池の端藪蕎麦の写真があった

投稿日:

 自作の「東京蕎麦名店マップ」。ここには、東京の蕎麦屋さんを訪ねては自分で撮った写真を載せている。

 しかし、一店だけ、何度か訪れて写真を撮ったはずなのに、どうしても見つからないものがあった。今取り壊されている「池の端藪蕎麦」の写真である。

 以前まだ盛業のおりに撮っておいた写真があるはずだったのだが、どこかへ紛れてしまい、どうしても見つからなかった。訪れた日にちも記憶が曖昧で、よくわからない。

 ところが、今日、Facebookの自分のタイムラインを繰っていたら、不意にその写真が見つかった。

 %e6%b1%a0%e3%81%ae%e7%ab%af%e8%97%aa%e8%95%8e%e9%ba%a62014-8-28

 この写真によると、平成26年の8月に訪れていることがわかる。

 早速名店マップに写真をアップロードしておく。

花まき蕎麦

投稿日:

 国会図書館へ調べものに行く。

 今日は調べることが多かったので、15時半くらいまでかかる。

 それから室町砂場・赤坂店へ行く。TBSの通りの反対側だ。数寄屋(すきや)造りの小体(こてい)で落ち着く(みせ)

img_4909img_4904

 今日はテーブルが埋まっていたから、入れ込みの座敷に通される。

img_4903img_4907

 そろそろ冬隣りの時候なので、酒をぬる燗でたのみ、「梅くらげ」で一杯。

img_4901 額の絵の趣味が良い。

 時間も遅いので、テーブルこそ埋まってはいるが、混んでいるわけでもなく、座敷は私一人である。

 静かである。

img_4911 盃に一杯ほど酒が残っている頃おいに、今日は一つ、「花まき蕎麦」を頼んでみた。

 海苔が香ばしい。

 薬味の山葵(わさび)(ねぎ)をかわるがわる、少しづつ箸で摘んで、それと一緒に蕎麦を手繰り上げては啜る。うまい。

 自作「東京蕎麦名店マップ」に、また写真を足しておく。

浅草・並木藪蕎麦

投稿日:

 忙中有閑。

 最近、蕎麦と言うと赤坂の室町砂場へばかり行っていたが、今日は久しぶりに浅草・並木籔蕎麦へ行った。平成26年の3月以来だったか。ほぼ3年ぶりだ。

 昼時は混んでいるから、行くなら14時半ごろが適当だ。これは東京の蕎麦名店全部に言えることである。この店は中休みをとらないので、なおのこと午後の遅い時間に行くのが良い。

img_4886 とりあえず酒を一合。通しものは固く練った蕎麦味噌で、これが案外に甘く、香ばしい。

 以前は浅い青磁の盃を出してくれていたように思うが、今日は切子硝子(きりこガラス)の盃で出してくれた。酒はいつも通りの菊正宗、落ち着く旨さだ。

 以前に来たときは、客の世話をしていたのはすべて女の人ばかりだったが、今日は若いお兄さんが一人いたのも興味を惹いた。

img_4887 肴に焼海苔をたのむ。この店も下に熾火の入った炭櫃で出してくれる。乾いていてうまい。ごく濃い口の醤油と山葵を添えてくれる。

img_4888 盃に一杯ほど残っている頃おいに、「ざる」を一枚たのむ。

 この(みせ)の最大の特徴は、東京随一とも言える、この辛汁(からつゆ)だろう。だが、単に醤油がキツいとか、塩辛いというのとは違う。複雑な味が様々に溶け込んでいて、旨い。

 蕎麦湯は土瓶で出してくれる。(つゆ)の塩気がきいているので、蕎麦湯に少しずつ差せば全部飲み切ってしまえる旨さだ。

菊正宗 1合 750円
焼海苔 750円
ざる 750円
合計 2250円

 この店の値段は、更科と砂場のちょうど中間ぐらいである。50円ほど値上げしたのかな、と思ったが、記憶違いかもしれない。

 のんびり飲み、藪蕎麦ここにあり、というほどの蕎麦を名代(なだい)辛汁(からつゆ)で手繰って、まあ、安いという程ではないにもせよ、「そんなに高くない」のであるから、まことに幸せである。

