はじめに
急に、北海道で飲み食いしたいろいろなものを思い出した。
私は昭和60年(1985)から平成5年(1993)まで、北海道の旭川で暮らした。
旭川の立地と気候
旭川というところは北海道第二の都市である。札幌に次ぐ規模の街だ。ところが、このことは意外に知られておらず、帯広が北海道で二番目の都市だと思っている人も多い。
旭川は多くの人が住む内陸・盆地の街で、風はあまり強くないが冬の気温は氷点下30度まで下がる。なのに夏は暑く、30度まで上がる。夏冬の気温差は60度にもなるのだ。穏やかとは言えない気候であった。私は屋外で仕事をしていたので、冬の寒さは身にこたえた。
反面、仕事以外の日常の暮らしでは、寒さを感じたことなど一度もない。ストーブなど、赤熱して光るほど部屋を暖めるのがこの地方の常であった。
雪は深く、これでもかと降り募るが、低温のため軽く、雪かきなどの仕事はそれほど辛くはない。光りながら落ちてくるものを手に受けると、絵に描いたような六角形の結晶が美しかった。中には5ミリほどもある大きなものも見られた。
冬のビールやアイスクリーム
そんな雪を窓外に眺めながら、真夏のように暖房のきいた室内で飲むビールや、ストーブにあたって半袖のシャツ一枚で食べるアイスクリームの旨さは忘れられない。これがまた、少し奮発すれば、本州ではなかなかお目にかかれない、乳脂肪の高いアイスクリームが手に入った。
内陸なのに鮮魚や海産物が旨い
内陸に位置する都市であるにもかかわらず、流通経路が集中する立地のために、鮮魚がうまかった。握り飯のように大きな寿司があり、単に大きいだけではなく、江戸前を凌駕するような類例のないうまさだった。
海産物が流通しているから、利尻昆布などは最高級品が安値で買えた。
石狩鍋とて、こうしたうまい昆布を出汁に使い、鮭をふんだんに煮た鍋物も、実にうまかった。普通は味噌味だが、塩味のものも食ったことがある。これはむしろさんべい汁と呼ぶのだろうか。
「ちゃんちゃん焼き」と称して、まるごと一本の鮭を鉄板に乗せ、野菜を山盛りにして蒸し焼きにし、適宜味付けをして食うやりかたがあり、これはまことに豪快で、北海道ならではのうまいものであった。
居酒屋で、当時流行し始めた焼酎の肴に「法華」の焼いたのをよく食った。大きくて、脂がのり、身離れもよくて食べやすく、実にうまかった。体が小さい人だと、これだけで1食ぶんにはなり、4百円や5百円で済むから安かった。
烏賊もうまかった。烏賊飯や烏賊そうめんの本場は函館あたりだろうとは思うが、流通経路の集中のために大きくて身の厚い新鮮な烏賊が旭川ではふんだんに食えた。
ジンギスカン
名物「ジンギスカン」の濃厚な味は、飲み会にはなくてはならぬものであった。ビールを飲みながら、若かったから飯も一緒にかきこみ、ラム肉をたらふく食ったものだ。
新巻鮭
冬になると
蕎麦やラーメン、うどん、パン
音威子府あたりの蕎麦の産地が近いため、盛り蕎麦のうまいのがあった。
北海道は小麦の産地でもあり、ラーメンなどもうまかった。肉もたくさん生産しているから、チャーシューメンなどは出色の旨さだった。どこのラーメン屋も旨かった。北海道のラーメンが安くてうますぎたので、その後暮らした関西や関東のラーメンはうまいと思えず、それほど食わなくなってしまった。
小麦粉と言うとうどんもうまかったが、これはどうも、その前に関西風のうどんを食いなれた私にはもうひとつだった。だが、うどんそのものの品質は高かった。
同じ理由で、パンを食ったら美味で驚いたこともある。適当に入った喫茶店で300円かそこらのモーニングを頼んだら、ほかほかのフランスパンの厚切りがふたつ、コテコテにバターがのせてあって、これがうまいのなんの。小麦粉も原料乳も品質が良いのである。
玉葱、馬鈴薯、玉蜀黍
たまねぎやじゃがいもも、特産地に隣接しているからとてもうまかった。
とうもろこしが大きく、粒が張って、甘くうまかった。北海道の人はこのとうもろこしを綺麗に食べる。よそ者が適当にがぶりと食べると、「
バター醤油ご飯
北海道の人がよくやる、熱い飯にバターを乗せ、ちょいと醤油をたらしてかきこむやりかたは、知らぬ人には奇怪な食い方に思えるが、なんの、洋食のバターライスのことを思えば、なんてことはない当たり前の食い方だ。これはまことに美味であった。先に述べた方法できれいに外したとうもろこしの粒をのせて、バターコーンにして食うやりかたもあった。
牛乳
酪農家が親戚にいる人があって、その人の家にお邪魔したことがある。私は牛乳が好きなのだが、そこで牛乳を飲ませてもらったところ、その後しばらく普通のスーパーマーケットで売っている牛乳には見向きもできなかったものだ。なぜと言って、香り、味、なにもかも違う上、飲んでいるそばから豊富な脂肪分が浮き上がってきて、これが生クリームとバターを練り合わせたほどのもので、指につけて舐めると、砂糖抜きのケーキを食っているような、そういう牛乳なのである。
炸鶏
北海道の奥さんがたは鶏の大きな唐揚げを上手にこしらえる。北海道の人はこれを「ザンギ」と呼んで
渓流魚
当時の私は登山が好きで、よく大雪山系を
イトウという淡水魚がある。これは幻の魚などと言われ、昔、作家の開高健がこれを追い求めるドキュメンタリーなどもテレビで放映されていたものだ。ところが、旭川の釣り好きの人にはそれほど珍しくもない魚らしく、釣ったばかりのイトウを無造作に素焼きにし、醤油をかけ回したのをご相伴にあずかったことがある。実にうまかった。「幻の魚」をあんな食い方をして、バチがあたりそうだ。
山菜類
こうした折に水の近くを少し探すと「アイヌネギ」とも「行者にんにく」とも言うニラ類があり、これと一緒に煮炊きしたマスの類もうまかった。このアイヌネギを卵と一緒に料理したニラタマはすばらしい香りでうまかった。
北海道には竹がほとんどない。しかし春には
山と酒
冬山に登ると、夜のテントで生のたまねぎに味噌をつけてかじった。ズキーンと辛く、これを肴にスキットルに詰めたウィスキーを飲むと、手足の先まで温まったものだ。
山で飲む酒というと、仕事で山に入る際には、夜に飲む酒を金を出し合って買っていったものだが、これはたいてい甲類焼酎の安いもので、スケールメリットを出すため、「20リットルのポリタンク入り」なぞという、北海道でしか見かけないものを買っていったものだ。これにはプラスチック製の小さな蛇口がついており、ブリキや琺瑯引きのコップに直接どぶどぶと注いで飲むのだ。札幌酒精が販売しており、ウェブサイトを検索すると、今でも18リットルポリタンク入りの業務用の焼酎が見つかる。
結び
こうしてあれこれ思い出していると、飲み食いしたものは何でも懐かしいが、もう一度北海道で仕事をしたいかというと、実はそれはそうでもない。これはごく簡単な話で、当時自分が軽輩弱卒だったためにいらぬ苦労をし、嫌な思い出が多いというだけのことだ。旭川は今も多くの人が暮らしているリアルの場所だが、私にとっては過去の土地である。