北海道で飲み食いしたもの

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 急に、北海道で飲み食いしたいろいろなものを思い出した。

 私は昭和60年から平成5年まで、北海道の旭川で暮らした。

 旭川というところは北海道第二の都市である。札幌に次ぐ規模の街だ。ところが、このことは意外に知られておらず、帯広が北海道で二番目の都市だと思っている人も多い。

 旭川は多くの人が住む内陸・盆地の街で、風はあまり強くないが冬の気温は氷点下30度まで下がる。なのに夏は暑く、30度まで上がる。夏冬の気温差は60度にもなるのだ。穏やかとは言えない気候であった。私は屋外で仕事をしていたので、冬の寒さは身にこたえた。

 反面、仕事以外の日常の暮らしでは、寒さを感じたことなど一度もない。ストーブなど、赤熱して光るほど部屋を暖めるのがこの地方の常であった。

 雪は深く、これでもかと降り募るが、低温のため軽く、雪かきなどの仕事はそれほど辛くはない。光りながら落ちてくるものを手に受けると、絵に描いたような六角形の結晶が美しかった。中には5ミリほどもある大きなものも見られた。

 そんな雪を窓外に眺めながら、真夏のように暖房のきいた室内で飲むビールや、ストーブにあたって半袖のシャツ一枚で食べるアイスクリームの旨さは忘れられない。これがまた、少し奮発すれば、本州ではなかなかお目にかかれない、乳脂肪の高いアイスクリームが手に入った。

 内陸に位置する都市であるにもかかわらず、流通経路が集中する立地のために、鮮魚がうまかった。握り飯のように大きな寿司があり、単に大きいだけではなく、江戸前を凌駕するような類例のないうまさだった。

 海産物が流通しているから、利尻昆布などは最高級品が安値で買えた。

 石狩鍋とて、こうしたうまい昆布を出汁に使い、鮭をふんだんに煮た鍋物も、実にうまかった。普通は味噌味だが、塩味のものも食ったことがある。これはむしろさんべい汁と呼ぶのだろうか。

 「ちゃんちゃん焼き」と称して、まるごと一本の鮭を鉄板に乗せ、野菜を山盛りにして蒸し焼きにし、適宜味付けをして食うやりかたがあり、これはまことに豪快で、北海道ならではのうまいものであった。

 居酒屋で、当時流行し始めた焼酎の肴に「法華」の焼いたのをよく食った。大きくて、脂がのり、身離れもよくて食べやすく、実にうまかった。体が小さい人だと、これだけで1食ぶんにはなり、4百円や5百円で済むから安かった。

 烏賊もうまかった。烏賊飯や烏賊そうめんの本場は函館あたりだろうとは思うが、流通経路の集中のために大きくて身の厚い新鮮な烏賊が旭川ではふんだんに食えた。

 名物「ジンギスカン」の濃厚な味は、飲み会にはなくてはならぬものであった。ビールを飲みながら、若かったから飯も一緒にかきこみ、ラム肉をたらふく食ったものだ。

 冬になると新巻鮭の即売団がまわって来た。これがまた、塩気のきいた、食べごたえのあるもので、しかもそれほど高くなかった。郷里に送ると喜ばれたものだ。

 音威子府あたりの蕎麦の産地が近いため、盛り蕎麦のうまいのがあった。

 北海道は小麦の産地でもあり、ラーメンなどもうまかった。肉もたくさん生産しているから、チャーシューメンなどは出色の旨さだった。どこのラーメン屋も旨かった。北海道のラーメンが安くてうますぎたので、その後暮らした関西や関東のラーメンはうまいと思えず、それほど食わなくなってしまった。

 小麦粉と言うとうどんもうまかったが、これはどうも、その前に関西風のうどんを食いなれた私にはもうひとつだった。だが、うどんそのものの品質は高かった。

 同じ理由で、パンを食ったら美味で驚いたこともある。適当に入った喫茶店で300円かそこらのモーニングを頼んだら、ほかほかのフランスパンの厚切りがふたつ、コテコテにバターがのせてあって、これがうまいのなんの。小麦粉も原料乳も品質が良いのである。

