コスプレ馬鹿

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あっはっは、中国もこんなアホの存在を許すようになったんだなあ

 私は前からこの王毅って奴が嫌いだし、このことそのものの一件次第などはどうだっていいんだが、中国人にもこういう馬鹿がいるんだなあ、と思って笑ってしまった。

 日本人にも馬鹿はいて、例えば初詣の客でにぎわう神社の鳥居の前で「神はエホバのみである」みたいな、正気が疑われる布教をするキリスト教徒とか、もっと言えば、ナチス親衛隊の恰好をして終戦記念日の靖国神社周辺をうろつくという意味不明のドイツマニアなどがいるわけだが、そういう者にドイツ人がこれを知ったらどう思うかわかってンのかなどと言ってみたところで無駄だ。むしろ、そういうことが許される日本という国の自由さを(たた)えたほうが精神衛生には良い。

 さすがに、終戦記念日の靖国神社前で、太平洋戦争当時の米軍GIのコスプレをしたり中共の軍服コスプレをするような馬鹿は見かけないが、仮にそういうのがいたとしても、日本の場合「馬鹿な奴がいるなあ」で済んでしまう。せいぜい右翼に絡まれるくらいだろう。

 で、中国にもそれと同種の馬鹿がいるということで、なるほど、中国も相当自由な国になってきたなあ、と思うのである。ちょっと前だったら記事のように行政処分どころでは済まず、逮捕投獄は当然、下手をするとそれこそ射殺されたろう。

 いや、むしろ、中国の自由さをアピールするため、中国政府が馬鹿を放し飼いにしているのかも知れない、というふうに見ると、中共専制国家体制の盤石さが逆に恐ろしくもなるが……。

 よその国のことだから、こんなことどうだっていいっちゃあ、どうだっていいんだけどね。

飲酒で無免許だそうな

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 昨日書いた近所の事故の件、その後埼玉新聞に記事が出たようだ。

 無論、単なる交通違反にとどまらず、自動車運転処罰法違反で現行犯逮捕だという。

 パトカーが追跡を中断した後の事故で、その点、まず穏当な取り締まりだったと言える。これで無理な追跡が続けられていたとしたら、また「どうなってるんだ警察は」というようなスットコドッコイな批判に問題がすりかわったろう。まったく、警察もご苦労様なことである。

 40歳近いおっさんが無免許と言うのもなんだか情けないが、多分最初からではなくて、取り消しか何かになったのだろう。しかも朝っぱらから飲酒運転、迷惑千万なことだ。

 巻き込まれてマンションの植栽に突っ込んだトラックの運転手の方にお見舞いを申し上げたい。

ハハ、俺でもそうする

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 へぇ~、……まあ、そりゃあ、そうだろうなあ、という感想。

 そりゃ、そうだろ。私がプーチンだったら、こういうふうにするよ、ロシアのために。東側が東側と手に手を取るのなんて、そんなの当たり前だろ。

 いやもう、最近、頭の悪い右翼の私でさえもが、産経新聞にすら辟易してきた。産経も読売も朝日も毎日も日経も、全部どうでもよくなってきた。

 マスコミなんてどいつもこいつも全部一緒だ。馬鹿馬鹿しいからネットで読むのすらやめてしまおうかしらん。

「見て歩く」、って、バカにしてんのか(笑)

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 記事の内容には何も文句はなく、事実を淡々と伝えているだけなので、毎日にしては良いと思うくらいである。

 ただ、写真のキャプションが気に入らない。将官が「巡閲」か、「観閲」か、「観兵」か「閲兵」をしている写真なのだが、言うに事欠いて

「各国の参加兵士を見て歩くハリス米太平洋軍司令官」

……て、まあ、ほんと、軍隊ってものをバカにしてるよ。なんだよ「見て歩く」て。見世物見物じゃねんだからさ。

 もう、そういう言葉が、引き出しに入ってないんだろうねえ。

 新聞記者ってものは一般に「頭のいい人」がなるものなんだが、もう、これ、「お利巧馬鹿」以外の何物でもないわ。学校の先生が読みなさいと言う本を読んで育ってきたものだから、学校で教える以外の言葉は頭の中に入ってすらいないわけだよ。

 ……まあ、本人は責められんわな。犯罪人を論じるのに「社会が悪い」とばかり言うのは納得がいかないが、良い子であるはずの新聞記者がおかしいのは、これは社会が悪い。教育も悪い。バカだけでなく、頭のいい人も悪い教育と悪い社会にレイプされるわけだ。

