また馬鹿著作権ゴロに絡まれた

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 またしても、である。

 私の次女が演奏したYoutubeの動画、アルバート・エルメンライヒ作曲の「紡ぎ歌」と、同じく私自身が演奏したエリック・サティの「ジムノペディ1番」に、著作権侵害であるとするイチャモンを付けてきた馬鹿著作権ゴロ団体がある。

 「紡ぎ歌」に世迷言(よまいごと)を投げて寄越(よこ)したのは米国の著作権団体「ASCAP」、「ジムノペディ1番」にイチャモンを付けてきたのは「imusician_digital」(ドイツの団体らしい)という馬鹿団体である。

 もう、いちいちこういうのに反応するのは手間暇がかかるからやめてもらいたいし、異議を申し立てたくもないのだが、それでも善良な一利用者としては異議を申し立てざるを得ない。

 Youtubeを通じて、下のように書き送った。

 「この動画で私の次女が演奏している楽曲「紡ぎ歌」の作曲者アルバート・エルメンライヒは、100年以上も前に死亡(1905年5月30日)しており、いかなる国の著作権法の保護も及ばない。

 したがって、申立人の申し立ては極めて不当かつ違法行為の疑いすらあり、私の次女の正当な作品や演奏を侮辱するものである。申立人は速やかに申し立てを取り消し、私に謝罪すべきである。また、申立人が不当にあげた収益は、すべて私に返金しなければならない。

 Youtube運営者はこのような不当な申し立てが私のような善良な利用者に対して今後一切起こることのないよう、具体的で実行可能な方策を今すぐに検討し、3日以内に私に提示する義務があるものと強く申し立てる。」

 「この動画で私自身が演奏している楽曲「ジムノペディ1番」の作曲者エリック・サティは、90年以上も前に死亡(1925年7月1日)しており、メキシコとコートジボワール以外の国の著作権法の保護が及ばない。

 したがって、申立人の申し立ては極めて不当かつ違法行為の疑いすらあり、私の正当な作品や演奏を侮辱するものである。申立人は速やかに申し立てを取り消し、私に謝罪すべきである。また、申立人が不当にあげた収益は、すべて私に返金しなければならない。

 Youtube運営者はこのような不当な申し立てが私のような善良な利用者に対して今後一切起こることのないよう、具体的で実行可能な方策を今すぐに検討し、3日以内に私に提示する義務があるものと強く申し立てる。」

読書

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 庭(いじ)りに念入りな近所の家々では百日紅(さるすべり)が咲き始めた。一昨日は今年初めての蝉の声を家の前で聴いた。

 全国各地では停滞する梅雨前線の影響による豪雨被害のために(おびただ)しい死者が出つつある。気の毒だ。亡くなった方の冥福を祈り、またからくも命を拾った方には、なんとか災害から逃れられるよう祈りたい。

 ところが、一体に関東、特に東京周辺は静かなもので、そのギャップに(しば)呆然(ぼうぜん)とならざるを得ない。テレビをつけると、「ワールドなんとか」とやらで、延々とサッカーの試合を中継している。見て面白いものとも到底思えないような――いや、この折柄(おりがら)に大々的に面白がるなぞ不謹慎の極みなのだが――サッカーの中継しかやらないとは、まったく、テレビ屋の無味蒼白で機械的、ロボット的な無責任さに恐れ入る。

 Twitterなどちょっと覗いてみると、無策の政府を非難する声と、サッカーの中継以外に能のないマスコミを非難する声が交々(こもごも)(ののし)り合っている。

 そんな昨日今日であるが、個人が盲動また妄動してどうなるものでもない。垂れ込めて、引き続き開高健「最後の晩餐」を読む。

言葉
ベデカー

 ベデカー(独: Verlag Karl Baedeker)は、近代的旅行案内書の草分け的存在を出版しているドイツの出版社、および、その会社が出版する旅行案内書。

アウフヘーベン

 止揚(しよう)。一度否定し、さらにその価値を高めて昇華させることである。

手沢(しゅたく)

出典:デジタル大辞泉(小学館)

1 長く使っている間に、手のあぶらがついて自然に出たつや。転じて、故人が身近において愛用したもの。

2 「手沢本」の略。

類語
手垢(てあか)

大谷光瑞

 食通。著書に「食」。

 しかしマァ、ボンボンそのものではあるワナ。そりゃ、世界各地の野食美食のあれこれに精通もできようて。

邱永漢(きゅうえいかん)

 ずぅ~っと、ずっと、「ていえいかん」だとばっかり思っていた。漢字の(へん)が「氐」ではなくて「丘」なので、これは「キュウ」であるはずのものだ。

 しかし、Googleに「ていえいかん」と入れると、検索アシストに「(てい)永漢 (きゅう)永漢」などとたちどころに出てくる上、検索すると「次の検索結果を表示しています: 邸永漢/元の検索キーワード: ていえいかん」などと表示されるから、多分私のように、邱永漢(きゅうえいかん)氏のことを「邸永漢(ていえいかん)」だと思い込んでいる人は多いのではあるまいか。



 郷里では(くや)み事があった。

 小さい頃から可愛がってくれた伯母だ。弔電を打ち、香典を書留で送る。しかし折柄、身動きもならぬ。仕方もなし。

 じっとしているより他ない。夕刻、バタピーなぞで一杯やる。言うなら「乾きて(そうろう)」というところか。黙然。