Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・刺身の残肴の小鍋立て

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 刺身の売れ残りの安い奴を買ったので、それをそのまま食べるのも芸がないと思い、小鍋立てにして煮て食べ、酒を呑んだ。

 いつものとおり動画に撮ってYouTubeに上げた。

 例によって動画の中で漫画を読み、紹介した。つげ義春の「ねじ式」である。

Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・めかぶと胡瓜

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 めかぶと胡瓜の肴を作って呑み、YouTubeに動画を上げた。

 動画の中でつげ義春の「無能の人・日の戯れ」を読んでいる。だいぶ前に買った文庫本だが、長いこと、繰り返し何度も読んでいる。

毛糸編む

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IT技術者たるものダイバーシティブならざらんや

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 昨今ダイバーシティという言葉は、まるで女権・性倒錯者権を指して言うようになってしまった感じがするが、これは違う。ダイバーシティとは多様な価値観、多様な方法を受容していこう、ということであり、性別や性癖のみではなく、例えば人種などの多様性を受け入れること、出身、門地、そういうことを乗り越えていこうという反差別の思想までもがこれに含まれていると解してよい。

 さておき、他方。来年、畏きあたりにおかせられては、御譲位の思し召しの既に定まったところ。国・政府もその方針で諸処置方に遺憾なきことを期しているところだ。

 そんな中、IT技術者から聞こえてくるのは不平・不満・愚痴である。大抵は「この国は」という例の「『この国』呼ばわり」の冠詞がついたうえで、

「元号などという日本にしか通用しないガラパゴス・ローカルに閉じこもっているから日本人はダメなんだ」

「元号なんて皇室観の押し付けであり、戦前の主義思潮への悪しき懐古趣味であり、軍国主義、全体主義への回帰願望がほの見えて危険だ」

「元号は日の丸・君が代と同じくアジアの人の感情を(さか)()でしている」

「我が国経済の長期間にわたる停滞はこのバカバカしい元号なるものこそが原因の一つだ」

「西暦が世界標準なんだ、これだから日本人はダメなんだ、すべて西暦にしろ」

「ITシステムの新元号対応にどれだけかかると思ってるんだこの糞どもが!!」

……などと叫んでいる。

 よくもこんなにロクでもない理屈ばかり考えつくものだ。自分こそが選ばれし正義の者、広い世界に目が開かれた開明な価値観、非差別的な価値観、多様な価値観を持ったグローバル人材だと言いたいのだろう。

 これは良くない。自分たちではそれと知らないまま、偏狭で、さまざまな人種や国の文化、言い分を頭ごなしに否定する危険な状態に陥っている。

 なんとなら、元号や紀元を持っている国は、日本だけではないからである。

 誰でもすぐに考えつくところでは、イスラム教の国々は「ヒジュラ暦」という西暦とは異なるものを使う。また、イスラム教の国々は太陽暦を採用しておらず、太陰暦(月暦)を用い、昔の日本や中国とは違って「うるう月」を置かない独特の暦法を用いる。言うまでもないことだが、アジアの国々のほとんどは中国文化の影響もあって、つい最近まで太陰暦を使っていた。

 紀元に話を戻すと、インドは「サカ紀元」を国定紀元として用いる。また、台湾などは建国紀元だし、中国は西暦をわざわざ「公元」と呼んで区別する。イスラエルではユダヤ教の人々が「ユダヤ紀元」というキリスト紀元とは別のものを大切にしている。北朝鮮などは言うまでもなく「大将軍様」にちなむ紀元である。

 他に、暦法は西暦に切り替えてはいても、例えば韓国のように人の年齢を「数え年」で数えるのを公式としているような、昔の紀元や暦法のなごりを色濃く残す国も多くある。

 私のような知識の貧弱な者が思いつくまま挙げるだけでも、こんなに多様な暦法や紀元があり、しかも現在、実際に使われているのだ。専門家が整理すればもっと多くの紀元や暦法を挙げることができるだろう。

 世界にはこのように、多様な暦法で年月日を表現する様々な国々や人々がおり、それぞれの多様な価値観のもとに日々を送り、暮らしている。

 科学的には、相対性理論的な微細なズレはこの際おくとして、「ある年、ある月日、ある瞬間」というのは全部同じ年月日時間である。単に、暦法によってその表現が異なるだけだ。

 かつて人力で暦を換算するのは非常に煩瑣であった。しかし、コンピュータは違う。現代の高性能なコンピュータは、本来はあらゆる暦の表現を瞬時に他の暦に換算するに足るだけの性能を持っている。オブジェクト指向的には上手に「暦クラス」を定義することで、暦法の差異を吸収し、あらゆる表現での入出力を許容するようにプログラムを作成することなど、理論的には造作もあるまい。

