カメ五郎氏

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 動画が新しくなっている。

 今回は猪がかかった時ほどではないし、キンタマ食っちまった前回ほどのモノスゲェ感じはないが、しかし、それにしてもスゲェ。

一杯

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 今日、映画を見る前に映画館の近くのサイゼリアでペペロンチーノをすすり込んだ。まったく、貧乏人の味方、サイゼリアはありがたい。「そういう程度」と思って食うと、意外、値段よりも旨いんですよ、あそこ。399円なんですけどね。

 同様に、あそこには意外に安くてうまいワインがあるので、一杯いったろうかいと思ったのだが、上映中に絶対寝てしまうと思ったので、飲まなかった。なんせ、徹夜明けで日光が黄色いぜ、というような体たらくだったから。

 帰ってきて参議院の投票をすませる。まず、今日の夜更けの酒の肴は開票速報に決まっている。私ですか?私は右翼で、自衛隊が人を殺して何が悪いと(うそぶ)くような糞野郎ですからね、自民党に決まってまさァ旦那、けっけっけ。もうね、何か、申し込んでおいたら、10年くらい続けて、全部自民党に自動的に入れておいてくれるような業者かなんか、ないもんですかね。もう、ソレ一本に決まってんですから私なんか。

 あっさりと行水をつかい、冷凍庫からいつも通り、氷の塊をとりだしてカチワリを沢山作り、今日見た映画のパンフレットと、ラックに置いてあったほかの映画のパンフレットで一杯。

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 今日見た「シリア・モナムール」のパンフと、興味を覚えて持ってきたのは「人間爆弾 桜花 特攻を命じた兵士の遺言」。これは8月の上映だという。

 指1本2本とケチケチせずに、指5本分ドップリ注ごうぜアミーゴスww。もうすぐ開票だぜ、キッシッシ。

落し文(おとしぶみ)

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むさし野は(やや)旱り(ひでり)けり落し文(おとしぶみ)   佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha 

シリア・モナムール

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 見たかった映画「シリア・モナムール」を見に行った。以前、ツイッターのタイムラインで誰かが噂していたのを見てから気になっていたのだ。東京では渋谷の「シアター イメージフォーラム」という所でかけている。このシアターは渋谷の駅から歩いて5分か10分ぐらい、青山通りの宮益坂の上のほうにある。

 今日は徹夜明けでしんどかったが、見に行った。見られるときに見ないと、特にこういうミニ・シアターでかかるような映画はすぐに見られなくなってしまう。

 胃のあたり、心臓の下のへんに異物感を覚えだすような、痛みの感じ。目を背けることは映像の中にいる当事者たちのことを思えばとてもできず、顔をあげて見続けるしかない。

 いろいろな角度から見ることのできる問題作だな、と思った。

  •  シリアの惨状を知り問題提起等を行うため社会意識や政治意識の角度から見る。
  •  イスラムを理解する一助に見ようとする方向。
  •  とにかく痛みに共感する見方。
  •  愛の物語として感動を見出すような方向。
  •  優れた映像感覚を鑑賞する方向。
  •  反戦意識の高揚のために見る方向。

 こうしたいずれの方向からの見方も可能だし、それら一つ一つについてひとくさり論ずることもできるだろう。

 だが、私としては、これらの感じも部分部分では持ったものの、全体としてはこれらのどれでもない、と思った。

 ネットの評判やパンフレットの解説では、「突き詰めるとこれは二人の愛の物語である」ということにされているようだが、私にはそれはメインテーマではないように感じられた。ネットから聞こえてくる、登場人物シマヴのささやきのような語り掛け、彼女から送られてくる動画の、鮮血飛び散る、土まぶれの肉体の凝視などから見えてくるのは、愛ではなく、シマヴという一個の人格だ。強く、かつ、弱い。冷徹なようでいて深い悲しみと痛みの感覚、静謐な信仰。そうして、それらを共有している、この映画の監督であるオサーマ・モハンメド氏にとっての、シマヴという人への共感、同情、心配、そして同時に畏怖と尊敬がテーマである、というふうに見えた。

 シリアに舞台を借りた、人間と人間の向き合い、だろうか。モハンメド氏ははからずも、惨劇のシリアから遠く離れ、自ら恥じ入りつつもパリという安全な俯瞰の位置にいる。だからかえってシマヴの人格がくっきりと浮かび上がって描き出されていくのだ。