ルビ

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 大島理森(ただもり)衆議院議長の名前の読みを何度確かめてもすぐ忘れてしまう。「さともり」だったっけ……?などと変な風に忘れてしまっては、ググッて「ただもり」だと思い出す。

 恥ずかしながら不肖・佐藤、人様と比べてそれほど文字や漢字に弱いわけではない。しかし、読めない。

 この原因は私にはわかっていて、それは私が「テレビを見ないから」である。人名が耳から音で入ってきていないので、文字を見てもわからないし、すぐに忘れてしまうのだ。

 戦前などは識字教育のためもあって、活字メディアには盛んに「ルビ」が振られており、人名もその対象であって、読み間違いというのは起こりにくかったそうであるが、戦後、「『ルビ』なぞというものは日本人を愚民化する」というような理屈で、あまり行われなくなってしまったそうである。また、メディアの側に「新聞や雑誌で有名人の名前にわざわざルビなんか振らなくたって、テレビで声に出して読んでるんだから、アホでもわかるでしょ?」というような意識もあるのではないかと勘繰(かんぐ)ってしまうのも、無理はなかろう。

 しかし、これからはまた事情が変わる。なぜって、「DQN(キラキラ)ネーム」全盛の時代になったからだ。新聞や雑誌は、ルビを励行しないと、人名が人名として通用しなくなってしまう恐れが多分にある。

 国会議員などの貴顕の人士にも、立候補可能な以上は20代30代という人も当然おり、私に言わせればだが、DQNネームっぽい名前の人も既に多い。新聞社や出版社は、こういう人の名には失礼のないように是非ともルビを振って貰いたい。……って、新聞買ってない私がいうのも無責任ですが。

Twitterは最善ではないが、マシだと思う

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 う~ん?これは、こんなふうに伝えるアメリカの新聞やテレビ、あるいはアメリカの新聞やテレビがそう伝えていないのだとすればこんなことを言うNHKの方がおかしいんじゃないか?

 ワケのわからんヘンな記者が思うさま捻じ曲げた嘘記事を読まされたり、自称ジャーナリストのテレビタレントが都合の悪いところを端折り、都合のいいところばかり切り取って伝えるニュース紛いなんか見せられるより、本人の直接ツイートでも見た方が、よっぽどましなんじゃないか?新聞やテレビに「コイツの言っていることは間違っていますよ」と教えられるより、直接本人のツイートでも見て、「あ、コイツの言ってることは間違ってるな」と自分で思った方がよっぽどいい。そのほうが新しいと思うけどなァ。

 発信側の政治家にしたって、そうしたほうがよっぽど国民とインタラクティブに交われるのと違うか?ドナルド・トランプはウソばっかり報道されて足を引っ張られたから、新聞やテレビを全然信用してないんだろうし。

 「つぶやくなーッ!」って言うのが一般の人だったらいいんだけど、新聞やテレビが「つぶやくなーッ!」はないと思うんだよな。お前ら、呟くより前に取材してちゃんと書けよ載せろよ、と。だいたい、そういう本来の仕事をしてないから、お前らが書いたり撮ったりする前に呟いてしまうんじゃないの?

 まあ、何年か先、日本もこうなるワケだよ。

おっさん勃然ボヤキ文字列

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こんなアホな投票あるかい(笑)

 あほかい。

 こんな、いかにも「教員そのもの」の男が、大学の構内のこういう所にこんなデカい看板持って立っててだな、ボードにシール貼らせる式の公開投票なんかしてみろ、こんなところでこんなこと聞くような男なんざ、「軍事研究断固反対」の活動家だって顔に書いてあるようなモンじゃねえか。

 そんな男が通行する学生に向かってだな、「オイッ!投票しろ!」なんて睨みつけながら迫ったら、そりゃ、学生は単位欲しいんだし、いい点数付けてほしいんだから、「はいいいいっ!軍事研究反対に投票しますっ!」って、ソッチにシール貼るに決まってるだろ。教員なんて公権力みたいなもんで、それで言えば教員と学生は、いわば「権力関係」にあるんだからさ。

 こんな不公平、不誠実な投票なんかあるもんかい、北朝鮮の選挙じゃあるまいし。

今上(きんじょう)陛下」か、あるいはせめて「今上天皇」と言えんのか、また「譲位」と言えんのか

 「退位」という言葉については、まあ、この前の「譲位という言葉には『譲る』という天皇陛下の能動的な意思が含まれ、政治への容喙という憲法違反の恐れがあるから云々」という屁理屈を百歩譲って聞きおくにしても、「今の陛下」とはなんだ、「今の陛下」とは。不敬だこんなものは。断固不可だ。今上(きんじょう)陛下と書け。

