キリスト教では人はどこまでも人であって、神にぬかづきかしずく弱い存在でしかないが、仏教の菩薩とは、仏たらんとして努力精進中の「人」のことであって、人が仏たらんとすることは仏教ではなんら不自然なことではなく、かつ可能なことである。
人と神
投稿日:
オッサンは生きている。
キリスト教では人はどこまでも人であって、神にぬかづきかしずく弱い存在でしかないが、仏教の菩薩とは、仏たらんとして努力精進中の「人」のことであって、人が仏たらんとすることは仏教ではなんら不自然なことではなく、かつ可能なことである。