 たまねぎやじゃがいもも、特産地に隣接しているからとてもうまかった。

 とうもろこしが大きく、粒が張って、甘くうまかった。北海道の人はこのとうもろこしを綺麗に食べる。よそ者が適当にがぶりと食べると、「トーキビ(唐黍)(きたね)ぇ食い方すんでねエ!」と怒る。とうもろこしのことを唐黍(とうきび)と呼ぶのも独特だ。とうもろこしの粒を、食べて空いた列の方へ、歯や手で倒すように押すと綺麗に根本から外れる。こうするとプチッと張った粒の歯ごたえもよく、おいしいし、きれいに食えるのだ。

 北海道の人がよくやる、熱い飯にバターを乗せ、ちょいと醤油をたらしてかきこむやりかたは、知らぬ人には奇怪な食い方に思えるが、なんの、洋食のバターライスのことを思えば、なんてことはない当たり前の食い方だ。これはまことに美味であった。先に述べた方法できれいに外したとうもろこしの粒をのせて、バターコーンにして食うやりかたもあった。

 酪農家が親戚にいる人があって、その人の家にお邪魔したことがある。私は牛乳が好きなのだが、そこで牛乳を飲ませてもらったところ、その後しばらく普通のスーパーマーケットで売っている牛乳には見向きもできなかったものだ。なぜと言って、香り、味、なにもかも違う上、飲んでいるそばから豊富な脂肪分が浮き上がってきて、これが生クリームとバターを練り合わせたほどのもので、指につけて舐めると、砂糖抜きのケーキを食っているような、そういう牛乳なのである。

 奥さんがたは鶏の大きな唐揚げを上手にこしらえる。北海道の人はこれを「ザンギ」と呼んで健啖する。ザンギ、とは変わった呼び方だが、これは「炸鶏」と書く中華料理の呼び名で、「炸」とは揚げものの意、日本語の漢音読みでは「さっけい」だが、中国語でザンギである。徴用工の中国人から由来したか、あるいは日露戦争での活躍も知られる旧第七師団の屯ろする軍都であったことから、満州、あるいは支那方面派遣の軍人あたりから広まった呼び方であるように思われる。このザンギは家庭によっても味が違ったが、日本酒と生姜とにんにくのよくきいた醤油にたっぷりと肉を漬け込み、それに衣をまぶして揚げるので、うまかった。

 当時の私は登山が好きで、よく大雪山系を跋渉したものだが、尾根筋に飽きると沢筋に入るようになった。夏、釣り好きの人と一緒に、沢用の短い釣り竿を携え沢筋に入った。オショロコマという陸封性の小型の鮭類を釣りながら詰め上り、夜にはこれを焚き火で焼き、雪渓で冷やしたウイスキーを飲みながら食ったものだ。野趣のある味わいでうまかった。

 イトウという淡水魚がある。これは幻の魚などと言われ、昔、作家の開高健がこれを追い求めるドキュメンタリーなどもあった。ところが、旭川の釣り好きの人にはそれほど珍しくもない魚らしく、釣ったばかりのイトウを無造作に素焼きにし、醤油をかけ回したのをご相伴にあずかったことがある。実にうまかった。「幻の魚」をあんな食い方をして、バチがあたりそうだ。

 こうした折に水の近くを少し探すと「アイヌネギ」とも「行者にんにく」とも言うニラ類があり、これと一緒に煮炊きしたマスの類もうまかった。このアイヌネギを卵と一緒に料理したニラタマはすばらしい香りでうまかった。

 北海道には竹がほとんどない。しかし春には筍を食う。北海道の人がいう筍はスズノコともスズタケともいい、これは竹ではなく、ネマガリタケという大笹の筍である。大きい物は小指ほどになる。これらを春山へとりに行き、浸しものや和えものにして、飲みかつ食うのである。「内地」では──北海道の人は本州のことを内地と言うのだ。いまだ勃然としてある開拓精神のしからしむるところである──このスズノコ、水煮の缶詰などでしかお目にかかれない。

