千一夜物語を読み終わったので、7月17日から古川ロッパ昭和日記に戻ったつもりでいたのだが、読み始めてすぐに、「アレッ、これ、読んだことあるなあ」と、すぐ気が付いた。去年の6月に読み終わっていたのである。
でも、せっかくだからというので、そのまんま再読してしまった。
最近、「再読」が多いなあ。
古川ロッパ昭和日記の昭和16年以降を早く読みたいのだが、青空文庫の発表によるとまだ作業中である由である。
オッサンは生きている。
千一夜物語を読み終わったので、7月17日から古川ロッパ昭和日記に戻ったつもりでいたのだが、読み始めてすぐに、「アレッ、これ、読んだことあるなあ」と、すぐ気が付いた。去年の6月に読み終わっていたのである。
でも、せっかくだからというので、そのまんま再読してしまった。
最近、「再読」が多いなあ。
古川ロッパ昭和日記の昭和16年以降を早く読みたいのだが、青空文庫の発表によるとまだ作業中である由である。
「都連のドン」。馬鹿だぜコイツ。もう終わっちまわァ。小池百合子をナメ過ぎだよ。なにしろ、防衛大臣時代はアンタッチャブル中のアンタッチャブル、余人をして防衛省の天皇とまで言わしめた守屋武昌次官を馘首し、あまつさえ免職、訴追、家族まで起訴に追い込んだという、そういう小池女史が相手なんだぞ。多分こんな爺議員ごとき、ユリコ先生は小指で弾き飛ばしてしまうぜ。
いずれにせよ、都連というのが土台の腐りきった納屋みたいなものだと言うことにされつつある。こんなものは「男前」小池百合子がドカッと一発蹴飛ばせば、ドミノ倒しのように音を立てて崩壊してしまうだろう。
その後、東京オリンピックに関する諸問題を片付ける時には、全部「こ奴らが悪いことをしていたからだ」と罪をなすりつけてしまうのがよい。都連が何をするどういうところか、なんてことは、この際どうだってよろしい。ユリコ先生にとって必要なのは、「わかりやすい敵」なのである。
しかも、さっさと首相に面会し、笑顔で写真に納まってしまうと言う機動力の高さ。返す刀で幹事長から鷹揚な言質をとり、手打ちですかと詰め寄る報道陣に「そんな、『手打ち』だなんて、ヤクザじゃないんですから、おーっほっほ」と悠揚迫らざる余裕。その間、内田をはじめ爺ィ連中は別室にこもってヒソヒソと爾後談義、手を
イケイケ百合子先生、ひーっひっひ……。
あ、私、埼玉県民で、東京都民じゃないんで、全然関係ないことなんですけどね、全部。
さて、この人は右翼中の右翼だが、よりにもよって防衛大臣に。普通弁護士出身の人なんてものは、福島瑞穂なんかもそうだが、だいたい左翼と相場が決まってるモンだがね。
この8月15日はどうするのか、注目されるところ。いつもの年は、これでもかってくらい、靖国参拝を欠かさぬ人だからねえ……。
またしても昭和の残照が一つ、消えてしまった。恐ろしいほど完璧な無敵ッぷり、おっかねェ「ブラックまわし」が懐かしい。
連続張り手の奇策に出た寺尾を頭っから真っ逆さまに投げ飛ばした相撲など、いろいろと面白い一番もあったなあ。まだ若いのに、惜しい。
こういう差別的・抑圧的・前時代的・軍隊的スポーツであるから、野球はダメなんである。
この時代に
私の上司──と言っても、私は向こうを知っているが、向こうは私ごとき低位の者を永久に知る筈もない、というほどの大上司──は、一昨日をもって職を去った。辞するにあたって「韓非子」を引いた。いわく、
……と。
上司はこれを、昨年来の苦心惨憺の議論当時の、自らの心構えを
このこと、まことに味わい深い。
上司の辞を解説・
しかし、今回ばかりは、それが残念でならない。まことに味わい深い引用だったからだ。
それで、自分自身の私的リソースであるこのブログを使って、この上司の辞について解いておきたい。
巧詐は拙誠にしかず。これは韓非子の「
楽羊為魏将而攻中山。其子在中山、中山之君、烹其子而遺之羹。楽羊坐於幕下而啜之、尽一杯。文侯謂堵師賛曰、「楽羊以我故、而食其子之肉。」答曰、「其子而食之、且誰不食。」楽羊罷中山。文侯賞其功而疑其心。
孟孫猟得麑。使秦西巴載之持帰。其母随之而啼。秦西巴弗忍而与之。孟孫帰至而求麑。答曰、「余弗忍而与其母。」孟孫大怒逐之。居三月、復召以為其子傅。其御曰、「曩将罪之、今召以為子傅、何也。」孟孫曰、「夫不忍麑、又且忍吾子乎。」
故曰、「巧詐不如拙誠。」楽羊以有功見疑、秦西巴以有罪益信。
これは
楽羊 、魏将 たりて中山 を攻 む。その子中山 に在 り、中山の君 、その子を烹 てこれを羹 にし遺 る。楽羊、幕下 に於いて坐 してこれを啜 り、一杯を尽くす。文侯 、堵師賛 に謂 いて曰 く、「楽羊、我を以 ての故 に、その子の肉を食 えり。」答えて曰く、「その子を食らう、且 た誰をか食らわざらん。」楽羊、中山を罷 る。文侯その功 を賞するもその心を疑う。
