くずし字

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 博物館などへ行った際、古い文書のほとんどが私には読めないのがもったいなく、もう少し勉強しようと思い、右の本を購入した。

 読んでは見たものの、やはり身に付きにくく、あまり実力が付いたような気はしない。

 多分、私だけではないと思う。同じ日本語、同じ漢字なのに、日本人のほとんどにはもはやこうした文書は読めないと思う。

 左写真の文書は同書から引用した。読めるだろうか。多分普通の人でこれが読めるというような人は皆無だろう。

 写真の文書を読める漢字に書き起こしてみる。

(「古文書くずし字見わけかたの極意」p.178~179から引用、左上写真同じ)
乍恐口上之覚

一 此度御制札文字難相見文字有之候ハヽ

墨入御書替之義被仰附 依之御

制札壱枚文字難相見ヘ所も有之候ゆへ

御書替等之義御願奉申上候所御聞

届ケ被為 成下難有奉存候

 ……これでもまだ普通の人には読めないと思う。

(同書より)
おそれながら口上(こうじょう)(おぼ)

ひとつ このたび 御制札(ごせいさつ) 文字 あい見え(がた)き文字 これあり(そうら)わば

墨入れ お書き替えの義 (おお)せつけられ これにより 御

制札 一枚 文字 あい見えがたきところも これあり(そうろう)ゆえ

お書き替えなどの義 お願いたてまつり申し上げ(そうろう)ところ お聞き

届けなしくだせられ 有り難く存じたてまつり(そうろう)

 音読できるように現代仮名(かな)(づか)いにしてみたが、それでもまだ意味がわからないと思う。

大変恐縮ですが申し上げます。

このほど、公共掲示板の文字が見えにくくなってきておりましたところ、

はっきりした文字に書き直すようご指示を頂きましたので、現状を確認いたしました。

その結果、公共掲示板の一つに文字が見えにくくなっているものがあることを把握いたしました。

書き直し作業について許可くださいますようお願いしておりましたが、

ご許可下さいましてありがとうございます。 

(佐藤俊夫訳)

 昔は読み書きを習った者なら子供でもこういう文書を読んでいたのだそうだから、本当にもう、同じ日本人ではないような感じすら、する。

九相(くそう)、死生、メメント・モリ……

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 珍しく、かつ殊勝にも死生観なんぞということを考えていて、ふと、若い頃気になった「メメント・モリ」という言葉を思い出した。いつ頃だったか定かに思い出せないが、その「メメント・モリ」という題の本が書店に置かれているのを見つけたことがあったのだ。

 それは画集のような本で、(めく)ってみると、「メメント・モリ」というラテン語の題名とは裏腹に、中身は日本の中世の頃の、ある主題の掛図などを集めたものだった。美しい女が死に、野にその(むくろ)が放置される。醜く腐乱死体となりはて、禽獣に喰われ、ついには白骨が散乱するという様子を描き、彩色を施したものが集められていた。

 その図画は宗教的なもので、生死にとらわれぬ解脱(げだつ)の境地を得るため、僧侶などが修行で見るものであったかとおぼろげに記憶する。しかし、ああいう図画の事をなんと言うのだったか、今はもう忘れてしまっている。

 改めてGoogleで少し検索するとわかった。あの種類の図画は「九相(くそう)図」と言うそうで、中世頃によく取り上げられた画題だそうである。この図を使って宗教的な思惟(しゆい)を行うことを「九相(くそう)(かん)」と言うそうな。

 中世では、死体が脹相(ちょうそう)壊相(かいそう)血塗相(けちずそう)膿爛相(のうらんそう)青瘀相(しょうおそう)噉相(たんそう)散相(さんそう)骨相(こっそう)焼相(しょうそう)という9段階を経てついに無に帰するとされていた。これが九相図の「九相」である。

  1.  脹相   死体が腐敗ガスで膨張する。
  2.  壊相   腐敗が始まり、死体が崩れはじめる。
  3.  血塗相  死体の崩れ目から血があふれ、これに(まみ)れる。
  4.  膿爛相  膿のような汁液で爛れ、腐乱する。
  5.  青瘀相  青黒く変色し、ミイラ化する。
  6.  噉相   禽獣が寄ってきて、食い散らかされる。
  7.  散相   バラバラになる。
  8.  骨相   白骨化する。
  9.  焼相   骨片が焼かれるなどして、ついに消えてしまう。