 冬山に登ると、夜のテントで生のたまねぎに味噌をつけてかじった。ズキーンと辛く、これを肴にスキットルに詰めたウィスキーを飲むと、手足の先まで温まったものだ。

 山で飲む酒というと、仕事で山に入る際には、夜に飲む酒を金を出し合って買っていったものだが、これはたいてい甲類焼酎の安いもので、スケールメリットを出すため、「20リットルのポリタンク入り」なぞという、北海道でしか見かけないものを買っていったものだ。これにはプラスチック製の小さな蛇口がついており、ブリキや琺瑯引きのコップに直接どぶどぶと注いで飲むのだ。札幌酒精が販売しており、ウェブサイトを検索すると、今でも18リットルポリタンク入りの業務用の焼酎が見つかる。

 こうしてあれこれ思い出していると、飲み食いしたものは何でも懐かしいが、もう一度北海道で仕事をしたいかというと、実はそれはそうでもない。これはごく簡単な話で、当時自分が軽輩弱卒だったためにいらぬ苦労をし、嫌な思い出が多いというだけのことだ。旭川は今も多くの人が暮らしているリアルの場所だが、私にとっては過去の土地である。

好悪に理屈などない

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 「俺を好きになれ!」と、拳骨を振り回しながら言われても、好きになどなるわけないし、「俺を好きになれ」と、なにやら鼻息ムフムフ、腰をうごめかしながら言われても、好きになどなるわけない。無論、「俺を好きになれ年収は¥$₣元」あるいは「俺は××大学卒業だから好きになれ」など、金や学歴を好きのパラメータにするなど論外というべきである。どれもこれもダメだ。

 好きとか嫌いとかいうものは、魂が相容れるかどうかであって、暴力も性欲も金も学歴もイデオロギーも、好き嫌いには無力だ。

 ピーマンが嫌いな子供に、ピーマンのビタミン含有量と繊維質の健康に及ぼす影響を説いたところで所詮食わないし、納豆が嫌いな野郎に納豆の効用や微生物の及ぼす健康と長寿への影響、統計上の有意な回帰式や相関係数を説明したところで、相手はやっぱり納豆は嫌いなままであろうことは知れきったことだ。

 数値ほど好悪の感情に無力なものもあるまい。

 自分が相手に受け入れられないとき、それは受け入れられないということであって、なぜ受け入れられないのかなど問うても無駄だ。栄養豊富なセロリが嫌いなあなたは間違っています、などと説得しようがどうしようが、奴は依然セロリが嫌いなのである。

 受け手の度量は小説やマンガのように広くはない。そこでジタバタもがくことは、自分自身の修行にはなり、ためにはなるが、相手に芯から底から受け入れられると期待することは無駄である。

 そしてまた、相手に好かれようとジタバタもがいて見せることは相手にとって迷惑である。彼にとって嬉しいことではないのだ。嫌いな奴が好かれよう好かれようとしているんだから、納豆の効能をくだくだしく説かれるようなものだ。「私はこんなにもあなたに好かれるに足る人物なんですよ」と、聞きたくもないゴタクを聞かされて辟易するのは、好き嫌いの激しい子供が人参やピーマンを無理やり食わされるようなものだ。如何にそれが身のためになろうが嫌なものは嫌というのが人情である。

 なのに、人間というものは、なんら好きになどなる理由のないどうしようもないハイカロリー食品を貪り食って酒を飲みタバコを吸い、ダメ相手と同棲したり結婚したりセックスして子供を産んだりするもので、それはもう、どうしようもないのである。

 人間がそんなものであるから、そんな人間から成る社会や国家が、暴力やら性欲やらカネやらなにやらで迷走するのは、もう、仕方がない。

 イスラムの連中は、やっぱりイスラエルもアメリカも嫌いだし、アメリカはやっぱりアジアもイスラムもなにもかもが「嫌い」なのである。

無題雑想

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 なにをどう捻じ曲げたら、「天皇を崇拝する間違った洗脳教育によって戦闘ロボットとなった狂人兵士の集団がカミカゼなどと称して自爆テロを繰り返し、か弱い一般婦女子をレイプし、略奪・虐殺を繰り返し、全アジアを荒廃させたので、これをやめさせるため正義の使命を帯びた神の軍団・アメリカ人が原爆をもって停止させた」ということになるのか、理解に苦しむ私である。

