読書

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 通勤電車の中の楽しみ、先日市立図書館南部分室で借りた岩波文庫の「日本の酒」をゆっくりと読み終わる。

 酒屋で時々見かける「山廃仕込み」というのがどういう意味か、今まで知らなかったのだが、この本で「山(おろし)廃止(もと)」というものを使った酒であるということを知った。

 「山卸」の山というのは蒸した米の山、これを櫂を使ってすりつぶす((おろ)す)ことを「山卸」という。これは、江戸時代までの米の精白度合いに限界があった頃は必須の工程であったらしいが、明治時代の精米方法の進歩につれて酒造の工程が合理化し、この「山卸」も廃止できるようになった。こうやって作られた(もと)を使用して仕込むのを、山卸廃止を略して「山廃仕込み」と言うのだそうである。

 続いて、さらに借りてある1冊を読み始める。同郷の先輩Hさんに教わった司馬遼太郎の「菜の花の沖」。全6巻中の第1巻だ。

 江戸時代の商人高田屋嘉兵衛の一代記で、かれこれ17年も前、NHKでドラマ化もされているものだという。竹中直人主演であるようだ。テレビをあまり見ないので、全然知らなかった。

竹取物語の味わい深いところ

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 まことに人間臭い描写の多い竹取物語である。

……かぐや姫の心ゆきはてゝ、ありつる歌の返し、

まことかと聞きて見つれば言のはを飾れる玉の枝にぞありける

と言ひて、玉の枝も返しつ。竹取の翁、さばかり語らひつるが、さすがに覺えて眠りをり。御子は、立つもはした、居るもはしたにて、ゐ給へり。日の暮ぬれば、すべり出給ひぬ。

 本当に、嘘や確認不足がバレて具合が悪くなってしまった人たちの狼狽する様が、今も昔も変わらずこのとおりであろうなあ、と感じさせ、納得もさせるほどによく出ている。

読書

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 一昨日、内田百閒(ひゃっけん)の「阿房列車」を読み終わった。

 巻末には、「雑俎(ざっそ)」と題して、本編に「ヒマラヤ山系君」として登場する百閒の門人、平山三郎氏本人の解説がついていて、それがまた面白かった。

 阿房列車全体も、ところどころ爆笑してしまうくらい面白かった。

 しかも、さすがは明治生まれの文人で、語彙(ボキャブラリ)が豊富だ。そのため、こちらの語彙も増えたように思う。

言葉「的皪(てきれき)と」

 「的皪(てきれき)と光る」という言葉が出てきた。

「阿房列車」(内田百閒集成1、筑摩書房、平成14年(2002)10月9日)p.365より

 こちらの障子を開けると、しんとした静けさの中に、杏子(あんず)の花が咲いている。花盛りの枝が、池の縁から乗り出して、音のしない雨の中に的皪(てきれき)と光った。

……というふうに使われていた。基本的に面白い本なのに、こういうところの描写がさりげなく光る。百閒の本領だと思う。

 「的」「皪」どちらの字も、「白い」「明るい」「鮮やか」という意味があり、「的皪」とは白く鮮やかに光る様子を言う。「的皪と光る」というふうに用いるわけだから、用言修飾ということで、副詞だ。

竹取物語

 阿房列車を読み終わってしまったので、他に何か読むものを、と思い、図書館へ行った。

 岩波の「竹取物語」が目についたので、それを借りた。文語体のものだ。その時、同じ書架で別の竹取物語も見つけた。川端康成による現代語訳で、河出書房から出ている。なんとなくそれも同時に借りた。

 川端康成訳のほうから読み始め、先ほど読み終わった。この本は物語より川端康成自身による解説の方が長い。丁寧な解説で、しかも川端康成の国文学に対する通天の程が(うかが)われる、相当に学問的なものだ。この本の目的はどちらかと言うとそっちのほうにあるのだろう。

 岩波の文語体の方を読み始める。

読書

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 今読み終わった「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」を図書館へ返しに行き、入れ替えに別のを借りる。

 同じ岩波の、先に読んだ「新訂 魏志倭人伝……」の続きの一冊、「新訂 旧唐書倭国日本伝・ 宋史日本伝・元史日本伝」。

 それから、なんとなく手に取った「知っておきたい日本の神様」。

 もう一冊は「そばと私」という題だ。これは、私が蕎麦屋に行くと季節ごとに貰って帰ってくる「季刊・新そば」という蕎麦業界のPR誌があるのだが、その中のエッセイの集成らしい。いつもこの「季刊・新そば」のエッセイは、各界の有名人が良い文章を載せているので好きなのだ。それをまとめた本があるとは知らなかったが、図書館の書架にこれを認めて、すぐ借り出した次第である。刊行も去年(平成27年(20016))の9月と新しく、本は文庫本ながら初版である。

