一杯

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 今日も引き続き、肴は蕎麦掻(そばがき)、浅草・薬研堀「陳皮多いめ」特別調合の七味唐辛子をピリリときかせ、酒は愛用の美濃風の片口になみなみと()や、安物備前風の猪口で。

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ガソリン安

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 洋諺(ようげん)に「大きな損の後には小さな得がある」といわく、これは例えば、火事で家が焼けて財産を失ったが、焼け跡を更地にしたら昔なくした貯金箱が出てきて1万円入っていた、というようなことを言い、そこからすると今日のことは当たらないのだが、しかし、それに似たちょっと得したような気になることがあった。

 すなわち、車検で、近所のトヨタへ愛車ラクティスを預けてあった。それが仕上がったので取りに行った。5年目なのでタイヤに(ひび)が入っていたりして、思いのほかお金がかかってしまった。このところ何かと()り用が多いこともあって、なんだかつまらない気持ちで車を受け取った。

 その帰り、ついでにガソリンを入れに行った。ニュースなどから認識はしていても、いざ自分でお金を払ってみるとあらためて驚く。ガソリン単価1リットル98円。

 ここ数年油が高かったこともあって、車の燃料計が下を指していてもどうもさっさと油を入れる気になれず、ついついタンクは空に近いことのほうが多かったのだが、今日は満タンにするのがなんだか嬉しいではないか。得をしたような気になった。

 経済専門家に言わせれば原油安は手放しでは喜ぶようなことではないということなのかも知れないが、生活者にとってはモノが安けりゃ単純に嬉しい、というところだ。

お、おもしろかったッ

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太郎は水になりたかった 珍しく長女が読め読めとすすめるものだから、どちらかというと億劫ながらも、という感じで読んでみたのだが、(あに)はからんや、面白すぎて、思わずゲラゲラ声出して笑ってしまった。

 「もち……?」というところが最高に面白かった。それから、妄想部の部活動風景が超現実的(シュール)でよい。

 面白いんだけど、なんっか、地味ぃ~に暗いのと、「ああ、こういう心の動きの時って、俺も中学生ぐらいの頃、あったよなア」などと思わせるところがあり、秀逸だ。

 もともとはこの漫画、「トーチWeb」というリイド社のWebマガジンで連載されていたものらしい。物理本の他に、Kindleでも読める。

Kindle本

けしからん考

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 文語体で書くときの現在推量の助動詞に「らむ(らん)」がある。

 「今まさにこうであろうなあ」という場合に使う助動詞で、私などは俳句を()むとき、この「らむ」をよく使う。去る秋、こんな俳句を詠んだ。

松茸の土やかの空青むらむ
(https://satotoshio.net/blog/?p=2893)

 この松茸のとれたところの、空が今ちょうど、青くなってるんだろうなあ、と思ったので、即吟、そのまま詠んだのだ。ちなみに、似た働きを持つ助動詞に「けむ」がある。これは「過去推量」だ。「多分、これ、こうだったんだろうなあ」という時に「けむ」を使う。

老母さぞ舞ひけむ祇園囃子過ぐ
(https://satotoshio.net/blog/?p=1488)

 これは夏に詠んだ句だ。祇園ばやしを昔舞ったものなんだろうなあ、と思ったので、そのまま詠んだのだ。

 ところで、過日、憎んでいる人物について文章を綴っていて──いや、私だって、嫌いな奴、許せない奴はいますよ、社会に生きるおっさんですからね──その人物のことを「けしからぬ奴」と書いてから、ふと、筆が止まった。

 これは、多分間違っている。

 「けしからん」の最後の「らん」は、現在推量の「らむ(らん)」ではなかろうか。

 おそらく、「けしからん」は、「()しく」「ある」「らん」のつづまったものだと思われる。つまり、「たぶん、彼奴(あやつ)はイヤでダメであろう」という現在推量だ。

 そうすると、最後の「ん」は、否定の「ぬ(ん)」ではなく、「む(ん)」である。音読するときにはどちらも同じ「ん」でも、「ぬ」と「む」では意味が違うのだ。

 「けしからん」という言葉で「けしからない(けしからず)・けしかって・けしかる・けしかれば……」などと活用を試みると、これはもう直覚的に「そんな活用はナイ」ということがよくわかる。「けしからない」なんて言い方はないのだから、文語的な「けしからぬ」というのもないはずだ。そこからも、「けしからん奴」の「らん」は、現在推量の「らん」だろう、と思われるのだ。

 ただ、ではというので「けしからむ奴」と書いてそれが通るかと言うと、通るまい。こういう書き方も見たことがない。だから、正しいのはやっぱり「けしからん奴」だろう。

 他方、池波正太郎の小説など読んでいると、「けしからぬ…」という使い方がよく出ていたように思う。

 それで通るなら、まあ、それもアリかな、と思う。大小説家にしてはじめて許される、愛すべき言葉の芸と言える。こういうのは可なのだ。

(ただし、コッチにはこういうふうに書いてある;「けしからんとは」http://yain.jp/i/%E3%81%91%E3%81%97%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%93;どうも、わからんね。多分これも正しいんだろう。)