 それをまた、「自省こそ正しい人間としての態度」とでも思うのか、当の日本人がうべなっているのだから、もう、ダメだ。これみよがしに反省して見せて、自分の改善点を教室で大声で発表するなど、それは小学校くらいでしか通用しない。むしろ自らを守る弾除けに、実は反省などしていないけれども反省しているふりを周囲に見せているのだとすると複雑だが、「イチビってる」うちにフリも本当になってしまうのが痛い。

 いっそのこと、もう少し朝鮮人でも見習ったらどうか。

 朝鮮人は日本人と一緒になって嬉々として戦争をしていたはずなのだが、日本が負けた途端戦勝国の名乗りを上げて賠償を請求し始めるというのもワケがわからないのを通り越して憫笑が漏れてしまう。

 いやむしろ、李承晩その他上海臨時政権の寝技の老練さ、土壇場での老獪っぷりに、日本の政治家ももうちょっとこれくらい卑怯になれよとあこがれを覚えるくらいだ。ただ、李承晩は晩節を汚して最後を不遇に過ごした人物でもあり、私は嫌いだ。

 それでも李承晩あたりは昔から日本なんか大嫌いだったわけだから、首尾一貫していたとは言える。その他の朝鮮人一般は、「日本が勝っていればおいしい思いにもありつけたハズだのに、こいつら、よりによって負けやがった。畜生!俺らの苦労はなんだったんだ!カネ返しやがれバカヤロー!」ぐらいの気持ちだろう。賠償の方は日韓基本条約でケリが付いているが、取り足りずに難癖をいつまでもつけているのは、みんなが知っていることだ。

 また、韓国の鉄面皮で恥知らずの傲慢には、朝鮮戦争停戦によって抱え込んだままになっている、70万将兵にも及ぶ強大な軍事力も背景にあると私は思う。いざ本当に日本が怒りだしたところで、自衛隊なにするものぞ、ナニヲコイツメ来るなら来やがれ鎧袖一触いざ相まみえん、というところかも知れない。実際には日韓戦争なんてできっこないし、自国の軍事力を当て込んではいないかもしれないにしても、外交態度などに、知らず知らず有形無形に軍事力の裏付けによる自信が影響を及ぼしていないとは言えないだろう。

 体力のある奴は根拠もなく偉そうになるもので、結局オトコノコは腕っぷしだというわけだ。日本人の体力は、言ってみれば「デブの体力」みたいなもので、喧嘩は強くない。このオタクのデブは、上等の切れ味鋭いナイフなどは、物品愛好癖にまかせていろいろと持っており、なかなか鮮やかな手さばきでクルクルと回したりなどしてみせるが、しかしそんなの、結局喧嘩になど使えないのである。

 「俺はダマスカスの本物のバタフライナイフ持ってんだぜ」「うちの父ちゃんはハンティングが趣味で、家には銃があるんだぜ」などと、小金持ちのデブの息子が中学校で吹聴して回っても、本当に喧嘩の強いヤンキー連中は馬鹿にして鼻でせせら笑うだろう。だって、それで人なんか刺せば本当の人殺しで、むしろ喧嘩の現場にそんなものをちらつかせれば、ルール違反で袋だたきだ。結局こいつはカツ揚げの格好の獲物か、何かあった時に返すつもりもなく申し込む借金の相手にしかならぬ。

 こういうキャラも学校には必要で、居場所もそれなりにあるというものだから、本人がそれでいいと思っていればそれでいいのだが、この位置づけでは級長やヤンキーの首領には永久になれっこない。それで、最近どうも本人は自分の立ち位置が情けなく思えてきて満足していないのだ。

 他方……。台湾の親日ぶりを思う。これを私は喜ばしく見ない。彼らの止むを得ない仕儀なのだと見る。その悲しい大人の選択に同情を覚える。元来蒋介石は大日本帝国の敵で、南京事件のデッチ上げの首謀人物だ。だが、冷徹な政治手腕の持ち主だったからこそ、戦後吉田首相とにこやかに会談する写真も残る。