 自作「東京蕎麦名店マップ」に写真を足しておく。

麻布十番 永坂更科 布屋太兵衛

投稿日:

 国会図書館へ行き、調べものをした。ところが今日はなんだかブログ書きなどばかりしてしまい、あまり本は読めなかった。

 (ひる)過ぎまで図書館にいた。それから、また蕎麦屋に行くことにした。

 このところ習慣のようになってしまっている蕎麦屋通いだが、今日は麻布十番にある更科御三家のうちの、まだ行っていない一軒、標記の「麻布十番 永坂更科 布屋太兵衛」へ行って見ることにした。

 所謂(いわゆる)「更科の御三家」が(たむ)ろする麻布十番は、永田町からは南北線で3駅、すぐに行ける。

 麻布十番の駅に着いたら4番出口を出る。広い通りの反対側に顔を向けると、この店は駅の出口から見えるところにある。スターバックスの向かいにあるので、すぐにそれとわかるだろう。

img_4841 古い看板だがビルは新しい。麻布十番の更科御三家は、元祖は同じ布屋太兵衛だが、いろいろあって3店に分かれ、この「布屋太兵衛」は個人経営ではなく会社組織である。その辺りの事は以前にこのブログにも記してある。

(「新撰 蕎麦事典」(新島繁 編、平成2年(1990年)11月28日初版発行、(株)食品出版社)から引用)

さらしな 更科 更科の総本家は東京・麻布十番にある永坂更科。寛政2年(1790)に初代太兵衛(8代目清右衛門)が「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」の看板をかかげた。これよりさき寛延(1748~51)ごろ、すでに横山町甲州屋が「さらしなそば」、浅草並木町斧屋の「更科そば」のほか、店名の上に「信濃」「戸隠」「木曽」「寝覚」などを冠するほど信州ソバの名声が高かった。永坂更科の看板商品は一番粉を使った白い御前そばで、本店のほか神田錦町・銀座・有楽町更科などが身近かな系列店として知られる。更科の屋号は、更科そばが喧伝されて生まれた俗称であろう。現在麻布十番には、永坂更科布屋太兵衛(小林正児社長)、麻布永坂更科本店(馬場進社長)、更科堀井(8代目・堀井良造社長)の3店がある。

 入り口はピシリと格調高いが、躊躇なく暖簾をくぐってみる。入り口の閉め切った印象に比べ店内は広々として明るく、趣味が良い。店員さんもにこやかだ。14時頃に行ったから空いていた。

img_4842 蕎麦屋に入るといつもは焼海苔と酒などとるのだが、この店は蕎麦屋には珍しく焼海苔がないようなので、板わさをとる。

 品よく花形に盛られた山葵(わさび)が非常によく効く。醤油も旨い。蒲鉾は凝った造り身にしてあって、山葵と醤油がなじんで旨い。

 酒は黒松白鷹の()や。板わさの楽しい歯応え、醤油の塩辛さと山葵の香気を楽しみつつ、ガラスの杯に注いでは交々(こもごも)口に運ぶ。

img_4843 一杯ほど酒の残っている頃おい、「御膳そば」をたのむ。この店も含め、名代(なだい)の「更科蕎麦」の特徴は、蕎麦の実の芯の粉を打った白く(しなや)かなところにある。

 飲みかつ蕎麦を注文するなどしているうち、隣席に白人の夫婦が来た。最近、東京で蕎麦を手繰っていると、10回に7回は隣席に白人が座る印象がある。旨い蕎麦を大いに楽しんでもらいたいが、彼らはこちらが蕎麦を正しく「ずずず~っ……」と啜ると下品だなんだと抗議し始めるので迷惑だ。

 だが今回の場合、運良くと言うか運悪くというか、彼らのほうが先に、閑静な店内をものともせずビデオチャットでやかましく親戚と喋りはじめ、「お互いおあいこ」になった。それでこっちも遠慮なく蕎麦を勢いよく啜り込むことができた次第だ。