孟孫 、猟 して麑 を得 。秦西巴 、使いしてこれを載 せ持ち帰る。その母、これに随 きて啼 く。秦西巴、忍びずしてこれを与 う。孟孫、帰りて麑を求む。答えて曰く、「余、忍びずしてその母にこれを与う。」孟孫、大いに怒りこれを逐 う。居 ること三月、復 た召して以ってその子の傅 と為 す。その御 曰く、「曩 に将 にこれを罪 し、今召 して以って子の傅と為す、何也 。」孟孫曰く、「夫 れ麑を忍ばざる、且つまた吾が子を忍ばん乎 。」
故 に曰く、「巧詐は拙誠に如かず。」と。楽羊は功有るを以って疑われ、秦西巴は罪有るを以て益 信ぜらる。
現代語にすれば次の通りとなる。(佐藤俊夫訳)
別の話。ある時、
だから、「
上司の、漢籍への深い素養が感じられた。
さて、私が味わい深いな、と思うのは、この話の流れ、特に二つの例話から導き出される結論として「巧詐は拙誠に如かず」にはならないのじゃないか、流れに無理があるのではないか、どうしてそうなるのか……等と、少しわかりづらいことと、それをあえて引いた上司の心についてである。
この出典のどこがわかりづらいかというと、読む人には自明の通り、「自分の息子を食うというような、血を吐くような行動でもって君主に仕えた楽羊こそ、むしろ拙誠と言えないか」というところである。自分の息子を喰らってまで、敵国の調伏につとめたのだ。むしろ軍人の鑑であるとも言い得る。しかし、おそらくそう思う方は、中国の途方もなく分厚い、古い古い文明史を解っていない。
自分の息子の肉をすら食って見せるという赤誠であっても、それは王の立場から見れば、「自己PRのキッツい軍人馬鹿のパフォーマンス」に過ぎないという一点にこそ、楽羊の例話が「巧詐」として位置づけられる理由がある。
思えば、かつての「カミカゼ」が、こうした「軍人パフォーマンス」の一つですらあったといえば、私は英霊から袋叩きにされるかもしれないが、しかし、あえてそう言ってみれば、「仔鹿と母鹿のことを思いやる」、つまり「
時下、中国との関係は誠に遺憾である。しかもなお、我が国の防衛は明確に解き得ざる混沌複雑のただ中にあり、ややもすれば人々がミリタリーのパフォーマンスに惑わされかねぬ状況にあるのは、むしろ事実と言える。
しかし、私の上司はそれを踏まえた上で、楽羊我が子を喰らうの一話、そしてこれが「巧詐」であると喝破する、難解な韓非子・説林の一説を引いた。
これぞ熟読玩味、銘肝すべし、というところであろうか。
また、そこまでひねくり回さず、この上司の説をまっすぐにとらえるとすれば、テクニカルでいかにもインテリに受けるレトリックよりも、誠心誠意よりする腹の底からの行動で示すことこそ衆人をして従わしめるであろう、という素直な理解も勿論ある。
その二つをもって、韓非子を引いた上司への、私なりの理解並びに讃嘆としたい。
原爆忌である。
思うだに、考えるだに、いたましい
だが、本当のところを
その証拠に、本当に悲しみ、本当に反省しているのならば、核兵器で死ぬ者が二度とないように現実の物理的努力をしているはずだ。だが、殆どの者はそんな物理的努力などしていない。政治家から学者、有名人、金持ちから貧乏人、一般人に至るまで殆どが、だ。
日本は中国・ロシアという核兵器保有国に隣接している。日本に向けて照準を定め終わり、いつでも発射可能な核弾頭の数は数百を下らない。それらはポチッとスイッチを押せば、地獄の業火となって私たちの頭上に降り注ぐ。軍事施設ではない、
この冷厳な事実に対抗するための具体的で物理的な努力に関して、人々はあまりにも冷淡である。はっきり言えば「何もしていないし、何も考えていない」のが実際である。それが、私たち共通の悲劇のこの日、広島原爆忌に、多くの者が悲しんでいるフリを実はしているだけだと、露悪的に私が
日本はある程度の弾道ミサイル防衛の実力を持ってはいる。だが、1発2発なら器用に撃ち落とす見事な腕前くらいは見せられても、20発30発と撃ち込まれれば、もう弾切れになり青息吐息だ。これを「飽和攻撃」と言う。そうなれば広島どころではない。何十万、いや、何百万もの人が焼け爛れて死に、中性子線による放射線障害でのたうち回って死に、遺伝子に対する甚大な影響で子孫までがおかしくなってしまうのだ。
中国もロシアも、50発でも60発でも核兵器を日本に打ち込む実力を潜在している。戦争は弱い者いじめだ。中国もロシアも、アメリカ本国に撃ち込めば苛烈な仕返しに遭って自分たちが困る。核戦争を開始するなら、まず弱小な敵国・やる気も覇気もない日本に数十発がところを撃ち込み、その親分アメリカの出方を見るだろう。ま、本当にやるかどうかは別問題として……。
まして、仮に、仮にだ。今もってなお世界一の軍事国家、水爆の殿堂にして核兵器の巣窟、かのアメリカ合衆国が、万が一にも日本の敵となる日が来たら、どうなるか。
反省するなら、悲しむなら、ポーズやフリではなく、本当に反省し、本当に悲しんでほしい。情緒的に悲しんで見せるのなど、中学生以下の子供でもできることだ。
ただし最後に言おう、本当の反省は、情緒よりする悲しみから出発する。だから、まず腹の底から
在特会桜井、都知事選で11万票獲得、5位、ってのは、なかなか面白い話だったと思う。SEALDsにからめると、ほんと、面白い。だって、両者の立場の人気差が歴然としてんだもの。