口切と茶

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 漫然と歳時記を繰っていたら、「口切」という初冬の季語に行き当たった。茶道家の言葉で、昔は旧暦十月朔、今で言う11月下旬から12月上旬に新しい茶壺の封を切り、これを碾いて茶会に用いたものだそうである。

 そんなことを読み取りつつ、そういえば「お茶を碾く」というと、遊女の人気がもうひとつ出ない状態を言うのだったな、と連想する。遊女は暇になると茶臼を回して、客に出す上がりのために抹茶を碾いたものだそうだ。

 お茶ばかり碾いている遊女のことを「お茶っぴき」、これが訛って「お茶っぴい」という。どんな遊女が「お茶っぴい」になるかというと、よく喋る「口の減らない女」は昔は嫌われたので、どうもお茶ばかり碾くハメになる。それで、大人を言い負かすような小魔っしゃくれた娘を指して「あの娘はどうもお茶っぴいで困る」などと言うようになったそうである。

 これとは別に「お茶目」という言葉がある。「お茶っぴい」と同じような字が使われた似た言葉なので、つながりがあるのかな、となんとなく適当に思い込んでいた。

 ところが、違うそうである。

 「お茶目」のほうは、文楽だとか歌舞伎の方面の、劇の言葉だそうである。おもしろおかしい、少しスケベなような出し物のことを「チャリ」というそうで、「茶利」の字をあてる。これはいわゆる「けれん」とはまた違った感じのことだそうな。

 この「茶利」の味わいがきいているのを「なかなか『茶利め』にできているなあ」「茶目っけがきいている」などと言ったそうで、そこから「あの人はお茶目だ」というふうに使われるようになったという。

 この場合の「茶」は、飲料の茶とはまったく関係のない音字だそうで、「チャチャをいれる」とか「ムチャ」という言葉に「茶」の字を使うのも、飲料とは無関係で、面白おかしい様子を日本語の擬音で抽象的に「チャ」ということが多いからだそうだ。

頬杖

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 子供のころから頬杖をつく癖が抜けない。机と椅子があると、机に肘を置いて頬を支えないとどうも落ち着かない。今でもだ。自分の頬がこけているのは、ひょっとして頬杖でへこんだせいかも、などと思う。

 長じて、外見を相当に整えなければならない仕事をするようになり、ずいぶん鍛えられた。おかげで並んでいるときなどにグニャグニャするようなことはなくなった。しかし頬杖をつく癖はついに治らずじまいで今に至る。

 いつだったか、「アスペルガー症候群の人は、姿勢がよくない傾向にある」ということを何かで読んで、ギクリとしたことがある。私はアスペルガー症候群ではないが、どうもそういう傾きがあるような気がしたことが一再ならずあるからだ。

 心配になって、ネットで見つかるいろいろな問診などをしてみたことがある。その結果、特にアスペルガー症候群決定というようなことはないようだ。私については、「傾き、傾向」という表現が最も適している。10個の設問で二つか三つは当てはまるが、残りの設問は当てはまらないばかりか、真逆でもある。

 つまり、風邪で例えると、「なんとなく風邪気味なような気がするが、別に熱はないし、咳やくしゃみもない」というような、特に病的とは言えない人、ということだ。周囲の人から見れば、ずいぶん扱いにくい迷惑なオッサン、というところだろう。

 ただ、私が精神質な家系に生まれた精神質な人物であることは、どうも否めないようだ。母方の祖母は自殺しているし、私は子供のころチック症がひどく、今も多少その傾向が残る。二十歳前に事故で死んだ兄は中学生の頃一度自殺を図ったことがあり、これはシャレで済むような話ではなかった。姉は高校生の頃抜毛症に悩まされた。この抜毛症は今でこそれっきとしたメンタル症状の一種として知られているが、当時はそんな認識はなく、姉もかなり悩んだことと思う。