読書

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 「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」、昼過ぎからの読書で読み終わってしまう。

 解説・()み下し文・現代語訳、付録として原文(百衲本(ひゃくどうぼん))の影印・日本書紀や高句麗広開土王(好太王)碑銘などをも含む参考文献・年表が収められている。

 面白いな、と思った点は、魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝の四書ともに共通して、

「倭には女が多いが、(みだ)らではなく、嫉妬(やきもち)をやかない。倭人は従順で、争いごとや訴え事が少なく、盗みも少ない。酒が好きで、長生きし、80歳や100歳になる者もいる」

……というような記述が見られることだ。

 残念な点がある。本書には参考文献として、日本書紀のうち「巻二十二 推古天皇」が全文引用で挙げられている。他方、日本書紀のほうでは「巻第九 神功皇后」の四十三年の条で魏志が参照されて記載されているのだが、これに関する考察や記載が全く見当たらない点である。戦後の学際は、戦前の皇国史観を嫌うあまりこのようになっているのではないかなどと感じてしまう。

 特に付録の影印などは興味深く、所有して資料としてとっておきたいが、図書館で借りたものなので、返さないと仕方がない。

雑感色々

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Atomospheric Lens

 こんな研究もあるんだな、はは~ん、と単純に感心。

 まあ、でも、気体をプラズマにするほどの高出力なレーザーの電源は、多分航空機には積めないんでしょうね。原子力発電所みたいなのを搭載しないと、多分ダメでしょう。

APA代表、やりおるのう

 ええぞ、もっとやれ、キシシシシシ……

 頑張れ頑張れ元谷~、フレーフレー右翼ぅ~っ!……てなもんである。私も無責任そのものだ。

 しかしまあ、スポーツ大会関係者などが「すんません、もうちょっと穏便になりませんか?」みたいなことをAPAホテルに申し入れた、なんてのは、まあ、大人としてはしょうがないんでしょうけどねえ。

ゴネて丸得、か?ケッ

 また「警察というのはデフォルトで『悪』だ!!」というような決めつけを人々に流布するような記事を見かけ、腹が立つ。

 読んでみたが、要するに、「疑いも間違いもなく信号無視をしたジジイが、ゴネまくって無用の裁判沙汰まで引き起こし、公器を混乱させた挙句、ゴネ得・逃げ得になった」という許せない話であって、警察が悪いという話じゃないじゃないか。

 ところが、世の中、こんなのをまた、そうだそうだ、悪いのは警察だ、警察が全部悪い、とばかり、溜飲下げつつ有り難がって読む人ばっかりなんだろうなあ、とウンザリする。

生活保護とジャンパーの件

 某市職員達がかなり前から生活保護不正受給を嫌うジャンパーやTシャツを作って着ていた。それが今頃になって叩かれている。

 まあ、無論、小田原市の職員も、言いたいことがあるんなら、もう少し考えて言いなよ、というところはある。

 しかし、私はネット一般の論調、すなわち「小田原市の職員は間違っている!謝れ!!」みたいな調子には反対だ。ただ、真向反対、というほどではない。どちらかというと反対、という程度だ。

 私費で買って着ていただけで、底辺職員の自発的な、ボトムから上がっていった運動のようなものであるように見受けられるところがある、というのも、一つだ。

 私費で何かをして悪いということなら、本来不党不偏であるべき地方公務員が、私費で赤旗新聞なんぞを半強制購読させられていることなどのほうがよっぽど悪い、というのも、もう一つ、まあ、ある。

 しかし、それよりも何よりも、このジャンパーには品がない。それがいけない。端的に言うと、私がツイッターにチョイと書いた、右のようなことが私の感想だ。

 「日本死ね」をOKとする人は、やはりこのジャンパー「保護なめんな」もOKとすべきだろう。

 逆に、「保護なめんな」をNGとする人は、「日本死ね」もNGとすべきだろう。

「何言ってんだこのオッサン。『日本死ね』は困っている一市民が言ったことで、『保護なめんな』は公僕が市民に向かって言ったんだぞ?!、発言の向きが根本的に違う、問題が違うわ!!」

