時事断片

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これは、いくらなんでも

 九段下の「昭和館」で見た、戦前の「聴取無線電話施設許可書」を思い出してしまった。戦前は、ラジオを聴くためには政府の許可が必要だったわけである。家々の軒先には「受信章」が掲示されたものだという。これはつい最近まで「NHKマーク」のシールなどがあったから、それほど違和感はないが、戦前は郵便局に「放送聴取許可願い」を届け出て、許可を押し頂いてラジオを聴いたものだそうな。

 私はNHKの受信料をきちんと全額、支払っており、なんらやましいこともなく、また、現行のNHKの運営は妥当なところだと思っており、文句はない。

 しかし、いくらなんでも、身銭で買ってきた自分のテレビについて、「設置届」を提出て、おかしいだろ。これが例えば、自動車などであればわかる。自動車は便利だが、使い方を誤れば危険なものであるし、日本の狭少な街々では、駐車についてルールを設けなければ邪魔になり、公共の利益を害する恐れがあるから、免許や車庫証明が必要なのである。

 だが、テレビが何か人に殴りかかったりするのかね。むしろ、公共の電波を使用した放送に、俗悪破廉恥番組であったり嘘ニュースであったり、そういうものが混じっていることの方が問題である。まして、「設置を届け出て、カネを払って見る放送」である。

 こういうことは、技術で解決してほしい。金を払っていなければ、物理的に見られない、スカパーなどでとうの昔に実現されている、スクランブルなどの制御をすればよろしい。

時事遅見

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訃報

 「ノストラダムスの大予言」で大ヒットした文筆家、五島勉氏が死去したそうである。

 祈冥福(めいふくをいのる)

 私などは当時小学生であったが、「立ち読み」が庶民の公然の娯楽であった頃でもあり、ゾクゾクしながらタダでこの本を読み(ふけ)ったものだ。今にして思うに、当時の個人経営の街の書店というのは、随分と寛容だったものである。そのかわりに、当時の大人の慣例として、その書店で大部の全集ものを購入するなどしていたのだと思う。

 私が最近読み耽っている平凡社の世界教養全集は、父から貰い受けたものだが、これも、父が街の書店との持ちつ持たれつの付き合いで買い込んだものではなかったろうか。

馬鹿なことを

 欧米土人に納豆のような高度な食品が食えるわけはあるまい。ハナッから笑止千万である。

 納豆は日本人のように高度な味覚を持つ選民によって賞玩されるものであって、毛唐にその価値を評論されるなど、不愉快そのものである。

はやぶさ2任務続行

 驚くべきその耐久性。驚愕。

購読者を愚弄してんじゃないよ(笑)

 な~にバカにしたようなこと書いてんのさ。数万の票を投じた有権者の多くは、毎日新聞の上得意客、購読者様だろうがってのよ。よくこんな取り澄ましたようなこと書いてトボけておれるよ。ネトウヨ煽ってんじゃないよ糞新聞が。

結果から言えば

 結果から言えば、日本政府の生ぬるくていい加減な「緊急事態風な国民の皆様へのお願い」と、諸外国が行った強制的で武力をも実際に国民に向けた「ロックダウン」との間には、それこそ霄壤(しょうじょう)(ただ)ならぬ逕庭(けいてい)があったと言えよう。無論、霄は日本で壤が諸外国だ。諸外国のロックダウンにはまるで意味がなかった。日本と英国の死者と感染者の数を比べて見たまえ。

 だが油断してはならぬ。夏休みに開放感に浸り、いい気になってあちこち出掛けたりなんかすれば、たちどころに数万人の感染者を生じて死者を出し、「日本人はやはり劣等で愚かな未開有色人であった」などと米英仏独伊の欧米土人どもから嘲笑の的になるばかりでなく、厳しく病気を制御しつつあるアジア諸国からも「ハハッ、やっぱり日本人など『半欧米土人』に過ぎなかった(笑)」と憫笑(びんしょう)されるだろう。

 オリンピックは中止されたが、そのかわりに、新コロによって思わぬ国威レースがスタートされたと言ってよい。また、私に言わせれば、欧米土人は核開発とその実戦使用、すなわち広島、長崎の惨劇が咎となり、彼らが信じる神の罰を受けて死につつあるのだ。歓喜のうちに罰を受け止めるがいい。