 しかし、私のような人物が働いて口を糊し、家族をもうけて暮らしていくことができるのだから、社会と言うのはまったくありがたいものだ。

 こんなことを、今も椅子にグニャグニャと歪んで腰掛け、頬杖をつきながら書いている。

平成26年正月から平成26年秋ごろまでの佐藤俊夫俳句

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晴れに過ぐ淑気の門や恐ろしく

正座して食ぶ七草の粥惜しく

けふ人の日と子に教ふ日は落ちぬ

をとなしき妻いたはりて薬喰

襟巻きのてんでに縊る駅舎込む

読初に離す書面やかくも老ゆ

冬北斗光る工場のスパナかな

餅の花死に人さへも無くもがな

柝の音の色かたちして寒の月

外濠や鴨点々と瑕の如

遠火事を聞きて見てまた眠りけり

耳鳴りもしんと言ひけり榾の宿

友垣の時差幾許ぞ日脚伸ぶ

笑ひあふ母子待春の日曜日

廃村や湯婆の残る捨布団

報せまで十日残るや春隣

春立つや烹炊の湯気ぬくぬくと

カフェ・オ・レの依りたき色や冴返る

新しきゐかきみづ菜を待ち設く

いま別る影はや遠し春の雪

料峭を真つ白に燃え尽きてゐる

凧見張る世はおそろしや逃げ逃げよ

はだれ雪澄まして詠むよ濡れ帰る

卒業の子と講堂を見つめけり

あのひとの封書あらたむ春夜かな

詠めば猶嘘のやうなる二月かな

恋猫の短調に鳴く底の街

春燈やけふ為すべきを止む瞳

終電のあと音もせず春の雨

むさし野の土黒く濡る鳥雲に

終電のあとのしゞまや春の雨

また会ふと言ふ煌々と春の月

あめつちも否未だ優し芽吹き初む

受験子の髪の乱れに触れにけり

わたつみもゐませ春濤返りけり

抜く足のあと水光る春の泥

春禽の羽の緑に悼みけり

うすみどり接穂挿す手は強からず

春天に歩みも永し成すべかる

燦光と霞のあひにをりにけり

春燈や正弁丹吾亭の路地

春分の指鍵盤を翔けあがる

むごきもの生らず生れけりさくら花

つばめ疾し信号青に変りけり

卒業の子と空見あぐ青かをる

息を吸ひていよゝいだすや花衣

小女子煮噛むや陽は落つ愛を泣く

拒む如糸遊たちぬ墓遠し

破れ柄杓遍路濡らして古社の杜

佐保姫の息芳しや日光路

春雨やブルースの声枯るゝ昼

世と良きの音似たりけり春の雨

虫出し来懊悩叩き出せよとや

花筏水都の夜をうづむらん

真つ白に消ゆ鳥風を浴びるべし

弥生てふ光なむ抱く重みかな

庭の妻急くわけもなし花苺

鳴る如くかつ朧夜は抱く如く

イノセントとぞ言ひて咲く小町の忌

一盞をいつくしみけり春は闌く

健児らに穀雨降るらむ背の高さ

春時雨押してアルミの私鉄かな

つつじみなアルトの声に歌ひ初む

はらからは遠し葱坊主と並ぶ

届かざる声喜怒あらず蜆取

ざらゝゝゝ蜆あれよと煮られけり

人あまた斯くまでをるや夏隣る

灯明も揺れず孤堂の暮春かな

飛行機も電車も五月直線に

雨すでに寂を押しけり今日立夏

雨粒を大きく見せて夏木立

柿若葉銀のごと輝る出勤路

柿の花うつくしき事ゴミに似る

祭髪結うて色々捨てる宵

雨止みてそろそろ高し祭笛

映す空飲み下してやソーダ水

軒深き家はしり茶をしんと置く

夏氷老若色もとりどりに

扇風機家族皆見る久しぶり

頑なに甘藍締まる陽の厨

公園の跣足みな笑む土曜かな

何をして生きる人かよ五月尽く

梅筵はや頬いたむ迂闊かな

蜈蚣唯をりて空き家の心かな

傘無理に舗道を歩む女梅雨

花皐月ひとを送らばしをれけり

雷をしほに説かばや時季の空

