うわー、キチガイだー……

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 ぐっわー、こういうキチガイ本って、書いて出版してもいいんですね。いやぁ、勉強になりました。

なんだかもう

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 なんだかもうどうでもよく、ハゲしく酔っ払ってヘベレケである。

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 何もかも、自暴自棄とまでは言わないが、「そんなもん、ワシに言われても知るか、アホンダラッ!」というぐらいの気分である。

今週

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● 連休明け、11月24日火曜日出勤途上、トイレに行きたくなり、南千住駅で降りた。

 五反野、梅島あたりでトイレに行きたくなるのであるが、少し我慢するのである。北千住でトイレに行くと、北千住は大きい駅なので、並んでいることが多い。ここをもう一駅ガマンして南千住までこらえるべきである。南千住はさびれた駅で、トイレは空いている。大抵、即入室可能だ。

 それで、用を済ませてまた乗車しようとホームでボケッとしていたら、

「2番線に到着の列車は6時58分当駅始発北千住行きでございます。ホームの黄色い線の内側でお待ちください」

……とアナウンスが流れるではないの。

 当駅始発、で、一駅、北千住へ行くだけ?なんだそりゃ。と思ったが、いろいろと列車の編成上、ヤリクリみたいなことがあるのだろう。そう思って南千住駅の時刻表を見てみると、これが、朝には結構多くの本数、一駅だけの始発列車が出ていることが分かった。「●(黒ポツ)」の5時台、6時台がソレだ。

 もちろん、下りだし、乗る人なんて誰もいないようだ。

● Twitterを漫然と眺めていたら、Tumblrからのリンクが誰かから流れてきて、こういうのだった。

http://menmennamihei.tumblr.com/post/133986893677/ほうれんそうを考えた人って去年亡くなったんですよね-その人の話を読んだんですけど報告連絡相談

 なぁ~るほどっ!「報告せんかい連絡せんかい相談せんかいッ!!」みたいなムリヤリの話でなくって、もうちょっと管理者経営者の自戒の話だったんですねと妙に納得感があった。

 で、ちょっとこれ、恥ずかしながら私、知らなかったんだが、誰のこっちゃろ、と軽くググッてみたら、日経新聞にこういう記事があって……

・ 山崎富治氏が死去

……この山崎富治という方は、元山種証券(現SMBCフレンド証券)の社長で、下の「ほうれんそうが会社を強くする―報告・連絡・相談の経営学」という著作で知られていた人なんだそうである。


 へぇ~、知らなかったなあ。

● 日本の都知事選あたりの候補者も、マック赤坂だのドクター中松だの変な人物の満艦飾、さながら百鬼夜行で笑えるが、アメリカの大統領選はそんなものを遥かに超越し、日本の変な候補者なんか足元にも及ばない強烈さであるということを知った。

・ http://togetter.com/li/904991

話題のヴァーミン氏
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 あんまりにも強烈なので、一瞬気を失いそうになってしまった(笑)。

● 「ろくでなし子」という変人の有名人がいる。自分の性器の3Dデータを公開して芸術だと言い張り、騒ぎを起こした人だ。私は別に、この人のファンではないし、「アタマおかしいんじゃねえか」としか思っていないが、「ぱよぱよちーん・しばき隊騒動」に一枚噛んでいて、なんだかその文章がまっすぐで面白いと思った。

・ ろくでなし子独占手記「ぱよぱよちーん」騒動の全真相

 特に、

(引用)

 それと二つ目は、「ぱよぱよちーん」で怒り出す一見怖そうな男性たちが、わたしを逮捕・起訴にまで追い込んだ警察当局や検察当局の人たちととてもよく似ていることでした。彼らも「まんこ」というくだらないテーマに対し、額に青筋を立てて必死になっていました。 

 わたしはよく、「ガサ入れの時に10人の刑事に取り囲まれても平気だったのはたいしたもんだ」とも感心されますが、いやいやそんなことはありません。そりゃ、見知らぬ強面のおじさんたちに取り囲まれたら、誰だって怖いでしょう。

 それでも、そのおじさんたちが真剣になっているのが「まんこ」…。これほど間抜けなことはありません。

 なので、わたしは逮捕拘留そのものがパロディや喜劇のようでおかしくて、今でも笑いがこみ上げてしまい、警察にひどくいじめられたという認識があまりないのです。

(引用終わり)

