驚いた。最近はここらへんの名曲もアップロードされてる。……どうも違法臭い感じもするが。
日: 2016年3月19日
春日井
さぼる
今日、ピアノ弾かなかったな。そういう気になれなかった。
昆布 とろ
「
「昆布とろ」の作り方は簡単だ。
これを肴に飲むのだが、日本酒によいし、塩分は強いがカロリーが低いのと昆布の繊維やミネラルが健康に良いことで、なかなか悪くない肴である。
日本酒に合う肴は、飯につけても旨い。昆布とろの残りで熱い飯を掻き込むのはやめられない旨さだし、茶漬けにしてもよい。
国語便覧
国語便覧を眺めるのが好きである。
自分が使っていたものはもはや古書の類で、何十年も前のものだから最新の作家のことなどが載っていない。子供たちのを見ていればいいようなものだが、勉強に使っているわけだからすぐに貸してくれなかったりして不満である。
そこで、自分用に高校生向けの国語便覧を一冊買った。
昔と違ってフルカラー、新しい作家も数々収載されており、見飽きない。これで880円は安い。
春燈
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha (季語は「春燈」)
送別会の挨拶を2度もしたが無駄になる
私の人事異動が突然取り消されてしまった。他人の不祥事の尻拭いである。
既に自分の送別会が2回も開かれ、挨拶を2度もしたのだが、まことに笑えぬ、とんだ始末になった。長い職場生活で、3日前に人事異動取り消しと言うのは、さすがにはじめての経験である。
人生いろいろである。他人の不祥事で自分の人事に迷惑を被るのは2度目だ。こういったところでも、叩き上げは皺寄せを喰らう。
許してはならないことは許すべきではないが、これと寛恕は違う。また、事態を受け入れて生きるということもこれと異なる。往々、不祥事を起こした者は、迷惑を被った者が単に事態を受け入れているだけなのを、「許された」と勘違いすることがある。したがって、迷惑を被った者は、怒っていなくても、怒っているフリをしなければならない場合がある。
それに、人間、中年になってくるとそう簡単に腹なんか立たない。腹を立てるのにはエネルギーが必要だからだ。そこを「腹を立てて見せる」ということである。50歳のおっさんが心底から腹なんか立ててたら、それこそ馬鹿呼ばわりされるだろう。
これほど自分の頑健さが恨めしいと思うことはない。
暮れかぬる
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha (季語は「暮れかぬる」)
「足らず」と「余り」
人事異動のシーズンである。先週、先々週にかけて送別会が多くあり、人々の色々な去辞を聞いた。
話し言葉ではついつい色々な言い方をしてしまうものだが、送別会の挨拶を聞くうちふと思ったことがある。「足らず」と「余り」に混乱がどうもあるようなのである。
具体的には「2年あまりお世話になりました。」「2年足らずの間でしたがお世話になりました。」という言い方だ。
1年10ヶ月は2年たらずだが、2年3ケ月は2年たらずではあるまい。同様に1年10ヶ月は2年あまりではないが、2年3か月は2年あまりである。酔席の挨拶のことだからと言って、どうせ誰も聞いちゃいないよ適当に言っとけ、というものでもなかろう。使い分けた方がいいと思う。
さりとて、うまくぼかそうと「約2年」という言い方をするのもなんだか理屈っぽい。ビジネス報告会ではないのだから。
「2年ほどの間」は当たり障りのない言い方だが、「ほど」という所にやや軽みがある。もし重く辛い2年間であったのならそれを表すのには馴染まない。
「2年3ヶ月11日間お世話になりました」
これも使い方によっては人柄が表れて笑いが取れるかもしれないが、科学技術の発表じゃあるまいし、これもなかろう。
「概ね2年の間お世話になりました」
「概ね」、て……。旧軍隊の検閲標語じゃあるまいし。
まあ、目立たずスルーして貰うには、「2年間お世話になりました」って言っとくんでしょうね。
苗札
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha (季語は『苗札』)
苗札
さえずり季題【276】は「苗札」です。ゆうべは「NHKドラマ農業女子はらぺ娘!」地上波放送でした。1本の苗から始まる春。土とひとの喜びを詠みましょう。「苗札を恋名のごとく書いてをり」(阪田 昭風) #saezuriha_odai #saezuriha
— June,born in Apr. (@no_ra_co) March 18, 2016