原理と世俗を分離して憲法を推戴する名案

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 名案が浮かんだ。

 昨日からのトルコの政変、トルコ共和国や、その前のオスマン帝国が永い間採ってきた「世俗主義」、つまりイスラム教徒なりの政教分離政策と、最近のイスラム原理主義の強まりによる復古思潮などを思いやっているうち、我が国の憲法改正論を落ち着かせ、改憲論者・護憲論者の双方を調停する名案を思い付いたのである。

 それは、次のようにするのだ。

 現行憲法を「宗教」「経典」に位置づけるのである。現行憲法を永久不滅・不磨の絶対原理、未来永劫不変の理念の経典ということにし、将来千年にわたって絶対に改変がありえない、神仏の所産ということにすれば、さすがの頑迷な護憲論者も納得するに違いない。なにしろ、経典なのだから、一字一句たりとも、人の子には変えることも加えることも除くことも許されない。改正手続きなど存在しないのだ。

 さしずめ、「日本国憲法は、至高の御仏(みほとけ)・九条如来が、その依代(よりしろ)マッカーサー菩薩の口を借りて人類に下げ渡した聖典である」とか、「宇宙絶対神キュウジョーが預言者ダグラスを遣わして霊峰富士の麓でこれを感得せしめ、宰相ヨシダをして普及せしめた不磨経」とか、そこらは適当にキチガイ神話でも拵えて理論づけておけばアホな連中は勝手に信じるだろう。

遂に護憲三昧境の法力を得た護憲教大僧正・岡田法主尊像想像図
遂に護憲三昧境の法力を得た護憲教大僧正・岡田法主尊像想像図

 ここで、共産党や社民党、民進党等の人たちは憲法経に拝跪(はいき)する聖職者ということにし、永田町に平成戒壇院を建立(こんりゅう)し、香華燈明飲食(こうげとうみょうおんじき)儀軌作法(ぎきさほう)もゆかしく、毎日憲法経を読経してもらって、かつ、その身分を保証し、国家から布施として無税の収入を得さしめる。憲法を奉ずる者は出家官僧の身分で、教学者として心行くまでその平和主義の蘊奥(うんのう)(きわ)めるのである。そりゃあ、あれだけの突拍子もない条文を奉ずるのだから、出家くらいしてもらって、一意専心、憲法経の法悦境に浸りきってもらわないといけない。「護憲大柴燈護摩(だいさいとうごま)供養」を施して寝ずに護憲精神を鍛えたり、「憲法千日回峰」と称して北アルプスを走り回るなど、荒行三昧に励むうちに、ひょっとすると何らかの神通力が身について、いつの日か戦力もなしに戦争が防げるという、核兵器並みのモノスゴイ法力が使えるようになるかも知れない。

 毎年大晦日・正月になると、「総本山・憲法山東京寺」は除夜の鐘を聴いたり、初詣をしたりする老若男女で賑わう。憲法山東京寺の梵鐘は特別鋳造で、百八つ()くと、「ゴケ~ン……ゴケ~ン……」と鳴るのだ。初詣では、皆、戦争の永久放棄や平和主義、基本的人権、国民の義務の履行などを祈る。護憲各派の各政党は布施や賽銭による浄財で公明党並みに潤うのである。

 この場合、神道方面は本地垂迹(ほんぢすいじゃく)説をあらためて採るとよかろう。

 一方、自民党をはじめとする改憲論者は改憲などせず、現行憲法を統治原理、永遠の宗教理念として、特に平和主義において精神の支柱とする。が、政教は注意深く分離し、政府としては「世俗主義」をとるのである。つまり、理念としては戦争は放棄するし、また万人平等の基本的人権なども憲法経を奉ずる国家理念としては強く希求されるのであるが、政治の採る世俗主義としては、やむなく戦争をする場合はありえるし、多数の生存のために少数の人権が制限される場合もなくはない、という、現実路線をとるわけだ。

 つまり、国権は絶対聖典・日本国憲法そのものの保護者として振る舞うのである。

 これには手本、前例がある。すなわち、キリスト教国家群、就中(なかんづく)ヨーロッパ白人集団が、実際には聖書に書かれていることなんぞ何一つ守らず、植民地は皆殺しにするわ黒人は奴隷にするわ戦争はするわ都市無差別爆撃はするわ、しまいにゃ原爆落として虐殺するわ、文字通り彼ら自身の神をすら恐れぬ不信心の極み、エホバ冒涜の狂気の沙汰の中にあって、だがしかし、なんだかわかんないけど現実には普通にキリスト教徒の国々としてやっていけている、という、そこを真似るわけだ。

