応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.62

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 練習に緊張感を入れるため、ビデオにとり、Youtubeに上げて遊ぶ。

 少々ミスタッチが多いが、まあいいや。更に練習ッ。

デブ上司の思い出

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 私のブログには職場のことは出てこないが、それは普通の社会人としては当然である。客商売の人がその日店に来た客の容姿のことを縷々書いたり、警官が取調べ中の容疑者のことを書いたり、メーカーの人が開発中の製品のことを書いたり、銀行員が有名人の預金残高を書いたりなど、するわけはない。私もそれは同じことである。

 だが、今日は珍しく職場のことを書く。と言っても、だいぶ前の出来事で、しかも仕事とは関係のないことだ。問題の登場人物は既に定年で辞めてしまい、私や職場とはなんの関係もなくなってしまっている。既に年賀状の付き合いすらない。職務の内容と関係もなく、書いたところで私にはなんの痛痒もなく、職場に損失もなく、それからなにより、話としてはけっこう面白いと思うから書くのである。

 さて、今日取り上げる人物はデブであり、私の上司であった。仕事が関係なければ概ね陽気な好人物ではあったのだが、本来的に怠惰であり、どんなことでも、自分の手間ひまが増えると判った途端、いかにして上司同僚部下に責任をかぶせて自分が逃げるかだけを考えているような矮小漢であった。デブっぷりももはや救いようはなく、身長160センチほどなのに体重は90キロを超え、高血圧、高脂血で、腹囲を測るなんて、やるだけムダであった。ある時など、なにもせずにじっと座っていただけなのに、人差し指の第1間接の曲がるところから突如血が噴き出した。高血圧と動脈硬化の進みすぎである。いずれ、体の内部の奥深いところで同じことが起こり、突然死するだろう。

 最近は「成人病」のことを「生活習慣病」と言うようになり、本人の責任に帰する世の中になったが、このデブは生活習慣を改めようなどと言う気持ちはさらになかった。たしか、5年間だか10年間だか、成人病検診の全項目が毎年続けてアウトになるという輝かしい(笑)レコードをも保持していたはずだ。

 ある夕刻、このデブの退勤の様子をたまたま遠くから見守っていた人があった。その人によると、デブめ、通勤電車内で妙にそわそわと落ち着かないな、と思って見守っていると、突然下車するや、まっしぐらにラーメン屋に向かったと言う。面白いのでそっとついていくと、ものすごい勢いでラーメンを平らげ、また電車に乗ったのは良いが、次の駅とその次の駅でも続けざまに同じことをしたという。ついていった人も物好きだなとは思うが・・・。

 前置きが長いが、厭わずさらに前置く。かく述べる私についてである。このブログでは、Youtubeにリンクした私と娘のトルコ行進曲の連弾の映像くらいしか私の外見がわかるようなものはないと思うが、そこからも見て取れるように私は痩せている。42歳の今も、毎日12kmのランニング、腕立て伏せ150回、腹筋300回、ダンベルカールで片手25kgを上げる膂力を維持している。身長170センチ体重64キロ、19歳の頃から1グラムも増えていない。そのため、その頃にあつらえた背広を今もまだ着ており、喪服礼服も若い頃に買った一張羅のまま、逆に洒落がないと笑われるお粗末である。いや、こんなことを自慢したいのではない。これは今から述べたいことの前置きである。

 問題のデブ上司はそんな私が疎ましくて仕方がなかったらしい。私がなにも言わぬ前に向こうから、

「佐藤君、キミのように痩せている人間は、統計上早死にするんだよっ!!」

とか、

「キミのように肥らない体質の者が、何の努力もしていないのに痩せているからと言って鼻を高くしている今の世の中はおかしいし、キミもおかしい」

とか、

「もし今、世界が荒廃して食糧がなくなり、サバイバルの時代になったならば、キミはすぐに飢えて死に、ボクは生き延びるわけだ」

とか、

「昔はねえ、痩せると『痩せているねえ』と哀れまれたんだよ、食糧に不自由していたからねえ」

・・・とか言い散らかすのである。食糧に不自由ったって、その人が育った時代は昭和30年代で、食糧難は終わっていたのだが。それに、そんなことを言い出すとき、職場中の誰も体重や健康や成人病や脂肪のことなど話題にはしていないのだ。デブ上司は私の姿をじっと見ては、まったく何の脈絡もなく突然言い出すのである。