 更に書けば、神罰を神によるものならしめるのは人間の精神に他ならぬ。「精」に「神」と書いて「精神」という言葉は成る。日本人の神仏は文字通り人間の精髄にあるが、欧米人の神は人間の精髄にはない。その結果をこそ見ざらめや、というほどの気概を持ちたい。

時事

投稿日:
横田滋氏死去

 「外国政府による『公式人(さら)い』」などという常軌を逸した許しがたい犯罪により、言い知れない不幸に遭った気の毒な方である。その苦悩の人生を思いやりたい。祈冥福(めいふくをいのる)

時事哀観

投稿日:
こ、こここ、これは一体

 な、ななな、何事……!

 つまり、アレか、「人のセックスを笑うな!」みたいなことか?

 これを理解しよう。私は寛容なのだ。

なんじゃい、まだおったかんかいコイツ(笑)

 忘れてたヨ。

 まあ、パイロットを処分、ってのは、手厳しいかなァ。悪いのはゴーン何某(なにがし)なんだからねえ……。

せせら笑っていたら駄目だ

 これを冷笑していたら駄目である。右翼ぶってこれを(あざわら)えば、天罰覿面(てきめん)、日本もまた同轍(どうてつ)を踏むこととなろう。

 油断をすれば多くの人が死ぬ。そして欧米のように国際的な評価を失墜させ、ひいては、昔のように日本人であるというだけで劣等の国民として差別されるようになる。

 他山の石、という言葉もある。

【!】良いアイデアを思い付いた

 パチ屋が問題になっている。

 しかし、パチ屋に行かないと生きていけない人というのは、どうしてもパチをやらないと気が済まない、馬鹿であって阿呆であって、そして病気なのである。それを責めようがどうしようが、どうしてもなんとあっても、彼らはパチ屋に行くのだ。

 それで、面白いことを思い付いた。我ながらグッドアイデアだと思う。

 パチ屋は店を閉める。そのかわりに無関係が建前の景品交換窓口で、景品を売るがよい。ライターの種石やら文鎮なんぞを、いつもの買取値段の10%引きの大サービスで売るのだ。ただ、いつもとは少しだけ違う色の、例えば赤い種石や文鎮にするといいだろう。

 言うなれば、これはパチンコマニアの先入金である。

 パチ屋の店先には、最初(ハナ)っから嘘でいいので、

「営業再開できた暁には、景品をお持ち下されば、10%サービスで余分に玉貸しいたします」

と書き添えておくがいい。そう、嘘でいいのだ。

 実際に出玉なんか返す必要は、ない。取りっぱなしでよい。営業を再開したら、その日のうちに全部スらせるのだ。そもそもパチンコなんてそんなものだ。だいたい、全部トータルすると、パチ屋なんて取りっぱなしなんである。しかし、馬鹿は喜々としてライターの種石を買うだろう。そして、営業再開できる日まで店は閉めたままでよく、よって従業員に時給を払う必要すらない。

 直接景品交換窓口にライターの種石を持ち込む阿呆もいるだろうが、「この色の種石は一度パチ屋の方へ持っていって出玉で遊んでください。一割増で多く玉を借りることができますよ」と断るとよい。パチ屋の方では球を直接交換しないよう、しっかり見ておればよかろう。

 しっかり見ておくのが面倒くさければ、変な色のライターの種石を売るだけ売って、あとは七里蹴灰(けっぱい)、店を潰して遁走すればよい。

 こうすれば、普段よりかえって儲かるだろう。客もカネの払い甲斐があって満足するのではないか?なぜなら喜々として北朝鮮に貯金するような馬鹿だから、そんなさまざまな理屈など到底わかるまい。

冷笑されるべきはこっちのほう

 技術立国日本の国民として、暗証番号やパスワードがわからぬようになるような者など、いまや生きる権利すら脅かされるのだということを深刻に思い知るがいい。愚かだからこんなことになるのだ。3時間4時間待たされるのは、罰だと思って我慢するべきだ。

