔にこのことがあってから、今も、ホスセリのみことの子孫である「ハヤト」という人たちが、このような踊りを伝えているそうです。

 さて、それからしばらくして、お腹に赤ちゃんのいるトヨタマ姫が、波や風が静かな日に、ホホデミのみことのいる浜辺へやって来ました。トヨタマ姫が言ったとおり、ホホデミのみことは赤ちゃんを産むための小屋を作っておきました。

 トヨタマ姫は、

「あなた、ひとつだけ守ってほしいことがあるの。……私が赤ちゃんを産むとき、絶対にのぞき見しないでちょうだい。約束して。いい?」

「なんだ、そんなことか。心配するなよ、見ないよ」ホホデミのみことは約束しました。

 トヨタマ姫が小屋に入りました。決して見ないと約束したホホデミのみことでしたが、だんだん赤ちゃんが生まれるところを見たくなってきてしまい、我慢ができなくなりました。少しだけならいいだろう、と思って、隙間から小屋をそっと覗いてみました。

 そうすると、そこにいたのは、あの美しいトヨタマ姫ではありませんでした。なんと、大きくて恐ろしいサメがいるではありませんか。

 ホホデミのみことがあまりにも驚きましたので、覗き見していることが、サメに変わったトヨタマ姫には分かってしまいました。

「あなた、あんなに見てはダメと言ったのに、どうしてみてしまったの、私、恥ずかしい姿を見られてしまって、もうあなたには顔を合わせられません。ああ、どうして、どうして?……あなたと一緒に暮らそうと思っていたけど、恥ずかしくてもう、それはできません。私は海に帰ります。でも、赤ちゃんがかわいそうだから、妹のタマヨリ姫をかわりにこちらへよこします。妹に赤ちゃんを育てさせてください。」

トヨタマ姫はそういって、海へ帰っていきました。帰るときに、海と陸とが通いあっているところへ、海の神様のまじないをかけて、永久に閉じてしまいました。このため、今でも、人間は自由に海の底へ降りたり、暮らしたりできなくなってしまったのだそうです。

 トヨタマ姫の妹のタマヨリ姫がやってきて、赤ちゃんを育てました。この赤ちゃんは「フキアエズのみこと」と名づけられました。

 フキアエズのみことは、大きくなり、大人になって結婚し、三人の子をもうけました。この三人兄弟の末っ子が、「神武天皇」という人で、今の天皇陛下から百二十四代も前の、遠い遠い昔の、一番最初の天皇です。神武天皇がいたのは、今から二千年以上、あるいはそれよりももっと前のことだと言われていますが、なにぶんにも遠い昔のことなので、はっきりしたことはよくわからないそうです。


 岩波文庫「日本書紀(一)」(ISBN4-00-300041-2)を底本として、佐藤俊夫が現代語訳した。訳するにあたっては、原文への忠実性よりも、万人向けの昔話となるようにした。このため、原文にない会話が挿入されたり、意訳をしたりしている。また、昔話的な面白さを引き出すため、日本書紀に特有の「一書曰……」との書き出しで始まる、異なる出典からの少しづつ違う話の提示を混合し、取捨選択した。

 なお、原文の白文は、次の通りである。

「ニニギのみこととコノハナサクヤ姫の話」

時皇孫因立宮殿、是焉遊息。後遊幸海濱、見一美人。皇孫問曰、汝是誰之子耶。對曰、妾是大山祇神之子。名神吾田鹿葦津姬、亦名木花開耶姬。因白、亦吾姉磐長姬在。皇孫曰、吾欲以汝爲妻、如之何。對曰、妾父大山祇神在。請、以垂問。皇孫因謂大山祇神曰、吾見汝之女子。欲以爲妻。於是、大山祇神、乃使二女、持百机飲食奉進。時皇孫謂姉爲醜、不御而罷。妹有國色、引而幸之。則一夜有身。故磐長姬、大慙而詛之曰、假使天孫、不斥妾而御者、生兒永壽、有如磐石之常存。今既不然、唯弟獨見御。故其生兒、必如木花之、移落。一云、磐長姬恥恨而、唾泣之曰、顯見蒼生者、如木花之、俄遷轉當衰去矣。此世人短折之緑也。是後、神吾田鹿葦津姬、見皇孫曰、妾孕天孫之子。不可私以生也。皇孫曰、雖復天神之子、如何一夜使人娠乎。抑非吾之兒歟。木花開耶姬、甚以慙恨、乃作無戸室、而誓之曰、吾所娠、是若他神之子者、必不幸矣。是實天孫之子者、必當全生、則入其室中、以火焚室。于時、燄初起時共生兒、號火酢芹命。次火盛時生兒、號火明命。次生兒、號彦火火出見尊。亦號火折尊。齋主、此云伊播毗。顯露、此云阿羅播貳。齋庭、此云踰貳波。

 

「ホホデミのみこととホスセリのみこと、トヨタマ姫の話」

 

兄火闌降命、自有海幸。幸、此云左知。弟彦火火出見尊、自有山幸。始兄弟二人相謂曰、試欲易幸、遂相易之。各不得其利。兄悔之、乃還弟弓箭、而乞己釣鉤。弟時既失兄鉤。無由訪覓。故別作新鉤與兄。兄不肯受、而責其故鉤。弟患之、卽以其横刀、鍛作新鉤、盛一箕而與之。兄忿之曰、非我故鉤、雖多不取、益復急責。故彦火火出見尊、憂苦甚深。行吟海畔。時逢鹽土老翁。老翁問曰、何故在此愁乎。對以事之本末。老翁曰、勿復憂。吾當爲汝計之、乃作無目籠、內彦火火出見尊於籠中、沈之于海。卽自然有可怜小汀。可怜、此云于麻師。汀、此云波麻。於是、棄籠遊行。忽至海神之宮。其宮也、雉堞整頓、臺宇玲瓏。門前有一井。井上有一湯津杜樹。枝葉扶疏。時彦火火出見尊、就其樹下、徒倚彷徨。良久有一美人、排闥而出。遂以玉鋺、來當汲水。因舉目視之。乃驚而還入、白其父母曰、有一希客者。在門前樹下。海神、於是、鋪設八重席薦、以延內之。坐定、因問其來意。時彦火火出見尊、對以情之委曲。海神乃集大小之魚逼問之。僉曰、不識。唯赤女赤女、鯛魚名也。比有口疾而不來。固召之探其口者、果得失鉤。

