航空大国であった日本

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 日本の戦争指導の愚劣さを糾弾する際に言われることの一つが、「装備行政のまずさ」である。特に、零式艦上戦闘機について、航続距離を稼ぐために防弾設備や機体の強度を犠牲にしたこと、無線機の劣悪、戦争末期になると劣速であったこと、などが象徴的にとりあげられる。

 このことがあんまりにも言われすぎるために、飛行機が劣悪であった、との印象を受けてしまう。

 ところがところが。

 今よりも、戦前の日本のほうが、よほど航空機技術の自立した、航空大国であった。大戦の前後だけでも開発したそれぞれ別のアーキテクチャの各種航空機は百種類にもなんなんとする。

 まず、太平洋戦争勃発時の艦上攻撃機、「九七式艦上攻撃機」をWikipediaで見てもらいたい。また、大戦末期の艦上攻撃機、「天山」「流星」なども見てもらいたい。5年足らずの間に、矢継ぎ早に三世代の開発を行っている。

 次いで、日本のもう一つの敵であったイギリスの艦上攻撃機を見てもらおう。大戦初期から大戦末期まで、一貫して使われ続けた艦上攻撃機がこれである。

○ フェアリー・ソードフィッシュ

 比べて揶揄するわけではないが、その姿形はもちろんのこと、性能すら、世代がどうとかいうレベルを逸脱している。英軍は木製布張りで雷撃をしていたというのが正直のところなのである。大海軍国のイギリスにしてからがこうなのだ。

 アメリカと日本だけが異質だったと言ってよい。