ピアノの練習を始めて3年が経過した。
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- バイエルに手を付けた(H18.9.30)
この時ちょうど40歳である。
1年後にはバイエルを概ね8割ほど弾き終わっている。だが、ここからが長かったなあ・・・。
2年後に最終曲、バイエル106番に取り掛かっている。その後、1ヶ月ほどかかってこの曲を弾き終わった。
それにしても、その後1年間、新しく弾けた曲のなんと少ないこと。ちゃんと弾けたのは「トルコ行進曲(連弾用)」「半音階のポルカ」の2曲のみ、今弾きかけている「エリーゼのために」を入れても3曲だ。
以前にもましてますます練習は強化しているのだが・・・。上達度がさながら対数関数状に頭打ちになっていく。
だがそれでメゲる私ではない。
時間が私に味方をする。私は時間を味方に付けることができるようになった。困難だったり出来なかったりしたら、時間をかけて何度でもやればよい。
子供の頃や若い頃は、時間は私の敵だった。永遠の長さに思えるような時間が行く手に横たわっており、それはさながら、地平線の果てに吸い込まれて消える、北海道東部地方の道のように感じられた。歩き始める前に見ただけでため息が出てしまう。嫌なことや出来そうもないことを延々と我慢し続けることは、苦痛以外の何ものでもなかった。
そんな時はとりあえず目標を無視して歩き始め、そして歩みをやめずに続ければいい。小さい頃から誰でもがウサギとカメのイソップ寓話を聞いて育っているはずだ。ところがどうしたものか、私の周りの大人たちは、やっと歩き始める決意がつきかけた私の前髪をぐいと引っ張り上げ、ムリヤリ目標を見せ付け、そして、「目標のない者などクズだ!」と叫んで、やっとこさつくかつかないかの私の決意の芽を粉砕してしまうのだった。
今の私は、目標のない者がクズなら、歩き始めていない者はクズ未満、カスかウンコであることを理解している。時間を味方に付けたいなら、前を見ず、足元を良く見て、まず歩き始めてみることだと思っている。遠すぎる目標に嫌気が差すなら、目標なんか持たないことだ。