天皇陛下万歳
もとは「明治節」であり、更に遡って明治大帝ご在世の間は「天長節」すなわち
オッサンは生きている。
天皇陛下万歳
日本の子供は減った。実感としても、昭和41年(1966)生まれの私などが育った頃は小学校のクラスは1学年につき5~6個、中学校のクラスは9個ほどもあったように記憶するが――それでも
二人の娘が通ったこの小学校も、その後漏れ伝え聞くところによると、小中一貫化や2校統合などが検討されているようだ。
それだけに、子供は大切である。祝日の目的通り、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる」ことが重要だと思う。
毎年書くことだが、この祝日の目的は上掲のことに加え、上リンクを見れば明らかなように、「母に感謝する」ことが明記されている。「父をどうこうする……」ような目的の祝日はないが、母に感謝することはこのように法律で定められているのである。
私の娘二人は既に大きくなり、もはや子供ではないが、私の妻は永久に娘二人の母である。したがって私は妻に感謝しようと思う。
尚、今年は今日が「立夏」である。今日から夏。
天皇陛下万歳
いよいよ憲法墨守の思いを新たにする私である。
何?「佐藤が護憲だと!?」ですか?
驚くにはあたらない。
私は右翼であるが、今や、無為に国費を浪費して無理矢理憲法を改正しようなどと言うのは愚かなことだと考えるようになった。今の私は、憲法を改正するのは、まず千~千五百年ほど現行憲法に従って精神力を錬磨してからでよいのではないか、とすら思っている。
内容と現実の一致について言うべき余地など最早なく、議論は虚しい。聖書に沿って生きるキリスト教徒がほとんどいないのと同じく、仏典や大蔵経によって生きる仏教徒などほとんどいないのと同じく、また
さておき、記紀にその由来をさかのぼる祝日が多い中――元旦、建国記念の日、天皇誕生日、また昭和帝の誕生日としての昭和の日やみどりの日、春分の日、こどもの日、秋分の日、明治帝の天長節としての文化の日、もとは「
ところが、その制定の経緯を紐解いてみると、これも古来の祭日に由来する端午の節句すなわちこどもの日、明治節すなわち文化の日などに影響されて曲折の末、現在の日にちが落ち着きどころとなったことが判る。いわく、入江文書によれば、5月1日に施行しようと考えたが「メーデー」とぶつかり、しからば5月5日にしようとしたがこれは「端午の節句」つまり「武の
なんにせよ、この祝日は連休、
天皇陛下万歳
祝日「昭和の日」である。
今日が昭和聖帝の天長節、即ち天皇誕生日であったことは誰しも知る。
その昔、俳人中村草田男は
と
春の雨がさめざめと静かに降る今日、つまりは「昭和は遠くなりにけり」と感じられるという、このことだ。
余談、前掲中村草田男の句は、「や」「けり」の「切れ字」が二重に使われている。これを「二段切れ」、詳しい向きは「二字切れ」といい、俳句では一般的に失敗作とされてしまうが、この句に限っては一段目の余情余韻、無駄を排した巧みな終句切れによって名作の誉れ高く、また、名人中村草田男の吟にしてはじめて成り立つ作品であるとも言え、大変愛されている句である。