今度は広告の調整が出来なくなってしまった。うーん。

投稿日:

 前のブログの固定ページもインポートして、作り直した。

 固定ページに広告が出ていない。それでGoogle Adsenseプラグインを起動したら、「サイトの分析」でえっらく時間がかかった挙句、「エラーが発生しました。もう一度お試しください。」などと表示されて、どうもうまくいかない。

GoogleAdsenseのエラー

 なんっか、トラックバックPingもうまく行っていないような感じだし、変だなア。

「PINGOO!」を使ってみる。

投稿日:

 最近、ブログのトラックバックというのはどうも流行らないらしく、以前はたくさんあったPingサーバというのはだんだんなくなっていっているのだそうな。

 一つのサービスにPingを送ると、アッチコッチにPingしてくれるようなサービスがあり、その一つに「PINGOO!」というのがあったので、登録してみた。

だからさ、テレビ見るの()めるといいんだよ

投稿日:

 睡眠不足なんだってさ、日本人は
 
 だからさ、テレビ見るの()めるといいんだよ。

 テレビって、こともあろうに、日常生活や子育てや家事や仕事や勉強にとって一番大事な時間に、一番人の目を()いてしまいそうな、面白そうな番組を狙って流すんだよ。あんなものばかり口あいてヨダレ垂らして見続けていれば、そりゃ睡眠不足にもなるだろうよ。

 精神病は睡眠の多寡に大きく影響を受けると聞く。テレビを見ることを止めるだけで、精神病が低減するはずだ。

 そして、自殺の原因の最たるものは精神病だ。精神病は睡眠を多くとらせることで低減することはよく知られるところだ。テレビを消せば悩みも減り、あたら若い命を自ら縮める人も減ることだろう。

 また、政治的な歪んだ洗脳情報を受け取ることも、テレビをやめるだけで少なくなる。

 人には一定の娯楽が必要だが、その意味ではテレビの役割はもう終わった。このIT万能の時代、睡眠時間を削ってテレビなんか見続けなくても、他にいくらでも娯楽はある。

 80歳以上の老人のために、文化及び技術保存の意味でテレビを継承すればいいのではないだろうか。「国宝・放送局プロデューサー」とか、「重要無形文化財・テレビ修理技術者」とか。

 テレビタレントは既に世襲になっているから、封建的な伝統芸能の(たぐい)に他ならぬ。そうすると番組にも新味はいらない。なつメロとか、老俳優のみが出演する渋いドラマ、落語、浪曲、歌舞伎、NHK紅白歌合戦など、粋向きなのだけ放送すると良い。かつてのトレンディドラマだって、能や狂言と同列だ。

 若者はそんなの見てもつまらないだけだから、ネット見てデジタルメッセージ交換してさっさと寝てしまう。まことに健康によいではないか。

 NHKの放送受信料を払わぬ者が若者に増えていると聞くが、いいではないか、そういう者は自ら汚れたテレビ番組など願い下げにし、睡眠するとよい。NHKなんか見ている暇があったら、仕事の残りを片付け、自宅の掃除をし、洗濯をし、料理を作り、勉強し、父母を寿(ことほ)ぎ、子供たちと話すことができる。そしてさっさと寝てしまい、朝早く起きて仕事に行くと良い。家からテレビを捨てると無駄な放送受信料を払わなくても済み、稼ぎも増え、朝の光を浴びて健康になるというものだ。

半野良のハート

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 近所に住む半野良猫のハート、最近どうも老いてきたようで、厳しい寒さもあってか、餌を飼ってやると玄関に香箱(おまる)を作って座り込み、なかなか家から出て行かなくなった。玄関の上がり(がまち)に置いてある座布団に丸まり、放っておくと半日も眠っている。どうかすると知らぬ間にリビングのクッションに丸まり込んで、家の者が気づかぬのをよいことに一日がところ寝ていたりする。一体どこで脱糞などしているのか、謎だ。

 別に邪魔でもないので放っておいている。癖になるとよくないのはわかっているが、老猫(ろうびょう)なのでこっちにも惻隠(そくいん)の情というものが湧き、あまり苛烈には扱っていない。弱いものを扱うのに、万物の霊長たるの鷹揚悠然は(これ)あって(しか)るべきだろう。

 近所に住み着いてからかれこれ8年ほども経つ。猫は人の6~7倍のスピードで歳をとると言うから、ハートも近いうちに死ぬように思うのだが、どうすればよいかは、まあ、その時考えればいいだろう。あいつも、苦しくとも自由な半野良のほうがきっといいに違いない。

Jetpack+パブリサイズ共有の

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 Jetpackを使ってGoogle+へのパブリサイズ共有をしているが、先頃から「自分とだけ共有」になってしまい、公開されなくなってしまった。