オスプレイ墜落の取り上げ方も気に入らぬ

 オスプレイが沖縄で墜落した。

 まるで「鬼の首でもとったような……」「祭りだワッショイ」のような、不謹慎なマスコミの騒ぎっぷりに腹が立つ。

 私としては、負傷した搭乗員の一日も早い回復を祈るとともに、今後の軍務に支障が出ないよう、心ばかりながら見舞いを申し上げ、同時に、一般の無辜(むこ)の沖縄県民の驚きと不安にも見舞いを申し上げたい。

 操縦者は傷ついた機体を巧みに操縦し、冷静な判断の上で真夜中の海上に機体を落下させた。無論、意図せざることとはいえ、空中給油モジュールをプロペラにひっかけたのは操縦者の責任だ。だがしかし、機体の無残な壊れ方から、正常な機動は極めて困難であったことは素人にも想像がつく。不幸中の幸い、操縦者の卓越した技術により絶妙な地点に落下し、2名の重傷者は出たものの、それでも全員命はあった。いわんや、沖縄県民に被害を出さなかったことは本当に良かった。

 彼ら搭乗員は、遊んでいたのではない。なんのため、誰のために深夜の空中給油という困難な技術を要求される仕事をしていたのか。アメリカに故郷と家族のある者、大の大人が、それを、何のため、どこの上空でしていたのか。それは、誰のためなのか。なぜ今なのか。そんなことをなぜする必要があるのか。

 クリスマスだのハロウィンだの、そんなキリスト教行事に浮かれる私たち日本人には、少し考えればわかることだ。たとえそれが自ら願ったことではないにもせよ……。

 もとより、合理的なアメリカ人はしなくていいことなんかしない。危険を冒す必要も、アメリカ人が金を払う必要もさらさらない。だが、それをしなければならなかった。

 それを日本中のメディアが(こぞ)ってボロカスに言うのは、あまりにも品がなさすぎ、残念である。

 しかし、沖縄の副知事と面談したニコルソン中将も、まんまと副知事の挑発に引っ掛かってしまった。これは痛い。ここは腹が立ってもグッと我慢するべきだった。

 ニコルソン中将が顔をゆがめて反駁(はんばく)する写真ばかりが、これでもかというようにクローズアップされている。気の毒である。

 つまり、この安慶田(あげだ)という副知事は、ヘリパッド工事を警備する警察官から「土人」「支那人」などという暴言を引き出すのに成功した例の活動家連中と同じなのだ。安慶田氏の立場になれば、「してやったり」というところで、嬉しくて仕方がないだろう。

 いくら武闘派、軍人中の軍人である海兵隊中将と言ったって、中将と言う極官にある者が、しかも元来は明るく楽天的なアメリカ人が、ちょっとやそっとのことで激怒なんかするものか。おそらく、この一部始終を報じる新聞記事には、意図的に削除された行間がある筈だ。安慶田副知事の口汚く狡猾な挑発について全ては書かれていないということが、この前の「土人」事件の一連の報道から容易に想像することができるのだ。

 さればこそ、……。オスプレイの搭乗員を庇う発言が、日本側から出る前にニコルソン中将から出てしまったのは、なんとしても惜しかった。

 ニコルソン中将は、部下を()べる責任者として、更に言うなら恤兵(じゅっぺい)を天与の義務として負う将校、アメリカ国民から兵という大切な命を預かっている士官として、至極(しごく)普通の気持ちを持っていたと想像されるだけに、惜しかった。

 ニコルソン中将にしても、かの「ディベート」などという、品のない文化(まか)り通るアメリカに生まれ育った生粋のアメリカ軍人だから、「ここは断固抗議して見せるのが正義である」と判断したのかもしれない。日本ではボロカスに書き立てられるが、こんなふうに書き立てている日本のマスコミは、米国では冷笑・憫笑(びんしょう)をもって無視されていることだろう。

 更に書きつのるなら、「やはり普天間(ふてんま)の住宅地の直上でこういうことが起こってはいかん。危険を取り去るためにも、すぐ辺野古(へのこ)へ移転しよう」となるのが素直(そっちょく)流露(りゅうろ)だと思うのだが、沖縄の活動家は全く逆に