 であるにもかかわらず、「合理的でないから(=面倒臭いから)」などという理由で、IT技術者が「多様な価値観の受容から逃避する」のはいかがなものか。コンピュータがひとりでにそのようにできているのではない。ハードウェアもソフトウェアも、技術者が作っている。コンピュータを偏狭な価値観に偏らせ、世界の国々の多様な価値観から目を背け、ひいては反差別の高邁な理想から逃げようとしているのは、ほかならぬIT技術者その人々ではないか。

 そんなものしか作れないIT技術者がダイバーシティを云々するなど、片腹痛いというものである。

 今一度確認しておきたいが、西暦などと言うものは、「ナザレ地方にいたと伝わる伝説の宗教家、イエスの生誕日を紀元としたもの」である。はっきり言うと、伝説の人物の生誕日と言う点では、例えば伝説の人物が国を開いたとされる日などと変わらない。つまり「神武天皇が国を作った」と言われる「紀元節」と変わらない、ということである。

 これを言うと、偏った人々は「何を言うんだ、イエス・キリストはれっきとした実在の人物だ!神武天皇みたいなおとぎの人と違う!!」と叫び出すわけだが、あのね、実在の人物が処女から生まれますか?霊能力なんてもので食べ物を増やして信者に食わせたりできますか?復活かなんか知らないけれども、(はりつけ)になったあと腐乱死体から生き返って宙を飛んでいったりしますか?そんなの、神武天皇が神の直系だというのと変わらない、宗教的な伝説、おとぎ話のたぐいでしょ?伝説である以上、世界のいろいろな宗教と、ぜんぜん変わらないんですよ、キリスト教と、それを根拠にするさまざまな価値観なんて。

 そういう偏ったものに寄せていこうという動きが目に付いてくるのは、さまざまな国、さまざまな宗教、さまざまな習慣を受容しようというダイバーシティの根本精神から逸脱するものであり、ひいては女性差別、性倒錯者差別にまで一直線につながっていく危険な兆候だ。

 IT技術者は、ダイバーシティで働き方改革だなどと叫んでいる暇があるなら、元号に文句を言うのを今すぐやめ、西暦でもUNIX時間でもなんでもいいから、すぐにでも適当な基準暦と元号のマッピングテーブルを書き足し、とっとと仕事を終わらせるべきである。

 そして、ヒジュラ暦から台湾暦からユダヤ紀元や朝鮮将軍様紀元まで、いろいろ盛り込んだクラスやらマッピングテーブルを書き上げて荒い息をついたあと、余力があるなら、もっと別のすばらしい仕事を手掛けて金でも儲けてはどうか。

(うべな)うことはできないが、考え込むことはできる

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 先日の韓国大法院における朝鮮人徴用工判決は、私のような右翼にとって感情に触れる不愉快なものがあったが、一方で、こんな記事に考え込まされてもいる。

 こう読んでみると、大きな権力に対してどうこうするような手段を持たぬ無辜の一庶民に、十分な思いやりや慰謝がないということは、気の毒であり、かわいそうである、とも思う。

 この記事は次のように結ばれている。

日本政府が韓国政府に対応を求め、韓国政府は世論の沈静化を待ち、できることを考える。当分そうするしかなさそうだ。

 実際のところ、そのようにして100年、200年と時をやり過ごすよりほかにないと思う。

Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・ストレート・ノー・チェイサー

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 セロニアス・モンクのピアノではないが、「ストレート・ノー・チェイサー」と洒落て、ウィスキーを呑み、「池波正太郎の銀座日記(全)」を読むところをYouTubeに上げた。

Today’s drinking and snacks 今日の酒肴・葱と塩昆布の肴

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 葱と塩昆布で一杯やり、動画に撮った。

 動画の中で、引き続き「池波正太郎の銀座日記(全)」を読んでいる。

自己責任でもなくその逆でもなく

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 解放された安田純平氏のニュースが流れている。

 この人が自分の人格や身の安全を的にして、行動した、何かをした、というのは確かなことであり、安全な場所からの批判は卑怯と言うものではあろう。その点から、やはり、単純に自分の尻を自分で拭けなどというのはいささか乱暴に過ぎる。国民なのだから、国から一定の安全の保証というのはあってよい。

 と言っても、批判を「自己責任論」と(ひと)(くく)りにするのはよくない。なぜそう思うかと言うと、「多分この人の値段は、だいぶ上がったろう」と思うからだ。おそらくは、今後、相場の5~6倍くらい払わないと、この人に取材依頼なんかできないだろう。そして、この人はそれを狙ったと思う。

 要するにゼニカネの話だ。

 こういうふうに「ゼニカネ」と書くと、まるで薄汚れて見えるが、自分で自分の身を養って生きている人がゼニカネを目標にして何が悪い、とも私は思う。だから、自己責任でも、その逆でもなく、どちらでもないと思う。