……と言われそうだが、私が言っているのはそういうことではない。品がない、詩がない、知性もヘッタクレもない、そこのところなのだ。

昔話

 ある論評に違和感を持った。

 一口で言えば「イジメはいけない」という単純な一事を言っているだけなので、そのことには何の異存もない。大略、まったくその通りであり、私も大きく頷くばかりである。

 違和感と言うのは小さなことだ。

 この人は「昔(ばなし)」を取り上げて、

……退治された悪人(鬼)も、改心し反省すれば味方(子分)にするという寛容さがあった。『桃太郎』がその代表作であるのだが、絵本の中の鬼は悪行を働くときは正に鬼の形相だが、懲らしめられた後の子分として追従するときの顔はやたら柔和で仏の顔の如く変身している……

……としている。

 この部分について、「この人は、本当にリアルタイムで昔話を見聞したことがあるのだろうか」と感じたということが私の違和感だ。

 昔話の口承は、この人が桃太郎について言うような生(ぬる)いものではない。

 例えば、かちかち山の狸は婆さんを惨殺しただけではなく、死体をバラバラに凌断(りょうだん)し、これを煮て(むさぼ)り喰ったばかりでは(あきた)らず、自らは()ぎ取った婆さんの生皮を(かぶ)って変装し、(あまつさ)え爺さんに婆さんの肉を食わせるという地獄の悪鬼も逃げ出すだろうというほどの所業に出るわけだが、その報復に、放火されて大火傷(やけど)を負わされ、泣き叫ぶところに薬品(辛子味噌ですが)を塗り込められて悶絶し、大怪我で身動きもできなくなっているところを、最後には欠陥品の舟(泥船ですが)に強制乗船させられて溺死するのである。

 桃太郎の鬼どもは、乗り込んできた桃太郎に(ことごと)く惨殺され、金品をすべて略奪されて、あわれ鬼ヶ島は壊滅するのだ。

 猿蟹合戦の猿は、柿をぶつけて蟹の父を殺した報復に、火傷や怪我を負わされ、毒薬を注射され(蜂ですが)、臼に腰骨を砕かれて死んでしまう。

 つまり、

「狸に意地悪されたお婆さんのために、お爺さんと兎が狸をこらしめて注意し、狸が(あやま)ったので許してやり、その後は皆で仲良く暮らしました」

……だとか、

「降参した鬼たちは桃太郎の村に行って反省し、宝物を差し出したので、村の人たちは鬼を許し、皆末永く仲良く暮らしました」

……であるとか、

「猿は非を認めて謝ったので許してやり、皆で仲良くおむすびと柿を分け合って食べました」

……なんていうのは、実はこの30年ほどの間に捏造され改変された、いい加減で生(ぬる)い差し替えに過ぎないのである。これは、古い時代に民俗学者が聞き取って収集した昔話集成、例えば上掲の岩波文庫などを読めば、まことによく納得がいくことだ。

 昔話というのは、本来はゾッとするほど残酷なのだ。

 この部分については、論者の例えの引き方は、むしろ逆のほうが良かったのではないか。

「恐ろしい罪の観念、報復の恐怖、ひとたび犯した過ちの許されなさ、こういったものが、寛容な現代社会に生きる私たちには希薄になっていないか。「イジメをしようがどうしようが、嘘でも(あやま)っときゃ大人は許すワイ。『許すこと』は正義なんだから、ケッ」……などというなめた意識が悪い子供をイジメに走らせてはいないか。かつては昔話や、地獄の話が素朴な『(おそ)れ』の気持ちを子供たちに植え付け、それがブレーキになって弱い者いじめなどを思い(とど)まらせていたものだ。」

……というような論のほうが、昔話を引いてくるのには向いていると思う。

言葉
夷険一節(いけんいっせつ)

 上司からの部下への要望事項として、この言葉を掲げている人の話を見聞した。一体どこの爺さんかな、と思ったが、それがうら若い女性だったので、へえ、若いのによい言葉を知っているな、と思った。

 これは漢籍で、欧陽脩(おうようしゅう)の「相州昼錦堂記(そうしゅうちゅうきんどうき)」にある。

 大凡(おおよそ)これは、信念を()げない、というほどの意味と思えばよい。

 しかし、融通無碍(ゆうづうむげ)、状況に合わせて柔軟に、迅速に、男児三日見ざれば刮目(かつもく)してなんとやら、というような風がもて(はや)される昨今の世情にあって、よくうら若い女性がこれを掲げたな、と再度思うのである。(むし)天晴(あっぱれ)と言うべきか。
 

