皇居一般参賀~靖国神社

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 畏きあたりにおかせられては御高齢であり、夏には玉音放送を(かたじけの)うされたことを受けて政府も真剣に御譲位に関する議論を進めつつある。

 私如き(しづ)の者が御光顔を拝すには、もはや今年をおいて他はないような気持ちが沸々と盛り上がってきたので、意を決し、妻ともども新年の一般参賀へ行った。

皇居正門へ陸続と詰めかける人々

 9時に家を出、東京駅丸の内中央口に10時過ぎ頃到着、10時12、3分頃には二重橋前広場に到着した。参賀は午前・午後を通じて5回行われるが、午前中3回目、11時50分からの、宮様方も多くお出ましになる回を期待して行列の端に取り付いた。

 団体のボランティアや自衛官などが日の丸の小旗を参賀客に次々に配っているのを貰う。

 新年の恒例で、皇宮(こうぐう)警察官が古式ゆかしく騎乗で警備にあたっており、人々の撮影モデルになって話題をふりまいている。

 見渡す限りの人、人、人。新年の外出と言うと、以前、成田山新勝寺の大伽藍前をこれでもかと埋め尽くす人の波に唖然としたことがあるが、今日はそれを凌ぐ。

 さすがは日本一人気のあるお方である。

 人の波、押すな押すなの大雑踏は、一般参賀会場の長和殿前で最高潮となる。

 たまたま時間的に狙い通りドンピシャだったので、天皇皇后両陛下御来臨に加え、皇太子皇太子妃両殿下、秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃殿下、眞子内親王殿下・佳子内親王殿下御姉妹が群衆の参賀に応えらた。天皇陛下におかせられては、人々の平安を祈る旨、御聖旨を下し遊ばされた。

 人々は歓呼し、日の丸の小旗を打ち振って聖寿(とこしえ)ならんことを祈った。

 陛下のお姿を拝するや、右翼の私は感が極まり、「天皇陛下万歳」「皇后陛下万歳」「皇太子殿下万歳」……と、喉笛も裂けよと絶叫を繰り返していたところ、鮨詰めで押すな押すなであったにもかかわらず、私の周りだけ10センチぐらい人が引いていった。これはおそらく、私のような愛国者からは、天皇陛下への強い思慕が全身から溢れ出ているため、周囲の人間には触れがたい聖性として現れ出で、人をして控えしめたものと考えられる。(いや、わかってますって、声が大きいからドン引きされただけですよ(笑)。)しかし、「眞子内親王殿下万歳、佳子内親王殿下万歳、宮様万歳」と叫んだ途端、周囲からクスッと笑いが漏れたというのは、うーん、わからん。たぶん、内親王御姉妹に不逞の親しみを抱いている「美少女オタク」だと思われたのかもしれない。

 面白かったのが、朝鮮語・中国語がそこかしこに聞こえたことである。(ヤッコ)さんたち、嬉々として日の丸を打ち振りつつ、天皇陛下に参賀の気持ちを送っているのだ。……ワカラン。アンタら、日本なんか、とりわけ皇室なんか、大嫌いなんじゃないの。うーん。しかし、現実にはこういう人たちが沢山いる、ということで、多分、これは新聞やテレビが、「中国人や朝鮮人は日本人を嫌っている」という嘘を人々に吹き込んでいるのであろう。恐らく、悪の外国政府による洗脳であり、謀略だ。

 外国人と言うと、白人も多かったが、「ヒジャブ」で正装したイスラム教徒の女の人が沢山いたことにも少し驚いた。こうした外国人たちが挙って日本のシンボルを参賀してくれるのは、まことに結構なことだ。しかし、こちらはいいんですが、皆さん、「日本神道の神主の別格大親分」でもあらせられる天皇陛下を参賀しても、イスラム教のバチは当たらないんですかね……。逆に心配してしまった。イスラム教もキリスト教も、異教に厳しいからねえ。いや、こっちはいいんですがね。