 よくよく反省し、「マイナンバーは命のナンバー」だと再認識して、二度と期限を失効したりパスワードを忘れたりしないようにすることだ。年寄りだとか難しいとか、言い訳は通用しない。マイナンバーごとき、こんな簡単なことも弁じ得ぬような者が役所からカネを引き出そうなど、おこがましいというものである。まして窓口の吏員を怒鳴りつけるなど。

時事薄片

投稿日:
ハハハ、中国叩きゃアいいってもんじゃないよ

 米国政府が国民の怒りの矛先をなんとかして中国に向けようとしているのが透けて見え、まったく、阿呆らしくて屁も出ない。

 現状からみると、ウイルスの出所がどこであろうとナニ国であろうと、それを培養・蔓延させたのは間違いなく米国ないし欧州であると言える。これは、先日から日本の国立感染症研究所の調査により赤裸々になっていることである。

 マァ、この調査が話題になったこと自体、中共政府が鬼の首でも取ったようにこれを取り上げたことが発端になっているのがちょっとムズ(がゆ)いところだが、しかしむしろ、事態をここまで放置し、かけがえのない人命をかくまでに軽視した米国・欧州諸国政府、ひいては米国民・欧州諸国民の責任や如何(いか)に。

そらまァ、言い方っちゅうモンがあるわな

 あ~あ~、言っちまったよなァ(笑)。

 しかしまあ、所詮は高学歴揃いの政治家センセイ連中だからねえ。悪意はまったくなく、つい口をついてこういう言葉が出たわけだ。それらしく謝罪なんかしているが、多分、悪いことを言ってしまったとか全然思ってないよコイツら。口先だけ謝って、それで相変わらず、普通ぅ~に、高卒をバカにしてんのさ。自分たちが大学なんぞでノホホンと机と鉛筆を相手にしている間に、額に汗して労働していた同学年の人々の苦労などまったく思いみることなく、やがてその上に君臨し、それが当然だと無意識に肯定したまま、何も気にしてなんかいないのだ。

 だから何を言われようと永久に、蓮舫の、この小ヅラ憎い高慢さは変わりゃしないよ。

 私ですか?ああ、私は中卒のオッサンですけどもね。何かあります?

ホンマにアホそのものやで、コイツら

 本当に愚かである。世界的な悪疫の最中(さなか)、こんなことで人を殺し、殺されていてどうする。

 ただ、亡くなった方は不運によって若くして亡くなったのであり、悲惨な死であった。25歳というから、かわいそうである。外国のこととはいえ、祈冥福。(めいふくをいのる)

高いカネ払ってンだからさ

 私自身の子供たちは下が大学でもう学齢期とは言えなくなっているから、以下のことは自分自身の問題ではない。しかしやはり、この新型コロナウイルス蔓延による小学校中学校の全国的な休校で、学齢のお子さんを抱えたお宅では、養育の面倒以上に「学習が滞る」のが心配であるようだ。

 日本の小中学校は文部省によってカリキュラムが全国一律にビシッと決められている。体育などは地域によってスキーが多い地域や水泳が多い地域など多少の地域差があるかもしれないが、国語算数理科社会については基本的に地域差などはないはずだ。しかも、学校の授業など必ずしも「インタラクティブ」とは言えない。学校の授業では、教師から児童への一方的な働きかけはあっても、児童の側から教師に働きかけられることはほとんどないからだ。

 ならば、「放送大学」のように、NHK教育テレビで一日中小中学校の授業をやってはどうか。高い受信料とってるんだから、……とそこまで考えて、いやいや、教育テレビのチャンネル一つでは小中学校合計9年分クラス×5教科には到底足りない、とすぐに気が付く。

 NHKが先日から始めた自前の動画配信システムや、YouTubeなどのサービスに、NHK持ち前の放送局クオリティで小中学校の授業を放流すればよい。そうすると、「先生、今のところがわかりません、もう一回」なんて個々の子供たちの要求にも応えられるというものだ。子供が納得するまで繰り返し何度でも見ることができる理屈である。

 自分の子供たちが小さかった頃のことを思うと、学校の授業そのまんまなんてつまらない動画を子供が喜々として見てくれるとも思えないが、しかしこれで、行政の側としては「いや、出来得るサービスは既に提供しているわけですから」と言い訳することはできる。

 何より、新型コロナウイルスがなくたって、今は不登校の子が増えている。動画の授業はそうした面でも役立つのではなかろうか。

この糞忙しいであろうことは頑是ない小児にもわかるであろう時に

 誰だよこんな馬鹿みたいな質問する記者は。

 だからブン屋なんか嫌いなんだ。今はどういう時期か考えて質問しろ。今はそういうことを検討したり整理したりする時なのか?悪疫時疫(じえき)時艱(じかん)最中(さなか)ではないのか?