 最初の「脹相」などというのを見ると、古人も死体をよく観察していたものだな、と思う。死後しばらく経った死体を見たことがある人ならわかることだが、腐乱し始める直前の死体は膨れ上がるのだ。顔も同様で、眼庇(まびさし)のあたりが膨れ、巨人症の人のような顔つきになる。監察医など、法医学に携わる人々はこれを「巨人(よう)顔貌(がんぼう)」などと言うようだ。このようになる理由は、濃い塩酸である胃液により胃腸が溶解し、そこからガスが発生して腹部をはじめとした死体の各部を膨満させるからである。

 「九相図資料集成―死体の美術と文学」という本があったから、見てみた。これでもかというほど、何度も何度も、美しい女が腐乱死体に、そして白骨となって散乱し、消滅してしまうありさまが描かれる。

 ラテン語の「メメント・モリ」は「死を想え」という意味だそうだ。そうしてみると、九相図をもってする九相観は、まさしくメメント・モリ以外の何物でもあるまい。但し、「メメント・モリ」は、明示されてはいないけれども、死を思うことによってより生を高めようとする現世利益的でポジティブな感じもする。他方、「九相観」は、死にすらとらわれない境地を得るためにひたすら死を直視する。死への傾斜、死ぬことへの耽溺、更に言えば死への鈍磨(どんま)や病性のようなものが感じられ、少し不健康な気がする。

読書

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 国会図書館へ来たので、「東京タラレバ娘」の続きを読んだ。第9巻。

 読み終わってから知ったのだが、この漫画はこれが最終巻だった。去年の夏、7月に出ている。

 面白かった。

 国会図書館のシステムがリニューアルされて使いやすくなっている。「カート」に申し込みを一時溜めておき、まとめて申し込むことができるようになった。前はこれができなかったのだ。

読書

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 司馬遼太郎「菜の花の沖」、全6巻を読み終わる。

 最終巻の第6巻では、第5巻で詳しく語られたロシアの背景をばねに、物語が急展開して「結」に向かう。主人公高田屋嘉兵衛の、人生最大の、高田屋嘉兵衛を高田屋嘉兵衛たらしめた有名な事件が起こるのである。

 ロシア海軍人・リコルド少佐との濃密な人間関係の構築が余すところなく描かれる。嘉兵衛の人間力は破天荒なまでに発揮され、かつ、また、彼が商人として篤実に培ってきた実務能力が日露両国の関係を完全に調停する。

 後日談として、高田屋嘉兵衛が亡くなるまでのことが淡々と語られる。

 さて、もともとこの読書は、去年の立春頃、つまり、今の季節より2~3週間後頃、同郷の先輩Hさんと「矢切の渡し」を見物に行った際Hさんから聞いていたのを、最近になってやっと読めた、というものであった。Hさんお(すす)めのものであるだけに、読み応えがあり、楽しい読書であった。

読書

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 引き続き読み進む。司馬遼太郎「菜の花の沖」第5巻。

 この巻では相当長々と主人公高田屋嘉兵衛とは直接関係のない、しかし物語上重要な当時の状況、ロシアとの国際関係、国内の政治状況などが作家・司馬遼太郎自身により語られる。そのページ数たるや、53ページから387ページまでの335ページに及ぶ。全部で414ページ中の335ページだから、この第5巻の8割はそういうページで占められている。

読書メモ
言葉
()

 この作品中に、度々、主人公高田屋嘉兵衛と前後する時代の船頭、「大黒屋光太夫」が登場する。沖船頭で、東廻り(太平洋)で難破・漂流し、アリューシャン列島に漂着、紆余を経て貴顕の教授ラクスマンの助力によりロシア皇帝エカテリーナ2世への謁見まで許された。やがて皇帝の力により送還され、10年後に帰国した人物だ。

 帰国後、光太夫の体験談を幕府の奥医師で蘭学者の四代・桂川甫周が聞き取って書きまとめたものが「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」であり、今に伝わる。

 この書名の「北槎(ほくさ)」というのは何かということだが、「()」は「いかだ」とも()み、してみると「北槎」とは「北の筏」、ひいては「北方の漂流」というほどの意味である。

 下の「聞略」のほうは「聞略」でひとつではなく、どちらかというと「北槎聞」の「略」ではあるまいかと思う。つまり、「北方の漂流記」の「概要」とでもいった意味が妥当であろう。

読書

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 「菜の花の沖」第4巻。

 私は司馬遼太郎作品について批評ができるほど多くは読んでいない。「坂の上の雲」と、それからこの「菜の花の沖」だけである。

 しかし、司馬遼太郎の歴史小説については「司馬史観」などと言われる批判があることは知っている。小説は読み物として楽しめなければならないから、司馬遼太郎の作品中でも、主人公たちに相対する立場の者は、どうしても批判的に描かれる。