「辺野古移転絶対反対普天間死守闘争断固完遂猛進激烈突撃激昂玉砕!!」

……みたいな、なんで、どうしてそうなンのよ、という、もう()(ほぐ)すことなど絶対不可能という状況にあるのが、実に恥ずかしくて仕方がない。

 うっすらと感じるのは、沖縄県民一般も勿論、沖縄をネタに活動する思想家の急先鋒も、自分たちが何をどうしたいのか、どういう生活を得たいのか、さっぱり(わか)らなくなっているのであろう、ということだ。

主要新聞各社の天皇陛下崩御・皇后陛下崩御・皇太后陛下崩御・皇族方薨去等時の用語

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 以前、天皇陛下や皇族方に関する報道の、敬称の用い方がどうも気に入らなかったり、畏れ多きことながら、お隠れ遊ばされた場合の新聞各社の用語が気に入らない、不敬なのではないか、なんてことをこのブログに書いた。

 しかし、ふと思った。確かに、昔はどの新聞も「崩御(ほうぎょ)」「薨御(こうぎょ)」「薨去(こうきょ)」「逝去」「死去」「死亡」などの語はきちんと使い分けられていたように思うのだが、はて、それを見たのか、というと、どうも、なんだか記憶が怪しい。いつどの記事で見たのか、と言われると、見たことがないような気もするのだ。

 そこで、天皇陛下・皇后陛下・皇族方を判る限りリストアップし、その表を携えて図書館へ行った。有名な新聞(朝日・毎日・読売・日経・産経の5紙)について、遡れるだけ遡って、お隠れになった際にどの用語で報道されているかを調べた。

 私が見つけることのできたもののうち、最も古い報道は明治41年の山階宮(やましなのみや)菊麿(きくまろ)王殿下の薨去だ。逆に、最も近いのは、去る10月の三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下の薨去である。この間の、33方の記事を調べることができた。

 その結果は次のとおりである。

(産経は歴史が浅いので、昭和13年より前の記事はない)

 調べた結果から、興味深いことが分かる。

 日本の右翼新聞というと「産経」で間違いないところだ。産経は先日三笠宮殿下が薨去された時も「薨去」と報道した。ところが、実は産経がこう書いたのは、平成26年に薨去された桂宮殿下の時だけなのだ。

 桂宮殿下薨去より前は、産経も他紙と同じように、天皇陛下・皇后陛下を除き、「ご逝去」か「逝去」と報道していたことがわかる。終戦間際の閑院宮(かんいんのみや)殿下の報道がわずかに「薨去」とあるのみで、それ以前の、産経の前身である「日本工業新聞」時代には、皇族方薨去に関する記事そのものがない。それは、機械の生産高や経済指標等のみを報道する専門紙に近い新聞だったからである。

 朝日・毎日・読売・日経はどれもこれも左翼新聞だが、戦後、昭和21年に薨去された伏見宮博恭(ひろやす)王殿下までは全紙が「薨去」と書き、昭和22年に薨去された閑院宮載仁(ことひと)親王妃智恵子殿下の時は毎日が、昭和28年に薨去された秩父宮殿下の時には読売が、それぞれ「薨去」と書いている。

 それ以降は多くのいわゆる旧皇族方が皇籍を離脱され、報道そのものがないか、臣籍降下後の姓名で報道されていることもあって、薨去という用語は見られない。

 戦前は、記事のない産経新聞を除いて、全部が基本的に「薨去」を用いている。天皇陛下・皇太后陛下・皇后陛下については、昭和26年の貞明皇后崩御時に朝日新聞が「御逝去」と報道している他は、言うまでもなくすべての陛下に「崩御」が用いられている。唯一変わっているのは、北白川宮永久王殿下は戦死されているため、各紙の記事も「戦死遊ばさる」等の表現になっていることだろうか。

 ここから言えることは、右翼新聞を()って成る「産経」も、それほど昔から首尾一貫はしていなかった、ということだろう。

 また、昭和41年生まれの私は、新聞記事で「薨去」という言葉を見たことがない、ということも明らかなことだ。

 だがしかし、それなのに、である。私は「薨去」という言葉を見て育ったような気がするのだ。なぜだろう。

 これは、おそらく周りの大人が「薨去」「崩御」という言葉を使っていたこと、また、特に父母などは「昔やったら、天皇陛下が亡くなりはったら『崩御』、皇族方は『薨去』と書いたもんやった」などと普段から言っていたから、それを聞いて育った私は新聞で見たように思い込んでいたのだと思う。