猫の影真つ黒にして夏の月

ナイターの右に皇居は鬱蒼と

ネクタイもせず桜桃忌明けはじむ

冷奴かどに矜持もありにけり

いずこかのベース嬰から夏至を暮る

縁遠き三人かしまし夏料理

遠雷を聴きて酔ひけり降る降らず

金魚玉二度揺れにけり三回忌

香水の箱しらじらと結納日

酒舗暮るや子燕の切る窓あをし

外濠に梅雨闌けたり褄重し

夏の音してあく雨戸朝六時

帰省子の嵩の高さよ声あふる

揚花火デジタル機器も一斉に

去るひとのジェット機凌げ雲の峰

夜低き街繰り返す残暑かな

夕凪や昔ながらの豆腐売

責任もなき青空よ原爆忌

薄化粧して盂蘭盆の閼伽を換ふ

一僧もゐぬ山門の文月かな

詩集はや閉ぢて男の秋暑かな

靖国や秋蝉千古降るが如

コーヒーの湯気まだ淡し秋の昼

シャガールも白し秋思の部屋にゐる

軍事的プレゼンスと場違い老人のオナニー

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 日本のプレゼンスを高めるのに、以前はカネを払っておけばよかった。

 誰かが「カネ払いのコモディティ化」と言った。そんな言い方が正しいのかどうかは知らないが、日本がカネを出すのは当たり前になってしまった。その実、存外に我々国民は必死で払っていたりするのだが、諸外国はそんなことには目もくれず、人を出せ血を流せなぞと要求してくるようになってしまった。実際にはそんなことを言った国はほとんどないらしいが、我々がそう受け取ってしまったのは手痛い。

 カネは払わにゃならんわ、人は死なせなくちゃならんわ、踏んだり蹴ったりである。これは、友邦だけならまだしも、敵国までが逆説的にそれを要求しているのだから、もはやワケがわからない。

 平和協力・国際活動・国際貢献等と色々に言い換えているのだが、結局、「軍事力の行使」のことなんだから、あきれてしまう。「軍事」を「安全保障」と言い替えるのと同じいかがわしさである。

 むしろ、海外の事情をよく知る人のほうが、冷厳に「日本にもっと軍事的プレゼンスを発揮してほしい」などと思っていたりするから、かえって始末が悪い。

 世の中の国々にはさまざまな発展段階があって、10年遅れたり100年遅れたり、色々だ。日本のように空前絶後の、究極の、突拍子もない無茶な憲法を持つに至った国というのは世界史においてこれまでに皆無で、その点、日本はアメリカをすら差し置いて二、三百年ほどぶっちぎりの進歩を遂げていると言える。

 が、一人だけ進歩したって、通用しないのである。童貞の若者の集団に、しょぼくれてはいるがその実なかなか甲に苔むした百戦錬磨の老人が紛れ込んで、「僕はね、もう、セックスは卒業したんだ。あんなくだらないことはしなくても、なにも困らないよ。君たちもそうしたまえ」とすすめるようなもので、そりゃまあ、日本はこの新年で建国2675年を誇る古豪の爺い国ではあるが、回りは性欲全開まっさかりのお子様国ばかりなんだから、同じというわけにはいかんだろう。しかもその爺いは実のところ老いてなお枯れきってはおらず、日々隠れて自慰行為に励んでいるなどとあっては、なにをかいわんやである。

「いや、あの憲法は自分達で考えたことではないのだから、日本人の先進性を誇るのには使えないだろう」と言う人は言うだろうが、これをしも外側から来るイベントへの受動的な追従だと言うなら、ならば、いさぎよく滅却すべくあらく、だがそれをしないのはやはり「あの憲法は自分のものだ」と我々日本人のそれぞれが内心考えているからにほかならぬ。