 今日のこの長大な前置きは、実は、このデブの次の発言にあいた口がふさがらず、後になって思い出しては私が爆笑しており、是非ともここに記録して留めておきたいがためのものだ。

 ある時、──その時も例に漏れず、このデブは私の姿かっこうをしげしげと見ていた──私が何も言わないのに、また突然向こうから次のように言いだしたのである。

「佐藤君。僕はね、キミなんかよりものすごく健康なんだ。
 つまり、人間の体と言うものはね、切れば赤い血が流れるダイナミックなものなんだ。つねれば痛み、くすぐれば笑う。刺激に対してそれに応じた正確な反応があるというのが健康な人間なんだ。食べて運動しなければ太るというのも、自然の流露というもので、体が正しく機能している証拠だ。
 同じように、塩分や脂肪の取りすぎで高血圧や動脈硬化になるのは、健康な人間の体の、正確で自然な反応なんだ。誰でも中年になると肝機能が衰え、脂肪が分解できなくなってハラ周りに脂肪がつく。これも老化という『入力』に対する、いわば人間機能という名の関数の『戻り値』だ。それが自然な人間だ。
 健康で楽しくお腹が空き、おいしいものを味わってニコニコ笑う、これは精神も健全だということの証明だ。
 ところがどうだ、キミを見たまえ!!キミのように、食べても太らず、40歳も過ぎているくせに10代のころと同じ体重などと言うような、そんな不自然な体があるか。キミの不自然な体は、40歳にもなって毎日12キロもランニングして平然としていると言うような、不自然で狂った、間違った生活習慣から来ていて、どこかにひずみが来ているんだッ!。キミなんかそれが原因で早く死ぬだろう。そのときに気づいても遅いんだよ!!
 キミも技術者ならわかるだろう!刺激に対する正しい反応がないというのは、入力に対する出力がないコンピュータシステムと同じで、不良な状態なんだよッ!だからキミなんか、物品で言えば不良品だッ!!。
 ストイシズムだかダンディズムだかなんだか知らんが、目を怒らせて体なんか鍛えて苦しんで、食べたいものを我慢なんかして、そんな楽しくない人生や精神が健全と言えるか?!
 キミは不自然、不健全であり、つまり不健康なんだ。
 
すなわち、ボクはキミより、健康だッ!!」

 じっと座っていて指から高血圧で血が噴き出し、成人病検診のすべての項目がアウトになるような人物の発言だ(笑)。いやもう、世の中にこんなにトチ狂った、ワケのわからない、かつもっともらしい理論の組み立て方があるものかと、当時の私は自分が侮辱されているということに怒るのも忘れ、感心すらしてしまった覚えがある。このデブは、常日頃からこんな論理構成ばっかりして暮らしていたのだと思う。しかもそのおかしな論理構成っぷりで出世はしているわけだ、私の上司になるくらいだから。

 この発言は、一種の言い訳とも取れる。このデブの場合、頭が悪い人物ではなかったので、自分の脳内に組み立てられている各種の言い訳を、このように言葉に変換して私にぶつけることができたのだと思う。

 だが思うに、おそらく、世間の多くの人たちは、このような言い訳の多くを、言葉にすることはないにしても、脳内で延々綿々と述べ続けては心の平安を得ているのではあるまいか。

驚いたのなんの

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 私の次女がピアノの先生からいただいている教則本は、「あたらしいピアノのおけいこ 子供のための音楽教室編」(音楽の友社)と、「バスティンピアノベーシックス」(東音企画)の二つである。

 残念ながら、私がおっさん面下げてバイエルを弾いているからと言って子供もバイエルかというとそうではない。ただ、「ピアノのおけいこ」のほうには、ツェルニーやバイエル、メトードローズがいいとこどりで取り入れられており、バイエルでは16番や37番といった私も好きな曲が挿入されている。

 ところで、「バスティンピアノベーシックス」の「バスティン」なる人がどういう人物か、知っている人はいるだろうか。おそらくあまり多くはないのではなかろうか。私は、まったく知らなかった。

 今日、前から時々コメントさせていただいたりしている"ぴよこ"さんのブログを見に行ったら、こんな記事があった。

 なんとバスティン氏はまだ存命の方で、品のいい老女なのであった!!

