遊びは必ずしも遊びの姿をしておらず、苦しみは苦しみの相貌を持っているとは限らない。
昔、コピーライターの糸井重里であったか、「まじめ・ふまじめ、ふまじめ・まじめ」と言ったもので、不真面目な態度で真面目ぶるくらいなら一生懸命に不真面目をやったほうがまだしも……、というような意味のことを言っていたように思う。
そこからすると、マジメはマジメの姿を持っていない場合があり、同様にして不真面目は不真面目なように見えない場合もあるということになろうか。
民主的で自由そうな雰囲気を持っているくせに、その実、内容は抑圧的でファッショなもの(野球などのスポーツとか)も、世の中には多い。モノもコトも、見たまま感じたまま聴いたままの姿をしていないのだ。
そんなちぐはぐで出鱈目な人間だからこそ、苦しみや悩みの中に意味を見出すストイシズムだって