GPSトラックによる本日の歩行経路

 その後、参賀客は坂下門、桔梗門、乾門の3か所の出口からそれぞれ退出するが、めったに宮城域内に参入することはないこととて、一番遠い乾門、武道館の方へ出る門まで歩いた。

 スマホでGPSトラックを取っておいたのだが、結構な距離である。

 折角皇居の北側に来たのだから、初詣は靖国神社にしよう、と一決する。今上陛下を寿いだのであるから、明治天皇を寿ぎに明治神宮へ行く、という選択肢もあったが、ここは靖国神社にしたわけである。

 由来、天皇陛下は神道の別格宗主のようなお立場である。さもあろう、ごく簡単な言い方をすれば、天皇陛下は日本の神社の根本的本尊、日本国民の総氏神(うじがみ)天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫であるので、宮中三殿において今も連綿2千6百有余年にわたって伝えられる神事をつかさどっておられるわけである。ごく最近、戦後になってから、天皇陛下の政治的に微妙な立場もこれあり、祭祀は皇室の私的事項というふうな位置づけになったものの、それはわずかにここ数十年のことであって、微細な変化に過ぎない。

 その天皇陛下を参賀してきたのだから、これはもう、霊験あらたかなんてものではなかろう。

靖国神社の境内を埋め尽くす人々

 一方、靖国神社の御祭神は少し違っている。祀られているのは護国の鬼、英霊であって、かつては天皇陛下ですら御親拝をされていたという別格の神々である。別格であるからには、ここを素通りはできないのである。天皇陛下を仰いで、それから靖国神社へ詣でると言う事は大いに意義があることなのだ。

 行ってびっくり、驚いた。今年もすんごい人、人。2時間ばかりも並んだろうか。どうしたわけか最近の靖国神社は、みたままつりや正月にも露店を集めなくなってしまったので、賑わいもそこそこなのかな、と思いきやさにあらず。初詣に来る人も非常に多い。

 英霊安らかに鎮みたまえ、と、それのみ念じ祈った。

 だいぶ歩いて疲れたが、帰りに上野に寄り、近所知己へのお遣い物を買って帰る。


参考サイト

ちょっと人の意見を聞いてみる。

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 どうも、新聞やテレビの書きっぷりが間違っていると思うので、アンケートなどをしてみることにした。

 と言っても、ここでn=50だの100だのの母数が得られても、有意であるとは言えないとは思いますが。

靖国神社参拝は

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 誠に恐懼のことながら。

 靖国神社へ先帝陛下の御親拝がなくなったのは、たしか昭和51年の事であったか。

 この年、私は10歳で、毛沢東や周恩来死去の報がテレビのニュース速報で流れているのを、年子の兄が「おかあさんおかあさん、テレビに『ケザワ』っちゅう人が死んだて映ってるでェ~!」と母に注進し、台所から慌てて居間に駆け込んだ母が、「ケザワケザワ言うから何かと思たら、毛沢東のことかいな、ホンマにあんたらは。……せやけど、死んだんかいな毛沢東。えらいこっちゃ」などと珍妙な会話があったのを覚えている。

 さておき、天皇陛下の靖国神社への御親拝はこの年が最後になってしまい、以後は勅使をお遣わしになるのみとなった。言うまでもなく、今上陛下におかせられては、即位後一度も御親拝はない。

 これを指して批判する向きもある。私も正直に言えば残念であるとは思う。また、いわゆる旧A級戦犯の合祀を先帝陛下が好まれなかったなどとする風説も伝え聞く。だが今は、個人的な感傷や風説はおこう。このことは、かしこきあたりにおかれて、国民の意向の大勢をよくお汲み取りになられただけであると解したい。

 というのも、例えば下って今日の終戦日。靖国神社に参拝した国会議員はおよそ70名であるという。両院議員が合わせておよそ700名だから、1割の議員が靖国神社に参拝しているということになる。言うまでもなく国会議員は選挙で選ばれるのであるから、まず、「国民の1割が靖国神社に参拝することを是と考えている」と換言できる。

