日曜日の宵

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 世間では日曜日の宵を「サザエさん症候群」とか「大河ドラマシンドローム」などと言って惜しむようだが、私はどちらも見る習慣がないから、あまり共感は覚えない。日曜日は早い目に風呂に入り、子供たちには「オイ、さっさとテレビを消せ。寝ろ」などと訓戒の一つも与え、明日の仕事の事でも考えながらさっさと寝るに限る。

 そんな折には慣れた寝酒の一杯もあれば、これほど幸せなこともない。

 無造作にハイボールを作ったら、どういう加減か、いつもより大変旨く、思わず妻に「かーちゃん、一口、ひとくち」と声をかける。飲ませてみたらやっぱり「うんうん、おいしいおいしい」と言う。

 いつものウィスキー、いつものソーダ、なんにも変わらないのに、何が違うのか、さっぱり謎だが、やっぱり旨いものは旨い。

阿呆(アホ)のような(いと)おしい日

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 とても梅雨などとは思えないような青い空が広がり、涼しくはないにもせよ、なにやら明るい気持ちにもなろうという一日だった。

 駅ナカのスターバックスでコーヒーを飲む。行きつけの床屋「ET」へ行き、美しい店長さんと雑談などしつつ、髪の毛をうんと短く刈り込んで貰う。それから図書館へ行って借り出していた本を返し、ついでに机に座り込んで行政書士の教科書を読み(ふけ)る。昼14時にもなってから電車で街中へ出る。昼めしを食わなければならないのだけれど、つい「磯丸水産」なんてところへ入ってしまう。もうなんだかどうでもよくなってきて、399円の(まぐろ)の刺し盛と同じく399円の酒を注文する。税金入れても千円しないのだから、安いものだ。昼酒で酔っ払って、帰りの電車に乗る。暑い日だが、電車は冷房が効いていて涼しい。Bluetoothのヘッドフォンを着けてお気に入りの音楽など聴いていると睡魔が襲ってきて、つい眠り込んでしまう。ハッと気づくと南栗橋なんていう、日常縁のない駅に着いており、慌てて反対側ホームへ行って引き返す。

 そんな、言う人に言わせれば馬鹿野郎とでも言われかねない、まったく阿呆(アホ)のような(いと)おしい土曜日であった。

保険の中断、っちゅーのが

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 ほほ~……。

 ……「中断」なんつー手続きがあるとは知らなんだ。私もアラフィフ、いずれ免許は返納にもなるであろうから、このこと、覚えておきたい。

川床(ゆか)

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禁煙裁判の判例

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 行政書士の資格の勉強をはじめた。定年退職後家族ともども食っていくため、就職のせめてもの便(よすが)に、と考えたのだ。

 教科書をとりよせ、おっかなびっくり、イロハのイから開き始める。

 行政書士と言うと代書代筆がお家芸だから、さまざまな公文書式などを沢山覚えるのだろう、と思っていたらさにあらずで、「まず手始めは憲法から」となっていて、法律や判例をよく勉強しなければならないことを知った。これは虚を()かれた思いがする。

 そうしたわけで、教科書のはじめはものものしく「憲法・基礎法学」となっている。憲法の解説とともにさまざまな最高裁判例などが例示されているのだ。世間の事に物慣れない私にとっては珍しく感じられる判例も多い。

 その中に、右の写真のようなのがあった。

 未決の犯罪人が「拘置所で煙草を吸わせろ。吸わせないのは人権蹂躙だ!」と訴え、最高裁まで行ったという判例だ。

 いや、まじめな教科書のことなのだから、それにどうこう言ったって仕方がない。そういう裁判があり、そういう判決が出た、それが事実なのである。法学上、基本的人権と言うものが日本でどのように(とら)えられているかという、人権に関するさまざまな事実や判例を粛々と()、学習する、ということだとは思う。

 また、無論の事に、こんなバカバカしい訴えなど、敗訴に決まってはいて、教科書にもそう書かれている。だって、泥棒か詐欺師かは知らないが、ブタ箱(正確には拘置所)に放り込まれているような手合いが「煙草を()わせろ」ってゴネ回ったんだぜ?煙草なんか()えるわけねぇだろ馬鹿野郎。我慢しろそんなもん。何が裁判だ。

 ところが、こんな「煙草()わせろ」なんてことを、公器である裁判所を使って、それも、下級裁判所から最高裁判所まで上げたのだ。大変な浪費であり、こんなことにとりあわなければならない裁判官も弁護士も、誠に御苦労なことだ。