 これはGoogle+の設定で直すのだが、これがまた、もんのっすごっくわかりづらいところにある。Googleのユーザビリティは最近悪すぎるぞ。

 とてものことに、画面の情報からだけではこれは(にわ)かにはわかるまい。すごく変な所に設定箇所があるので、同様のことでお悩みの方がもし居られたら、以下の情報を参考にしていただきたい。キャプチャ画像はクリックすると拡大する。

1 Google+左側のパネルから歯車のアイコンの「設定」をクリックして、設定画面を表示させる。

Gplus_0

2 上のほうの「管理」という、すっごくよく見なくちゃわかんないようなわっかりにっくいリンク(笑)をクリックする。

すっごくわかりにくいリンク
すっごくわかりにくいリンク

3 画面の真ん中へんまでスクロールしたら見つかる「アプリと投稿への+1を管理」という、どう見ても「+1」の操作をした場合の管理設定をするようにしか見えないわかりづらいリンクをクリックする。

わかりにくいボタン
わかりにくいボタン

 これは、『管理』という述語が、『アプリと投稿の+1』の二つの主語にかかっているのか、『投稿の+1』だけにかかっているのかがまったく不明であることによる。もし直すなら、『アプリの管理・+1の管理』というふうに直すと良いと思うが、Googleへこのように意見したとしても、多分私が言っている意味が理解できないだろうと思う。

4 WordPressのシンボルが表示された管理項目があるので、「編集」をクリックする。

Gplus_3

5 自分が選びたい設定(ここでは『一般公開』)を選び、「保存」ボタンをクリックする。

Gplus_4

 これでGoogle+でも一般公開される。

 それにしても、なんてわかりにくいんだ!!こんなんでわかるかーッ!!

 実はパブリサイズ共有には、まだ気に入らないところがあって、それは、Facebookにこれで投稿すると、パブリックのタイムライン上では記事がまとめられてしまい、目立たなくなってしまうのである。自分のウォールでは一つ一つ表示されるのだが……。これも究明し続けているのだが、解決法が見つからない。

ブログのフォントなどが気に入らないので

投稿日:

 このブログのフォントにプロポーショナルフォントが使われたり、一部に英文フォントなどが使われてしまったりするのが気に入らず、カスタムCSSを使っていた。だいたいうまくいっていたものの、細部においてどうも思ったように行かない。

 私は段落の行頭を1文字空けるのに、どうしても全角スペース1文字を使いたいし、また、字詰めが等幅フォントでないと嫌なのだ。これを言うと、スタイルシート原理主義の人は「文章のセマンティクスに関係のないレイアウト情報はスタイルシートに切り分けるべきだ!」などと言って怒鳴りだすので、どうにも辟易する。

 以前、Wikipediaに書いたある項目で、段落の行頭を全角一文字空けていたら全部削除され、なにかの間違いかなと思ってもう一度空け直したら今度は激しく叱られた。「そういうことがやりたいんだったら自分のユーザスタイルシートに書けやオッサン、コラ、ああ?!」と言うのである。

 それに関するこういう議論の主流の主張を読んでいると、もう、狂信的と言うか、アタマおかしいんじゃないだろうかとすら思えてくるのだ。

 いや、わかります。わかりますよ、言いたいことは。私も技術者の端くれですんでね。言う事はわかりますがね。……そうはいうものの、ですね……。プログラムのソースコードじゃねえんだし、ましてや裁判記録や法律の案文じゃないんだし、そんなにキリキリカリカリすることないでしょうが、と思う。

 そんなこともこれあり、このブログについては、意を決して「子テーマ」というのを書いてみた。WordPress特有のカスタマイズ機能だ。

 WordPressの子テーマは、テーマのサブディレクトリ並びに適当なディレクトリを掘り、そこに「style.css」「テンプレート・ファイル」「function.php」の3つを、それぞれある一定のルールに従って記述・配置すればよい。

 私は和・欧文ともに等幅の明朝体が使いたいので、「style.css」の「font-family」の記述を全部書き直して、一丁上がりである。

もう見なくていいんじゃね?

投稿日:

 テレビの録画を禁止しようという動きがあるそうな。

 いやもう、モメるんなら、もう、テレビなんて見なくていいんじゃね?大して困んねェよ。テレビ衰退したら衰退したで、ほっときゃ誰かが適当に別のモノ考えるんだろうし。

のびやか

投稿日:

 大学受験を終えた長女が家に帰ってきた。昨日まで約2週間ほど、毎日試験だったのだ。2月の関東は降雪などで交通が麻痺することが多いから、念のため大学の近くにホテルをとり、ずっとホテルに泊まり込んで、そこから受験に行っていた。3つほどの大学を受けたのである。

 やっと家に帰ってきた。険しかった表情ものびのびとしている。折から空も晴れ、早春の陽光が目に()みる。

 発表までは、もう出来る事など何もない。待つだけだ。