 

已而彦火火出見尊、因娶海神女豐玉姬。仍留住海宮、已經三年。彼處雖復安樂、猶有憶郷之情。故時復太息。豐玉姬聞之、謂其父曰、天孫悽然數歎。蓋懷土之憂乎。海神乃延彦火火出見尊、從容語曰、天孫若欲還郷者、吾當奉送。便授所得釣鉤。因誨之曰、以此鉤與汝兄時、則陰呼此鉤曰貧鉤、然後與之。復授潮滿瓊及潮涸瓊、而誨之曰、漬潮滿瓊者、則潮忽滿。以此沒溺汝兄。若兄悔而祈者、還漬潮涸瓊、則潮自涸。以此救之。如此逼悩、則汝兄自伏。及將歸去、豐玉姬謂天孫曰、妾已娠矣。當産不久。妾必以風濤急峻之日、出到海濱。請爲我作産室相待矣。

 

彦火火出見尊已還宮、一遵海神之教。時兄火闌降命、既被厄困、乃自伏罪曰、從今以後、吾將爲汝俳優之民。請施恩活。於是、隨其所乞遂赦之。其火闌降命、卽吾田君小橋等之本祖也。

 

後豐玉姬、果如前期、將其女弟玉依姬、直冒風波、來到海邊。逮臨産時、請曰、妾産時、幸勿以看之。天孫猶不能忍、竊往覘之。豐玉姬方産化爲龍。而甚慙之曰、如有不辱我者、則使海陸相通、永無隔絶。今既辱之。將何以結親昵之情乎、乃以草裹兒、棄之海邊、閉海途而俓去矣。故因以名兒、曰彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊。後久之、彦火火出見尊崩。葬日向高屋山上陵。

 

一書曰、兄火酢芹命、能得海幸。弟彦火火出見尊、能得山幸。時兄弟欲互易其幸。故兄持弟之幸弓、入山覓獸。終不見獸之乾迹。弟持兄之幸鉤、入海釣魚。殊無所獲。遂失其鉤。是時、兄還弟弓矢、而責己鉤。弟患之、乃以所帶横刀作鉤、盛一箕與兄。兄不受曰、猶欲得吾之幸鉤。於是、彦火火出見尊、不知所求。但有憂吟。乃行至海邊、彷徨嗟嘆。

 

時有一長老、忽然而至。自稱鹽土老翁。乃問之曰、君是誰者。何故患於此處乎。彦火火出見尊、具言其事。老翁卽取嚢中玄櫛投地、則化成五百箇竹林。因取其竹、作大目麁籠、內火火出見尊於籠中、投之于海。一云、以無目堅間爲浮木、以細繩繋著火火出見尊而沈之。所謂堅間、是今之竹籠也。于時、海底自有可怜小汀。乃尋汀而進。忽到海神豐玉彦之宮。其宮也城闕崇華、樓臺壯麗。門外有井。井傍有杜樹。乃就樹下立之。良久有一美人。容貌絶世。侍者群從、自內而出。將以玉壼汲玉水。仰見火火出見尊。便以驚還、而白其父神曰、門前井邊樹下、有一貴客。骨法非常。若從天降者、當有天垢。從地來者、當有地垢。實是妙美之。虛空彦者歟。一云、豐玉姬之侍者、以玉瓶汲水。終不能滿。俯視井中、則倒映人咲之顏。因以仰觀、有一麗神、倚於杜樹。故還入白其王。於是、豐玉彦遣人問曰、客是誰者。何以至此。火火出見尊對曰、吾是天神之孫也。乃遂言來意。時海神迎拜延入、慇懃奉慰。因以女豐玉姬妻之。故留住海宮、已經三載。是後火火出見尊、數有歎息。豐玉姬問曰、天孫豈欲還故郷歟。對曰、然。豐玉姬卽白父神曰、在此貴客、意望欲還上國。海神、於是、總集海魚、覓問其鉤。有一魚、對曰、赤女久有口疾。或云、赤鯛。疑是之呑乎。故卽召赤女、見其口者、鉤猶在口。便得之、乃以授彦火火出見尊。因教之曰、以鉤與汝兄時、則可詛言、貧窮之本、飢饉之始、困苦之根、而後與之。又汝兄渉海時、吾必起迅風洪濤、令其沒溺辛苦矣。於是、乘火火出見尊於大鰐、以送致本郷。

 

先是且別時、豐玉姬從容語曰、妾已有身矣。當以風濤壯日、出到海邊。請爲我造産屋以待之。是後、豐玉姬果如其言來至。謂火火出見尊曰、妾今夜當産。請勿臨之。火火出見尊不聽、猶以櫛燃火視之。時豐玉姬、化爲八尋大熊鰐、匍匐逶虵。遂以見辱爲恨、則俓歸海郷。留其女弟玉依姬、持養兒焉。所以兒名稱彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊者、以彼海濱産屋、全用鸕鷀羽爲草葺之、而甍未合時、兒卽生焉、故因以名焉。上國、此云羽播豆矩儞。

 

一書曰、門前有一好井。井上有百枝杜樹。故彦火火出見尊、跳昇其樹而立之。于時、海神之女豐玉姬、手持玉鋺、來將汲水。正見人影、在於井中、乃仰視之。驚而墜鋺。鋺既破碎、不顧而還入、謂父母曰、妾見一人、於井邊樹上。顏色甚美、容貌且閑。殆非常之人者也。時父神聞而奇之、乃設八重席迎入。坐定、因問來意。對以情之委曲。時海神便起憐心、盡召鰭廣鰭狹而問之。皆曰、不知。但赤女有口疾不來。亦云、口女有口疾。卽急召至、探其口者、所失之針鉤立得。於是、海神制曰、儞口女、從今以往、不得呑餌。又不得預天孫之饌。卽以口女魚、所以不進御者、此其縁也。

 

