団扇(うちわ)

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なんと、梅雨明けとな

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 今日は一日外をうろついていたのだが、あまりの暑さに辟易した。ただ、風は強く、そのために多少楽ではあった。肌を()く日差しや暑さとは裏腹に、蝉の鳴かぬのが奇異ですらあった。

 そうして帰り道、ふと携帯でニュースを見て、なんとなんと、驚いた。関東甲信越は、はや梅雨明けだそうな。

 6月の梅雨明けは、観測史上初のことと言う。

梅雨(つゆ)最中(さなか)の月

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 仕事帰り、東の空をふと見ると、大きな月が昇り始めた。今日は旧五月十五日の望夜、さてこそ大きな月であるはずだ。

 ちょうど真南に赤々とした大きな星が見える。多分木星かな、と、帰宅してから調べてみると果たして木星であり、ほぼ20時南中である。

焼きが回った

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 今日たかだか、とはいえ、それは相当それなりに気合を入れてではあるが、3kmばかり走ったら、気分が悪くなり、食ったものを全部戻してしまった。

 随分鍛えてもきた私だ。その意味からは、「焼きがまわった」と言ってもいいかも知れない。

 まあ、そりゃあ、若くはない。しかし、これしきで気分が悪くなる私でもないのだ、と言ってしまうと、それは少し過信なのだろう。

 体のリソースは限られているから、残り、ケチケチと大事に使わなくては。しかし、年金破綻、老人総労働のこのご時世、体を大切にして長生きをしてもしんどいことばかりで、生きていても仕方がない、とも言える。健康長寿が呪わしい社会が来てしまったわけだ。

 65歳から5年くらい年金を貰い、70歳くらいでスカッと死んでしまいたいのだが、自殺なんかするとなんだか忌まわしいから、病気などでやむなく、という感じで消えたい。多分、(がん)か何かに(かか)って、痛ェ痛ェ言って苦しみのたうって死ぬのだろう。

 消えるときに、もう、面倒臭いし恥も多いから、私が生きていたあらゆる(あかし)や痕跡を消し、できることなら家族や知人友人の脳からも私の記憶を消去して、私が死んだことすら誰も知らず、私がいたことも誰も覚えておらず、墓もなく、記憶もない、誰も悲しくない、という消え方をしたい。そう願うのだが、人の記憶から消え去ることは難しい。この科学万能の時代に、それしきのことがどうしてできないのかと残念に思う。

はやぶさ2目標到達

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安いアクションカメラ面白そう

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 えっ、アクセサリ16点付属でこの値段、って、これ、欲しいかも。……って、スポーツとか特にしないので、撮って面白い絵柄など身の回りにゃないんですけどね(苦笑)。

 コレをゾンデに載せて空撮する、とかですかね。

汗疹(あせも)

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()く父に抱かれ(ねむ)れりあせもの() 文挟夫佐恵

 子供の頃、丈夫ではない肉体故もあって汗疹に悩まされたものだ。

 あんまりにもあんまりなこの句の描写。

 涙、涙。

梅雨半ばの猛暑

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 蝉の声の聞こえぬことが奇異に感じられるほどの猛暑の一日となった。

 去年の梅雨明けも早かったが、今年は果たしてどうだろう。

 早々と帰宅し、ウィスキーを一杯。

RGB、あるいは月がとっても

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 今日、夕焼けがあんまりにも赤いので表へ出て写真を撮ったのだが、その時、「月が青いな」と感じた。

 右の写真には月は写っていないが、しかし、青かった。

 正直、これまで月が青いと感じたことは、ない。ただ、「月が青い」との慣用表現に自分の感覚視覚を無理にあてはめ、「青い、かなあ……」などと納得しつつも、「月の色は黄色だろ」と子供の頃から内心では否定していた。

 これは「青洟(あおばな)」も同じだ。人間の肉体から出るものが青いわけはない。洟汁(はなじる)が青く見えたことなんか私にはなく、どれもこれも「黄色だろ」と思えた。しかし、黄洟なんて言葉はない。一方、黄水(キミズ)という言葉はある。黄水というのは、言わずと知れた胃液のことである。

 黄水、と聞いて尿を思い浮かべるなら、それは語彙(ごい)に乏しいと言わざるを得ないが、しかし馬鹿にしてばかりもおれぬ。無知純粋の奥さんが赤ちゃんを授かり、テレビの紙襁褓(おむつ)のコマーシャルを見て、「乳児の尿は青いもの」と思い込み――さもあろう、テレビのCMでは生々しい不潔感を幾分かでもやわらげようとしてか、紙おむつの表面にコップの水をぶちまけ、その吸収力をアピールしようとする際、そのコップの水は鮮やかなコバルトブルーに染められている――、血相を変えて病院へ駆け込み、「お医者さま(センセイ)大変です、ウチの赤ちゃんのオシッコが青くないんです!!」と訴えた例もあるという。

 ま、そういう人は多くはあるまいが、「赤」ちゃんに「青」水とは、鬼でもあるまいし、呵々、……と書いては冷た過ぎようか。

 さておき、ところが、今日、夕焼けの中に浮かぶ十一夜の霞み月は、本当に青かった。周りが赤いから、何か視覚にバイアスが加わって、それで青く感じたのだろう。

 戻ってからの連想で、「月がとっても青いから」を思い出した。

 これを唄った菅原都々子(つゞこ)氏は、今どうしているのかな、とネットで見ると、90歳を超えてなお意気軒昂であるという。

 時々NHKの懐メロ番組で見るが、私が子供の頃でさえ、既に懐メロの大御所であった。

 しかしまあ、大御所であるだけに、唄い方も味わいというか、なんというか……。

 私などは、青洟、黄水、赤い夕焼け、などと聞くと、どうしても「RGB」という頭文字語を思い浮かべてしまう。Red、Green、Blueの略であるが、ここには「(Yellow)」はない。3原色を赤青黄とするか赤緑青とするか、これは光の三原色、色の三原色、加法混色、減法混色、……そのあたりのことであり、そこには特段蘊蓄(うんちく)も論ずるべきものもない。

 プリンタのインクを買い込む際には、「CMYK」とて、「Cyan(シアン)Magenta(マゼンタ)Yellow(イエロー)Key plate(キィ・プレート)」の4色を買うが、これも3原色とは微妙に異なる。「K」を日本語の「黒」と理解すればわかりやすいが、それなら「CMYB」と言うべきで、ところが「B」はBlueと間違える。まったく英語はややこしい。

梅雨(つゆ)の晴れ間の夕焼け

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 梅雨の晴れ間だというのに、まるで秋のような見事な夕焼けになり、あたりが真っ赤に染まった。

 今年の梅雨明けは、どうだろう、早いだろうか。

 十一夜の月が青く(かす)んで浮かんでいる。