パチンコなんかやめちまえ

 ま、「やめちまえ」なんて、かつて北朝鮮国立銀行に随分預金して、一向(いっこう)に引き出せないまま今に至る、つまり(スネ)(キズ)持つ私が言うのもアレですけどね。やめた方がいいよ、パチンコなんか。

 ただ、やめたらやめたで、また別の、違うパチンコが出て来るのさ。ネットゲームのガチャなんかだって、カネにもならないのに没頭するアホが沢山いたわけだし。競馬だって競艇だって競輪だって、市中のマージャンだって、賭け将棋、賭け囲碁だって、全部同じこと。知性の香りがそこはかとなくするかどうかなんて、全然関係ない。全部中毒、病気。同じ病気なら庭の土でも掘り起こしてトマトか茄子でも植えて、それの面倒を阿呆のように見た方がいいよ。つまり園芸中毒。食えるだけ百倍もマシ。……って、私は園芸もやりませんけどね。

時事哀挙

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岡江久美子氏死去

 俳優の岡江久美子氏が時も時、新型コロナウイルスで亡くなったという。

 私などが子供の頃から、NHKの「連想ゲーム」の回答者として活躍していたことが印象に残る。当時、紅組に岡江久美子氏、白組に大和田獏氏が出ていたことも懐かしい。後に大和田氏と岡江氏は結婚したのであった。

 祈冥福(めいふくをいのる)

覚悟を決めて生き、死なねばならぬ

 私も未練を残すまい。

 私はいまや、各種保険に十分に加入しておいてよかったと思うし、およそ40年もの間ただのひと月も欠かさず年金を払い続けてきて本当に良かったと思う。もし仮に新型コロナウイルスに感染して来週死んだとしても、今後遺族が十分に食っていけるだけのお金は残るし、遺族年金も出る。

 過密・密集・密接・密室・密談・密着・内密・秘密、……などと、3密どころか蜂蜜(ハチミツ)ならぬ8密(ハチミツ)、否、八十(やそ)密と言っても過言でない東京などという馬鹿げた(うんこ)のような街へ何十年と通勤し続けていて、それでもし心ならずも新型コロナウイルスに感染して死んだとして、これは命運と言うほか、なにものでもなかろう。

 願わくば、私の死後、家族と親戚一同が、いつまでもグズグズ悩んだり悲しんだりせず、早々に私のことなど忘れ去り、「嫌な奴が死んで本当によかった」とでも言って、清々(せいせい)、晴れ晴れとしてくれればよいのだが。

佛縁(ぶつえん)

投稿日:

 旧臘(きゅうろう)、ハードディスクレコーダーを買い替えた。妻と娘姉妹の日々の暮らしの慰めを少しでも増強しようと思ってのことだ。

 しかし、目的はそれであっても、テレビ嫌いの私まで、意外に各種テレビ番組を楽しむことができるようになった。なんとなれば、9日間にもわたり、選んだチャンネル4つ分を常時録画しておけるからだ。

 それで、週末には自分が好きな番組を(さかのぼ)って見ることができるようになった。嫌なチャンネルは見なくて済むし、変な宣伝も見なくて済む。また、自動で「録りっぱなし」になっているから、録画機能の排他や独占をめぐって娘姉妹が(いさか)いを起こさずに済む。何より、長大な国会中継の爆笑・失笑・激怒・絶望各場面それぞれを巻き戻して見られるのは、これは実に具合がいい。

 今ほど、そんなささやかな楽しみに興じていたところ、録画リストに今週3月4日水曜日放映のNHK番組があった。「歴史秘話ヒストリア」のシリーズで、「薬師寺 千三百年の祈り 国宝東塔全面解体」という番組であった。

