引き続き読み進む。司馬遼太郎「菜の花の沖」第5巻。
この巻では相当長々と主人公高田屋嘉兵衛とは直接関係のない、しかし物語上重要な当時の状況、ロシアとの国際関係、国内の政治状況などが作家・司馬遼太郎自身により語られる。そのページ数たるや、53ページから387ページまでの335ページに及ぶ。全部で414ページ中の335ページだから、この第5巻の8割はそういうページで占められている。
読書メモ
- ベーリング ロシアの軍人で、デンマークの人。「ベーリング海」を開いた。
- メルカトール オランダの地理学者。「メルカトール図法」に名を
遺 す。 - 明治元年 1868
- 高田屋嘉兵衛 1769~1827
- 大黒屋光太夫 1751~1828
- 桂川甫周
- 北槎聞略
- ラクスマン
- シェリコフ
- クルーゼンシュテルン
- レザノフ
言葉
槎
この作品中に、度々、主人公高田屋嘉兵衛と前後する時代の船頭、「大黒屋光太夫」が登場する。沖船頭で、東廻り(太平洋)で難破・漂流し、アリューシャン列島に漂着、紆余を経て貴顕の教授ラクスマンの助力によりロシア皇帝エカテリーナ2世への謁見まで許された。やがて皇帝の力により送還され、10年後に帰国した人物だ。
帰国後、光太夫の体験談を幕府の奥医師で蘭学者の四代・桂川甫周が聞き取って書きまとめたものが「
この書名の「
下の「聞略」のほうは「聞略」でひとつではなく、どちらかというと「北槎聞」の「略」ではあるまいかと思う。つまり、「北方の漂流記」の「概要」とでもいった意味が妥当であろう。
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