 はっきり言って、バカな裁判だ。

 こんなバカな訴訟に、真面目で優秀な裁判官や職員が何十人、いや、ひょっとすると百人以上もかかずらわされて、その人件費も含めたらどれだけ浪費されたか見当もつかぬ。

 何かと事あるごとに、「政治家の給料を減らせ」だなどというが、だったらこんなバカな訴えを起こす奴に公金を使うな、一発ビンタでも張って大韓民国の陸軍か、北朝鮮の労働教化所へでも払い渡してしまえ、と言いたい。というか、こういう手合いのせいで、人類の最高傑作「基本的人権」が物笑いの種になり、矮小化・卑小化されてそれを見直せなどという論が(まか)り通りかねない。

ベルセルク39巻

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 私が20代から読んでいて、まだ終わっていない漫画に「ベルセルク」があるが、今月末、39巻が出るようだ。

 驚いた。

 もう出ないのかな、と思っていた。作者も長年続け過ぎて、疲れたのかな、と。

立待

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 今日は旧暦五月の立待月(十七夜)である。立待月は狭義には旧暦八月の十七夜のことで、仲秋の名月の二夜後だが、広義には普通の十七夜のことをこう呼んでもよい。

 気象庁から「梅雨入りらしい」という発表があったのは先週のことだが、暦の上の「入梅」は今日で、名実ともに梅雨入りしたと言えるだろう。

 それにしても雨が降らない。今のところ空梅雨らしい。一昨夜も昨夜も晴れて、夕方には月が綺麗だった。昨夕など気圧が下がったか、水の匂いがして風向きが変わり、遠雷が聞こえ、頭上に積乱雲が成長する気配すらあったが、結局私の周囲には雨は降らなかった。その後晴れて、暑い夜になった。

 こんな夕方には明るいうちに風呂をつかうにかぎる。

 さっさと汗を流したら、冷蔵庫から氷の塊を出してカチワリをたくさん作り、ウィスキーを飲むのが良い。飲み慣れたバランタイン、ひと瓶千円しない。風呂上がりに飲むなら、(つまみ)も水もいらないや。

 あちこちの植栽の、花皐月(さつき)のよっぽど遅咲きのものもそろそろ(しお)れた。少しすれば盛夏、ある意味また別れと出会いの季節である。

読書

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 吉村昭の「光る壁画」読み終わる。

 戦後まもなく、世界に先駆けて胃カメラを開発したのは他でもない日本人技術者たちと日本人医師であったことは知られているところだが、この作品はその開発にまつわるドラマを描いたものだ。

 胃カメラは、実話では東大附属病院の医師宇治達郎、高千穂光学工業(現オリンパス株式会社)の杉浦睦夫と深海正治らの手によって昭和25年に完成している。その歴史はオリンパス(株)のサイトにも詳しい。

 作品では実在のオリンパス株式会社を「オリオンカメラ株式会社」という架空の会社に、また開発の主要メンバーであった深見正治を曾根菊男という架空の人物にそれぞれ置き換えてある。作者は実在の深海正治氏の承諾を得た上で彼の境遇などをまったくのフィクションに作り直し、その視点から胃カメラの開発を描き出した。このことは作者による「あとがき」に簡単に断り書きが記されている。

 こうして一部をフィクションにしたことにより、物語が解りやすくなっているように感じられる。歴史を補完すべき作家の想像力がフィクションの部分に遺憾なく発揮されたのであろう。その結果として、読みやすくなっているように思う。読者としてはありがたいことだ。

 吉村昭作品と言うと淡々と冷静な中にも緊張感の緩むことがない作風が思い浮かぶ。この作品はそれだけでなく、敗戦後の屈辱をバネに、なんとか世界的なデカいことをやってやろうという男たちの夢のようなものや希望が生き生きと描き出されていて、読んで面白い。

 また技術的な試行錯誤も克明に描写されていて、興味深い。人間の口から入るような小さなカメラなど、一体どのようにして作ったらいいのか、主人公たちは皆目わからぬまま議論と検討を重ねるうち、ふと「胃の中は真っ暗闇だ」ということに気付く。真っ暗闇だということは、暗室と同じだということで、カメラを複雑・大型にする原因の一つ、シャッター機構や絞りの機構がまったく必要ない、ということだ。こうして露出はランプの発光時間で、絞りはランプの明るさで調整できることに主人公たちが気づくシーンは、この小説の中の名場面の一つだ。