 むろんその端正かつ丹精な弾き方は、ぴよこさんのブログの中にあるyoutubeへのリンクからも明らかである。

 次女にも見せてみた。二人して「へぇ~、へぇ~!」と感嘆しきりである。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その2.0

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 今日はいよいよ本番、次女のピアノ発表会であった。連弾で出る私は、ワキ役とは言え、初めての舞台である。近所に住む義兄夫妻までが見に来てくれた。

 出演する人たちは、四十過ぎの私は別格として、上は高校2年生から、下は幼稚園の年中組の子まで、男女取り混ぜて幅広い。

 次女は小さいせいか、緊張というものを知らない。ソロのプログラムの3人目にショスタコービッチのワルツとケーラーの「バースディマーチ」という曲を続けてサラリと弾いた。バースディマーチは一箇所間違えてしまい、惜しかった。だが、我が子のことで身内びいきながら、ショスタコービッチのワルツはなかなかしみじみとした出来ばえで、上手に弾けていたと思う。

 休憩を挟んでプログラムは連弾に移る。いよいよ私たち父娘の出番だ。今日の出演者の中で、家族で連弾をするのは私たちだけだ。

 出だしで少々呼吸が合わなかったが、次女が合わせてくれた。弾き始めたとたん、細かなことは全部頭からすっ飛んでしまい、ただただ弾くのに夢中になってしまった。ミスタッチはするわ強弱はヒドいわ。はじめはそれほど緊張しなかったのに、なぜか途中から指が震えるような緊張を覚えた。




 それでもなんとかかんとか弾き終えた。ヘタでも、とてもうれしい満足感があった。次女もだいたい満足したようで、うれしい顔をしている。義兄夫妻から花を貰った。四十過ぎたオッサンに花があるとは思いがけないことで、うれしかった。

 何人かの人に誉められたりして、お世辞とわかっていてもうれしいものだ。ピアノを演奏することの醍醐味はこのへんのところにあるのだろう。

 状況さえ許せば、来年もまたやってみたいものだ。

NTTドコモ携帯電話 Primeシリーズ「SH-03A」のこと

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 暮れに、訳あって大金を投じ、携帯電話をNTTドコモの最新シリーズ「Prime」の、「SH-03A」に換えた。快適であり、おおむね満足している。だが、2~3の不満足な点もある。良し悪しを綯い混ぜて、ここに書き留めておきたい。

  •  電子メールを書いている最中に、写真を撮って添付したくなることがままある。前の「D901is」だと、添付ファイルをつけるときに「新規に写真を撮って添付する」という選択肢が出て、手軽にこれができた。だが、今度のSH-03Aはそのへんは簡単ではない。マルチタスク機能を使ってやることになり、少々煩雑だ。×。(よく見るとできることがあとでわかったので訂正。2008年2月7日)今度のSH-03Aもそれはできるのだが、選択肢がサブメニューの後ろのほうにあるため、メニューを1ページ送らなければならない。ともすれば「その機能がないのではないか?」と勘違いしてしまう。サブメニューのよく使う機能は前のほうに送られてくるなどの工夫はなかったものか。
  •  ブルートゥースが組み込まれており、ワイヤレスヘッドフォンとの相性は抜群である。満員電車で通勤していると、不快を紛らわすのに音楽は卓効があるが、ヘッドフォンのコードがあっちこっちにひっかかったりしてややこしい。私はソニーのBRC-BT15というハンズフリー通話機能つきのブルートゥースレシーバーを秋葉原のヨドバシカメラで8900円ほどで買った。
    SONY ワイヤレスオーディオレシーバー BT15 ブラック DRC-BT15 B SONY ワイヤレスオーディオレシーバー BT15 ブラック DRC-BT15 B
    価格:(税込)
    発売日:

    これは実に快適なもので、この小さく軽いレシーバーのスイッチを入れると、携帯電話の音楽プレーヤーが連動して立ち上がり、前回スイッチを切ったところから続きの音楽再生が始まる。電話がかかってくれば、側面にある小さなボタンを押せば良い。内蔵マイクで快適な通話ができる。人ごみで突然、ポケットに手を突っ込んだままハンズフリー通話をすると、さすがに周りの人が引きますがね(笑)。

 普通、ヘッドフォンを携帯に接続するにはいわゆる「平形」のコネクタでつなぐものだが、平形コネクタは繊細なつくりで、強度はあまりない。ポケットなどに無造作に入れておくと、ともすれば折れてしまう。その点でも、このブルートゥースレシーバーは実にオススメで、ワイヤレスであるから、脆弱なコネクタ類が出っ張るということもなく、携帯を壊すことがない。