及至彦火火出見尊將歸之時、海神白言、今者、天神之孫、辱臨吾處。中心欣慶、何日忘之。乃以思則潮溢之瓊、思則潮涸之瓊、副其鉤而奉進之曰、皇孫雖隔八重之隈、冀時復相憶、而勿棄置也。因教之曰、以此鉤與汝兄時、則稱貧鉤、滅鉤、落薄鉤。言訖、以後手投棄與之。勿以向授。若兄起忿怒、有賊害之心者、則出潮溢瓊以漂溺之。若已至危苦求愍者、則出潮涸瓊以救之。如此逼悩、自當臣伏。

 

時彦火火出見尊、受彼瓊鉤、歸來本宮。一依海神之教、先以其鉤與兄。兄怒不受。故弟出潮溢瓊、則潮大溢、而兄自沒溺。因請之曰、吾當事汝爲奴僕。願垂救活。弟出潮涸瓊、則潮自涸、而兄還平復。已而兄改前言曰、吾是汝兄。如何爲人兄而事弟耶。弟時出潮溢瓊。兄見之走登高山。則潮亦沒山。兄縁高樹。則潮亦沒樹。兄既窮途、無所逃去。乃伏罪曰、吾已過矣。從今以往、吾子孫八十連屬、恆當爲汝俳人。一云、狗人。請哀之。弟還出涸瓊、則潮自息。於是、兄知弟有神德、遂以伏事其弟。是以、火酢芹命苗裔、諸隼人等、至今不離天皇宮墻之傍、代吠狗而奉事者矣。世人不債失針、此其縁也。

 

一書曰、兄火酢芹命、能得海幸。故號海幸彦。弟彦火火出見尊、能得山幸。故號山幸彦。兄則毎有風雨、輙失其利。弟則雖逢風雨、其幸不忒。時兄謂弟曰、吾試欲與汝換幸。弟許諾因易之。時兄取弟弓失、入山獵獸。弟取兄釣鉤、入海釣魚。倶不得利。空手來歸。兄卽還弟弓矢、而責己釣鉤。時弟已失鉤於海中、無因訪獲。故別作新鉤數千與之。兄怒不受。急責故鉤、云々。

 

是時、弟往海濱、低徊愁吟。時有川鴈、嬰羂困厄。卽起憐心、解而放去。須臾有鹽土老翁來、乃作無目堅間小船、載火火出見尊、推放於海中。則自然沈去。忽有可怜御路。故尋路而往。自至海神之宮。是時、海神自迎延入、乃鋪設海驢皮八重、使坐其上。兼設饌百机、以盡主人之禮。因從容問曰、天神之孫、何以辱臨乎。一云、頃吾兒來語曰、天孫憂居海濱、未審虛實。蓋有之乎。彦火火出見尊、具申事之本末。因留息焉。海神則以其子豐玉姬妻之。遂纒綿篤愛、已經三年。

 

及至將歸、海神乃召鯛女、探其口者、卽得鉤焉。於是、進此鉤于彦火火出見尊。因奉教之曰、以此與汝兄時、乃可稱曰、大鉤、踉䠙鉤、貧鉤、癡騃鉤。言訖、則可以後手投賜。已而召集鰐魚問之曰、天神之孫、今當還去。儞等幾日之內、將作以奉致。時諸鰐魚、各隨其長短、定其日數。中有一尋鰐、自言、一日之內、則當致焉。故卽遣一尋鰐魚、以奉送焉。復進潮滿瓊・潮涸瓊、二種寶物、仍教用瓊之法。又教曰、兄作高田者、汝可作洿田。兄作洿田者、汝可作高田。海神盡誠奉助、如此矣。時彦火火出見尊、已歸來、一遵神教、依而行之。其後火酢芹命、日以襤褸、而憂之曰、吾已貧矣。乃歸伏於弟。弟時出潮滿瓊、卽兄舉手溺困。還出潮涸瓊、則休而平復。

 

先是、豐玉姬謂天孫曰、妾已有娠也。天孫之胤、豈可産於海中乎。故當産時、必就君處。如爲我造屋於海邊、以相待者、是所望也。故彦火火出見尊、已還郷、卽以鸕鷀之羽、葺爲産屋。屋蓋未及合、豐玉姬自馭大龜、將女弟玉依姬、光海來到。時孕月已滿、産期方急。由此、不待葺合、俓入居焉。已而從容謂天孫曰、妾方産、請勿臨之。天孫心怪其言竊覘之。則化爲八尋大鰐。而知天孫視其私屏、深懷慙恨。既兒生之後、天孫就而問曰、兒名何稱者當可乎。對曰、宜號彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊。言訖乃渉海俓去。于時、彦火火出見尊、乃歌之曰、

 

飫企都鄧利、軻茂豆勾志磨爾、和我謂禰志、伊茂播和素邏珥、譽能據鄧馭㔁母。

 

亦云、彦火火出見尊、取婦人爲乳母・湯母、及飯嚼・湯坐。凡諸部備行、以奉養焉。于時、權用他婦、以乳養皇子焉。此世取乳母、養兒之縁也。是後、豐玉姬聞其兒端正、心甚憐重、欲復歸養。於義不可。故遣女弟玉依姬、以來養者也。于時、豐玉姬命寄玉依姬、而奉報歌曰、

 

阿軻娜磨廼、比訶利播阿利登、比鄧播伊珮耐、企弭我譽贈比志、多輔妬勾阿利計利。

 

凡此贈答二首、號曰舉歌。海驢、此云美知。踉䠙鉤、此云須須能美膩。癡騃鉤、此云于樓該膩。

 

一書曰、兄火酢芹命、得山幸利。弟火折尊、得海幸利、云々。弟愁吟在海濱。時遇鹽筒老翁。老翁問曰、何故愁若此乎。火折尊對曰、云々。老翁曰、勿復憂。吾將計之。計曰、海神所乘駿馬者、八尋鰐也。是竪其鰭背、而在橘之小戸。吾當與彼者共策、乃將火折尊、共往而見之。

 