 蕎麦(つゆ)には「あま(つゆ)」と「から(つゆ)」の2種類がついてきた。藪、砂場、また他の更科でも見たことのない方式だ。店員さんによると、「足し合わせてお好みの味でお召し上がりください」とのことである。

 あま汁は出汁(だし)と酒が効き、なおかつ濃く、旨い。またから汁もくっきりとした味で、どちらも捨てがたい。蕎麦猪口(そばちょこ)に少しずつとって、かわるがわる味わうことにした。

 ほのかな香りと(しなや)かな喉ごし。だが意外な歯ごたえも感じる。先日行った「更科堀井」と違った歯応えがあるように思った。同じ「麻布永坂更科」の一系でもこういうふうに違うんだな、とも思った。

 蕎麦の薬味の山葵がとてもよく効き、旨かった。

img_4845 蕎麦湯は濃からず薄からず、誠に中正で、あま汁とから汁を交互に差して楽しむことができた。

黒松白鷹 1合 816円
板わさ 924円
御膳そば 945円
合計 2,685円

 値段の方は、最近手繰(たぐ)った蕎麦の中では最も高い部類に入る。

 そうは言うものの、払えぬという程高いわけでもなく、誠に旨い蕎麦で、むしろ「払い甲斐」のある蕎麦であった。

img_4850 これで、自作の「東京蕎麦名店マップ」が、とりあえず全部埋まった。全部で12店、専門家でもない貧乏人としては、手繰りも手繰ったり、というところである。

室町砂場 赤坂店

投稿日:

 国会図書館へ「太平記」「梅松論」その他千早赤阪城の闘いに関するものを読みに行った

img_4807 その後、今日も蕎麦を手繰ろうということで、国会図書館から歩いて行ける最も近い名店、標記「室町砂場 赤坂店」へ行った。

 「室町砂場 赤坂店」は、国会図書館からは15分ほどで歩いて行ける距離にある。国会議事堂の前を通って、首相官邸の裏へまわり、溜池山王から山王日枝(さんのうひえ)神社まで来たら大きく目立つTBSのビルのほうを目指すと良い。TBSの反対側の裏通りに、渋いたたずまいのこの店が見つかる。

 店は小さく、数寄屋造りの渋い2階建てで、赤坂とはいえ裏通りの静かなところにある。

img_4806 空いていると踏んだ土曜の午後の遅い時間、臆せず暖簾をくぐる。

 先客は二組ほどで、妙齢の白人女性と日本人女性が卵焼きなんかをつつきながら低声の英語で話し込んでいたりした。

img_4809 私はまず酒を冷やで一合、それから焼海苔を頼む。なんだかこれが蕎麦屋での習慣のようになってしまった。

 酒は菊正宗だ。海苔は蕎麦屋でよくある炭櫃入りではなく、「神田・まつや」と同じように小さい海苔箱に入れてくるが、言うまでもなくよく乾いており、厚手の上等の海苔で、がっしりと旨い。それに、他所より多く入っている。

 通しものは浅蜊と針生姜を時雨(しぐれ)風に薄味で煮付けたものだ。旨い。

img_4810 いつものとおり、一杯ほど酒が残っている頃おいに「もり」を一枚頼む。

 他の砂場と同じく黒からず白からず、それでいて歯応えのある、しっかりした蕎麦が出てきた。(つゆ)は濃い目だが辛くはない。多すぎない程度に盛られており、また上手に盛ってあるから絡まることもなく、手繰り易い。

img_4811 蕎麦湯は濃い目に蕎麦粉が溶け込み、飲み応えがあってうまかった。

菊正宗 1合 750円
焼海苔 350円
もり 600円
合計 1,700円

 全部で1700円ちょうどだ。それほど高くなく、あっさりと楽しい飲み食いであった。

 このところ毎週蕎麦ばかり手繰っているが、面白いし旨いので、やめられない。

 「東京蕎麦名店マップ」を更新し、この店の写真も載せておく。

img_4814 酒臭い息では信心の上でどうかとも思ったが、山王日枝(さんのうひえ)社に詣でて帰った。

平日に「巴町 砂場」

投稿日:

 私は若い頃から長年、ゴチャゴチャしたDQN(ドキュソ)職場で働いている。色々と前近代的で不便な職場だが、そういう職場なので不満や愚痴を言っても仕方がない。

 だが、そんな私の職場も、鈍重ながらも世間の潮流には乗っていってはいる。最近は「男女共同参画」とか「ワークライフバランス」というようなことにも相当注力するようになってきた。色々な施策のお陰で、子育て世代などは一昔前と比べると大変恵まれている。

 今日も上の方からの施策で「とっとと帰宅しろ」というような日にあたった。こういう日は朝7時には出勤して、給料分の時間は働くという仕組みだ。ありがたいことだが、しかし、帰れもヘッタクレも、昨日の日曜日には有無を言わせず呼び出されて終夜働かされており、その分の時間はなんだかウヤムヤにどこかへ行ってしまっているのだから、なにやらいい加減ではある。

 さておき、こういう日にしかできぬことだってある。例えば「土日祝が休みの蕎麦屋に行く」、これであろうか。

 そうと決まれば、遠く江戸時代の砂場蕎麦に続く東京屈指の名店、「巴町 砂場」に行くしかなかろう。

 改めて簡単に記せば、大坂城築城のための土木置場――これが()うところの『砂場』――にあった「和泉屋」という蕎麦屋の流れを汲んで、江戸に店開きしたのが(こうじ)町(麹町)七丁目「砂場藤吉」(今の三ノ輪の『砂場総本家』)、久保町「砂場長吉」などである。「砂場藤吉」から暖簾分けしていったのが今の「虎ノ門 大坂屋砂場」と「室町 砂場」で、「砂場長吉」が今の「巴町 砂場」である。その辺りの事は先日このブログにも記しておいた。いずれも東京屈指の砂場の名店だ。

 三ノ輪の「砂場総本家」には既に行ったし、また、「虎ノ門」と「室町」は土曜日もやっているので、先日念願を達成して2店ともに行った。しかし、「巴町」だけが「土日祝は休み」であり、平日はあまり時間のない私には行けないのである。

 何にせよ、「早く帰れ命令」の今日と言う今日は、これは「巴町に行け」という神のお告げにも聴こえるものがある。

 「巴町 砂場」の営業時間は昼11時~14時、夜17時~20時だ。このことだけをとってみても行ける人を選ぶ蕎麦屋さんだ。

 だがともかくも、職場から地下鉄を乗り継いで急いで行く。最寄り駅は「神谷町」で、これは東京タワーの最寄り駅としてもよく知られている。「巴町 砂場」には神谷町駅の3番出口から出るのが一番近い。

 地上に出るとそこが「桜田通り」だから、これを北の方へ2、3分も歩けば、通りの右側(東側)に店がある。

img_4790 店はビルの1階にあるが、美しく、店内の趣味も非常に良い。入って右側の床の間ふうのしつらえに生け花と日本人形が飾られ、店の奥には切り火鉢風の囲み卓の席もある。

img_4792 いつも通り酒と、焼海苔を頼んでみる。酒は菊正宗、通しものは枝豆だ。海苔は蕎麦屋のお決まりで、下に熾火の入った炭櫃で供される。

 海苔は厚手のいい香りのもので、日本酒にまことに合う。山葵もおろし立てで旨い。

 ゆっくり飲んで、一杯ほど酒が残っている頃おい、「せいろ」を一枚頼む。この店の名物は「趣味のとろろそば」と「特せいろ」だと調べてきてはいるが、初めて入ったのだから、スタンダードなものを、と思ったのだ。

img_4795 想像通り、純正・中立な、「蕎麦の中の蕎麦」だ。太からず細からず、黒からず白からず、しなやかで味も香りも良い。蕎麦(つゆ)は辛くなく、穏やかな、出汁(だし)のきいた(つゆ)である。その辺りは「辛汁(からつゆ)」が自慢の「藪」とは一線を画する。薬味の葱はしゃきっと切ってあって、香りが良く、旨い。