ウラがあるな

 例の「福島原発いじめ」のニュースだが……。

 ネット一般の批判は、「横浜教委はおかしい」と言っているふうに感じられる。

 しかし、私はこのネット一般の批判には反対だ。

 これには、多分、文字になっていない、報道されていないウラがある。それを視聴者読者が納得できる形にしてしまうと、たとえば個人情報やプライバシーの領域に触れてしまうため報道できない、とか、あるいは、被害者とされる側に何らかの事情があって、彼らをさらに追い込んでしまうことになってしまうからそれ以上の理由は発表や報道ができない、とか、何らかのさまざまな理由があるのではなかろうか。

 そういう制限された情報で「公務員、学校、教師、役所、警察官等が悪い、ってことにしとけばオッケー。彼らはデフォルトで極悪人集団だから」のような感想を持つのはやめたほうがよい。「こんなことするか、フツー……?」というようなニュースには、何かしら、ウラがあるのだ。

 自分自身がインサイダーであるニュースに接したことがある向きには、それがわかると思う。そういうニュースになったことがなければ、なった時にわかる。

 ま、これも仮定に過ぎませんがね。だいたい当たらずとも遠からずでしょうよ。

 例えば、こんな意見もある。

 この記事の2ページ目に「福岡教師いじめ事件」の顛末が参考として挙げられている。痛ましいことだ。ニュースだけで盛り上がるとこうなるからいけない。古い話だが、「松本サリン」だって、ニュースで盛り上がった人々によって、罪のない人がさんざんな目に遭った。それをよく思い出すべきだ。新聞やテレビなんてものは、そのことに関する責任を何も取らないのだ。謝罪記事だって隅っこの目立たないところに「すんませんでした(ケッ」みたいな吐き捨て気味の一行二行を載せるだけだ。そこを攻撃すると、「自由な報道が委縮する」だのなんだのと言って逃げるのだ。従軍慰安婦報道の朝日だってそうだしな。「百人斬り」報道の毎日だってそうだ。

空目

 「1月14日(土)」を1月14日(±(プラスマイナス))と空目してしまい、「なんだこりゃ、日にちに多少の前後があるってことか!?なんだ、こんないい加減な文書を起こしやがって……」などと憤慨しかけて、空目に気付く。憤慨しなくてよかった。

 老眼だ。

 もう、こりゃ、俺も老害の範疇だよなあ、これじゃ。

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

 引き続き。

 はしがきから、

 「歴史家のベネディクト・アンダーソンが、『想像の共同体』(白石隆他訳)のなかでこんなことを書いている。

 今世紀の大戦の異常さは、人々が類例のない規模で殺しあったということよりも、途方もない数の人々が自らの命を投げ出そうとしたことにある。

 つまり、「祖国のために死ぬこと」の「祖国」が途方もない規模に広がっていることに、アンダーソンは首をかしげているのだ。」

……と始まって、なかなかハナッからとばす。

 近代のナショナリズムに繋がる戦争史を支えたのは紛れもなく傭兵たちであったが、ところがこの男たちはナショナリズムとはまったく無縁の位置にいた。この男たちを追うことで近代のナショナリズムが解き明かせないか、というところから本書は書き起こされる。

 世界最古の職業は言うまでもなく売春であることは知る人ぞ知るが、その次に古いのは傭兵である。傭兵は世界で二番目に古い職業であることを本書は指摘する。

 ギリシャ、ローマの正規兵から、騎士団はだんだん傭兵化していく。時折挟み込まれる日本の事情も、遠く離れていながら実はヨーロッパの傭兵とそれほど変わらない。平家から始まる日本の武士たちも、ヨーロッパの傭兵団が略奪に精を出していたのと同じく、実は追剥(おいはぎ)や強盗を繰り返していた。

p.44

 ちょっとこれとは質が違うが、告発人と被告人が決闘で裁判の黒白をつける決闘裁判というのがある。イギリスではなんと、一八一九年まで合法とされていたこの決闘裁判ですら代理人を雇うことが多く見られた(『決闘裁判』山内進)。これも傭兵の一種と言っていいかもしれない。

 ついに分裂割拠の14世紀イタリアが、傭兵たちの大金脈となる。当初、最強の戦士集団として各地の戦場になくてはならなかったスイス傭兵団であったが、次第にドイツの「ランツクネヒト」傭兵団にその座を譲っていく。

 戦乱につぐ戦乱を経て、フランス革命、ナポレオン戦争へと時代が下るほどに、傭兵は国民軍に入れ替わっていく。

 だが、そのような時代に至ってもまだなお、傭兵は消えない。アメリカの独立戦争において、アメリカ側にフランスが援軍を差し向けたことは誰しも知るところだが、イギリス側にはドイツ諸領が多くの傭兵を金で売っていたことなどが記されている。