 実際、見終わってからパンフレットで知ったが、この映画の原題は「シマヴ」なのだそうだ。”SILVERED WATER, SYRIA SELF PORTRAIT” というのが原題だ。「Simav シマヴ」というのは「Silvered water 銀の泉」という意味なのだ。

 そうするとやはり、この映画は、モハンメド氏の取り上げ方による、シリアにいるシマヴという名の一個の人格を描き出したものであると思える。

 「それを『愛』と呼ぶんだよ」と言われると、そんな気もする。だが、恋愛ではない。映画の中には恋情は描き出されてはいなかった。

 ただし、上映に人を呼ぶためには「シリア・モナムール」という題名付けのほうがいいということは、むしろ残念なことながら、言えると思う。「愛の讃歌」の引用から、ヒロシマ・モナムールへのオマージュが感じられるというのも、事実ではあろうから。

予習(笑)「二十四時間の情事」

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 標記。これも、今から見る映画の大事なところらしい。

 「二十四時間の情事」、というと、私は見たことはないが、題名に聞き覚えはある。映画にすごく詳しい人が口にのぼせていたように思う。芸術的な作品で、私などが生まれる前のモノクロ映画だ。

 しかし、原題は「ヒロシマ・モナムール Hiroshima mon amour」である。

予習(笑)「愛の讃歌」

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 標記。今から見る映画で重要な要素であるらしい。

 「愛の讃歌」というと越路吹雪、美輪明宏や美川憲一もたしか日本語で歌っていたと思うが、カバー元はフランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフのものである。

 あらためてこのエディット・ピアフ版をYoutubeで聴いておいたりするのだった。

落し文(おとしぶみ)

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千一夜物語(12)~(13)

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 通勤電車の楽しみ、去年末に手に入れたアラビア~イスラムの古譚集「千一夜物語」全13巻。古本ではあるもののどうやら店頭で古びてしまっただけらしい美本だ。思いがけぬ成り行きで、古本でも8千円以上するものが無料で手に入った。

 それからゆっくりゆっくり味わいながら読んでいるので、すでに7か月は楽しめている。今日は第12巻を読み終わった。

 第12巻で最も長い話は「金剛王子の華麗な物語」で、18夜、89ページある。分量的には最初の「のどかな青春の団欒(まどい)」のほうが106ページあって長いのだが、一つ一つの挿話が短く、13夜にわたって語られるものなので、一本の物語としては前者のほうが長い。

 面白い話としては、「滑稽頓智の達人のさまざまな奇行と戦術」という話がある。これはさしずめ、「アラビアの一休さん」か、「イスラムの吉四六(きっちょむ)さん」みたいな話である。どちらかというと後者が近いかもしれない。

 12巻から13巻にかけて、「バイバルス王と警察隊長たちの物語」というのが語られる。12人の警察官が王に自分の知っている事件や他人から聞いた珍しい話を語る、というもので、これをシャハラザードは3夜かけて語る。

 第13巻には、第940夜から最終1001夜までの61夜が収められている。賢いシャハラザードのおとぎ話戦術もいよいよ大団円に向かっていくわけだ。

 もともと、私がこれを読んでいるのは、もちろん物語、昔話として面白いということもあるが、イスラムの人々に心を寄せたい、ということが今回あらためての動機である。

 そんな中、シリア情勢は相変わらず凄惨だし、この前のダッカの事件は心が痛む。

 物語の中のイスラム教徒たちは大らかで、アッラーの掟は厳しいけれど、それはそれ、たまに逸脱もする。それで不信徒として罵られはしても、だからと言って生きることには寛容かつ鷹揚で、優しい。

 また、この「マルドリュス版」は、フランスの東洋学者シャルル・マルドリュス博士がフランス語に翻訳したもので、日本語版は大勢のフランス文学者がフランス語版から再翻訳したものだ。そこから伺えることだが、当然キリスト教徒であるマルドリュス博士はイスラム教の経文や念仏、信仰の傾向に敬意を払い、これにキリスト教的偏向や批判は加えていないのである。欧州文化側からも、かつてはイスラム世界に寛容な傾向が、一部にはあったのではないかと思えるのだ。