是時、鰐魚策之曰、吾者八日以後、方致天孫於海宮。唯我王駿馬、一尋鰐魚。是當一日之內、必奉致焉。故今我歸而、使彼出來。宜乘彼入海。入海之時、海中自有可怜小汀。隨其汀而進者、必至我王之宮。宮門井上、當有湯津杜樹。宜就其樹上而居之。言訖卽入海去矣。故天孫隨鰐所言留居、相待已八日矣。久之方有一尋鰐來。因乘而入海。毎遵前鰐之教。

 

時有豐玉姬侍者、持玉鋺當汲井水、見人影在水底、酌取之不得。因以仰見天孫。卽入告其王曰、吾謂我王獨能絶麗。今有一客。彌復遠勝。海神聞之曰、試以察之、乃設三床請入。於是、天孫於邊床則拭其兩足。於中床則據其兩手。於內床則寛坐於眞床覆衾之上。海神見之、乃知是天神之孫。益加崇敬、云々。海神召赤女・口女問之。時口女、自口出鉤以奉焉。赤女卽赤鯛也。口女卽鯔魚也。

 

時海神授鉤彦火火出見尊、因教之曰、還兄鉤時、天孫則當言、汝生子八十連屬之裔、貧鉤・狹々貧鉤。言訖、三下唾與之。又兄入海釣時、天孫宜在海濱、以作風招。風招卽嘯也。如此則吾起瀛風邊風、以奔波溺悩。火折尊歸來、具遵神教。至及兄釣之日、弟居濱而嘯之。時迅風忽起。兄則溺苦。無由可生。便遙請弟曰、汝久居海原。必有善術。願以救之。若活我者、吾生兒八十連屬、不離汝之垣邊、當爲俳優之民也。於是、弟嘯已停、而風亦還息。故兄知弟德、欲自伏辜。而弟有慍色、不與共言。於是、兄著犢鼻、以赭塗掌塗面、告其弟曰、吾汚身如此。永爲汝俳優者。乃舉足踏行、學其溺苦之狀。初潮漬足時、則爲足占。至膝時則舉足。至股時則走廻。至腰時則捫腰。至腋時則置手於胸。至頸時則舉手飄掌。自爾及今、曾無廢絶。

 

先是、豐玉姬、出來當産時、請皇孫曰、云々。皇孫不從。豐玉姬大恨之曰、不用吾言、令我屈辱。故自今以往、妾奴婢至君處者、勿復放還。君奴婢至妾處者、亦勿復還。遂以眞床覆衾及草、裹其兒置之波瀲、卽入海去矣。此海陸不相通之縁也。一云、置兒於波瀲者非也。豐玉姬命、自抱而去。久之曰、天孫之胤、不宜置此海中、乃使玉依姬持之送出焉。初豐玉姬別去時、恨言既切。故火折尊知其不可復會、乃有贈歌。已見上。八十連屬、此云野素豆豆企。飄掌、此云陀毗盧箇須。

 

彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、以其姨玉依姬爲妃。生彦五瀬命。次稻飯命。次三毛入野命。次神日本磐余彦尊。凡生四男。久之彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、崩於西洲之宮。因葬日向吾平山上陵。

 

一書曰、先生彦五瀬命。次稻飯命。次三毛入野命。次狹野尊。亦號神日本磐余彦尊。所稱狹野者、是年少時之號也。後撥平天下、奄有八洲。故復加號、曰神日本磐余彦尊。

 

一書曰、先生五瀬命。次三毛野命。次稻飯命。次磐余彦尊。亦號神日本磐余彦火火出見尊。

 

一書曰、先生彦五瀬命。次稻飯命。次神日本磐余彦火火出見尊。次稚三毛野命。

 

一書曰、先生彦五瀬命。次磐余彦火火出見尊。次彦稻飯命。次三毛入野命。

朝鮮人ツヌガ アラシト

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 岩波の日本書紀(二)に収載の日本書紀巻第六「活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと) 垂仁天皇(すいにんてんわ(の)う)」紀。

 朝鮮(任那(みまな))人「ツヌガ アラシト」の話が出てくるのだが、これが不思議な昔話風になっていてちょっと面白い。

 そこで、その部分を現代語訳してみる。

(上掲書p.20 11行目からの漢文を現代語訳)

 朝鮮人ツヌガ・アラシトは任那(みまな)からやってきた人である。崇神天皇の頃から日本に仕えたが、垂仁天皇の代になってから国に帰りたいと申し出てきた。

 (中略)

 そもそも、アラシトがどうして日本にやってきたのか、その(わけ)は次の通りである。

 アラシトがまだ任那にいた頃のこと。ある時、あめ色をした、めでたい牛に農機具を背負わせて田舎を歩いていた。ところが、その牛が逃げてしまった。しかたがなく牛を訪ね歩いた。そのうち、ある村で留まったところ、その村のお爺さんが出てきてこう言った。

「おぬしが探しておる牛は、この村へ入ったぞよ。ところが、村役人どもが

 『この牛に載っている荷物から推測すると、この牛は食われるために来たようなもんだ。食っちまおう。なあに、持ち主が来たら、何か代わりの物でもやっとこう』

…なんぞと言って、おぬしの牛を食ってしもうたんじゃ。

そこでの、おぬしよ。知恵を授けて進ぜるわさ。もし役人どもに『牛の代金がわりに、何がほしい?』と聞かれたら、カネとかお宝なんぞを望んじゃいかんぞ。『この村で祭っている、村神さまを貰おうかい』と言いなされ。」

 そうこうするうち、村役人がやってきて、

「おう、お前が牛の持ち主か。すまんのう、あの牛、食っちまった。代わりに何がほしい?」

と言う。そこで、アラシトはお爺さんに教わったとおりに村神さまを所望した。

 その村の神様は、白い石であった。この白い石を、牛の代金としてもらいうけた。そうして、宿に石を持って帰って、寝間に置いた。

 ところがなんと。夜にその白い石は、とてもかわいい美少女に化けたではないか!。アラシトの喜びようと言ったら!