 わずか1割の国民しか是としてないことを、天皇陛下にしていただくことは、たしかに難しい。

 もって得心すべきであろうか。

前倒し靖国参拝~楠公(なんこう)

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 例年なら終戦日の8月15日に靖国神社に参拝するのだが、今年はどうも行けそうにない。そこで、終戦日間近の今日、参拝してきた。

IMG_4092 終戦記念日は、大鳥居から拝殿まで軽く2時間は並ぶが、さすがに今日来てるのは物好きな外国人くらいなもので、まことに神域にふさわしい静謐さだった。今年の終戦記念日は多分、閣僚の参拝がどうのこうので、いつもにもまして混雑するに決まっている。今日はそれを避けることができた。英霊やすらかにあれ、と、それのみを念じて参拝した。

IMG_4093 遊就館を拝観することにし、入ってみると、いつもは満席ばかりの茶寮「結」がすいている。カツカレーを注文すると「ルーは横濱カレーと海軍カレーどちらかからお選びいただけます」と言う。海軍カレーを選んだところ、「このカレーは明治時代軍発行の公式レシピに従って忠実に再現したものです」みたいな栞が一緒についてきた。なかなかうまかった。IMG_4094

 遊就館の特別展示は「軍人とともに歩みし軍属たち」というテーマだった。軍属とはいうまでもなく、事務官・文官・技官・従軍看護婦と言った、軍に奉職しているが軍人ではない人たちのことだ。先の大戦中、この軍属たちも多くが亡くなった。靖国神社には、特に看護婦の御祭神が多い。また、船員などの軍属であった御祭神が多く祀られている。

 遊就館はこれまでにも何度も拝観しているのだが、何度見ても涙を抑えるのに苦労する。今日も、涙を(こら)えて上辺(うわべ)は平静、しかし胸の底は慟哭である。これまでに何度も見た常設展も隅から隅まで、たっぷり3時間ぐらいかけて拝観した。

 今日はよく晴れていたが涼しい日だった。靖国神社を出て、皇居の北の丸公園、武道館のほうへ回ってみた。何か、学生弓道大会をやっており、袴・道着の楚々とした女の子たちが長い弓を持って大勢歩いている。科学技術館を回り、近代美術館のほうへ行って、そうだ、そういや近代美術館見たことないなあ、と思い、寄ってみたが、今日は別館の工芸館だけが開いているようだ。

IMG_4108 国立近代美術館・工芸館は、旧近衛師団司令部庁舎の煉瓦造りを使用している。今日は特別展「ナニデデキテルノ」というのをやっていたが、タイトルはさておき、館所蔵の選り抜きの工芸品を展示していて、こじんまりとした展示の割には大変見ごたえがあり、よい拾いものをした。これで210円は安い。

 美術館を出て、皇居周りを時計回りにだらだら歩いていく。いつもなら東御苑なども拝観できるところだが、今日は時間も遅く、閉まっている。

IMG_4124 そうだ、二重橋まで行って、大楠公(だいなんこう)像の記念写真でも撮ろうか、と思い、だらだら歩いた。この像を見に来るのなんて、それこそ35年ぶりというところで、10代の頃見たっきりだ。

 楠公(なんこう)の精神力にあやかりたいものだ。この私も、ひょっとすると定年前に「湊川(みなとがわ)」めいた無理なことを命じられるかもしれないし。その時、バカな要求にも楠公のように承詔必謹(しょうしょうひっきん)、粛々と突進できるかどうか、だな。IMG_4131

 東京駅ナカでなにか酒でも、とも思わなくもなかったが、今日はさっさと帰ることにする。新越谷駅のカルディ・コーヒーファームでフラスカーティ1本買って、家で一杯。IMG_4143

その意味を

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 終戦記念日には靖国神社へ参拝に行っている。最近──とは言っても、十数年来くらい──の習慣だ。

 その範囲で最も混雑したのは、たしか、大震災の前、民主党政権に代わって1年ほど経った後の、平成22年の8月であったと記憶する。この時には、地下鉄九段下の駅の中まで行列が続いていた。