……というところが、地味~ぃにジワジワ来て、笑い転げてしまった。

新潟日報部長

 新聞屋か印刷屋か何か知らんが、このデジタル時代に、皆さん、そんなものに何の期待をしてたんかね。ヤツらが正義の模範だとでも?馬鹿馬鹿しい。いわば哀れな乞食みたいなもんでしょう、地方のブン屋なんてものは。はなから期待も恐れもする対象じゃないはずですよあんなの。

 というか、新聞読んで一喜一憂するの、もうやめようよ。馬鹿馬鹿しいもの。あれはね、うんこがこびりついた捨て紙みたいなもんだから、よっぽど汚いものが好きなスカトロジストみたいな物好きな人がお金を出して買うものなんです。理性はあんな、ションベン付きチリガミみたいな変なものを好みません。

【新発明】祝日の楽しみ方【長女考案】

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長女  「ねえお父さん、面白いことしていると時間があっという間に経っちゃうじゃない?」

ワシ  「ぬぅ、そうだのう」

長女  「で、宿題とか勉強とか、イヤなことしてると、いつまでたっても時間がたたないじゃない?」

ワシ  「今さらだが、長女よ、すんごく普通のことを言っているぞお前」

長女  「ちがうわよ、最後まで聞いてよ。今日みたいな連休だと、できるだけ休日が長く続いた方が、お得感があるでしょう?」

ワシ  「うむ」

長女  「そうするとさ、できるだけイヤなことをして過ごした方が、休日が長く楽しめるのよ、受験勉強とか宿題とかお父さんに説教されるとか」

ワシ  「おおおっ!!よ、よくぞそれを発見したな長女よ!お前はエラいッ!!」

次女  「……。何このふたり。嫌なことが一日中続くってだけじゃない。アタマおかしいんじゃないの」

OpenBlocks IoT BX1

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PHM01_0099● OpenBlocks IoT BX1

 魅力的だが、実売価格が3万5千円くらい、と聞くと、うーん、個人でいろいろ遊ぶんならRaspberry Piかなあ、と思うのだった。5千円くらいだもんな、ラズパイは。

 OpenBlocks、という製品名を聞くと思い出が少し甦る。

 15年くらい前にいた職場でのことだ。その職場には、某社の商用UNIX(SVR4.2)のサーバが1台、Linuxサーバが4台、同じく某社のSVR4.2エンジニアリングワークステーションが30台、PCが400台あり、これらが9個のセグメントに分けられたネットワークで接続されていた。今から20年以上前の構築当時、L3スイッチがまだなかったことから、9個のセグメントは9台のローカルルータで切られていた。そのローカルルータも同じく某社の製品で、実際にはCiscoのOEM品であった。1台ウン百万するというしろものだ。幹線は10BASE-5のイエローケーブルで張られていた。

 私は主として商用UNIXのrootを担当していた。当時は、商用UNIXはまだそういう属人的な技能での管理がされていたのである。

 運用をはじめて15年ほど経ったあたりで、これらのルータが一斉に壊れ始めた。修理予算はまったくない。上司はウロウロするばかりでまったくアテにならなかった。当時まだ同等の製品が存在したのだが、何しろ1台ウン百万のものが9台だ。上司は同等のものの調達にこだわり、交換にウン千万かかるので、「今から予算要求をして、予算が付くのが再来年なので、修理は再来年だな」とか、キチガイみたいな発言をしていた。再来年まで仕事ができんやないかい(笑)。

 業者に見積もりさせると、これがまた、同等品でのリプレースしか提案してこず、バカ上司と同じことしか言わない。

 そうしている間にも時間が過ぎ、しかも仕事はしなくちゃいけない。そこで、アホは放っておいてさっさと直してしまうことにした。

 ネットワークの構成全部を変えるわけにはいかない。使えるのは消耗品購入用のわずかな経費だけだ。L3スイッチはまだ少し高価で、経費が足りなかった。で、当時既にあったこの「OpenBlocks」製品を9台購入し、iptablesを使ってローカルルータに仕立て、Ciscoを全部リプレースした。イーサが2個付いたマルチホームなので、激安ローカルルータを作ることができたのだ。ただ、スループットは40Mbpsくらいしか出なかったように記憶する。しかし、当時はそれで十分だった。15年前の10MbpsのCiscoに比べればそれでもおつりが来るくらい速かったのだから。しかも、なにしろ、10BASE-5だった幹線が100BASE-TXになり、トランシーバだのバンパイヤ・タップだのと言った修理コストの高いものからもおさらばすることができ、20万もする10BASEのダムハブが追放でき、9千円の100BASEのスイッチで置き換えることができたのである。