 現代のフランス外人部隊のことにわずかに触れたあたりで本書は終わる。本書は現代のナショナリズムを解き明かしているだろうか、と最後に著者は読者に問いかけている。

IT技術者の長寿と健康のために

 ツイッターのタイムラインだったか、FBのタイムラインだったか、どちらかで見たので、読んでみた。

 標題通りの本ではない。むしろ、医師であり、かつITプロフェッショナルであるという異色の人物をはじめとする専門家集団による面白い健康本、と見た方が良い。内容はIT技術者をターゲットにしてはいるが、それだけに限る話ではなく、非常に中正な健康と医学、成人病等に関する本である。著者の一人の、肥満や心筋梗塞の治療に関する挿話は、実体験だけに面白い。

 
 
 

郢書燕説(えいしょえんせつ)」等

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 「郢書燕説(えいしょえんせつ)」「箕子(きし)(うれい)」「守株待兎(しゅしゅたいと)」、これらすべて韓非子に記されるところだという。

徹夜明けふらりへろり

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 最近続いているパターンだが、今週末も金曜日から泊まり込みで徹夜仕事、土曜日の今朝(けさ)引けた。疲れた。まあ、大変だがこれで口を糊しているのだからしかたがない。稼ぎの分は働く。

 朝9時頃に「七里蹴ッ灰(けっぱい)……」くらいの荒涼たる気持ちで職場の門からまろび出て、帰途についた。秋色が濃い。天気は曇りで、陽光が散乱し、却って眩しい秋の朝だ。樹葉もそろそろ緑に倦み飽いているように見える。

 すっかり涼しくなった風の中を歩く。

 職場近くのスターバックスでコーヒーなど飲んでいるうち、せっかく国会図書館の近くにいるのだから、もう少し「太平記」でも読んでみようか、という気になる。

 無論、あの日本最長の古典文学を今日一日で全部は読めない。だが、国会図書館の活用法として、すばやく資料を調べる、ということがあるから、ひとつ、太平記全40巻、岩波文庫では全5巻だが、このなかから、もともと興味を持った()()けの、楠正成に関する記述の部分ばかり抜き出した目録でも作ってみようではないか。

 市ヶ谷の職場から国会図書館のある永田町までは3~4km程で、さほど遠くない。秋色など味わいつつ歩いても構わないが、どうせなら開館間もない午前9時半の()いているうちに入りたいから、有楽町線か南北線で(ふた)駅、地下鉄で行く。

角川俳句大歳時記でさえずり季題

 先日も書いたが、国会図書館はWiFi完備で、閲覧室ではコンセントも使える。

 そこで閲覧室の机にさっそく店をひろげていると、Twitterの俳句知り合いの@donsigeさんからリプライが来た。「来週の『さえずり季題』出題よろしく」とのことである。

 無論応諾、なんと都合のいい時に国会図書館に来ていることか。いつもは使っていない歳時記をここで借りて、そこから出題しよう、と思いつく。

 私が所有している歳時記は、角川の合本、それから同じく文庫、平凡社のポケット、他にノーブランドのものが一つ二つ、そんなものなのだが、今日は前から手元に欲しいなあと思いつつも高価だから手を出しかねている、あの浩瀚な「角川俳句大歳時記」の秋の巻を借り出して、そこから知らない季語を拾って出題しようではないか。