 なに、猿真似は古来から日本人のお家芸、今更ヨーロッパ白人様のコピーをしたからって別段恥ずかしいこともなく、どうということはない。

 なにしろ、ヨーロッパのキリスト教クラブなんてものは、中世以前には、聖書が憲法、教会が国会みたいなものであった時代が延々と続いていたのだ。だが、魔女狩りや教会の腐敗など、キリスト教原理主義の容赦ない鍛錬に社会が晒され続けた結果、逆にその反省からキリスト教典墨守の無茶・無理が少しづつ薄められていって、今や「原理は原理、聖書は聖書、バチカンはバチカン、王権は王権、人民は人民、戦争は戦争、アレはアレ、ソレはソレ」でうまく収まってしまったわけである。その点は、キリスト教白人の在り方を継承する現代のアメリカも同じだ。

 これは、イラン等以外の、世俗主義をとる多くのイスラム国家が、「コーランは理念、政治は世俗」としてとってきている方向性とも類似する。

 このように理念と現実を分離した「憲法教制」を導入すれば、憲法改正のための無駄な議論で時間を潰す必要もなく、かつ現実に沿い、対立する二者は融和し、混乱を招かずにすむだろう。他国からの侵略など、憲法と現実が合わない難問場面では、「憲法は、そりゃ、アレは『お経』だから……」の一言でその方面に関する思考が停止し、ためにする無駄な論争なぞ、あっという間にカタがついてしまうはずだ。

 ……あ、以上の文章は、一応、洒落(シャレ)です。本気にしてはいけません。

マスト屋

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 現実世界ではいろいろなことが同時進行で進んでおり、何かが100%達成されなければ次に行ってはならない、なんていうさながらウォーターフォール的進行はほとんど無理である。

 現実の仕事でPERT図などがあまり使われないのも、現場の怠慢とか怠惰とかいうわけではなく、使われないなりの理由がある、ということだと思う。

 ところが、そういうことのわからぬボンクラが人の上に立っていたりするから、本当にやりきれない。

「○×△は『マスト』だ!」

 この「マスト」という言い方も大嫌いだ。「必須要件」とか、ちゃんと日本語で言うのならまだしも、マスト(must)マスト言いやがって、お前の股間のその貧相なブツが帆柱(mast)だとでも言う気かボケッ。

 コッチも満たさなければならない、アッチも取り入れなければならない、コレも、ソレも、アレもだ。そういう現実的な仕事の話をしているときに、「『アレ』がないとすべてダメだ!!全てか、ゼロかだ!!!」みたいなことを怒鳴り散らす奴が、大嫌いだ。

 これからはそういう奴の事は、私の脳内では「勃起ちんぽ(mast(マスト))野郎」と呼ぶことにした。

ガソリーナ、てw

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 ガソリーナXXX、というある代議士の「ネット渾名(あだな)」を見て、不覚にも笑ってしまった。

 「XXX」のところをモロ書きすると、選挙の公示期間でもあるし、なにかお叱りがあってもアレだから、やめとこうw

おいおいおい~ッ!!(笑)

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 あほかいッ!!……と、ツッコミの一つも入れたくなるわ(笑)。

 まあ、記事のとおりでもないんだろうけど、株で損を喰らったコッチとしてはさ~……。老(かい)老練な国民性であるはずのイギリス人も、最近アメリカ人並みにあほ化しているのかも知れんて。

こんな感じで。

投稿日:

 誰も彼もラーメンラーメン言ってて鬱陶しいので。

00138

駅電光のやぶそば
会津若松駅池之端籔蕎麦
大阪けつねうろん
きしめん名古屋
僕イケメン狩野英孝
さぬきうどん香川

ああ、よかった

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 良かったよ。蓮舫なんか出たら、それこそ当選しかねないもん。いや、こんなこと言ったら東京都民、東京都の有権者の民意をバカにしているみたいだけど、東京都民って、最近どうかしてるからなあ。舛添センセだって、私みたいな無責任男は「ざまあ見ろ」みたいなこと言ってるけど、こんなの調子に乗って叩いてるだけでさ。

 ここまで来ると、なんだかそぞろ哀れ、惻隠の情と言うか、そういうものまで催して来るもんな。

 自分たちで圧倒的に勝たせといて、ちょっと新聞屋なんかが書いたら、もう、連続集中イジメ攻撃だもの。

 テレビで目立ってる奴とかについつい票入れちゃうんだよ。中身なんてお構いなしだもん。まあ、それでもマック赤坂とかドクター中松なんか当選させないだけの知能はあるんだけどな。……しかし、マック赤坂あたりのほうがまだマシかも知れんぞ、こうなってくると。

 ドッチにしたって、俺ァ東京都民じゃねーから、全然関係ねーけど(笑)。

だからブン屋は嫌いだ

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 こういう御大層なものを作って上げ膳下げ膳、蝶よ花よとチヤホヤしてやらないとまともな記事を書くことができないブン屋連中ってのは、一体どうなんだと言いたい。

 ブン屋なんざァそこらの舗道で水でも飲ましときゃいいんだ。

電通のコンサル

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 別の海外メディアによると振り込んだのは電通らしいが、さておき、もう、あほ丸出しだなあ。こんなんじゃスポーツ選手達が可哀想だ。