 思わず見入った。

 なぜかと言うに、先々週、私は亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」を読み終わったところだったからである。少しずつ読み進めつつある60年前の古書、平凡社の世界教養全集の第6巻に収められていたのだ。

 全篇を通じて、じいんと染み入る様な日本大乗仏教讃頌(さんしょう)に溢れていた。法隆寺と推古天皇、聖徳太子は無論のこと、薬師寺と天武天皇、皇后鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ)こと、後の持統天皇のことなど、いとおしく読み耽った。また、あとがきがかの高田好胤(こういん)師によるものであったことも印象に残る。

 高田好胤師と言えば、誰もが知る、修学旅行の「奈良のおもろい坊さん」だ。もっとも、修学旅行で高田好胤師の話を生で聴いたことがあるのは私よりももっと上の世代であり、私の世代では師があの「おもろい坊さん」であったことを知っている者は少ないと思う。

 大阪生まれの私は、子供の頃奈良に随分連れて行かれた。父の渋い趣味のためで、私にとって奈良への行楽は楽しいものであった。薬師寺や興福寺、東大寺は私には最も懐かしいところである。また、私の両親も薬師寺金堂再建の写経奉納をしていたので、そのことも覚えている。そんなこともあり、私はたまたま高田好胤師の名前や顔を知っている。

 やや成長した10代後半の頃、と言って、それもかれこれ40年近く前になろうか、薬師寺門前を集団で訪れ、「薬師寺のおもろい坊さん」の話を皆で聞き、笑い転げたものだ。その時の引率者が講話に感心し、他日格別にお招きして講話をしていただいた。その導師はたしか、土倉(とくら)賢了師という方で、――記憶のみに頼って書いており、もしお名前など違っていたらお詫びいたしたい――有名な高田好胤師ではなかったが、お弟子様には違いなく、同窓生皆で高田好胤師仕込みの話術に笑い転げ、また聞き惚れたものだ。

 さておき。

 読経前、各宗ともに使う三帰依文(さんきえもん)(いわ)く、

人身(じんしん)受け(がた)し、今(すで)に受く、佛法(ぶっぽう)聞き難し、今(すで)に聞く。

とある。まさしく今日のことは、これに当たろうか。

 読書とテレビ番組がたまたま一致したことは、思うところ実に深いものがある。佛縁(ぶつえん)(くす)しさに、発作的に得度(とくど)出家しそうになってしまうが、いや、それは現実的ではないからやめておこう(笑)。

時事散誌

投稿日:

 近所のドラッグ・ストアではニュースで報じられているのと同じく、トイレットペーパーが払底している。

 我々は全く、浅はかなものだ。

 私はというと、コロナウイルス騒ぎも、もはや、飽きてきた。どうでもいい、こんなの。

 ほっとけばそのうち、医学者が特効薬でも作るだろう。ペストだろうと天然痘だろうと結核だろうと、はたまたチフス、炭疽病、梅毒、黄熱病、その他あらゆる微生物病を、人類はそうやって克服してきたのだ。

 何?そんな悠長なこと言ってる間にお前自身がコロナウイルスに感染して死んだらどうするんだって?

 そりゃあ、(いさぎよ)く死ぬか、運よく治るか、二者任天、ありのままの人生を受け入れるしかない。

 さておき。

しかしよく考えると

 確かに、ポテトチップスを(つま)んで食べると、手に油がついてそこらじゅうを汚してしまう。

 しかしまあ、それはとりもなおさず、「あれほど大量の油を摂取してしまう食べ物も他にない」ということを言ってもおり、この点からポテトチップスというと「デブの素」の代表格食品であるというのは定説でもある。

 これだと一袋くらいあっという間に腹に収まってしまい、どんどん肥満してしまうに違いない。

 しかし、よく考えると、この「飲み口」みたいな奴がなくても、袋の角っこを三角に切り取れば、同じ喰い方ができるのではなかろうか。

し、四天王寺、て……(絶句)