 ネットワークは復旧し、事なきを得、性能向上も果たしたのだが、バカ上司は100分の1の値段で性能が4倍、部分によっては10倍以上に向上した、というのがどうしても理解できず、「佐藤がいらんことをして職場のネットワークを陳腐化させた」みたいなことを言って怒っていた。バカなので放置しておいた。

 まあ、「OpenBlocks」というのは、私にとってそういう懐かしい製品である。

一発で消し飛ぶ

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横綱空母 フランスでは、珍しい上下両院の合同緊急国会が開かれ、全議員あげて「♬オー ザルム シトワイヤン、フォルメ ヴォ バタイヨン……」と国歌ラ・マルセイエーズをがなり立て、断固断然、空母シャルル・ド・ゴールに陸海空の将兵を満載、これをしてシリア正面への征途に向かわしめたという。日本で言えば与野党衆参全議員が歩兵の本領か海ゆかばを絶唱し、旭日旗を振り立てつつ興奮のまま敵国へ自衛隊を投入するようなものである。

 日本人一般のセンチメントとしては憤怒に狂ったフランスを泣く、と言ったところだったのだが、それがまた、白鵬の「猫だまし」一発の威力たるや。ニュース・ヘッドラインはそれ一色、ソーシャルのアバターをトリコロールに彩って気分を出していた人々の頭から、パリの惨劇なんか跡形もなく消し飛んでしまったばかりか、苦言を呈した北の湖親方その人が急死したとあればもう、心はソッチに完全スイッチである。

 人の気分の中ではものごとの大きさ重さなんてものは、結局感情的に自分に関係あるかないかだ。シリア方面で手塞がりになった欧州ひいては米国は、老獪化したプーチンロシアにブチ切れ気味の難癖つけつつ、

「こらっ!日本ッ!!なにボケッとしとんねんっ!ワシらは忙しいんじゃ!何が猫だましじゃアホンダラ!……何?南シナ海?知るかそんなもん。お前ら自力でどうにかせんかい!ワシは知らんッ!」

……みたいな、ねえ。そうなってみないと自分の気分には関係してこんわナ。

 今日も人はバタバタと死ぬ。罪ある者も罪なき者も、一緒くただ。悲しい哉、悲しい哉、悲しい哉。悼む他にできることがない。悼むべし、悼むべし、悼むべし。

劣々優々

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PHM11_0074 一頃の私は、クズのような人物の部下にされたり、職務知識が皆無の上司の下に何年もつけられたりと言ったことが20年近くも続き、「どうして俺は、こういうカスの下にばかりつけられるんだろう」と真剣に悩んだことがある。単に考えが合わないとかメンタルとかストレスとか、そういう弱っちい話ではない。免職レベルの犯罪とか、そういうハードな尺度感の話だ。シャレにならなかった。

 「彼は、アイツは、ああいう優れた上司に仕えているのに、なんで俺だけ?」などとも思った。イヤならそんな職場は七里けっぱい、退職すればいいようなものだが、それをすれば私がカスに負けたことになる。自滅した者もいるが、工作をして上司の首をすげかえてやったことも、白状してしまえば、ある。こんな馬鹿に負けるものかと思ったから、戦ったのだ。しかし私が払った代償も極めて大きかった。

 今もそういう状況には大して違いはないのだが、ちっとはマシになってはいる。だが、仮にマシになっていなくても、もう、若い頃のように正義の衝動に突き動かされて事態の解決を図ろうという気はない。なぜかというと、もはや組織も上司も愛していないからである。どうなろうが知ったことではない。

 上司の指示にハイというのは、上司、ひいては組織を愛していないからである。バカ上司がどんな目にあおうと知ったことではなく、どうでもいいから、ハイとにこやかに気持ちの良い返事をするのである。

 だが、今の私が素直なのは、そればかりが理由でもない。自分に存する原因が最も大きいことを、ある頃に理解したからだ。

 もし、かつての私と同じように、「俺の上司は、課長は、部長は、社長は、どうしてこうもバカなんだろう、なんであそこまで四流、五流なんだろう」と悩んでいる人がいたら、どうか私が今から書くことを含んで味わっていただきたい。