 私は、「薨去」等の言葉を知らない人なんて少数派で、単に「ものを知らんだけだろう」と思っていた。だが、上述の調査の結果、それは実は誤りだ、ということも分かった。

 昭和28年に秩父宮殿下が薨去されてから62年間、「薨去」と言う言葉は、産経が2回使った他は、新聞では使われていないのだ。したがって、今50歳の私は、生まれてからこのかた「薨去」という言葉を新聞で見たことなど、(ほとん)どない(はず)なのだ。

 新聞という大メディアに載らない言葉を、普通の人が知っているわけはないのであり、「薨去」という言葉を知らないからと言って「もの知らず」ということにはならない。反面、だからと言ってもの知りということにもならないことは自明だ。それら諸々(もろもろ)を考慮すると、薨去という言葉を知らない人は「普通の人」だということになるだろう。

 但し、新聞では使われていないが、公的機関の発表等は厳格に「薨去」が使われている。

こんなこと日本でもマネするよ

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 「トランプ・ショック」なんぞと言って他人事みたいに愛でている場合ではないように思う。

 私は特定分野のITに関係して長年過ごしてきたが、かつては「アメリカから10年遅れ」などと言ったものだ。アメリカの流行やトレンドを、だいたい10年くらいのタイムラグで日本でも真似しはじめるのだ。なぜ真似するかというと、所詮、アメリカ人の言う「猿」だからだ。

 だからかつてはラクなもので、アメリカの事情をウォッチして、あらかじめ準備しておくと日本でもドンピシャと当たりがとれ、予言めいた不気味さを醸し出してカリスマ扱いされることも可能だったのだ。テレビ番組なんて、ほとんどアメリカの番組の真似だったことを思い出すと良い。

 さすがに、ITについては技術の進歩が早いし、企業の追随も切迫感があるからそんな悠長なことはなく、その遅れ方はあるいは5年であったり3年であったりもした。しかし、技術趨勢よりもゆっくりした、制度とか仕組みとか空気感というのが染みわたってくるのには10年くらいかかっていた。「AIDS蔓延の空気感・文化感のタイムラグ」と言うと、お分かりいただけると思う。

 だが、今は違う。何時(いつ)頃からだったか、そんな時間感覚も、10年が7年に縮まり、7年は5年に、5年は3年に縮まった。

 言おう、大方の米メディアの言い分、「トランプ落とせ」キャンペーンにも関わらず、トランプ氏は当選した。だから、数年後、日本でも同じことが起こる。

 朝日、毎日、あるいは各テレビ業者あたりが総力を挙げて「こんなクズが政治家になっていいのか!?」とキャンペーンをするであろう過激政治家が、日本でも選ばれる。なぜって、日本はアメリカの真似をする国だからだ。腹立たしいことに、アイツらの言う猿にすぎないから、我々はそういうふうに行動する。

 新聞屋さんもテレビ屋さんも、その時に焼き捨てられ排撃されないよう、意見を交えず、真実をありのままに伝えるように努めたほうが、「食っていける」と思う。

糞味噌一緒くたに「可能性」

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 こういう記事を見るたびに思うのは、記者にもう少し日本語センスを磨いてほしいということである。

 「誤爆の可能性が高い」という一節があるのだが、これが二つの点でだめだ。

 一つ目は、前後の文脈から過去の事だとは判るものの、この部分だけを読むと、「将来誤爆をしてしまう可能性が高い」というふうにも読めてしまい、過去・未来が判然としない、ということだ。

 二つ目は、「可能性」という言葉を何にでも連発するのはよくない、ということだ。記者の語彙が平板なのか、台風が来るのもオリンピックでメダルが取れそうなのも、糞味噌一緒くた、全部「可能性」と書き捨てて澄ましているのは如何なものか。

 「可能」という言葉は「(あと)()く」あるいは「(あと)()かりき」ことであって、前進的、積極的な事象に用いた方がよい言葉である。従って、可能性という言葉は「受験に合格する可能性が高い」などというふうに使うのが良い。

 上掲の記事の場合、戦争、爆撃、しかも「誤爆」という痛ましい事故で無辜の民が死んでいるのに「可能性」とは何だ、と言われかねないだろう。こういう場合は「おそれ」や「疑い」という言葉を選ぶのが良いと思われる。

 例えば、この場合は、未来過去をはっきりさせることと、いたむ気持ちを書き表すこと、また米軍当局の公式見解が調査中であることなど、それぞれを含み置いて、

「誤爆であった疑いがある」「誤爆の疑いがある」「誤爆した疑いがある」

……等と書くのが良いと思う。