 あの頃を振り返ると、当時実際の多くの人々の行動はマスコミの論調とは全く逆方向に志向し、精神が沸騰していたのを、生の現場ではひしひしと感じ取れたものであった。だが、あの年、例年より混雑する靖国神社周辺の様子はほとんど報道されることなく、むしろ「靖国神社なんぞに参拝するような変な日本人のことを全アジア諸国の皆さんが残念がり、ないしは激怒しており、靖国神社は低迷している」みたいな報道ぶりだった。

 去年は終戦記念日に仕事をしていたので、仕事が終わってから夕刻に参拝したが、今年は休みなので、朝から出かけた。

 私の家からは、電車1本で直接九段下へ行ける。そうして午前10時半頃に九段下の駅に着いてみて、さあ、今日と言う今日は驚いた。

 九段下の駅構内こそ人が流れてはいたが、地上へ出てみてびっくりである。九段下の駅の入り口は東西にあり、靖国神社側と九段下交差点側があるのだが、大鳥居の入り口にほど近い西側の駅入り口から九段下の交差点まで、延々と人が並んでいるではないか。しかも、単にワン・パスで並んでいるのではない、九段下駅西側入り口から九段下交差点まで反対向きに並び、列はそこから折り返して靖国神社へ向かっているのである。

 こんなことは初めてである。人員整理の仕方を少し変えていたということもあったようだが、それにしても大変な人出だ。

 数字を確かめていないので正確なところはわからないが、あの平成22年の8月よりもまだなお混雑しているように感じられた。

 靖国神社は自分の政治的思想を開陳する場とは違う。英霊へ鎮魂の祈りと誠をささげまつる場である。それを、がなり立てる右翼はまだしも、着用する資格のない軍服など一着に及んで、なにやらコスプレ祭りと勘違いしている若者も出てくる始末で、毎年毎年嘆かわしいことだが、愛の反対は無関心、ということからすれば、それもむべなるかな、とは思う。

 この世情下、これほど多くの人が参拝に来ているわけを、この混雑、その意味を、自分なりに考えてみたい。

 この膨大な人数の参拝客は、あの戦争とそれに参加し死んだ人々を、もう一度評価しなおしたいと考えているように見える。たとえ悪い方向へ批判するのであっても、逆に良い方向へ評価するというのであっても、どちらでも良いから冷静に何かを問いたい、そのための元となる行動を何かしないと、そういう行動をとらないと、もう、議論をただの一歩も先へ進めることが出来ない、何もしないでは議論を深める資格がない、そう考えているのではないだろうか。

 そうすると、靖国の境内を例年の倍にも感じられるほど埋め尽くす人々の姿は、英霊に仮託した自己の求道の姿だということになる。

 そうであるならば、それは政治的なパフォーマンスに近く、英霊の鎮魂のための行為ではない。とても神社ですることとは言えないが、しかし、護国の鬼たちは今や柔和にそれを許し給うと考えたい。

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 2時間ほどは並ぶ始末であった。中門鳥居のあたりで正午を迎えることとなったため、千鳥ヶ淵から中継でスピーカー放送されてくる慰霊式の様子に聴き入った。国歌斉唱のおり、靖国神社境内の群衆が誰ともなく歌い始めるのも例年と同じだ。はじめは遠慮がち、恥ずかしげに小さい声で口ずさんでいた人々の歌声が次第に大きな声になっていく。こうべを垂れて天皇陛下のお言葉を謹聴する。ちょうど正午、帽子を脱して黙祷する。

