夜と晩夏

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 暑い。

 しかし、来たる8月7日(月)が立秋であってみれば、実は今が「晩夏」であるということは即座に納得のいくところである。

 時候で言えば、去る7月23日が「大暑(たいしょ)」であり、今は7月29日だから二候、これを(とな)えて「土潤溽暑(つちうるおいてじょくしょす)」の候、と言う。

 溽暑(じょくしょ)、というくらいだから暑いことには違いがないが、先述の通り時候としては既に秋隣(あきどな)りといってよい。そう思ってみると、陽が陰った時の蝉の声などに(うた)た侘しい感じが増していくようだし、夏至から既にひと月、心なしか日が短くなったようではなかろうか。

 これくらいの季節の夜のことを「夜の秋」という。「秋」とついているが秋ではない。夏の夜、それも、ちょうど今ぐらい、夜になるとふと涼しさを感じる一瞬、虫の声に秋を感じるひと時もある。こうした、そこはかとない秋を夜だけ感じる、そんな晩夏の夕べの秋の気配のことを「夜の秋」と言うのだ。歳時記でもこれは夏の季語に分類されている。「竹の秋」とか「竹の春」などというような、真逆の極端な季語とは違うが、言い得て妙の面白い季語だと思う。

夕凪(ゆうなぎ)

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驟雨(しゅうう)の小江戸

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 同郷の先輩であるHさんに誘われ、小江戸こと川越を見物することにした。

 まったく下調べなどせずに訪ねたのだが、偶々(たまたま)川越百万灯夏祭り」というイベントが行われており、大変な人出だった。

 昼過ぎ、本川越駅に着き、Hさんと落ち合った。

 Hさんは街づくりなどに関わるコンサルティングを手掛けようとしており、近年ますます活気を盛んにする川越市に、他の街々にも応用できるモデルケースを見出そうということらしい。

 川越観光には東武東上線川越市駅か、西武新宿線本川越(ほんかわごえ)駅を使うといい。西武本川越なら駅から出てそのまま北へ(そぞろ)ろ歩けば、これでもう楽しい観光である。今日は祭礼日ということで、駅前から露店が多く並び、美味しそうな匂いがしている。

 繁華街の寿司屋で一杯やりつつ、盛り込みなどを(つま)む。

 Hさんは何度か川越を訪れており、目抜き通りは既にもう観光したことがあるということで、今回の私たちは市街の東の方にある「川越大師・星野(せいや)喜多院(きたいん)」という古刹(こさつ)のほうへ先に向かった。

 ここは天台宗の名刹(めいさつ)で、有名なものが沢山ある。顕密相修の天台宗にあって、喜多院はどちらかというと「密建て」の寺であるようで、護摩供養や不動尊崇がなされている。

 なんといっても見どころは、往時江戸城から移築したという家光の書院や春日局の化粧部屋などで、これらが当時のままに保存展示され、しかも立ち入り可能であることは、文化財保護の観点から言って相当に大変なことだ。「放出大サービス」と言ってもよい。

 のんびりと境内を見、燈明を上げて(おろが)むなどするうち、折から黒ずんでいた空が怪しくなり、空気もにわかにむくむくと湿りを増す。しのつき出したなと見る間に、沛然(はいぜん)と降り始めた。

 これは天気予報で解ってはいたものの、街見物には少し残念ではある。しかし、雨宿りがてら、古刹の庭に面した渡り廊下の腰掛けに座り、名代の庭をゆっくりと眺める時間が思いがけず手に入った。

 見事な庭の古杉の陰、通奏低音のような雨音に蝉が(にじ)むように鳴くのが混じる。

 これはいい。

 Hさんと小一時間もそうして雑談と見物に興じたが、予報では2時間ほども降れば小やみになるはずだった雨はますます降りつのる。

 意を決し、傘をさして喜多院を出、蔵造りの名物通りの入り口、「札の辻」と言われるところまで行ってみることにした。

 雨だというのに、観光客は傘をさして楽しげに見物している。神輿や祭り囃子の賑わいも一向に衰えることを知らない。商店は店の前に露店を出していろいろと商っているが、売り子は雨にめげず声を張り上げて売っている。さすがは祭りだ。

