年金の受給を拒絶できればそれにこしたことはないのだが

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PHM24_0112 先日の誕生日で、定年まで5年を切った。私の職場は学年定年ではなく、満年齢定年なので、誕生日の翌日に定年になるのだ。

 私は中卒で給料取りになった。社会保障完備の職場なので、15歳からこのかた、一文一銭たりと欠かすことなく年金を払い込んできた。私の「ねんきん特別なんちゃら」には、ただ一行、昭和57年4月から現在まで、とだけ書かれている。単純明快なものだ。

 だが、年金の運営というものはやはり厳しいようで、どうも、私のような年代の者が大手を振って受給することは難しいようだ。多分受給開始は70歳とか、悪くすると75歳からということになるのだろう。更に悪くすると、「あなたの年齢の方には年金はありません。あしからずご了承ください」と素っ気もなく言い放たれる日も遠からず来るように思う。

 そうなってしまいつつあるものは、弱者が何か言おうが叫ぼうが、もう、どうしようもない。多分、年金はシステム的にダメだろう。こんな浅はかなものに期待する方が馬鹿というものだ。

 人並みに苦労もしてきたが、若者に「爺ィとっとと死ね迷惑だ」などと罵られながら投げ銭を拾い集めるが如くに年金など貰いたくない。

 「貴様らと違って俺は払うべきものは全部払っているが、逆に貴様らみたいな甘えた若造連中などから(びた)一銭も貰うものか」なぞと、格好のいいことでも声高に叫んで、潔く死ぬか何かしたいのだが、家族もいることで、なかなかそうもいかない。

 なんとか金を儲け、腐った年金など貰わなくて済むようにしたいが、世の中うまくできていないものだ。腐ったものでもカネはカネ、情けなく縋るようにして年金でもアテにしておくより他にない。

 これを単純に「老後の不安」と言う。ええいちきしょう(笑)。

中学校の合唱コンクール

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2015ChoralCompetition
 今日は一日、次女の通う中学校の合唱コンクールを見に行っていた。

 次女はクラスのピアニストで、よく演奏をしている。去年の合唱コンクールでは「ベスト・ピアニスト賞」を貰った。今年もクラスの曲「命ある限り」で伴奏を担当した。我が子ながらなかなかの演奏職人で、そつなくこなしたが、残念ながら今年は無冠であった。しかしまあ、まずはご苦労さんというところだ。

 近隣高校の松伏高校合唱部から客演があった。ドイツ語の本格流の曲からポピュラーまで、数曲を見事に歌いこなし、中学生から大人まで、やんやの喝采であった。

 次女の通う中学校は合唱指導に力が入っており、どのクラスもうまい。大人が思わず聴き惚れてしまう。

 長女が中学生の頃は合唱コンクールは平日だったので、父親は参加がなかなか難しかったが、次女が1年生の去年から、なにかの都合で土曜日に開催するようになり、家族で見に行けるようになったのはよいことだ。

松茸

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PHM02_0321

Arduino/Genuino 101

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 用事を済ませて改めて見てみると、Arduino/Genuino 101、いっぱいニュースが出ている。

この前気づいた記事

非理法権天って、実は上下逆じゃない?

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PHM08_0858 「非理法権天」の(のぼり)は楠正成の戦支度(いくさじたく)であり、ダンディズムというかストイシズムというか、そういうものが横溢していてカッコイイ。

 少し検索してみたところでは、楠正成の時代にはこの言葉はなく、後世の創作かもしれない、という。

 だが、いいではないか、それが楠正成を表す記号なのだ。私たちはそれにシビれ、酔うのであって、創作であろうがどうだろうが、そんなことはどうだっていいのである。

 だが、理非曲直を超えたところに死命を見出し、それに殉じた楠正成にして、「非理法権天」は、順序がなんだか変な気がするのである。
 
 天権法理非、と書けば、その直接的な意味は通る。すなわち、「天は権にまさり、権は法に、法は理に、理は非にまさる」というのである。ところが、「非」を一番上に置いた、というところに、楠木正成の忍従・屈従の思いと、それでもこれをよしとする思いを、後世の人がこめようとしたのではあるまいか、湊川で非天これ逆の戦いに負けたことを象徴して、後世そういうふうに流布したものではあるまいか。

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 次女は最近パソコンに向かい、せっせとこんな絵ばかり描いている。

はつがきめるヴぃる ちょい修正

……。うーん、うーん。絵心ゼロの私に、なんでこういう娘が生まれるのか、サッパリ謎だ。

 私自身が感性ゼロだから、こういうのを量産されたからって、どうしてやることもできぬではないか、などとも思うのだが、まあ、ほっとけば自分で適当にどうにかするんだろう。

飯島勲

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81821ca5

 断固たる正義の喫煙。ハラ抱えてワロタ。

 これが筒井康隆の書き散らしだったら手放しで大ウケなんだが。惜しむらくはこの禿は国政に参与する爺である。

 誠に残念であるが、我々弱民は、こういう禿爺の論説に「ははッ、仰せごもっともに承りまするッ!!」と、コメツキバッタの着ぐるみでも着ているかのごとくにふるまうしかない。

 それが人生だ。なかなか勉強になるなあ、あ~っはっは……。