 ともあれ、英霊やすらかにしずみたまえ、と参拝はそれのみ考えつつ済ませ、帰路、あれこれと考えに耽った。

 靖国通りを神田に向かって歩いていたら「藪仙」という蕎麦屋があったので、ひょいと入る。大蒸篭せいろを頼んだら3枚もついてきて、お得。酒を2合。

 せっかく神田あたりに来たなら、蕎麦は名代の「まつや」に寄りたいところだが、籔仙の大蒸篭を手繰り終わってからまつやの前を通りかかると、案の定、炎天下数十人の行列だった。まつや目当てに連雀町へ来て見ても、これではとても並ぼうという気は起きなかったろう。多分今日は例年通り「神田・籔」が盆休みで、その客もまつやが吸収しているものと見える。

 暑かったが秋葉原まで歩いた。九段下から秋葉原までは歩いて30~40分だ。千石電商でフラックスとソルダーウィック、蛇の目基盤を買う。ヨドバシへ行ってHDMIとDVI-Dの変換アダプタをひとつ買う。これはRaspberry Piを今使っているPCのモニタにつなぐため。

 秋葉原のメイド通りは、今日が終戦記念日だということなどまるで知らぬげに、世界各国の老若男女とメイドでごった返していた。

靖国神社と春香クリスティーンと私

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 「春香クリスティーン」とヒョンなことで検索エンジンにキーワードアシストが出てきて、なにコレ誰?と何の気なしに手繰ってみたら、まあ、面白いことwwwww。

 まあ、罪のない女のコのおバカ、と見るか、嘆かわしいと見るか、いろいろと見方はある。

「…それを言うならアーリントン墓地なんて、テロリストの集団埋葬所だろ。戦士の墓?笑わせんな、原爆落とすような人殺し連中がワンサカ埋められてる墓だぜ?しかも、「命令されてしかたなくやった」んじゃねえ、任務達成の充実感を味わいながら大喜びでやりやがったんだ。つまり、洗脳された狂信者たちだ。そんな連中が埋められてる墓なんだアーリントン墓地なんてものは。

 ケッ。言ってやった、ザマァ見ろ。そう言われて胸糞が悪けりゃあ、コッチのやることにもいちいち文句をつけンなよな。」

 …なぞと暴言のひとつも書いてみたくもなるが、実のところ、これしきのことで腹を立てる私ではないし、そこまでヒドい気持ちは持っていない。だいたい、人間、中年になると、怒ろうと思っても逆になかなか腹も立たたないものなのだ。それに、アメリカは靖国神社のことなどいまやハナも引っ掛けない。終戦時は焼き払おうとしたらしいが、むしろ最近献花しようとして逆に日本政府から再検討を促されたくらいだそうな。支那、朝鮮にしても、単に新聞売りたかっただけの朝日新聞が中曽根総理のころに書きたてたから、ああ、そうなの、それなら、まあ、反対の立場で言説でも組み立てときましょうか、ってんで成り行きでこうなっただけで、靖国神社なんて彼らにとってはどうでもよかったのである。

 つまり、靖国神社が無残にコケにされるのも、もとはと言えば日本人が自分自身で招きよせたことであるから、人のことは悪くは言えないのだ。だいたい、中曽根サンのころまでは天皇陛下も御親拝、あるいは悪くしても勅使が参じていたくらいなんである。こうなってしまったのは、気分は悪いが、かえすがえすも私たちが自分で招き寄せた結果なのだ。

 「戦う」と書くが、本当に殺し合いをしている人たちなんて、日本にはごく特殊なやくざ者などを除いてほとんどいない。「必死」と書くが、それは比喩の文字面であって、文字通り「必ず死のう」なんて考えて仕事をしている者もいないのだ。ほとんどの戦いは、所詮デスクワークのたぐいだ。「必死で仕事をする」というのが文字通りなら、日本の自殺者なんて3万人どころではない、3000万人くらいになってしまう。

 だから戦え、というのではない。戦わなくてよくて、本当に幸せなこっちゃ、と腹の底から思わないことがあろうか。

 戦うことや死ぬことを、一生懸命に追体験しようと、また、わがこととしてそれを考えようとするかしないかだけでも、だいぶ違うのだが、実際に戦うということとの間には、それでも天と地ほどの違いがある。