 あなたの上司がバカなのは、あなたが大バカだからであり、あなたの上司が四流、五流なのは、あなたが五流、六流だからである。

 優れた人は、優れた上司の下につけられる。仮に、一時期変な上司の下につくことがあっても、優れた人は数年を経ずして、すぐに優れた部署の優れた上司の下につけ直される。

 あなたは、劣った人なので、劣った人の下につけられている。

 逆も同じだ。あなたの部下が劣っている理由は、あなたが劣っているからである。劣っている上司には、劣っている部下がつくのだ。無論、そうでない場合もたまにあるが、優れた部下はすぐに取り上げられてしまうのである。また、もしあなたに素直な部下がいて、いつもハイと気持ちよく言う事を聞いて指示通りにしているとしたら、それはあなたや組織なんかどうでもよく、愛していないからそうしているのだ。

 まことに、単純な理屈だ。

 これは、あなたのことを言っているのではない。私自身のことを言っている。だから、こんなことを私に言われたからと言って怒ることはない。佐藤俊夫は劣っているのだな、と笑っていただければよいと思う。

偏執鍋親父

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PHM03_0451 涼しくなった。というか、朝晩、そぞろ肌寒さをも覚える。冬隣(ふゆどなり)である。

 そんなわけで、今日の我が家の晩飯は「初鍋」である。

 はじめ、昆布のみの出汁湯に豆腐だけであったが、まあ、茶人とか食通じゃあるまいし、家族の夕餉なんだから、というわけで、豆腐の後に白菜を煮、葱を煮、肉を煮、饂飩を煮て〆る、という塩梅で、久しぶりに楽しかった。

 食い終わって喋りあうことには……

ワシ      「なあ、おい。来週も鍋がいいなあ。何がいい?」

長女      「やっぱり、湯豆腐でしょ」

次女      「シャキッとハリハリ鍋かなあ、水菜買ってきてさー、おいしい豚肉も買ってきて煮てさー、ぽん酢でさー」

妻       「栄養から言えば、お肉も魚も野菜も入れて、寄せ鍋でしょ?」

ワシ      「……。ぬぅ。お前らは鍋というものが分かっておらぬわ!こういうものはだな、具材が少なければ少ないほど、素材の味わいが増すのだ!……長女ッ!お前が一番ワシの考えに近いッ。湯豆腐というのが正解に近いと言えようかのう?」

妻・次女    「えーっ、豆腐だけなんて、なによー!!物足りないからイヤよそんなの」

ワシ      「だーっ!黙らんかぁ!お前らのようになんでもかんでもグダグダと鍋で煮立ててしまっては、せっかくの材料の味が台無しではないか!ワシのような達人になるとだな、もはや、鍋には具など必要なくなるのだ!更に修業が進むとだな、具どころか、出汁もいらない、火も必要ない、鍋だけがあればそれで満腹し、百年の命をそれでながらえると、これは唐代の粋人、李汎宇もその著書『全界辞言考』において言及しているッ(全部嘘)!!」

妻・長女・次女 「そんなあ!!お鍋になんにも入ってないなんてえ!?」

ワシ      「ええい、貴様らは勉強が足りぬわ!かの大宰相チャーチルはだな、本来ベルモットとジンを配合すべきカクテル、マティーニはものを混ぜすぎだと言って、ベルモットの瓶を脇に置いて睨みながらジンを飲み、精神力で脳内にマティーニを現出させたのみならず、ついには秘書にベルモットを飲ませてその息をおのれに吐きかけさせ、ほのかにベルモットの香りのまざる息を嗅ぎながらジンを舐め、これぞ究極のマティーニだと言ったのだぞ!?鍋物もかくあるべしッ!!!」

妻・長女・次女 「お父さんだけ一人で勝手にやってくださいッ!」

Youtubeその他の好戦動画に注意せねばならぬ

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 アホがテレビのチャンネルをガチャガチャやるがごとく、Youtubeやらニコニコやらを口をあけて鼻水たらしてボンヤリ見ていると、

「中国や北朝鮮や韓国の兵器はこれだけカスだアホだ役立たずだ!それに比べて、わが国自衛隊の装備はハイテクで優れていて無敵だ!!ここにスーサイド・アタックの伝統が加われば、我が国の防衛力は盤石だ!!!」

……というような、えっらい勢いのタイトル、ドガチャカ撃ちまくって連戦連勝、みたいな迫力動画に行き当たる。

 みなさんね、釈迦に説法ってものかもしれませんが、これ、「もうスゴい神技の域に達してるからこれ以上防衛力を増強させる必要はありませんよ」って言ってるようなモンだから、鵜呑みにしちゃあいけませんよ。逆謀略ですよ、こんなの。