 さっそく借り出して捲ってみると、あるある。いろんな季語があるじゃあないのグフフフ、というわけで、その中から面白そうなのを選び、来週の出題を作った。

 来週の出題をお楽しみに、というところである。

太平記・楠正成登場の段の題目録

 さて本題の、今日国会図書館へ来た目的、標記のまとめをした。

 次のとおりである。


岩波第1巻

第三巻 笠木臨幸(かさぎりんこう)の事 1

第三巻 (くすのき)謀反(むほん)の事、(ならびに)桜山(さくらやま)謀反(むほん)の事 3

第三巻 赤坂(あかさか)(いくさ)の事、(おなじく)(しろ)()つること 8

第七巻 千剣破城(ちはやのじょう)(いくさ)の事 3

岩波第2巻

第九巻 千剣破城(ちはやのじょう)寄手(よせて)南都(なんと)に引く事 8

第十一巻 正成(まさしげ)兵庫(ひょうご)(まい)る事 5

第十五巻 (おな)じき二十七日京合戦(きょうかっせん)の事 7

第十五巻 (おな)じき三十日合戦(かっせん)の事 8

第十五巻 手島(てしま)(いくさ)の事 11

第十五巻 湊川(みなとがわ)合戦(かっせん)の事 12

岩波第3巻

第十六巻 正成(まさしげ)兵庫(ひょうご)下向(げこう)子息(しそく)遺訓(いくん)の事 7

第十六巻 尊氏(たかうじ)義貞(よしさだ)兵庫湊川(ひょうごみなとがわ)合戦(かっせん)の事 8

第十六巻 正成(まさしげ)討死(うちじに)の事 10

第十六巻 (かさ)ねて山門(さんもん)臨幸(りんこう)の事

第十六巻 正行(まさつら)(ちち)(くび)()悲哀(ひあい)の事 14


 多少漏れがあるかもしれないが、太平記には楠正成に関する記述がこれだけの段にわたって含まれていることがわかった。

 調べながら楠正成の人生を読み、いやもう、涙、涙。

東京・日本橋 室町砂場

 朝からそんなことで、徹夜明けの目をムリヤリ見開いて本なんか(めく)った。

 昼過ぎて腹も減ってきた。

img_4631 図書館を出て、いつもあまり気にしていない、ベンチに座っている銅像にからんでみたりなどする。

img_4635

 もう昼も遅い。そこで、今日はひとつ、前から行こうと思っていた、砂場御三家の一軒、「室町砂場」に行ってみようと思い立った。

 この木曜日にも代休で午後がヒマだったから、虎ノ門の砂場に行ったのだ。なんだか、毎回毎回蕎麦ばかり手繰って、我ながら好きだなあ、と思う。先週行った三ノ輪の砂場総本家を勘定に入れるなら、東京の砂場御三家はコンプリートということにもなろうか。

 室町砂場は日本橋に本店、赤坂にもう一軒支店がある。国会図書館のある永田町からなら、赤坂の方が歩いて行けるくらい近いのだが、室町砂場自体に行ったことがないので、今日はひとつ、半蔵門線に乗って日本橋まで行ってみようではないか。

 室町砂場の最寄駅は、神田か、三越前、あるいは大手町である。

 今日の場合、永田町から半蔵門線に乗れば、皇居の北ッかわをぐるりと回り、三越前までものの10分ほどで着く。

img_4648_tern 地下鉄「三越前」の駅の、「A10」という出口から、国道17号線に出られる。「室町砂場」までは歩いて3~4分もかからない。

 奥に坪庭、その左に別仕切りの小部屋、奥に入れ込みの座敷があり、テーブル席が十幾つか。せせこましくなく、ゆっくり座れる。

img_4641 今日も焼海苔に酒をたのむ。これは単純に好物だから。

 チョンと赤いものが乗った小鉢は通しもので、海月(くらげ)を梅肉で()えたものだ。塩気が効き過ぎず、紫蘇(しそ)のいい香りがして、海月はほどよい大きさと歯ごたえだ。飲もうと思えばこの小鉢だけで五合くらい飲んでしまえる気がする。店員さんに訊くと「これだけでお肴のご注文もできますよ」とのことであった。

 この肴と焼海苔、酒を交々(こもごも)やって、杯ひとつ分の酒が残った頃に(おもむ)ろに「もり」を一枚注文する。

img_4646 この店の蕎麦は白くて歯ごたえの良い「さらしな粉」で、つゆは濃いめ、まことに品のある、旨い蕎麦だ。

 薬味の葱は他所でよくあるようなビショビショしたものではなく、香りがよく、しかもシャキッとしていて旨い。栞を見ると、「当店の葱は千住の葱で、水で晒さないようにしています」という意味のことが書いてあって、なるほどと思った。

 テーブルに置かれている栞に、「当店は『たぬき』と『きつね』を置いておりません。それは、お客様を『ばかす』のもいかがなものかという考えからです」という意味のことが書いてあり、なかなか洒落が効いていて、いいなあ、と思った。

 東京屈指の綺麗な名店で気持ちよく一杯飲み、上等の蕎麦を手繰って、全部でちょうど1700円だから、これはそんなに高くない、実に楽しい飲み食いだと思う。

 火災に遭う前の連雀町「かんだやぶそば」、閉める前の上野「池の端藪蕎麦」、それから今も盛業の浅草「並木籔蕎麦」、それぞれ既に行った。

 つまり、これで、東京の蕎麦の名店のうち、籔・砂場と、コンプリートしたわけだ。次は麻布十番の更科(さらしな)、これは3店あると聞くが、この3店へ順番に行って見ようと思う。