 老人の自慰が恥ずかしいと思うなら、だったらとっととやめればよい。だが、自慰は恥ずかしいことだろうか。誰でもやっていることだ。表立って正々堂々と「僕はオナニーをしています」などと大声で言うようなことではないのは当然だが、特段恥じ入ることでもないのである。ならばそのまま、恥ずかしく情けなく、「私は枯れ切ってしまい、セックスは卒業しました」と表向きには言っておきながらそのまま自慰行為を続けるというあさましい余生を送ってはどうか。しかも、「あの爺ぃは毎日2度くらい自慰をしているらしいぜ」と近所じゅうにうすうす知れ渡っていて、しかもその知れ渡っていることを爺さんもそのまま都合よく利用し、他の恥を隠してしかもなお詮索から身を守る弾除けにしているわけである。

 ああ、これは私が、夢想すらした「世界初の老巧国家」ではないか!やった!すばらしい!

テレビを見る

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 ほとんどテレビを見ない。ニュースが嫌いだからだ。ニュースが嫌いというより、思想的なニュースキャスターが嫌いなのだ。まあ、ご本人たちも結局のところ有名人で、キャスターなぞといいつつ、実質はタレント、芸人の類いである。自分の考えなんかどうだってよく、視聴者の情緒よりする上からの命令に合わせて色々と喋りまくらなくてはならず、それで私のような安物の偏屈おやじの憎悪をよぶのだから、よくよく考えてみると金持ちとはいえお気の毒というより他ない。

 テレビを見ないから、ドラマもあまり見ない。「あまり」というのは、たまには見る、ということだ。

 このところの朝のドラマ、「マッサン」は面白いから見ている。ただ、普段は見る暇がないので、家のレコーダーに一週間ぶん録り貯めたやつを日曜日に見ている。

 これだって、最初は見る気なんかなかった。ふとしたはずみで、途中からなんとなく見はじめたので、最初のほうを見ていない。

 それで、最初の方の見てなかったやつをこの正月休暇に見てしまうことにした。幸い、今のテレビにはネット機能があり、各種のビデオ配信サービスが使える。ドラマのバックナンバーが見られるNHKのオンデマンドサービスを向こう1ヶ月ぶん買った。いながらにして昔の番組をいろいろと見られるのだから、これは便利だ。月980円である。ずっと見るわけではないから、来月はやめてしまえばよろしい。

 マッサンの見ていない回は十数回までだ。オンデマンドサービスで見ていないところを順に見て、筋書きのわからなかったところを確かめるなどし、十分楽しむことができた。単品で買うと1回108円なので、十数回で980円払ったのはまず妥当な割引だ。

 しかし、1ヶ月間見放題なのをそれで終わらせるのはもったいない。どうせ1ヶ月間同じ値段で他の番組も見放題なので、何か他に見るものはないかな、と思ってメニューをあさると、一昨年ごろのドラマの「夫婦善哉」を見つけた。当時放映されていたのは知っていたし、もとより織田作之助を愛読している私である。放映当時、見てもいいかな、と思っていたが、そういうドラマが放映されていると知ったときには第2回くらいまで放映されてしまった後だったので、もうええわ、と見なかったのである。

 それを、先程からまとめて全部見た。

 今日になってから見て、良かった。もし放映当時見ていたら、私は怒り出しかねなかったろう。なぜかというと、ドラマは、平成19年に発見された未発表の遺稿、「続 夫婦善哉」の筋書きをも存分にアレンジしてあったからだ。「正」のほうは私が若い頃からの愛読書でもあり、各節をそらんずることすらできるほど何度も読んでいるが、反面、「続」を読んだのは恥ずかしながら去年のことで、ドラマ放映当時は遺稿が発見されていたことも、それが出版されていたことも知らなかった。去年岩波の正・続他12編の合本を書店で見つけて買うまでは、新潮文庫の古いほうを一冊愛読しているきりであったのだ。

 だから、もしドラマを先に見ていたら、「な、ななな、なんちゅう改変を加えよんねん、これでは原作をレイプするようなものではないか!」と、脚本家を批判しただろう。

 だが、そうではなかった。遺稿・続編を読んだ後で見て、本当に良かった。

 ドラマそのものは、原作の忠実な映像化ではなく、「夫婦善哉イメージビデオ」の趣である。台詞の登場箇所など自由に変えてあるが不快な感じではなく、かえって面白かった。