 この「菜の花の沖」では、松前藩があまりにもケチョンケチョンに悪く書かれる。出版当時、旧松前藩関係者に悪く思われたのではないかと心配してしまう。

 さておき、この巻では、松前藩と幕府の間に大事(たいじ)出来(しゅったい)する。蝦夷地東半分を幕府が7年の有期で召し上げてしまうのだ。主人公嘉兵衛は、深間にはまった、とか、巻き込まれた、というのではなしに、(なか)ばは運命に乗り、半ばは自ら、蝦夷地経営のための幕府の御用を言いつかるようになっていく。国後(くなしり)択捉(えとろふ)両島間の難所、「国後(くなしり)水道」を渡る航路を見つけ、択捉島を大いに振興していく。幕府定御雇(じょうおやとい)船頭として船団を構築し、帯刀まで許される。

 物語の起承転結は、大きな「転」に向かって、「承」が極大まで盛り上がっていく感じだろうか。主人公嘉兵衛のサクセス・ストーリーを追っていく読書は、快い。

 こうしたことの他、かつての北辺の領土政策に関する作者の考察などが相当詳細に述べられていく。

 ところで、こんな部分があった。

新装版 菜の花の沖 (4) (文春文庫)、ISBN978-4167105891、221ページ~222ページから引用

「おなじ陸でも、蝦夷地はいい」

 仕事をしているだけで済むからだ、と(嘉兵衛は)いった。そこへゆくと、兵庫は利害と看板のからんだ人間関係の密林のようなものであった。

()内筆者

 ひょっとすると、清教徒が逃げ込んだアメリカも、これと同じことだったのではないかと思う。イギリスの濃密な古さに辟易したのではなかったろうか。

読書に使う地図について

 (ちな)みに、地図を見ながらこの本を読む際には、Google Mapよりも「電子国土」のほうが絶対に良い。Google Mapは一方的でふざけた政治的忖度の押し付け、特に我が国領土を狭めよう狭めようとする外国勢力の主張ばかりを採用する傾向にあるため、北海道東北方近海、とりわけ所謂(いわゆる)北方領土の地名がゴッソリ抜け落ちている。そのため、この作品中の記述を確かめるためにGoogle Mapを見ても、どこの事を言っているのだかさっぱりわからない。しかし、電子国土で見ると、さすがに我が国政府によって整備されているから、そこらへんはしっかりしている。

 上に見るとおり、情報量の優劣は一目瞭然である。

言葉
故実読み

 途中、小説の本題から離れ、延々と作者により当時の外交・領土関係に対する考察が述べられるところがある。その中に、幕末維新の志士、榎本武揚(たけあき)が出てくる。

 その風貌について

新装版 菜の花の沖 (4) (文春文庫)、ISBN978-4167105891、157ページより引用

 明治七年の露都ペテルブルグにおける榎本武揚の外交の成果は、ほぼ過不足のないものであった。

 旧幕の旗本が、薩長出身の官員にくらべ、容儀が堂々として対外劣等感をもたなかった。かつて榎本和泉守を称したこの男もそうであり、容貌・風采についても、書生あがりの薩長人よりもすぐれていた。このあたりも、黒田清隆の見こんだところであったろう。

……と書かれた箇所があった。

 それで、ハテ、榎本武揚って、どんな顔だっけ、確か顔写真は有名なものが残っていたよな、どれどれ、とGoogleで検索してみると、Wikipediaの記事が出てくる。

 顔写真は「ああ、そうそう、こんな顔、こんな顔」で、それで済んでしまったが、記事の中にこんな記述(くだり)があった。

 榎本武揚(えのもと たけあき、1836年10月5日(天保7年8月25日) – 1908年(明治41年)10月26日)は、日本の武士(幕臣)、化学者、外交官、政治家。海軍中将、正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川(りょうせん)。榎、釜を分解した「夏木金八(郎)」という変名も用いていた[3][4]。なお、武揚は「ぶよう」と故実読みでも呼ばれた。

(上文中下線太字筆者)

 関心を持ったのは内容ではなく、「故実読み」という言葉だ。「あ、こういう読み方のこと、『故実読み』って言うんだ」と知った次第である。

 確かに、年配者などに「野口英世」のことを「野口エイセイ」とか「エイセイ野口ヒデヨ」などというふうに言う人があり、こういう読み方のことを何と言うのだろう、と思っていたのである。