 また、どうしたわけか、FOMAの以前の「平形ヘッドフォンコネクタ」はなくなってしまっており、以前に買ったコネクタは使えなくなっている。このシリーズでは、ヘッドフォンをつなぐところは、充電のコネクタと一緒になってしまっているのだ。したがって、別売りの「充電スタンド」を使わないと、充電しながら音楽を聴くことはできない。だが、このブルートゥースレシーバーを使えば、充電しながら支障なく音楽が聴ける。充電スタンドにセットした状態でも、ブルートゥースは5メートルや6メートルはまったく問題なく飛ぶから、同じ部屋の中であれば大丈夫である。

  • Img_0668_3 この機種の音楽機能はピアノとベストマッチである。 前述のブルートゥースレシーバーを愛用のデジタルピアノ「Roland FP-7」のヘッドフォンステレオ用端子にステレオミニプラグで接続し、携帯でアシュケナージのショパンなどを再生して聞けば、FP-7とSH-03Aは実に文句なしのステレオ装置に早変わりする。色を黒で統一したのは意識したわけではなかったのだが、こうして組み合わせてみると実に良い。
  •  音楽機能はWindows Media Playerと非常によくリンクし、音楽データの転送も簡単である。
  •  音楽機能の不満点がひとつある。8GBのmicroSDを入れれば、我が家にある全てのCDを飲み込んでまだ余りあるほどの容量があるのだが、残念ながら曲の数は1000曲が上限である。説明書には1000曲とあるが、999曲でエラーが出る。1000曲というのは意外とすぐにいっぱいになってしまうものなのだが、上限が1000曲までという説明もわかりにくいところにある。しかも、1000曲を超えたときに表示されるエラーは「1000曲でいっぱいです」という意味のものではなく、ただ「失敗しました」とだけパソコン側に表示されるので、なぜ失敗したのかがわからない。少々改善の余地が感じられる。
  •  タダで地図アプリが最初からついており、ナビゲーション機能もある。徒歩や電車移動時の道案内は、「次の交差点を右へ曲がれ」等と音声で教えてくれ、実に快適だ。地図はネットの向こうから最新のものをそのつど持ってきて表示してくれる。だが、「パケホーダイ」等の契約をしないで、ナビゲーションしながら電車などに乗ってしまうと、大変な量の地図をスクロールしつつネットの向こうから持ってくるので、莫大なパケット代がかかる。要注意である。私はそんなことにならないよう、しっかりと「パケホーダイダブル」を契約しておいた。
  •  カメラは高機能だが、反応はデジカメほどには速くないので、それほど期待はしないほうがいいと思う。
  •  標準でついているフルブラウザは、一度使うとやめられませんというくらいのすばらしい出来である。だが、これでYouTubeなど見るとき、ブルートゥースに音が出力されないのはメーカーの千慮の一失といえ、残念である。 

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その1.5

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 次女との連弾の練習を進めつつある。

 緊張下で練習するため、ビデオにとり、YouTubeにその動画を上げた。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その1.2

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 今日は成人の日、祝日で仕事は休みだったが、月曜だから、次女の通常のピアノのレッスン日である。発表会が近いので、無論私が連れて行く。

 レッスンの後半、連弾を先生に見ていただき、まずまずあまりたくさんのご指導はいただかなかった。今日の段階では可はなし、而して不可はなし、というぐらいの感じである。

 ただ、私はどうも、次女を置いていっている感じがある。もう少し次女とあわせたい。

 この曲のテンポは、楽譜に書いてある「♩=112」だと、私にはたいへん速く感じられる。このテンポのことを先生に伺ったところ、

  •  数字にはそんなにこだわらなくて良い。
  •  それよりも、「Allegretto」という標語の意味をよく考えること。
  •  「行進曲」という題を考え合わせる。速いものといえばベートーベンの頃には最速でも馬車程度であったはずだから、かつての行進曲はそんなに速くはなかったはず。
  •  2/4拍子で、右足に拍をおきつつ、歩いて歌うのもよい。実際に歩いてみながら、階名で歌ってみるとよくわかる。

