受け入れがたいことを受け入れ、そこに意味を見出す

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 ウソ論文を書いて証明してみろやと追い込まれる科学者もおれば、ウソ記事を書いて大学の先生になりおおせたような不審人物が守られる大学もある。

 似たようなことをしでかしていても、これだけ社会の扱いは違う。いや、もしかすると迷惑をかけた人数で言えば、ウソ論文のネェチャンより、ウソ記事の大先生のほうがよっぽど悪いかもしれない。

 しかし、そうした社会の反応の良し悪しは言うまい。

 人間の作る社会は、物理的な適否や論理的な正邪など超越した、感情的な好悪で動いている。そういうものなのである。

 われわれ無力な、世界になにもなすところのない人物は、到底受け入れがたいことでも、学長閣下その他、ボスのいうことであれば受け入れ、受け入れたことに意味を見いだしていくより他はない。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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