 検索すると「『故実読み』は『有職(ゆうそく)読み』ともいう」(など)とある。

 また、「人名を音読みにしさえすれば、なんでもかんでも有職読みと言うとは限らない」というようなことも書いてある。

読書

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 引き続き読み進む。

 主人公高田屋嘉兵衛は着々と力を蓄える。ついに新造の持ち船、巨大な弁財船「辰悦丸」も手に入れ、いよいよ念願の北前航路、松前交易に乗り出す。恩義のある堺屋を不義理にもせず、新たな屋号の高田屋で徐々に「オーバーライド」していく。

 大成していく主人公が生き生きと描かれ、読んで楽しい。しかし、幕府と松前藩の因縁深い関係の狭間に足を踏み入れてしまいそうな予感が少しづつ出てくる。

言葉
サンピン
新装版 菜の花の沖 (3) (文春文庫)、ISBN978-4167105884、64ページより引用

 この時代、一両の値打ちの大きさは非常なもので、江戸の旗本が臨時に雇い入れる最下級の侍の給金が年三両一分で、町人たちはかれらをサンピンと呼んだ。

 「サンピン」というとやくざ者をからかってそう呼ぶような気がするが、それは違うということを上記で再認識する。むしろ、例えばやくざ者が下っ端刑事をからかって「サンピン」と言ったり、役所への出入りの業者が公務員を愚弄して「サンピン」というような使い方が本来だろう。逆に、官吏がやくざ者をからかう場合は例えば「おい、三下(サンシタ)」と言うのである。「サンピン」と「サンシタ」は、語感は似ているが全く意味と向きが違う。「三下」というのは、客の履物を出し入れする下足番、表の戸に立っている表番、雑用に追い使われる使番などの「三人下っ端」のことを言うのである。

読書

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 書店を覗くと「君たちはどう生きるか」という漫画が平積みになっている。原作者名を見て驚いた。「吉野源三郎」とあるから、間違いなくあの本である。

 原作を読んだことがある。良い本である。戦前の本だ。

 私は残念ながら子供の頃にはこれを読んでおらず、読んだのは19歳の頃で、それがまた、どうしてか、当時通っていた夜間大学のゼミの教授に「ゼミのテキストとして」、児童文学の範疇に入るこの本を薦められたのである。

 どうして教授が、「学生は大人ばかり」というⅡ部(夜間部)のゼミのテキストにこの本を選んだのか、私には今もよく解らない。良い本と言えば確かに良い本なのだが、大人向けの内容ではなかったと記憶する。

 しかし、復刻漫画化されるほどであるところからも感じられる通り、ある種、その内容が万人受けするとは思う。間違ったことは書かれていないし、また、ああすべきだ、こうすべきだ、というような説教臭い内容でもない。題名の通り、少年にどう生きるのかを問うてやまない内容だ。

読書

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 先日からのんびりと読みつつある「菜の花の沖」第2巻。今日読み終わった。

 嘉兵衛は大勝負に打って出、それをもとに中古船の持ち船船頭になる。そこからは堅実に実績を積み上げていく。文字通り「村八分」の憂き目にあった故郷・淡路島へ錦を飾り、帰郷がかなう。

 苦労人が成り上がっていく気持ちの良さが味わえる第2巻である。起承転結で言うと「承」の巻といってよい。

 引き続き第3巻を読む。

読書

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 昨夜はクリスマス・イブということで、目下読書中の「菜の花の沖」第2巻は脇へ置き、キリスト教の理解に努めんものと、手元の文語体「舊新約聖書」のうち新約から「マタイ傳福音書」「マルコ傳福音書」「ルカ傳福音書」「ヨハネ傳福音書」を交々(こもごも)読み、「使徒行傳」に少し入ったかな、というあたりで深更1時となり、力尽きた。

 私の持っている聖書はこの文語訳版1冊のみだ。文語訳の方が口語訳のものよりも格調が高く、読んでいて楽しい。

 なにしろ、クリスマス・イブの晩に聖誕譚、聖跡譚なぞ読み耽ろうというのだから、我ながら、キリスト教徒よりもキリスト教徒らしいのではなかろうか、などと思わぬでもない。

 しかし、信仰心で読んでいるわけではなく、冷静な理解の一助としようとして読んでいるのであり、また他面、聖書は物語として読むと結構人間臭くて面白いと思うから楽しんで読んでいるのであって、キリスト教徒から言わせれば恐らく不埒という他なく、その点私は我知らずというような無意識をも含めて、キリスト教徒ではない。

 むしろキリスト教なぞ嫌いですらある。