まだまだファンは多いようだ。出せば売れている。
私にとっては懐かしい、安心で落ち着く内容、編集。
しかし、さすがに多少古びてきて、文体も古さを感じさせるなあ。
オッサンは生きている。
まだまだファンは多いようだ。出せば売れている。
私にとっては懐かしい、安心で落ち着く内容、編集。
しかし、さすがに多少古びてきて、文体も古さを感じさせるなあ。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha (季語は「炭」)
さえずり季題【262】 向寒のみぎり、古いところで「炭」を詠んでみましょう。赤々と熾った炭火は、つい数十年前まで、冬の居間になくてはならぬものでした。 或る夜半の炭火かすかにくづれけり 芥川龍之介 #kigo #haiku #saezuriha #saezuriha_odai
— 佐藤俊夫 (@SatoToshio) December 11, 2015
謹んで冥福を祈る。
左右が私とは違ったが、ファンだった。
後に代表作とされた「火垂るの墓」は勿論の事、「アメリカひじき」「エロ事師たち」「ラ・クンパルシータ」「死児を育てる」「プア・ボーイ」「焦土層」等の短編中編を、中学生の頃貪るように読んだ。読んだこと自体が懐かしい。
むしろ、悲しい悲しい「火垂るの墓」よりも、その表裏一体作の「アメリカひじき」のほうが好きだった。また、「火垂るの墓」にしても、アニメになったのは部分部分でしかなく、アニメには描かれていない少年らしい描写などが原作にはあって──例えば、幼い妹を抱きしめて、思いがけず柔らかく丸い感触になにやら
夢と希望、というと、限りなく力強い、人を前進させる栄養素、みたいに思っている人が多いのではなかろうか。
だが、「夢」は、目が醒めれば消えるものだ。
そして、「希望」は、
こうして解きほぐしていくと、どちらも、到底
大人は夢や希望ではなくて、「確信」に依るのがよい。どんなことがあっても消えることはなく、薄まることもないもの、それが確信だ。確信が嫌なら、「志」というのもいいかもしれない。夢よりも、希望よりも、志という字にはかならずやり遂げるのだという信念があふれているではないか。
妻と六本木の国立新美術館へ出かけた。今日は日展の最終日だからである。
どうして日展を見に行くかと言うと、私の義姉が書道家で、ここ数年、日展の常連だからである。いつも招待してくれるので、ありがたく鑑賞に行くのだ。
しかし、義姉の得意とするところは「かな」で、これがまた、素人には鑑賞することが大変難しい。同じ日本語なのに、1000年もたつと文字すら読めなくなるのである。
義姉はいつも万葉集を作品に取り上げている。今回の作品の一部はこれだ。
これがスラスラ読めるという人もあまりいないと思う。私も半分くらいしか駄目だ。しかし、
夕されば
秋萩は咲くべくあらし我がやどの
……とまで、なんとかかんとか、わかった。それがどの部分か、お分かりになるだろうか。
歌をよく反芻しながら作品を見ると、墨の濃淡や行の間隔の置き方に意味を持たせているところがよくわかる。
六本木の美術館をたっぷり半日見物して、神宮外苑に脚を運ぶ。今日は「いちょう祭り」というのが行われていて、その最終日だったからだ。
外苑の銀杏は見事なものなのだが、今年は色づくのが遅く、今日までかかったのだという。
神宮発行の資料によれば、この並木銀杏は明治時代から大切に育成され、既に樹齢は100年を超える。樹高は最大28メートル、胴回り2.9mに及ぶという。堂々たる巨木群である。すべて純粋な
大変な人出で、にぎやかであった。銀杏を見上げて写真をとり、
次女がテストで100点を取ったので、帰宅後、褒美に焼き肉へ連れて行ってやる。我ながら親ばかだ。
それにしても、ビッグデータ様々である。今朝Amazonでポチッた「ラズパイマガジン」が、もう届いているのだから。
これは、
さておき、ぬぅ、さ、さすがはラズパイマガジンっ!!アマチュアが望遠鏡の赤道儀補正装置をラズパイで作った、などと、ページを開けばもう、ゾクゾクするくらい、来るではないの、数々の製作事例が!
けっこう、2SC1815などの安いトランジスタで作動を助けたりする基本が解説されていたりして、俺が言いたかったことはコレだ、これぞ我が意を得たりというところもある。
さえずり季題【261】木枯らし 木を枯らさんばかりの強風。晩秋から初冬にかけて吹くとされる。 木がらしや目刺しにのこる海の色(芥川龍之介) 凩や海に夕日を吹き落とす(夏目漱石) #saezuriha_odai #saezuriha
— Blueberry7015 (@NHotozuka) December 5, 2015