 アラシトはさっそく美少女とエッチなことをしようとたくらんだ。

 が、ちょっと眼を離した隙に、美少女は消えうせてしまった。アラシトはびっくりして、自分の女房に「お、おい、いまここにいたカワイイねえちゃん、どこに行った!?」と聞いた。女房は「さあ。東に行ったみたいだけど?」と言う。

 そこで、アラシトはその美少女を追って家を出て行った。海に来ても止まらず、どんどん東へ突き進み、ついに日本国にやって来た。これが、アラシトが日本へやってきた訳である。

 一方、アラシトが追いかけた美少女は、大阪に来て、比売語曾社(ひめごそのやしろ)の神様になった。また、大分県国東にも行き、そこの比売語曾社の神様にもなった。こうして、この美少女神は、同時に二箇所に祭られていると言う。

 ついでに、この話の白文は次の通りである。

一云、初都怒我阿羅斯等、有國之時、黃牛負田器、將往田舍。黃牛忽失。則尋迹覓之。跡留一郡家中。時有一老夫曰、汝所求牛者、於此郡家中。然郡公等曰、由牛所負物而推之、必設殺食。若其主覓至、則以物償耳、卽殺食也。若問牛直欲得何物、莫望財物。便欲得郡內祭神云爾。俄而郡公等到之曰、牛直欲得何物。對如老父之教。其所祭神、是白石也。乃以白石、授牛直。因以將來置于寢中。其神石化美麗童女。於是、阿羅斯等大歡之欲合。然阿羅斯等去他處之間、童女忽失也。阿羅斯等大驚之、問己婦曰、童女何處去矣。對曰、向東方。則尋追求。遂遠浮海以入日本國。所求童女者、詣于難波爲比賣語曾社神。且至豐國々前郡、復爲比賣語曾社神。並二處見祭焉。

野見(のみ)宿禰(すくね)

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 さて、なんとしても、「野見(のみ)宿禰(すくね)」の話を書き留めておかねば面白くない。日本の総合格闘技「古式相撲」の創始者として知られるが、それ以外に実は、多くの人に知られていない話がある。それを不肖・佐藤の現代語訳で、ここに書きとめておく。底本は岩波文庫「日本書紀(二)」(ISBN4-00-300042-0)(著作権消滅)である。

「野見の宿禰」~日本書紀より~
(現代語訳・佐藤俊夫)

 垂仁(すいにん)天皇が即位されてから七年が経った秋のこと。垂仁天皇のおそばに仕える者たちが

当麻(たいま)村にものすごく強い格闘家がいるそうです。この人の名は当麻(たいま)蹶速(けはや)と言うそうですが、この男の強いのなんの。牛と戦って角をへし折り、鋼鉄でできた太い鉤を、素手で真っ直ぐに伸ばしてしまうと噂されています。いつも回りの人々に、『あちらこちらと歯応えのある奴を探しているが、俺より強い奴はどうもいないようだな、ふん。俺と互角の格闘家と、生き死にに関係なく、全力で戦ってみたいものだぜ』などと豪語しているようです。」

と、申し上げた。

 垂仁天皇はこれを聞き、

「ほう。当麻の蹶速はそれほどに強いか。天下一の格闘家と申すようだのう。……どうだろう、当麻の蹶速の相手ができるような者は、国には他におらぬのか?」

と臣下たちに言われた。ある大臣が進み出てきて、

「私が聞き及んでおりますには、出雲(いずも)に名の知られた格闘家がおります。『野見(のみ)宿禰(すくね)』という名だそうです。ためしに、この人と当麻の蹶速に試合をさせてみてはどうでしょうか。」

と申し上げた。すぐに、(やまと)一族の先祖と言われている長尾市(ながおち)が出雲に使いに発ち、野見の宿禰を呼んできた。野見の宿禰はすぐに都にやってきた。

 さっそく、当麻の蹶速と野見の宿禰の試合が行われた。

 二人は向き合って立った。

 それぞれ、蹴り技で戦い始めた。

 大変な蹴り試合になった。当麻の蹶速は肋骨をへし折られた。ひるんだところを、野見の宿禰の止めが容赦なく襲った。腰骨に踏み蹴りが決まり、当麻の蹶速は腰骨を粉砕されて、その場で死んでしまった。

 当麻の蹶速の領地は召し上げられ、すべて野見の宿禰に与えられた。

 このことがあったため、野見の宿禰の領地の村には、「腰折田(こしおりだ)」という地名が残っている。

 野見の宿禰はそのまま、垂仁天皇の臣下となって、そば近く仕えることになった。

 それから二十年以上が経った。垂仁天皇の弟の、倭彦(やまとひこ)(みこと)が亡くなった。桃花鳥坂(つきさか)に葬ったが、その折、倭彦の命に仕えた者たちが数多く呼び集められた。

 呼び集められた者たちは、すべて、陵墓の周りに生き埋めにされた。殉死である。生き埋めにされても、すぐに死ぬものではない。昼も夜も、生き埋めにされたその人たちが泣き叫び、苦しむ声が聞こえ続けた。そして、苦しむままにその人たちは死に、朽ちて腐乱死体となった。犬や烏が死体にたかり、死肉をむさぼった。

 垂仁天皇はその声や、一部始終を聞き、大変心を痛めた。臣下たちを集めて

「いくら(あるじ)の生前に一生懸命に尽くした人たちだからと言って、主と一緒に死なせなければならないなどと、こんな残酷なことはない。昔からのしきたりかも知れないが、良くないことはたとえしきたりでも良くない。そんなしきたりに従う必要はないと思う。これからは、こんな殉死の風習は廃止せよ。」

と命令した。

 それから更に5年後(当麻の蹶速と野見の宿禰が戦ってから26年後)、皇后が亡くなった。葬るまでにしばらく時間があったので、垂仁天皇は臣下たちに

「私は以前、殉死と言うのは良くないことだと悟った。それにしても、今度の皇后のとむらいは、どのようにしたものか……」

と言われた。

 天下一の格闘家である野見の宿禰がすっくと立ち、進み出て垂仁天皇に次のように申し上げた。

「仰せの通り、主が亡くなったからと言って、人を生き埋めにすることは、私も良くないことだとかねがね思っておりました。こんなことをいつまでも後世に伝えることなど、できません。そこで、私に名案があるので、どうかお任せくださいませんか」

