「菜の花の沖」。全部で6巻中の初巻。
時代背景の説明などは極めて簡単にしてあり、無駄がない。そのためか展開はスピーディで、ぐいぐいと読者を物語に引き込んでいく。
成長する主人公が、当時の若者宿の風俗や古くからの
そんななかでも懸命に生き抜こうとする主人公の苦闘が、淡々と、しかも
村を出、転機を経た主人公は、うってかわって周囲の者に好かれるようになる。生まれて初めてのびのびとした気持ちを味わい、正面から人生に取り組んでいく。この点、読者の人生への示唆にも富む。
言葉
馬鹿馬鹿しいことや低劣なことを「くだらない」というが、その言葉について、上記の小説に次のような
江戸という都市の致命的な欠点は、その後背地である関東の商品生産力が弱いことであった。
これに対し、上方および瀬戸内海沿岸の商品生産力が高度に発達していたため、江戸としてはあらゆる高価な商品は上方から仰がねばならなかった。しかも最初は陸路を人馬でごく少量運ばれていたこともあって、上方からくだってくるものは貴重とされた。
「くだり物」
というのは貴重なもの、上等なものという語感で、明治後の舶来品というイメージに相応していた。これに対し関東の地のものは「くだらない」としていやしまれた。これらの「くだりもの」が、やがて菱垣船の発達とともに大いに上方から運ばれることになる。
なるほどなあ。「上方」という言葉も、「京・大坂が『上』」とする定義あってこそである。
そのような日本人意識の底流があってのことなのだろう、大阪出身の私などは、全国区で移動しはじめた15歳の頃から
「えらそうにしやがって」
「都会ぶりやがって」
「過去の栄光に
「お笑い芸人の、大阪商人のクセに」
「またも負けたか8連隊、大阪の兵隊は日本最弱」
……などという偏見で愚弄され、いじめられたものである。だから自己紹介の時などに「大阪出身です」というのが嫌であった。特に、北海道に住んでいた頃は、北海道の人や東北の人というのは本当に大阪が大嫌いということがほとほと身に染みて判ったものだ。
もう40歳以上にもなった後、東京勤めになってだいぶたってからからのこと。北海道の人に「
腹が立ったのでその人の目を見ながら
「私と腕相撲か、格闘の稽古でもしてみますか、それか、今から10キロほど駆け足でもしてみますか、あんた、私に勝てると思ってます?」
と真顔で言ってやったものだ。
その人は単に冗談めかして軽口を言っただけで悪気はなかったらしく、「あ、ごめんなさい」と謝ったもので、私もそこでハッとして、「あっ、いえ、すみません、こちらこそムキになっちゃって……。」とお互いに謝ったようなことであったが、それにしても、いい歳コイたオッサンでも、いつまでたってもこんなことがある。
だから、今は、東北~北海道の人と付き合う際には、「この人たちは意識の底で大阪出身者である私を嫌い、軽蔑している」ということを忘れないように、幾分丁寧に接することにしている。