 焼ける前の「かんだやぶそば」と、閉店した「池の端籔蕎麦」は、惜しいところでギリギリ滑り込みだったな、という気がする。先日池の端へ行った時、思いがけず重機で取り壊しているのを見て、愕然としたものだ。

道路原標

 微醺(びくん)を帯びて室町砂場を後にし、川沿いに日本橋のほうへ歩く。

 東京・日本橋の名物といえば、かの有名な「道路原標」というものがある。残念なことに、今までにこれを見たことがなかった。実は先日神田川クルーズに乗船してみた時に日本橋に来ていて、その時見れば良かったのだが、道路原標のことは全く念頭になく、すっかり忘れていた。

 この「道路原標」は、日本の道路里程はすべてここから測られるという原標で、日本橋の中央の道路表面に埋め込まれている。いつもは車がビュンビュン通るので、実物は遠目にしか見られない。観光客は橋の北詰めにある複製の道路原標を見学するのがならわしだ。

 ところが、今日日本橋まで来たそのとき、たまたま、日中にもかかわらず、信号の成り行きで自動車が日本橋上から一台もいなくなった。北の信号も南の信号も赤で、車が入ってこない。交通量は結構多かったのに、本当にたまたま、そういう瞬間が訪れた。

 今だ、というわけで、ゆっくりと日本橋の真ん中まで歩き、落ち着き払って、真正の「道路原標」を写真に収めることができた。これはラッキー。

img_4651 これがその写真である。

 

太平記読みたいけど、う~ん……

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 昨日思い付きで楠公(なんこう)像の前で記念写真など撮ったのだが、ふと連想して、「太平記」を読んでみたいなあ、などと思ったのだった。楠正成伝を辿りたいなら、なんと言っても、太平記でしょうからね。

 古典だから、青空文庫かどこかにフリーテキストでもないかな、と思ったのだが、意外に、ない。

太平記1ページ Kindleではバラ売りで1冊108円のがあるが、これがなんと国会図書館所蔵の写本をデジタル化したというしろもので、原典通り40巻もある上、写真の通り変体仮名のオンパレード、これでは不肖この私といえども読むのに倍も3倍も時間がかかってしまう。Kindle Unlimitedの会員なら30日間無料だというから、その間に全巻ダウンロードしちまう、というテがあるが、なにしろ、写本をそのままデジタル化したやつだからなあ……。

 岩波で出てないのかなと思って検索したら、なんと、岩波でも文庫化したのはやっと一昨年の春のことらしい。全6巻だそうだ。……そうすると、古本市場にも美本はまだまだ出ていなさそうだ。この前までの「千一夜物語」みたいに都合よく手に入らないかな、とチラリと頭をかすめたものの、こういう状況だから無理だろう。

 図書館で借りて読む、というのが、妥当なところかなあ……。しかし、手に入れて愛蔵したいのもやまやまだし、岩波の6巻モノを図書館通いで読めるほど暇でもないし。通勤電車で読むのが性に合っているが、図書館貸出の本を満員電車に持って入るとモミクチャになって傷めてしまうし。

 吉川英治の「私本太平記」は著作権切れで青空文庫入りしてるから、Kindleでも0円なんだが、どうも、原典のほうを読みたいんだよなあ……。

千一夜物語(13)

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 今年の正月前からずっと読み続けていた「千一夜物語」、今日ようやく13巻全部を読み終わった。通勤電車内で少しずつ読んでいたので、約7か月、月に2冊くらいのペースでゆっくりゆっくり読み進めてきたことになる。

 日本でも絵本や童話などの児童文学に翻案されて有名な「船乗りシンドバードの物語」「アラジンと魔法のランプの物語」「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」などはフルサイズで全部含まれる他、それこそ「数え切れないほどの……」知られていない物語がテンコ盛りだ。
IMG_3680

 上述の有名な話の他に、「教王(カリーファ)大臣(ワジール)御佩刀(みはかせ)持ち」の話が何度も出てくる。

 「教王」というのは、千年以上前のイスラム帝国──私などは若い頃、学校の歴史の授業でこれを「サラセン帝国」と習ったものだが、今はこの呼び名は「学問の欧州中心主義から来た蔑称である」とされるようになり、サラセン人とかサラセン帝国とは言わなくなったのだそうな──最盛期、アッバース朝第5代教王(カリーファ)ハールーン・アル・ラシード(最近の表記では『ハールーン・アッ=ラシード هارون الرشيد‎ ​ Hārūn al-Rashīd』だそうな)のことである。