 ・・・等と、実に該博な知見でご指導くださった。

「昔の行進曲は、こんなふうに(手のひらで足の運びを擬しながら)右足を出しては一旦両足を揃え、左足を出してまた両足を揃え・・・と、いう具合だったそうですよ。」

とおっしゃる。そういえば、トルコ軍楽「メフテル」の映像の中で、メフテルハーネたちがそんな歩き方をしていた記憶があって、そう申し上げると先生も頷いておられた。

  •  トルコ軍楽「メフテル」の名曲「ジェッディン・デデン」

 モーツァルトもベートーベンも、その活動時期には既にオスマントルコのウィーン攻めは伝説の時代劇であったはずである。だがしかし、曲の抑揚のつけ方、時々出てくる短音階の怖い感じ、やや滑稽味のある珍しいところ、装飾音・前打音の「小ぶし」感などに、ウィーンの人たちの民族の記憶としてどれほど強くトルコ軍がその軍楽とともに刻み込まれていたかが感じられる。

 当時のウィーンの人たちは皆殺しをもってなるトルコ軍をどんなにか恐れていたことだろう。異文化、異人種、そして近づいてくる今までに聞いたこともない変な音階のラッパ、複雑な巨太鼓のリズム。

 それまで、行進曲や軍楽というものはヨーロッパにはなく、音楽の都を自ら称するウィーンといえども、トルコ軍のメフテルは、かつて見たことも聞いたこともないものだったのだ。か弱い市民たちがその耳を聾する響きにどれほど腰を抜かしたか想像に難くない。まして今の軍隊とは違う、女は蹂躙され、子供は連れ去られるか老人とともに虐殺、財貨も食料もひと舐めだ!!

 だが怖いもの見たさ、物珍しさで地下のワイン倉にでも隠れて戦々恐々、小窓から半分眼を覗かせて、やかましいメフテルが恐怖とともに近づいてくるのを待ったに違いない。市民がトルコのイェニチェリの、精強にして、だが、珍妙でもある装束を、怖さ半分面白さ半分、息を殺してしみじみ覗き見る姿が眼に浮かぶ。

 ウィーン攻めをあきらめて遠く去っていくトルコ軍楽の響きを、運良く生き残った市民たちは、胸をなでおろして聞き入ったことであろう。

 滅亡を免れたハプスブルグ朝は、オスマントルコの旗印の「日月」の形のパンを焼いてそれを喰らい祝うよう市民たちに命じたという。「トルコごとき、何ほどのことやある」と、事が済んでからの空威張りも、なにやらほほえましく感じられる。

 この時の「日月」の形のパンは、ハプスブルグ家とフランス・ブルボン家との結婚外交によって自然フランスに入り、しゃれたデニッシュの一種類「クロワッサン」となって今に残る。

 ・・・そんな感じが、この子供用の簡単な編曲にも横溢していると私は思う。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その1.1/他/YouTubeで遊ぶ

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 YouTubeに動画をいっぱい上げて遊ぶ。

 他に、

ショパン プレリュード Op.28-No.7@YouTube

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 ビデオカメラにピアノをつなぎ、演奏をビデオ撮りして遊ぶ。

 YouTubeにアップロードして楽しんでみた。

亀田何某が負けてうれしい

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 私はボクシングやスポーツにまったく興味などない。だが、私のような門外漢ですら、ボクシング選手の亀田何某が極めて無礼・失礼な言動で有名なことは知っている。

 その品性下劣な亀田何某が、清貧の世界チャンピオン、内藤大助氏に敗れたという。

 亀田某は不愉快である。ほんのわずか、テレビに出演しているのなどを目にしただけで、もう嫌いになった。

 嫌いなのなら、テレビやボクシングなど、見なければいいだけの話である。それで、これまで私は、自分の家の電気代を消費してまで嫌な気分を味わうのなど真っ平ゴメンということもあり、ネットでもテレビでも、「亀田・・・」という文字が見えるか見えないかの瞬間にスイッチを切ったりそこを避けたりしてきた。

 だが、亀某が負けたとなれば、これは話が別である。

 本当にめでたい。日本のスポーツに良心が生きていたことを喜びたい。youtube等で、いつもなら見ないボクシングの映像を探し、内藤大助選手の英姿をこれでもかこれでもかと何度も繰り返し再生した。本当に良かった。

 内藤氏は清貧な暮らしで、苦労人であるという。少しでも豊かになって、家族に楽をさせてあげられるように願って止まない。