 世界一古い企業は日本にあるのだという。それは「金剛組」という建築会社だそうだ。

 創業は西暦578年というから、遠く飛鳥時代にまで(さかのぼ)る。これは和暦だと敏達天皇七年、……と言ってもピンと来ないが、これは有名な女帝の推古天皇、と言って分からなければ聖徳太子の時代の少し前の時代、ええい、と言って分からなければ更にこう言おう、厩戸皇子(うまやどのみこ)の時代よりもまだ少し前の時代である。百済(くだら)からの渡来人で、四天王寺を建てたのが彼らだそうだ。今でも宮大工、つまり寺社建築を主とする職人団であるようだ。

ついにアンチも出る始末

 なんだか、クスッと笑ってしまった。……いや、失敬、失敬。要するに、「アッチの右翼」ですな、これは。

老朽テレビ業界も、やっとここまで来たか

 よくよく考えると地上波デジタルの前に、堀江何某が「そんなの既存のテレビをネットにつなげばいいだけじゃん」なぞと、「お前、それを言っちゃあ身も蓋もねェじゃん」みたいなことを言い放ったものだが、あれからハテ、かれこれ10年ほども経ったろうか。

 作ったコンテンツをネットに放流することなぞ、技術上は大した話ではない。そんなこと、(つたな)いながらも既に素人がYouTubeなどでバンバンやっている。だが、テレビ業界も大きな業界で、しかも老朽化したカチコチの業界だから、動くのにやっぱりこれくらいの時間はかかった、ということなのだろう。

 しかしこうして、結局はテレビもネットも、ダラダラと融合していくより他にないのだ。

 昔、SGIの創業者のジム・クラークは、インタラクティブ・テレビこそが次世代のメディア(媒体)を制する、と考えてSGIを退社し、創業しようとした。ところが、ティム・バーナーズ・リーの「WWW」とマーク・アンドリーセンの「NCSA Mosaic」を見て「これぞ私の考えていた次世代メディアだ」と考えを改め、即マーク・アンドリーセンにメールで接触を図ったという。二人がNetscape Navigatorを売りまくってから後の経緯は、誰しも知るところだ。

 そういう誰が(たく)んだわけでもない流れの中に、全部のメディアは乗っている。新聞だって雑誌だって、みんなそうだろ。本だってそう、漫画だってそう、音楽だってそう、写真だってそうだ。仏教用語で「耳鼻舌身意(じびぜっしんに)」なぞと言うが、これに沿って考えると、今やネットから流れてこない情報は、「香り」「味」ぐらいなものである。

 受信料がどうとか陰謀だとか何とかは、そんなことどうだっていい。

時事寸片

投稿日:
よほど腹が立ったんだろうなあ

 思うに、こういうのって、記事通りの悪辣非道なドコモ側、って話ではなくて、根拠のない憶測ではあるけれども、客の方がよほど腹の立つ、態度の悪い者だったんだろうなあ、という想像が何となくつく。

 接客というのは、実に大変な仕事だ。

 逆に、こんなことが問題になるほうがおかしい、接客する側にも人格というものがある、日本の接客が丁寧過ぎるのだ、……というような論もある。

 日本の接客が諸外国に比べると過度なほどに丁寧な理由というのは、江戸時代の鎖国にまでその因を(さかのぼ)ることができると何かで読んだことがある。

 すなわち、鎖国のために商品の需給は完全に内向し、極端な供給過剰となったため、一つの商品にできるだけ多くの関係者がぶら下がって利益を得る構造が出来上がった。これは問屋、卸、仲卸、小売り、……といった再販方式や、傘の骨作り、渋塗り、組み立て、皮貼り、などと言った手工業製品の過度の分業などに表れた。当然、価格は上がる。そのため「買い手市場」を招き、売り手はとことん低姿勢を追及し、慇懃(いんぎん)を尽くして売ることに努めるようになった、ということだそうな。

 今に至って尚、日本の接客は極めて低姿勢である。

 逆に諸外国、特に欧米の接客は、客と対等に口をきき、尊大だったり、チップを要求したりする。客も、日本では「いらっしゃいませ」と店員が挨拶してもプイッと無視するが、欧米だと店員が「ハイ」と言うとあべこべに客の方で「ヘロゥ」と返したりする。これは重商主義時代のヨーロッパでは、商人は貴族の経済を支えるものとして地位が高く、「一般人より偉い人」ということになっていたから、というのも一因だという。日本の商人が、金は多く持っていても、「士農工商」ということで社会の低層に位置付けられていたのとは対照をなしていると思う。