 また、蕎麦の盛り方が良く、とかくよくありがちな、「絡まって手繰りにくい」ということがない。

 蕎麦湯はわざと蕎麦粉を溶くようなことをしていない、澄んで、香りのよい本当の茹で汁であった。おいしいので全部飲んだ。

 品が良く、店も綺麗であった。酒と肴、蕎麦で2千円と少し。安いな、と言う程ではないが、「そんなに高いわけではない」値段で、堪能できる飲み食いであった。

 外に出てみると、日比谷線が止まっていた。霞が関で発煙騒ぎがあったと言う。「霞が関・発煙・地下鉄」などと聞いて、昔の「地下鉄サリン」のことを思い出してゾッとするのは私だけではなかったろう。

 虎ノ門まで歩き、そこから新橋、浅草、北千住、と迂回乗り継ぎをして帰宅。

 平日にしては面白い飲み食いだった。

一杯

投稿日:

IMG_4352 家飲みで一杯。今日は珍しくホワイト・ホース。

 最近、近所のスーパーで手に入る千円前後のウィスキーにやたら通暁するようになったなあ。しかし、この銘柄だって昔は高かった。ボトルキープとかすると8千円だの取られたし。

 今は麒麟麦酒が輸入するようになったようで、ほかの銘柄同様、安くなったわけだ。

 私宅の近所にある薬局「ウェルシア」では1本1134円(税込)。

唄入り観音経の冒頭

投稿日:
いつか紅葉の色に出て
苦労の種の蒔き直し
義理も世間も上の空
流れの水に任すにも
宵の深酒転寝(うたたね)
()めて枕の色恋し
水面(みのも)を伝う爪弾きや
浮名を流す大川の
雨が降るなら水も時々曇るのに
誰が付けたか隅田川
九十六(けん)掛け渡し
花の武蔵野と下総(しもうさ)
仲を取り持つ両国の
渡ればそこは回向院(えこういん)
鼠小僧の次郎吉さん
商売繁盛願うのか
香を手向(たむ)けてお百度踏んで
祈る素足の吾妻(あづま)下駄

川を気まぐれ

投稿日:

 昨日の金曜日から泊まり込みだった。盆明けとは言え、まあ、こうなってくると、精霊のみならず人間様も木仏石仏金仏(きぶつせきぶつかなぼとけ)みたいな扱いである。いやはや。

 土曜日の今朝終わって、ヤレヤレと帰りかけた。曇り空、天気図には台風が三つも太平洋上を(うごめ)いている

 ともかくも帰宅しようと電車に乗る、すると、ようやく中央線秋葉原まできたかな、と言う辺りで沛然(はいぜん)たる豪雨。稲妻、雷鳴。もとより徹夜でくたびれ切ってしょげかえっているところへこれはなかなか辛い。コーヒーでも飲んでいくか、とJR秋葉原「atre(アトレ)」の3・4階にあるスターバックスでアイスコーヒーなんか飲んでいるうち、あんなに不機嫌だった空が、まったく無邪気に晴れ出した。

 まず、「女心と秋の空」とはよく言ったものだ。怒らせちゃアいけませんよ女の人は、ええ、ええ。

IMG_4178 さておき、既に11時くらいにはなってしまっていたから、じゃあ気晴らしに好物でお昼にしよう、と神田の「やぶ」へ行き、火災以来建て替わってからできた、窓際のカウンター席に陣取る。

IMG_4180 とりあえず、菊正宗を一合、それから焼き海苔をとる、酒を頼むと蕎麦味噌がついて来るからそれで半合飲んで、それからホカホカのパリパリに乾いた焼き海苔でもう半合飲む、そうすると、ささくれ立つどころかもうトゲなんか全部抜けちまってハゲみたいにつるつるになった陰惨な心が、ほんわりとピンク色にあたたまって、気持ちよくなってくるでしょ。