 バカ言っちゃいけませんよ、保守のフリした革新に決まってるでしょ。

 使うことができない、ぶっ放してはいけないことになっているミサイルや大砲や戦闘機、何千丁、何百機持ってたって、そんなもん、ゴミにしか過ぎないに決まってるでしょうが。

 戦争したこともないような、イジメで自殺が続出するような、逆に言ったらそんな程度の脆弱な武装組織がさ、鎧袖一触だとかなんだとか、そんなハズねえじゃん。

 安心してないで、もっと緊張感を持たなくっちゃいけませんよ。……法律?何言ってンですか、こんなくらいの改正で、何ができるワケもありませんよ。バカ言ってちゃいけませんよ。

幽霊怖いよ

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 暑くなると幽霊譚、怪談、オカルトの話に傾くのは、涼味をなんとか得ようとする昔の人の知恵ででもあったろうか。

 この季節、雑談などするとつい話もソッチへ傾きがちで、馬鹿げているがこれはこれで夏らしくてよい。

 幽霊談、心霊現象自慢、怪奇現象自慢などをしていると思い出すことがある。

 小学校の2、3年、あるいは4年くらいの頃だったか。子供の頃の私は、女の子に笑われてしまうほどの「怖がり」であった。なにしろ、なによりも幽霊が怖い。長じてみると幽霊なんぞより生身の人間のほうがよっぽど怖いということが身にしみてわかるようになるが、子供は生身の人間の怖さなど知らないから、幽霊なんぞを怖がるのである。

 子供の頃の私が住んでいた家は大正時代に建てられた古い長屋官舎で、戦災の焼け残りだった。古びた土壁、暗い田の字型の室内、北向きの縁側、間取りは4畳と6畳のふた間。そこに5人家族がひしめき合って暮らしていた。まあ、裕福ではなかった。

 古い官舎の天井には、なにか人の手形のようなものが付着していて、それがなにやら茶色く変色しており、「血の跡なのでは……!」と想像しだすとキリがなく怖い。裏の物置から幽霊が出てきそうで、本当に怖かった。

 私は末っ子だったので、学校から帰ってくるのは一番早い。母が働きに行っていたから、当然、誰もいない家に一人で鍵をあけて入る。暗い官舎にじっとしていると、幽霊があっちからこっちから出てくるような気がして、もう、逃げ出したくなってくる。

 それで、恐ろしくてたまらず、ともかく家から走り出す。走り出したからといって特段することなどなく、当時多くの人がやっていた暇つぶし、商店街の本屋へ立ち読みに行く。

 怖くて家を出てきたのだから、漫画の立ち読みでもして気分を明るくすればいいようなものなのに、そんな時に限って、ふと立ち止まって見上げた本棚には、「恐怖の心霊写真集・パート1」などという、当時はやった本が並んでいるのである。それをまた、よせばいいのに、つい、ついつい、おずおずと手にとってしまう私なのであった。

 ページをめくる怖さ恐ろしさ。やめときゃいいのに、ずんずんページをめくってしまい、背に冷や汗が流れ、本屋のレジのウラの暗がりから今にも霊がまろび出て来そうな気がして、悲鳴を上げそうになるくらい怖い。ああ、こんな怖いものを見ているくらいなら、とっとと家へ帰ろう!

 そうして本屋を逃げ出して、小走りに家に帰るのだが、一人っきりの家がまたしても怖い。さっきまで見ていた「心霊写真集」の霊が台所の障子から浮かび上がってきそうな気がする。うひゃあ!怖い!

 それでまた、家を飛び出し、これがどういう脳みその構造だか、また本屋に行って、また「心霊写真集」を手にとってしまうという、ワケの分からない私なのであった。ひい、怖い、……と、また家に走って帰り、また怖くて、友達の家にでも行けばいいのに本屋に行ってしまい、また心霊写真集を見、また家に駆け戻り、……という、「猿のなんちゃら……」のような、アホなことを5、6回も繰り返すのである。

 我ながら、本当に変な子だったなあ。

 そういう、怖がりにバカの混じった私であったが、長じてから職業上、人が首を吊って死んだ跡地で闇夜に一晩見張りをしたり、災害地で沢山のご遺体を収容したりするうち、幽霊なんかまったく怖くなくなってしまった。