 だがしかし、私にはそれは許されまい。やはり、私如き辺りは、「けしからん奴」と書くのが良い。

今日の朝食がわり

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 コーヒー(肉桂(シナモン)入り)、ビターチョコレートふた(かけ)

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……ってな書き方で飲み食いを書いたりすると、正岡子規が今生きていて、かの「仰臥漫録」をブログに写真入りで書いていたら、さぞかし面白かったろうなァ、と思うのである。

日脚伸ぶ

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雪女郎

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先週及び今週

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 長丁場であった。大雪の1月18日(月)から1月29日(金)一杯までの足掛け2週間。23日(土)から引き続き今週1週間は缶詰め、しかも木・金には一難去ってまた一難の大事出来(しゅったい)、いやはや。昨日から一応帰宅はでき、忙中閑ありの感。土日を1回流すとこうなるから嫌だが、世の中の人々みんな、これしきの忙しさなんてヘッチャラで、誰でも大体こんなもんだろう。

○ じぶん銀行(かた)りのフィッシングSPAM

 先々週あたりだったか、じぶん銀行を騙るフィッシングSPAMが2通ほど来た。その後、一昨日あたりに今度はりそな銀行を騙る同様のものが1通来た。

 じぶん銀行騙りのほうが来たときの始末たるや、速攻これあるのみ。有無を言わさず、表題とヘッドラインを見ただけで、中身も見ずに削除した。その時には、そのメールに関する噂などは何も聞き込んでいなかったのだが、そうした。

 私のその時の判断基準は「人」であった。じぶん銀行のIT関連部門には日本ITストラテジスト協会で知り合ったSさんという方がいるのだが、「あの人のような立派な方がかかわるIT部署が、こんなフザけたメールを送ることはありえない」ということが判断要素であった。

 その後、SNSなどでその話題が出始め、やはり当節流行のフィッシング詐欺メールであることが分かった。

 りそな銀行騙りのほうはその後10日ほど経ってから来た。最初のじぶん銀行騙りのほうは、「Sさんのところ」ということの他に、「私はじぶん銀行の口座は持っていない」ということも判断基準であった。ところが、りそな銀行のほうには口座がある。株式の取引の入出金に使っているのだ。しかも、知り合いはいない。

 こういうのは、メール内に書いてあるリンクのURLとメールのソース、それからセキュリティソフトの補助表示を見ればたちどころに馬脚があらわれるので、不肖ながらこの佐藤が引っ掛かることはまずないが、それでも、最初に来たのがりそなのほうであったら、ついうっかり引っ掛かっていた恐れもないとは言えない。

 日本ITストラテジスト協会でSさんとお知り合いになっていたのは、まことに縁のあったことだな、と思った。

○ 日本ITストラテジスト協会の定例会が先週の日曜、24日にあったが、また出られなかった。最近こんなこと続きで残念である。一昨年度、昨年度と支部運営の端に加わらせていただいていたが、忙しかったために大して役に立てない体たらくとなってしまった。不本意なことであり、引き続きこういう状態だと迷惑をかけると思ったので、今年は運営には挙手せず遠慮させていただいた。

○ そんなことであったので、先週の「さえずり季題」、まだ見てない。

○ 忙しいので本は少しづつ読む。


IMG_3680 千一夜物語は3巻読了。今読んでいるところは「オマル・アル・ネマーン王とそのいみじき二人の王子シャールカーンとダウールマカーンとの物語」という題だ。題名も長いが、中身も大変長大な物語で、本のカバーの見返しには「平家物語をおもわせる『千一夜物語』中の最長篇」とある。そもそも千一夜物語自体も文庫本で13巻と言う浩瀚な昔話であるが、その中でも最長篇であるわけだ。千一夜特有の、話中話、そのまた話中話の入れ子構造にどっぷりと浸って楽しむ。

 ただ、このほどのように、暇を見つけて切れ切れに読み進めるやり方だと、話中話の最初の始まり、根元(Root)のところがわからなくなってしまいがちである。IT技術者として表現すると、「スタックに不具合があってなぜか一部が消え、復帰アドレスを失う」(謎)というようなことであろうか。

 アズィーズという若者が出てくるのだが、冷静に読むとこいつが結構「ダメな野郎」で、ダメ行動をとり続けた挙句、愛人に陽物(ちんちん)を切り取られてしまい、それなのに泣きながら詩なんか微吟しつつ家出してメソメソ泣いていたりして、ダメ野郎フルスロットルだ。ところが、何か、それが「なんてダメな奴なんだ、このバカっ!!」と、逆に愛すべきところになっているのである。これは、この古い古い物語の話中話ならではこそ、である。今こういう話を書いたり読んだりしたら、女性陣からは憤激の嵐が巻き起こるであろうて。

 次は第4巻である。

 「オマル・アル・ネマーン王とそのいみじき二人の王子シャールカーンとダウールマカーンとの物語」はまだ延々と続いており、面白い。

 本道読書経路とは別に、長女が「この漫画面白いから、お父さん読みなよ」と(すす)めてきたのがある。

 長女がたってと漫画を薦めるのは、只今大学受験の最中であることもこれあり、めったにないことで、珍事だ。そこからすると、恐らく相当面白いのに違いない。楽しみに読むことにする。