 街づくりを命題とするHさんも、その賑わいの秘密に非常に関心を持っているようだ。

 名物の「時の鐘」の鐘楼の辺りに行ってみると、酒屋さんがある。ちょっと寄って、私たちも立ち飲みで、有名な「KOEDO」というクラフトビールを一杯やった。

 そうするうち、丁度17時になり、時の鐘が鳴り始めた。これは面白い。現代らしく、何か自動仕掛けで定時に鳴るようだ。

 (そぞ)ろ歩いて、土産物屋などを冷やかす。刃物商があって、おっさん二人はハードウェアが好きなものだから、そこでもだいぶ時間を潰した。その割には何も買わずで、店主さんごめんなさい(笑)。

 その刃物商の2階が「開運亭」という食べ物屋さんになっている。そこへ上がってつまみ物などとり、もう一杯、「KOEDO」を飲む。

 「札の辻」まで引き返し、その近くにある「旭湯」という古い銭湯でひとっ風呂浴びる。

 Hさんは「仕事を見つけるには、やはり、根気よく人に会わなければならない」という。Hさん自身は4年ほどをかけ、街づくりの仕事に巡り合ったのだそうである。なかなかそのまま真似のできることではないが、それもひとつあるのだろうと思う。

 私が行政書士の勉強をしているのを知っているHさんは、「色々な街づくりをしている人たちが、地域ごと、いわば『街づくり会社』のようなものを組織している。こういう人たちはしかし、補助金の申請などを面倒臭がってやらない。そういうところに、許認可申請などの『書士ニーズ』が伏在している」というヒントを下さった。

 22時ごろまでそうしてHさんと話し、別れた。雨は小やみになり、越谷に着く頃には止んだ。

 一日、面白く過ごすことができた。

(おさな)いということ

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 ははあ、なるほど……。しかし、御高説には体育会系をバカにしているような響きが感じられますな。

 というか、以前、「『理系・文系』だなんて、ナンセンスな区別だ」という理屈をネット上で見たが、それと似たようなものだ。「ナニ系・カニ系」、はたまた「体育会系・それ以外系」なんて、何言ってるんだ、人間そんな2種類で分けられるもんじゃなかろう、とも思うのだ。

 ディジットとかバイナリは、人間を取り扱うには(おさ)なすぎる。

 そうではない。人間はもっともっと、複雑な存在だ。支配とか被支配とか、そういうことではないんだ。そうではなくて、事実上もっと愛に身を浸している。強固な組織だとかその逆だとかでもない。さながらすなわち、恋に愛し、愛に恋する重層的な者こそが人間なのだ。

日々是好日

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 梅雨明けもとうに済んだ。いよいよ増々、ピカッと真夏の太陽に焦がされるかなと思いきやさにあらず、昨日は朝から土砂降りだった。

 雨は上がって、今日は曇り模様だけれども、新越谷の駅に帰ってきてみると、梅雨明けにもかかわらず粉糠(こぬか)雨が降っている。

 濡れるという程でもなく、手を洗ってうがいをして顔を洗って、ホワイトホースを一杯やって上機嫌になる。

 日々是好日、である。

行政書士の勉強

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 普段忙しく、とりかかっている「行政書士」の資格試験も、なかなか勉強する暇がない。

 それでも、やっとこさっとこ、「憲法」のテキストをおしまいにして、今度は「民法」のテキストの勉強に入った。

 民法は条文が多く、とてものことに歯が立たないような気がする。それでも、おっかなびっくり、テキストを読み進める。

 ややこしい。聞いたこともない言葉も多い。

 「無権代理」だなんて言葉もある。こんな言葉は初めて聞いた。

 読み進めていくと、無権代理について、こんな判例もあった。連帯保証契約の無権代理の追認を父に拒絶された男が、父の死により追認拒絶をも相続してしまった。ところがこの男も死んでしまい、その子が色々まとめて相続した。死んだ男に金を貸した人が子に連帯債務の履行を迫ったが、この場合どうなる?……というのだ。

 これは、ややこしくも有名な判例だそうだ。

夜店

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