 支那にも朝鮮にもアメリカにもドイツにも、同様の戦士の墓や顕彰所はあり、そして、戦うということを考え込む場所がそういうところなのである。平和主義の人は

「国家権力にだまされた知能の低い人を思いのままに操って、命を捨てさせたりするためには、権力がそういう風にうまくだます場所が必要だ」

…などと言うと思う。自分のことを「知能の低い人」と言われたように感じて、右翼や保守の人はここで激昂するのだが、まあ、会社の命令にだまされて、首をつる人もたくさんいる世の中だ。政府が企業にさしかわっても、2000年来海ゆかば水漬くかばね、みたいなもので、だからだまされているというのも、そんなに間違ってない。

 これらのことをくだくだと言い立てたところで、通じないし、噛み合わないし、議論などもするだけ無駄なのだろう。無駄なことはしないことだ。それを言うと、こうやってヒマにあかせて文字列を量産している私も、まあ、無駄なことをしてるわなあ…。


 この記事は、平成25年12月30日(月)にFacebookに書いたものをコピー・ペーストしたものである。(下リンク)

いいぞ谷垣ッ!!

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谷垣氏、秋季例大祭の靖国神社を参拝 自民総裁では3年2カ月ぶりhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091019-00000585-san-pol

 いいぞ谷垣ッ!!それでこそ男の中の男ッ。

 それに比べてどっかのセレブ宰相はまったく、ブツブツブツブツ・・・。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.41

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 土曜・日曜、あわせて40回ほどは「エリーゼのために」の通し練習をしたが、なかなか満足いかない。

 左手がうるさいのを直したいと思い、やさしく弾くように変えつつある。

 終戦記念日の土曜・日曜だ。抜けるような青空が広がっている。靖国神社に行かず、国旗も掲げなかったが、戦争のことを考え込む。

昭和館~靖国神社/遊就館

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 土曜日の楽しみに、上の娘(小6)を連れて、九段下にある「昭和館」を訪れた。国営の施設で、戦前~戦後にかけての銃後の苦難の暮らしを中心にまとめた展示館だ。共産/社会主義等の特定反国家勢力色がなく、中立・中庸な立場で淡々とまとめられており、大変勉強になる展示館である。

 せっかく九段まで来たのであるから、無論靖国神社にも寄る。靖国神社内にある博物館「遊就館」には私は何度も行っているが、娘は小2ぐらいの頃に一度連れてきて以来のことなので、ほとんど忘れているらしい。勉強になるからもう一度遊就館も観覧した。中で上映している「私たちは忘れない」という映画は、遊就館内でしか見れず、DVDなどは売っていないから、遊就館に来ると私はかならず改めてこれを見る。

 遊就館は戦地、昭和館は銃後、どちらもバランスよく考えを深めることが出来る。娘には戦前から戦後、どれほどの困難があったのかに思いをいたす良い休日であった筈である。学校では絶対に教えまい。

終戦記念日である

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 終戦記念日である。

 去年は小泉首相が靖国神社を参拝するのかしないのかが話題になった。私は参拝を推進するべきだと思っているので、──「容認」という言葉を使う人も多いようだが、「容認」とは何事か。容認、というのは、「受け入れ、許す」という言葉だ。靖国神社へ参るような犯罪人でも、広い心で許してやる、などとする思い上がった許しがたい前提がこの言葉には含まれている。断じて「容認」ではない。「推進」である──義兄と一緒に靖国神社へ出かけたものだ。

 超満員に人々が詰め掛けた靖国神社の境内で、小泉首相が既に参拝を済ませたことを知り、それでこそ日本の首相、よくやってくれたと思うと同時に、見よ、この靖国のきざはしを立錐の余地もなく埋め尽くす、物言わぬ日本人たちを!こんなに多くの人々が靖国に詣でているのだ、朝鮮人も中国人も、この日本人の意気を知るべし、と思ったことだった。

 今年も行きたかったが、つい、雑事にとりまぎれ、今日は行かなかった。少々残念である。

 半旗を掲げるべきだっただろうか?