 野見の宿禰は使いの者を出し、故郷の出雲の焼きもの師を百人、呼び集めた。そして、自分が指揮をして、焼きもので人や馬など、いろいろな物の模型を作った。

 これを垂仁天皇に差し出し、

「これからは、この焼きものの模型を埋めることで、生き埋めの殉死の代わりにしては如何でしょうか。後世にはこのやり方を伝え残すべきだと思います」

と言った。

 垂仁天皇は大変よろこび、

「野見の宿禰よ、お前の名案は、本当に私の気持ちの通りだ」

と仰せられた。こうした焼きもののことを「土物(はに)」と言う。皇后の陵墓には、この「はに」が、初めてずらりと並べて埋められた。輪のように並べたので、「はに」の輪であることから、これは「はにわ」と言われるようになった。立物(たてもの)とも言う。

 垂仁天皇は

「これからは、陵墓には必ずこの『はにわ』を使うこと。決して生きている人を傷つけてはならない」

と命令された。そして、野見の宿禰の功績を大変褒められ、領地を下された。

 このことから、野見の宿禰は焼きもの師(土師(はじ))の監督官として任ぜられることとなった。それで、姓も変えることになり、「土師臣(はじのおみ)」と名乗るようになった。土師の一族が、後世も天皇の葬儀をとりしきるようになったのは、こうしたことがあったためである。

 このように、格闘家・野見の宿禰は土師一族の元祖とされている。


 なお、この部分の白文は、次の通り。

七年秋七月己巳朔乙亥、左右奏言、當麻邑有勇悍士。曰當摩蹶速。其爲人也、强力以能毀角申鉤。恆語衆中曰、於四方求之、豈有比我力者乎。何遇强力者、而不期死生、頓得爭力焉。天皇聞之、詔群卿曰、朕聞、當摩蹶速者、天下之力士也。若有比此人耶。一臣進言、臣聞、出雲國有勇士。曰野見宿禰。試召是人、欲當于蹶速。卽日、遣倭直祖長尾市、喚野見宿禰。於是、野見宿禰自出雲至。則當摩蹶速與野見宿禰令捔力。二人相對立。各舉足相蹶。則蹶折當摩蹶速之脇骨。亦蹈折其腰而殺之。故奪當摩蹶速之地、悉賜野見宿禰。是以其邑有腰折田之縁也。野見宿禰乃留仕焉。

(中略)

廿八年冬十月丙寅朔庚午、天皇母弟倭彦命薨。十一月丙申朔丁酉、葬倭彦命于身狹桃花鳥坂。於是、集近習者、悉生而埋立於陵域。數日不死、晝夜泣吟。遂死而爛臰之。犬烏聚噉焉。天皇聞此泣吟之聲、心有悲傷。詔群卿曰、夫以生所愛、令殉亡者、是甚傷矣。其雖古風之、非良何從。自今以後、議之止殉。

(中略)

卅二年秋七月甲戌朔己卯、皇后日葉酢媛命一云、日葉酢根命也。薨。臨葬有日焉。天皇詔群卿曰、從死之道、前知不可。今此行之葬、奈之爲何。於是、野見宿禰進曰、夫君王陵墓、埋立生人、是不良也。豈得傳後葉乎。願今將議便事而奏之。則遣使者、喚上出雲國之土部壹佰人、自領土部等、取埴以造作人・馬及種種物形、獻于天皇曰、自今以後、以是土物更易生人、樹於陵墓、爲後葉之法則。天皇、於是、大喜之、詔野見宿禰曰、汝之便議、寔洽朕心。則其土物、始立于日葉酢媛命之墓。仍號是土物謂埴輪。亦名立物也。仍下令曰、自今以後、陵墓必樹是土物、無傷人焉。天皇厚賞野見宿禰之功、亦賜鍛地。卽任土部職。因改本姓、謂土部臣。是土部連等、主天皇喪葬之縁也。所謂野見宿禰、是土部連等之始祖也。

某展示会にて

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 元DOCOMO・ドワンゴの夏野氏の基調講演を拝聴した。まことに刺激的で、楽しく、元気が出た。うっすらと愛国主義的であるところも私には快い。

 だが、まあ、こう書くと極端だが、盛り上げ任務を忠実かつ見事なお腕前でなさったという意味で、ヒトラーの演説みたいなモンでもある。冷静に傾聴。

マルコムXの孫とWTC

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 昨日久しぶりに愛蔵の名作DVD「マルコムX」を見た。なんとなれば、昨日マルコムXの孫のシャバズ氏がブラジルで殺されたことをニュースで知ったからである。

 マルコムXはいわずと知れたブラック・モスレムの活動家である。日本で言えば大正時代に生まれた人物であることを思うと、彼がどのように育ったかが想像できる。

 DVDでは、主演のデンゼル・ワシントンが、もう、笑っちゃうくらいソックリにマルコムXに扮している。デンゼル若いなあ、と思ってDVDのパッケージ裏をヒョイと見ると、公開は平成5年(1993)とあるから、なんともう20年も前だ。

 平成5年というのは、WTCの地下駐車場で爆破テロがあった年である。9.11の陰に隠れて忘れられがちであるが、これもやはりイスラムの連中が「やっちまった…」ことであった。

 WTC地下駐車場の爆破テロが起こったのは平成5年の2月26日である。他方、アメリカでこの「マルコムX」が公開されたのは、それに先立つ平成4年の冬、11月18日だ。日本では爆破テロの1週間前、平成5年の2月20日に公開されている。

 昨日のニュースでは、旧WTCの跡地に建設されていた「WTC1」がついにもとのWTCの高さに達したとも報じられた。一昨日、5月10日のことであるという。

 「どうだこの野郎」と言わぬばかりのアメリカ人らしい復興が、憎たらしい。しかし、9.11で亡くなった多くの人たちは、そんなアメリカの唱える正義などになんの関係もない弱者でもあった。そしてなおアメリカが、アフガンで、イラクで繰り広げた、9.11で亡くなった人たちの数十倍にも及ぶ報復のための殺戮もまた、国や活動家とは何の関係もない弱者に指向されたことを、同時に弁えなければならぬ。