 欧米の商人は、王や貴族の行う侵略により外需を得、商品、ひいては経済が侵略先を巻き込んで回るから、自国内で低姿勢になる必要などなかったわけである。

 遁走(トンズラ)をキメ込んだカルロス・ゴーンが、商人のくせして妙に自信たっぷりで尊大なのは、そのせいかもな、などと思う。

女房まで指名手配とは

 カルロス・ゴーンの逃走というと、これがまたなんだか、女房までが追い込みをかけられている。

 しかしまあ、アレだな、前の女房のリタ・ゴーンなんて、文春あたりの扱き(コキ)(おろ)し記事によると、日産の会社のカードで自分のレストランで使う食材なんか仕入れたりしてたと言うから、今の女房のキャロルにしたって、(いず)れ、後ろ暗いところも多いんだろ。

「寵愛」て(笑)

 しかし、どうでもいいことだけど、上の文春の記事、言葉が変だなあ。

提携交渉の際に企画室次長だった志賀は「ルノー派」だったことから、ゴーンに寵愛されたのだ。

 「寵愛」て……。オッサンの職場の話やろ?ホモかっちゅうねん(笑)。国王の後宮とか側室の話じゃねェんだから、ここは「重用された」とか、「気に入られた」というふうに書くべきだろうね。……っていうか、いや、もしかしてホンマに寵愛されてたのか?最近「おっさんずラブ」とかいうのが流行してるからなあ……。

 しかし、いくらダイバーシティってったって、モノには限度っちゅうもんがあるわな。時代によってその限度は変わるにしてもさ。

ホモで逮捕されたチューリング

 時事ではないけれど、ダイバーシティからの連想で、チューリングのことを思い出した。

 私など計算機関係の技術者にとって、英国が生んだ天才「アラン・チューリング」というのは、記憶しておくべき人物のひとりである。

 チューリングというと、「チューリング・マシン」「計算可能問題」等についての提唱(テーゼ)のほか、戦時中にドイツのエニグマ暗号を解く機械を開発したということで、イギリスにとっては救国の英雄とされている。

 で、このチューリング、戦後、逮捕された。その後、失意の内に自殺したと伝わる。

 その逮捕容疑が「ホモ」なんである。

 「へ?ホモで逮捕?!」と、若い方なんかは思うかもしれないが、そう、イギリスではごく最近まで、「ホモは犯罪」だったんである。ホモで逮捕されると、ホルモン剤なんかを注射され、強制的に治療されたんだそうである。

 多様性(ダイバーシティ)が尊重される今の世からは、まるっきり想像もつかないことだ。幕府の苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)極まった江戸時代の日本ですら、「おかま」は別段違法ではなく、「陰間(かげま)茶屋」などというホモの淫売屋すら公然とあったのである。

 その後、ごく最近になって、イギリスの当局はチューリングの名誉を復活すべく、謝罪声明を出したのだそうな。

 私は未見であるが、チューリングについては、4~5年前に「イミテーション・ゲーム」という題で映画化されている。左のようにAmazon Prime Videoでも見ることができる。

 聞いた話では「ホモに関するくだりは含まれていない」のだそうで、主題はエニグマの解読にあるようだ。

安楽死

投稿日:

 6月頃NHKで放映された番組の再放送があったので、録画し、見た。

 普段あまりテレビを見ないが、こういう番組は時々見る。先日新しいHDDレコーダーを買ったということもある。

 重く、苦しい内容で、簡単に安楽死の是非がどうこうというようなことを喋々(ちょうちょう)するような安っぽい番組ではなかった。

 単に安楽死した人を追うだけではなく、並行して、同じ病気に苦しみながら生きることを選んだ人の姿も追う構成だった

 テレビや新聞が嫌いだが、こういう番組は、良いと思う。私も、番組の問いかけに軽々しく自答して、安楽死の是非を云々(うんぬん)することはすまい。