 実は、この千一夜にわたる数え切れないほどの物語の全巻を通じて、それこそ最多登場回数ではないかと思えるのが、このハールーン・アル・ラシードなのだ。

 水戸黄門か、暴れん坊将軍かという具合に、大宰相のジャアファル・アル・バルマキーと御佩刀(みはかせ)持ちの宦官マスルールを助さん格さんよろしく左右に従え、変装して街を歩き回り、直接庶民とふれあい、ある時は不正を糺し、あるいは弱者を助け、あるいは珍しいことに驚嘆したりする。

 この最終巻では、そのハールーンがどのようにして教王位を継いだかが、シャハラザードから直接でなしに、シャハラザードが語る物語の中の登場人物の口を借り、話中話として語られる。

 そして、全13巻、千一夜にわたるこの浩瀚(こうかん)なアラビアの古譚集の最終巻の、それも最後に近く、唯一の実話ではないかと思われる一話が出てくる。それは、この3人の主従のうちの最も重要な人物、大臣(ワジール)ジャアファルが、一族もろとも滅ぼされる話である。

 実在の人物であるこのジャアファル・アル・バルマキーは、ディズニーアニメの「アラジン」にも、「大臣ジャファー」として名前が登場する。ディズニー映画では悪役として描かれているが、実際のジャアファルは洒脱で軽妙な性格であり、かつ、教王(カリーファ)ハールーン・アル・ラシードの忠実な家臣で、教王のなくてはならぬ右腕であった。
 
 ジャアファルは教王が最も信頼する臣下であったにもかかわらず、突如逆鱗に触れ、王命によりマスルールに首を()ねられる。のみならず、一族もろとも、親兄弟に至るまで滅ぼされてしまうのだ。バルマク家は大きな一族であったため、その処刑は1200人にも及んだという。このことは史実だが、千年以上も前の事なので、研究が進んだ今もその原因ははっきりとはわからないそうだ。この千一夜物語の中でも「原因には諸説がある」とされ、シャハラザードはいろいろな歴史家の説を引用し、この物語の決まり文句風に言えば「さあれ、アッラーのみが真実を知りたもう」として物語を置く。

 さて、最後にもう一度、この物語全体を振り返ってみよう。

 物語のスタートはよく知られるとおりだ。すなわち、妃の不貞と淫乱に怒り狂ったシャハリヤール王が、ついに暴王となりはて、治下の処女を差し出させては一夜(なぐさ)んだだけで殺してしまうようになる。ついに国の処女は大臣の二人の娘を残すのみとなってしまうが、この二人娘のうち、姉のシャハラザードは自ら父に申し出て、暴王のもとへと嫁ぐのである。

 シャハラザードは他の処女たちと同様、一夜で殺されると誰もが思った。

 しかし夜更け、シャハラザードは「せめて妹ドニアザードに今生の別れを告げたい」と王に乞う。王はこれを()れる。やってきた妹はせめて別れに、いつもの昔話を聞かせてください、と姉に頼む。姉は明日の処刑までの時間が許す限り妹に物語をしてやることにし、語りはじめたのが「商人と鬼神(イフリート)との物語」であった。ところが、物語の一番いいところ、途中で夜が明けてしまうのだ。隣で物語を聴いていた暴王シャハリヤールは、どうしても続きが知りたくなり、その日一日だけはシャハラザードの刎頸(ふんけい)を延ばす。

 だが、これは賢い姉妹の作戦なのであった。

 こうして、物語は千一夜にわたる「切れ場」の連続となり、シャハラザードは一夜一夜を生き延びる。また、こうして国中の処女が一日一日、命を救われる。

 この物語のスタート、ここまでのところはよく知られる。あまり知られていないのは、この枠物語の最後、「大団円(めでたしめでたし)」と題されているエンディングだ。それは次の通りである。

 千一夜にわたって物語を聞いた暴王は、物語の中に含まれる教訓や叡智、愛や善悪について聴き、学ぶうちに精神が熟し、寛仁で立派な王に変貌するのだ。そして、決してシャハラザードの命を奪うまいと誓うのだが、この約3年の間には、二人の間には長男と双子、合わせて3人の子供が生まれていたことが、この最終夜に明かされる。お産の間もシャハラザードは王に物語をし続けたのである。王はこの子供たちに、千一夜目にはじめて引き合わされて、感動のあまり涙にむせぶ。IMG_3918

 少女だった妹ドニアザードは大人の女になっており、これは同じく改心したシャハリヤール王の弟王に嫁ぐことになる。そして、弟王は感動して退位し、姉妹の父大臣はその代わりの隣国の国王となるのである。

 最終ページはデザインになっており(写真)、フェードアウトしていくかのように物語が結ばれる。