IMG_4183 まず、そうしたところへ好きな食べ物をしたためるのはまことによろしい。杯に一口ほど酒の残っている頃おい、(おもむ)ろに「お姉さん、せいろをひとつ」と頼む、実にいい間隔を置いて、神田・やぶの独特の緑色の蕎麦が運ばれてくる。これは新蕎麦の具合をいつも楽しめるよう、青い蕎麦の搾り汁で香りを付けてあるんだそうであるが、それを、やあ、来た来た、とさっそく手繰り込もうとしたら、隣に白人の夫婦が座り込んでしまった。

 東京の名店なので、今の時季、白人の観光客は多い。日本に大いに親しんで貰いたいので、これは結構なことなのだが、蕎麦屋では白人・英語圏の客は困る。なぜかというと、彼らは蕎麦を啜ると文句を言うからだ。以前、上野の籔で気分よろしく「もり」をズゾーッ……と啜ったとたん、隣の白人の女が聞こえよがしに「Ooops!……Headache,disgasting, Oh, Oh……No!」などとつぶやいて見せたことがあり、その時はせっかくの北海道・江丹別産の蕎麦が台無しに思えたことだった。あのなあ、蕎麦ってモンはなあ、ずぞぞぞーっ!!と啜るもんなんじゃい!!覚えとけ夷狄(いてき)めらが。

 その時の気分の悪さを思い出したのだが、そうはいうものの、こっちも別に、遠い国からわざわざやってきた見ず知らずの善良な相手に不愉快な思いをさせて喜びたいわけではない。相手にもうまい物を食って喜ぶ権利があるのだ。そんなコッチの葛藤など知ってか知らずか、隣の白人夫婦はまことに旨そうに釜揚げうどんや蕎麦寿司を食っており、静かそのものであって音なんかもちろん立てるわけではない。それに、神田「やぶ」で蕎麦寿司と菊正宗をオーダーするとは、なかなか趣味のいい白人じゃあないかい。

 ぬぅ……。しかたがない。

 その白人夫婦に気をつかい、あの濃いそばつゆで、名店・かんだ「やぶ」の、あの蕎麦を、無音でちるちる~……と一枚食った私である。

 ああ、こういう、なんだか胸につかえる食い方を強制されたような感じで、蕎麦を食った気がせず、無駄なお金を使ってしまったような気さえした。

 だが、まあ、しょうがない。白人夫婦も行儀のよい知らない日本人のオッサンの隣席で、気分の悪い思いをせずにうまい蕎麦料理を楽しめて、よかったこっちゃ、感謝しやがれ。……コッチはなんだか胸糞悪いが。

 そんなことがあって、だが外に出ると、雨上がりで濃青(のうじょう)の空に、近づく台風の影響か、雲が速く飛び去って行くのがなんともすがすがしい。寝不足で、微醺(びくん)を帯びた五体にはなおさらである。

 なんとなく、隅田川のあたりの、回向院だとか、吾妻橋だとか、そういうところへ行って、「♪遠~く~ゥちぃ~らあちら明かりが揺れるぅ~ぅう~うううう~」と、三門博の一節(ひとふし)、有名な「唄入り観音経」でも唸りたいような、なんだかそういう気持ちになった。いつもならこれで、秋葉原から日比谷線に乗ってまっすぐ帰る。だが今日はなんとなく、JRのほうの改札を再び入り、浅草橋まで乗ってみた。浅草橋の駅は隅田川のすぐそばにあるのを思い出したからだ。

IMG_4184 川べりまで出てみると、繁華な両国の国技館のあたりがチラッと見え、川向うには東京スカイツリーがそびえている。面白そうだなあ、と思ってそっちのほうへ歩いていく。屋形船や観光船が隅田川を上り下りしていて、大きなものの何艘かは接岸して(もや)われている。

 あんなに降っていたのに、嘘のようにケロリと晴れている。

 少し川上へ上って橋を渡り、国技館のあたりへ出てみた。ちゃんこ屋や相撲茶屋が並んでいて、なかなかそれらしい雰囲気だ。向うの方に大きな山門で「回向院」とある。

IMG_4189 山門の脇に立札があり、「旧蔵前国技館より前の、旧々両国国技館は回向院の境内にあり、1万3千人を収容できる壮大なドーム型の建物だったが、戦前戦後にかけて紆余曲折を()、戦後は取り壊された」という意味のことが書かれている。それとともに、「このすぐ後ろの、マンションの中庭に円形の枠取りがあるが、それが旧々国技館の土俵跡だ」みたいなことが書かれてあった。

 珍しいからそこへ行って写真を撮った。IMG_4187

 なるほど、舗装のデザインが少しずらされており、金属製の枠取りが丸くかたどってある。たしかに、相撲の土俵くらいの大きさだ。

 こういうものを、こういう形で保存した関係者の心を思う。昔を惜しみ、だが、新しい時代へ進んだ、という、そこのところだ。それが大事だ。

 写真の、土俵の丸い形がわかるだろうか。今は自転車置き場になってはいるが、丸く土俵をかたどってあるのだ。

IMG_4192 再び川べりへ出ると、さっき観光船が(もや)われてあったところに行き当たった。これは「水上バス」の乗り場だ。

 これはだいぶ前に聞いたことがあって、一度乗ってみたいものだと思っていたのだ。たしか、幕張とかお台場のあたりまで行く筈だ。

IMG_4203 チケットカウンターは乗り場のそばにあり、そこで聞くと、さきほど昼の便は出たばかりで、次の便は14時10分だという。お台場までいく便で、片道でもいいし、往復でこの乗り場に帰ってくることもできるという。片道なら1,130円、往復なら2,160千円だそうな。

IMG_4210 面白そうだから、近くのコンビニでポケット瓶を一本買い、往復チケットで両国まで戻ってくることにして、乗ってみた。

IMG_4214 船は空いていて、音声案内を適宜流しながら、まずゆっくりと浅草まで隅田川を上る。それから今度は引き返して下る。

 浅草に向かう間、それから引き返す間、例の「浅草ウンコ」やスカイツリーもよく見えて、楽しい。IMG_4205

 隅田川には沢山の橋がかかっているが、それらは江戸時代から同じ場所にかかっている橋もあり、逐次アナウンスしながら下っていく。

 「佃煮」で有名な佃島のあたり、佃大橋をくぐると、「佃煮と言うのは大阪の佃村から江戸へやってきた上方の人々の保存食で、もとは関西由来、今のように甘じょっぱく煮絡めるのではなく、塩茹でが元の姿であった」というようなアナウンスが流れてきて、おうおう、それそれ、ソレよ、と楽しい。

IMG_4248 松尾芭蕉ゆかりの地に建つ芭蕉記念館や、築地の卸売市場、勝鬨橋や浜離宮を通り、レインボーブリッジの下を通り抜ける。

 浜離宮の松林から下手を見ると、東京タワーがすっくと屹立している。スカイツリーの威容ももちろん堂々たる最新鋭だが、今となっては古色もゆかしくもの寂びてさえ見える東京タワーが、かえって確固たるものにも見えてこようではないか。IMG_4284

IMG_4264 お台場のフジテレビの社屋は、観光客、特に白人観光客には大ウケで、みな船の屋上へ飛び出して、「自撮り棒」を取り出しては写真撮影に余念なく、中にはこのクソ暑いのにニッチョリと抱き合ってディープキスをヌチョヌチョとぶちかましている連中もおり、まあ、しょうがないか、と。
 
IMG_4310 そうやってなにやら楽しく帰ってきたら、楽しいのもそのはずで、安バーボンのポケット瓶は、2時間ほどもあったものだから、すっかり空になってしまっているのだった。

 帰りは錦糸町あたりへ回ってもよかったが、通勤定期がもったいないので、両国からおとなしく秋葉原へ引き返す。

IMG_4315 バーボン・ウィスキーがほどよくまわって、ゲラゲラ笑い転げたいような気分で新越谷の駅を降りたら、忘れていた、今日は「南越谷阿波踊り」の初日で、大変な人出だ。私の住む越谷市は、地元名士の建設会社の社長が徳島出身とて、阿波踊りの普及に力を入れており、阿波踊りが非常に盛んなのである。

 帰宅してちょうど日暮れ時、まあ、眠さもあったが、ダラダラと脱力した、楽しい一日だった。