非理法権天って、実は上下逆じゃない?

投稿日:

PHM08_0858 「非理法権天」の(のぼり)は楠正成の戦支度(いくさじたく)であり、ダンディズムというかストイシズムというか、そういうものが横溢していてカッコイイ。

 少し検索してみたところでは、楠正成の時代にはこの言葉はなく、後世の創作かもしれない、という。

 だが、いいではないか、それが楠正成を表す記号なのだ。私たちはそれにシビれ、酔うのであって、創作であろうがどうだろうが、そんなことはどうだっていいのである。

 だが、理非曲直を超えたところに死命を見出し、それに殉じた楠正成にして、「非理法権天」は、順序がなんだか変な気がするのである。
 
 天権法理非、と書けば、その直接的な意味は通る。すなわち、「天は権にまさり、権は法に、法は理に、理は非にまさる」というのである。ところが、「非」を一番上に置いた、というところに、楠木正成の忍従・屈従の思いと、それでもこれをよしとする思いを、後世の人がこめようとしたのではあるまいか、湊川で非天これ逆の戦いに負けたことを象徴して、後世そういうふうに流布したものではあるまいか。

投稿日:

 次女は最近パソコンに向かい、せっせとこんな絵ばかり描いている。

はつがきめるヴぃる ちょい修正

……。うーん、うーん。絵心ゼロの私に、なんでこういう娘が生まれるのか、サッパリ謎だ。

 私自身が感性ゼロだから、こういうのを量産されたからって、どうしてやることもできぬではないか、などとも思うのだが、まあ、ほっとけば自分で適当にどうにかするんだろう。

飯島勲

投稿日:

81821ca5

 断固たる正義の喫煙。ハラ抱えてワロタ。

 これが筒井康隆の書き散らしだったら手放しで大ウケなんだが。惜しむらくはこの禿は国政に参与する爺である。

 誠に残念であるが、我々弱民は、こういう禿爺の論説に「ははッ、仰せごもっともに承りまするッ!!」と、コメツキバッタの着ぐるみでも着ているかのごとくにふるまうしかない。

 それが人生だ。なかなか勉強になるなあ、あ~っはっは……。

拷問の話

投稿日:

……から引用、

「本人が伏罪しない以上、この時代では容易に仕置をすることが出来ないので、奉行所では先例によって彼を拷問することになった。しかし罪人を拷問して自白させるというのは吟味方の名誉でない。口頭の吟味で罪人を屈伏させる力がないので、よんどころなく拷問を加えて、無理強いに屈伏させたということになっては、自分たちの信用にも関するので、奉行所ではなるべく拷問を避けることになっている。芝居や講談にはややもすると拷問の場が出るが、諸大名の領地は知らず、江戸の奉行所では前にいったような事情で甚だしく拷問を嫌うことになっている。あの町奉行は在職何年のあいだに何回の拷問を行ったといわれると、その回数が多ければ多いほど、彼の面目を(きず)つけることにもなるので、よくよくの場合でなければ拷問を行わないことにしているのであるが、相手が強情でどうしても自白しない場合には、(いや)でも(おう)でも拷問を行う外はない。証拠の材料も揃い、証人もあらわれて、それでも相手が強情を張っているかぎりは、ほかに仕様もないのである。

 わが国にかぎらず、どこの国でも昔は非常に惨酷な責道具を用いたのであるが、わが徳川時代になってからは、拷問の種類は笞打(むちうち)石抱(いしだき)海老責(えびぜめ)釣し責(つるしぜめ)の四種にかぎられていた。かの切支丹(きりしたん)宗徒に対する特殊の拷問や刑罰は別問題として、普通の罪人に対しては右の四種のほかにその例を聞かない。しかも普通に行われたのは笞打と石抱きとの二種で、他の海老責と釣し責とは容易に行わないことになっていた。」

行く秋

投稿日: