年末だから

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 WordPressのテーマ集を眺めていたら、「Twenty Sixteen」というやつが出ていた。

 年末年始なので、というわけで、テーマをこれに替えて、デザインを一新。しかし、このテーマ、タグ・クラウドの形が気に入らんな……まあ、エエか。

台所を覗くと

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 もうすぐ姑が来る。最近の年末は、たいてい姑と一緒に紅白なんか見ながら「蟹ちり」を食うことにしているのだ。

 台所を覗くと、田作(ごまめ)に、数の子、紅白(なます)、妻がいろいろと奮闘中である。

The decoration meat bun

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 朝起きて、顔を洗って着替え、いつものようにリビングのカウンターに向かうと、妻が朝食を出してくれる。

 いつもはジュース、トースト、目玉焼き、コーヒー、牛乳など、だいたいそんなものだが、たまにはホットサンド、シリアル、ホットケーキなども出る。

 今日も欠伸(あくび)をしながらおはようと言ってスツールに腰をかける。妻は「今日はコレよ」と、「肉饅(にくまん)」を出してきた。前にも一度か二度はこんな朝食もあったが、珍しいことだ。

「いただきまーす!」
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 しかし、今日の肉饅は通常の肉饅ではなかった。肉饅の底面の平らな面が上になっており、普通はそこに丸い経木(きょうぎ)か紙が貼り付いているものだが、それがきれいにはがされていて、なめらかな白い肌になっている。その平らな面が白い生クリームで縁取られ、ショートケーキのようにデコレーションしてあって、赤や黄色のアラザンが振りかけてあり、真ん中辺に薄手のチョコレート片があしらってある。少しばかり金箔が飾られていて、なにやら美しいが、土台は温かな肉饅なのが変だ。

「ふへっ!?……ジュンコ、こ、これは……?」

「……?何、お父さん、これ、知らないの?最近『めざましTV』でやってて、すごく流行(はや)ってるのよ。」

「ははあ、流行りか。流行りならしょうがない。どれ……」

 てっきり、これはこういうお菓子風に作るための専用の肉饅で、中身は悪くしてもせいぜい餡饅(あんまん)だろう、と思ってかぶりついてみたのだが、

「ぐはっ!……かーちゃん、コレは、肉饅ではないか」

「……??肉饅ではないか、って、当たり前じゃない。そうよ。おかしい?」

「い、いや、……。おかしい、っていうか、うーん」

「お醤油つけるのよ、ほら。あと、練り辛子」

「ぬぅ」

 生クリームと醤油と中華オイスターソースの風味がよく利いたひき肉や(タケノコ)の具と練り辛子とチョコレートの珍奇きわまる味のハーモニーである。受け入れがたい。

 だがしかし、「これは流行っているんだ、人々が皆いいと言っているんだ、新聞だってテレビだって、有名な芸能人や評論家がこれはイイと言っているんだ、朝日の社説だって天声人語だってこれをきっと評価するのは間違いない、間違っていないんだ!!だから旨いものなのだ!飲み込め!受け入れろ!」と、無理やり賞味しているところで目が覚めた。

 ああ、中途半端に面白くもない夢だったなあ。

 平成二十七年大晦日、最後の夢が、デコレーション肉饅だったのは、なんの祟りであろうか。業の浅いこっちゃ(笑)。

 せめて明後日、初夢にはもう少し何か、富士とか鷹とか茄子とか、そういう夢を見たいものである。

クリスマス(聖誕節)に聖書繰らなかったな

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 私はキリスト教が嫌いだが、クリスマス(聖誕節)に聖書を読むということを毎年やる。

 恰好(カッコ)を付けているわけではない。嫌いなものでも、それをよく理解するということが必要だと思うからだ。生理が遠ざけよう遠ざけようとするものをムリヤリ読もうというのだから、自分なりに工夫がいる。

 こういう読書には、読む気になるような、読書の楽しみが得られるような、ちょっと持って回った工夫が必要だ。世間も私も心の浮つくクリスマスにそれをやる、というのも私の工夫の一つだ。

 また、次のような、ベースとなる工夫もある。私が若い頃から持っている聖書は日本聖書協会の「新旧約聖書 引照附」(ISBN-13: 978-4820210078)、この一点のみである。

 読んで面白いと思える聖書はこれだけだ。その特徴は「文語訳であること」、一点これあるのみである。キリスト教の、不自由でキッツい感じ、神との契約に責め立てられるキビしいマゾ感、高圧的で頭ごなしに怒鳴りつけてくるようなムリヤリ感、チョッピリ嘘をついただけで「お前は死刑」と言われるデジタル感、幅のなさ、狭量な感じ、これは、文語体で読まなければ官能あるいは肉の痛みとして脳裏に味わうことができないと思うのである。

 で、例年はクリスマスの夜更けに興味の湧いた個所を繰り返し読むということをするのだが、どうしたわけか、忙しかったことも有之(これあり)、今年はこれをしなかった。

 回教徒に心を寄せると同時に、キリスト教徒にもやはり心を寄せ、これを理解するようつとめなければならぬ。私はキリスト教が嫌いだが、嫌いなものも嫌わないようにしないといけない。受け付けぬものも飲み込まなければ立派な人にはなれぬ。子供が無理やりピーマンやニンジンやセロリを食うようなものであろうか。キリスト教に栄養価があるとは思えないが、それでも、それを飲み干さねばならぬ。

 精神衛生には悪いが、内容をよく把握し、研究することである。しかるをもって、毎年毎年、この苦行、とはいえ、表裏一体としての読書の楽しみを続けている。

幸せでありますように

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 面白かった。

 幸せでありますように、祈らずには居れぬ。

装着用のHUD、メガネみたいな奴って、出ないかなあ

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○ スマホを置くだけでヘッドアップディスプレイナビに変身する

 なんかねえ、こういう方向性で、車に取り付けるんじゃなくて、人間に取り付けるようなもので、「歩きスマホ」で下を見なくていいような、前向いてしっかり安全に歩けて、かつ、「キチガイ・変人」に見えないようなやつ、って出ないもんかねえ。Google Glassみたいな感じでさー。デカいヘッドアップディスプレイ付きヘルメットなんかかぶって歩いてたら、バカだと思われるもんな。

 あと、目立たない装着用HUDで、講演なんかする時に参考資料や原稿を見たい、てのもあるなあ。

 もうチッとばかし、コイツも安くならんもんかな。

 

次のエレクトロニクス・ガジェットは何だろう

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 はじめの頃のヘッドホン・ステレオっていくらぐらいだったっけ、とWikipediaでウォークマンの製品一覧の項目を見てみたら、初代のが33,000円とあって、なるほど、今のスマホより少し安い程度かなあ、という印象だ。あの頃はしかし、物価が高かったから、一概に数字だけでは比較はできないかな、とは思う。

 iPhone/スマートフォンはiPhone以前にはなかったように、ウォークマン/ヘッドフォンステレオも、ウォークマン以前にはなかったものだった。

 スマホの次の、こういう「数の出るエレクトロニクス・ガジェット」って、何だろう。どんなものが出てくるだろうか。

 私としては、何か、ウェアラブルだとか、記憶を補助できるようなものがもう少し出てこないかな、と思っている。人の名前が思い出せないときに、それが視野に投影されて助けてくれる、とか。あと、文字の入力がもっとラクになるとか。

正月用の酒ども

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 レイクタウンのイオンリカーショップへ行って、正月用の酒を買ってきた。

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 今回は、休みも控えめなので、いつもみたいには沢山は買い込まない。妻と姑用に、カヴァはロゼ。

 それにしても、イオンの酒売り場、広くなったなあ。しかも、古い言葉で言う「居酒」ができるように、ちょっとしたつまみ物カウンターがあって、イタリア風な小皿などを肴に、サーバーのグラスワインを選んで楽しめるという、なかなかすばらしいスペースになっている。しかし、あそこへ行く時って、大抵クルマで行くから、飲めねェンだよなあ……。