 ヒロシマもナガサキも、帝国政府の無策と無能によって招き寄せられた当然の帰結だと強弁し、日本人は罪の意識のもと反省し続けなければならないとするなら、WTCの炎上と倒壊もまた、アメリカ政府の傍若無人と破廉恥によって下された審判であったとして永久に反省されなければなるまい。核爆弾に比べれば、9.11なぞ、ほんのお遊び程度の可愛らしい規模でしかなかったが…。

 アメリカが完全民主主義と自由を標榜すればするほど、独裁を保持するアメリカ大統領などではなく、アメリカ合衆国国民自身、一人ひとりが9.11を招き寄せたという論理が成り立つことになる。だが、アメリカ政府の誘導よろしきを得て、9.11を正義実行の懐かしい追憶点として涙するアメリカ人はいても、自らの罪を反省するアメリカ人などいるまい。

 そして、多くの日本人がそれに同調していることも、あまりにも悲しい。日本では、イスラムに攻め込むアメリカに協力することは国是であり国益への寄与であるとされる。

 そんな思いが、麻糸のように千々に乱れる、昨日の映画鑑賞であった。

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発売日:2006-11-02

万緑

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万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村草田男

万緑や死は一弾を以て足る  上田五千石

 これらの句の季語は「万緑」である。二つの対照的な句だが、いずれも生命力にあふれる緑を背景として、またその緑を自分の精神として、あるいは精神の前提として見据えている。

 この「万緑」という言葉は、宋代の詩人、王安石の「石榴の詩」の中に出てくる一節だと言われている。

万緑叢中紅一点、動人春色不須多。
(ばんりょくそうちゅうこういってん 人を動かす 春色 多きを須(もち)いず)

 春というものが人の心を動かし掴むのに、なにほどゴタゴタとした夾雑物を必要としようか、緑また緑の中に花の一輪ほどもあれば足りよう。…そんな意味だと思う。

 言葉としては、この「万緑」よりもむしろ、「紅一点」のほうがかつてはよく使われた。男職場の中にいる庶務係の女性など、「紅一点」と言われたものである。「ゴレンジャー」に登場する「モモレンジャー」も「紅一点」だ。ゆかしい言葉だが、今は男女共同参画とかダイバーシティなどの方面から熾烈な反発を喰らうのを恐れてか、どうも使われなくなったようだ。

 万緑という季語は、出典の漢詩を見てもわかるとおり、本当は春に属するものであった。しかし、掲出の、中村草田男の名句により夏の季語として認められ、定着した。「季語は名句によって生まれる」のである。このことの記念であろう、中村草田男の創始した俳句結社は「萬緑」で、今も存続して同名の俳句誌を発行している。

 中村草田男の生命感にあふれるばかりの「万緑」に比べると、上田五千石の掲句は重く、沈鬱だ。戦時中の作と見れば、緑なす南方戦線を思い浮かべることもできるし、昭和20年の虚脱の夏を思い浮かべることもできる。万緑の中の自己の矮小さが悩ましい。しかし、句の主人公は、決してその矮小を卑下などしていない。不動の自己がそこに固着し、きっぱりと決断している。

 本歌取りが許されるものならば…。

万緑や我が死は何を以て足る  佐藤俊夫
(「俺用句帖β」所載)

佐藤さん最近ピアノの稽古は!?

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 いや、無論、休まず続けておりますよ(笑)。

「1Q84」感想

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 文句なしに面白かった。何年も前に発表された大ヒット作であり、あらゆる人々に読み尽くされた後の本であるから、私如きが今更感想など書き留めておくのもなんだか痛々しい。だがそれでも、書いておきたい。面白かったからだ。「ネタバレ注意」である。

 私は、村上春樹の作品を一冊も読んだことがない。若いときにも読む気は起こらなかった。私は村上春樹に限らず、リアルタイムの話題作と言うものをほとんど読まないのだ。本屋でポスター貼りの本や平積みの本を手に取ることなど、まず、ない。話題作は、いつもかなり時間が経ってから読む。意識してそうしてきたわけではない。ただ、本屋に入って、自分の読みたいもの、興味のあるものを思ったとおりに選んでいたら、自然そうなってしまうだけだ。そして村上春樹の作品は、発表される端からすべてが話題作である。こうしたわけで、自然、手に取らないことになった。

 ただ、村上春樹が超有名であることは言うまでもない。文章が平明で正確な作家であり、読みやすいということも聞いて知っていた。もちろんノーベル賞の候補に推されるほどだから、読んでハズレがないことも最初からわかってはいた。

 最近になって、村上春樹が翻訳した海外作品をいくつか読んだ。レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーティ。村上春樹はアメリカ文学の翻訳家として沢山の本を訳している。それらの感想を友達に話すうち、「『1Q84』は読みましたか」という話にもなった。何か気になってきて、遅ればせながら「1Q84」を手に取った次第である。

 連合赤軍、ヤマギシ、エホバの証人、モロにオウム真理教や創価学会のようなカルト、バブル、東電OLを思わせる事件、虐待される子供、池波正太郎「仕掛人梅安」のモチーフ、かつてのNHKの集金人の印象、乱倫セックス、不倫、SF、独裁者よりも恐ろしい集合無意識やネットワークのようなもの…等々、実に多くのものがテンコ盛りに盛り込まれている。

 物語がそれらのパーツを強引に巻き込んでいく様子は、さながら大きな神社の極太の注連縄が、その尖った先端に向かって人工的にかつ強引に縒り合されていくかのようだ。男女の愛が結実するまで、注連縄は力技でギリギリと締め上げられていく。途中で多少夾雑物がこぼれ落ちようがお構いなしだ。

 都会の街の底の歳時記の趣もある。扱われる居心地の悪いパーツが時として嘔吐感をもよおす程に薄汚れているにもかかわらず、まるでそれを忘れさせるように四季の変化が美しく描き込まれ、春夏秋冬の空気が薫るようである。作者はその落差を意識でもしたのだろうか。

 この本に描かれているのは「物語」であり、主張などではないと見た。そこには問題提起も指摘も論理も、何もない。そんなものは物語に必要ではないからだ。

 本が楽しく面白く悲しく深刻に、そして美しく書かれ、楽しく面白く悲しく深刻に、そして美しく読まれる。それでよいではないか。

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☆ ツッコミのいくつか

  •  BOOK2からBOOK3(文庫4巻~5巻目)への切り替えが雑。4巻目の「青豆入り空気さなぎ」はどこへ行ったンじゃーーーッ!?ひょっとして書くのがめんどくさくなったのか~>作者
  •  最終シーンにヤナーチェクのシンフォニエッタを持ってきて、調和的に盛り上げてほしかった。また、最後に、はじめのトヨタ・ロイヤルサルーンの、オーディオ完備タクシーが登場すれば結びとして時代劇のような構図が完成したろう。だが、そうすれば、文学としては陳腐化し、二流大衆小説になったかもしれない。
  •  終章に近づくにつれて、魅力的で重要な登場人物たち(ふかえり、戎野先生、緒方夫人…)が、どうでもよくなって投げ出されていくような印象。うーん、捨てられる登場人物がかわいそうだぞ。
  •  ボーイ・ミーツ・ガールに着地させるのは、どうなのか。ちと安っぽくないか?
  •  牛河。この魅力のある登場人物。未読であるが、スターシステムじみて、「ねじまき鳥…」にも登場する人物だそうな?。しかし、雑に扱われすぎだ。4巻(BOOK2後編)まで、青豆・天吾・青豆・天吾…と美しく繰り返されてきた章立てに、突然この醜い男は一章、見事な舞台を与えられて闖入してきたにもかかわらず、なんだか、作者が最後のほうでめんどくさくなってきて扱い方に困り、エエイ殺してしまえ!と殺したような感じである。最後の登場の仕方なんか、死体である(笑)。
  •  池波正太郎の「仕掛人・藤枝梅安シリーズ」が最もヒットしていたのは昭和59年(1984年)前後であるから、この物語の素材としてそれが応用されるのは、実に面白いことだ。

改革病

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 「土光臨調」「三公社五現業」という言葉は、私などが小学生の頃に新聞やテレビでしょっちゅう流れていた言葉である。社会科の教科書にも出ていたかもしれない。

 私と同じ歳で、──私は昭和41年生まれだ──リアルな耳への実感でこれらの言葉を覚えている人は、多くはないと思う。新聞を読んだりニュースを見たりする子は、同級生にはまれだったものだ。しかし、私は小学校低学年から新聞を読んだりニュースを見たりする変な子供だったので、これらの言葉を実感で覚えている。土光臨調の時には私は中学生だったが、周囲の者は多分高校の受験勉強に忙しかったから、リアルタイムではこの言葉は知らないと思う。知っていたとしても、リアルタイムではなく、後から知ったことだろう。

 臨調、などの言葉は、そのまま「行政改革」につながっていく。改革という文字が新聞に載らない日とてはなく、文盲率の低い文明国の悲しさ、知能の高い人であればあるほど、新聞から脳に、毎日「改革」と言う言葉が注入され続けた。それが、昭和55~57年頃(1981年頃)のことだ。

 土光臨調や行政改革の是非については、私にはよくわからない。だが、その意義や目的を理解することなく、とにかく改革、という人々が増殖したことは確かだ。

 それは、いけないことだったと思う。この時代に成長した人たちは、なんでもいいから引っこ抜き、踏み荒らし、変更し、他人に意思を強要しさえすれば「偉いねえ、頑張ったねえ、すごいねえ」と、親にも先生にも上司にも褒められて育つことになったからだ。

 その人たちが悪いのではない。そのように誰かに吹き込まれて育ったのだから、それを遵奉しようとするのは当然のことだ。そしてまた、時代が悪いわけでも、社会が悪いわけでもない。すべて正しかったのだ。だが、正しいものがすべていいことかというと、それは違う。かつて戦争は正義の眷属であった、と言えばわかりやすい。

 改革が正義であるから、変えるべきものがなくなってくると、この人たちは言い知れない不安に襲われる。正義が否定されるのだ。人間は正しくなければならない。ただしくあるためには、変更だ、差し替えだ!!優れた人であればあるほど、正義のために自らも変わろうと努力し続ける。いいかげんなことは許さん!!…かくて、目的も理念も忘れた、正義の「ためにする」改革が繰り返され続けていく。

 これがまた、「改め」かつ「あらたなものを露出させる(=「革」という字は、古いカワをはがしてあたらしい中身が出てくるという意味がある)」ことになっていればいいのだが、凡人にはどうしても、「なにかよい手本をよそから持ってきて、差し替える」くらいのことしかできない。カワをはがす(革)ではなく、ペンキでゴテゴテと上っ面の色を小汚く塗り重ねるだけだ。つまり、ただの「変更」だ。そして、たいていの優れた人は、凡人だ。

 そう、「変更」が正義だ、というところが、困ったことなのだ。「生む・産む」ことではない。「あらためる」ことでもない。オリジナルを産むのではなく、アメリカ風なものに「差し替え」だ。凡人にできる改革など、そんなものだ。

 昭和後半に否定され続けたものは、実は「生まれたもの」でもある。声高にヤレ改革だ革命だと叫ばなくったって、明治維新以来、日本はレボリューションやらイノベーションやら、嵐のような改革と激動に揉まれ続けていた。新幹線が敗戦の痛手から立ち直ってゼロから新しく作られた、などと思い込んでいる向きも多いが、じつは新幹線は昭和の初期から開発が引き続き行われていたことは、満州鉄道史などを少し調べればすぐにわかる。戦時中の航空機開発史などを見ると、信じられないほどの水準と速度でものを生み続けていたこともよくわかる。

 不易流行、という言葉がある。古色蒼然として、カビか苔でも生えていそうな言葉だ。だが、この言葉が好きだ。変わってはならないオリジンの上に、しっかりと変容を受け止めていく。個人においても、組織においても、ゆらぎのない個の確立の上に、変容は迎え入れられる。

 改革だ改革だ、と、憑かれたように言い続ける必要は、ない。明治維新以来の私たちの、もともとのベースに、それは組み込まれている。