百日紅(さるすべり)

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 一昨日TSUTAYAで借りた「百日紅~Miss HOKUSAI~」、昨夜寝入ってしまって全部見なかったので、あらためて見た。

 3年ほど前のアニメーション映画だ。聞いたことがあったような気もするのだが、当時は見なかった。

 先日来、朝井まかての作品「(くらら)」のドラマ原作を読んだので葛飾北斎の娘・應為に興味を覚え、杉浦日向子の原作「百日紅(さるすべり)」を読んだのだ。

 アニメは原作に忠実なエピソードをところどころ交えながら、だが、原作とはまったく違ったさわやかな作品に仕上がっており、作画も美しく、面白い。

吉原格子先之図(葛飾應為)

 今度は「吉原格子先之図」の実物が見てみたいものだ。渋谷の太田美術館というところにあるという。

 さておき、もうすぐ百日紅の季節だ。

DVD・徘徊

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 十数年以上前に流行(はや)った漫画「のだめカンタービレ」を、ゴールデンウィークに全部一気に読んだ。面白かった。

 妻もゆっくりと読んでいる。妻はメディアミックスでないと面白くないらしく、ドラマのDVDをツタヤで借りてくるので、それも一緒に見ている。

 昨夜DVDの3巻・4巻を一緒に借りに行った。その時、この前Amazon Prime Videoで見ようと思ったのに見ることができなくなっていた杉浦日向子原作のアニメ「百日紅」を見てみようと思い、それも借りた。

 今日は日本ITストラテジスト協会関東支部の月例会があるのだが、今日のイベントは「商談会」である。立場上私は商談には参加できないので、参加してもどうにもならぬ。傍観していたところで人の役にも立たず、面白くもないから、欠席した。


 今日の昼めしは虎ノ門の大坂屋砂場でとった。通しもの三点盛で蕎麦前をゆっくりと飲み、牛蒡(ごぼう)のかき揚げの天せいろを手繰った。

 西新橋から環2通りへ出て、汐留へ行き、シオサイトの空中回廊を(そぞ)ろ歩く。ローマ風大理石彫刻のレプリカが飾られた「イタリア公園」などというのがあった。

 海が近い。薫風が袖口から入る。もう今週を最後に散るかな、という頃合いの花皐月があちこちの植栽で鮮やかに紅い。

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 シオサイトの回廊を歩き終わると、突き当りに芝離宮がある。150円払って入ってみた。大きな池に微風がわたっている。広々と気持ちがよく、庭園の造形が渋い。ちょうど額紫陽花(がくあじさい)が青く咲いている。

 庭園を出て海に向かう通りを東へ歩いていくと、なんだかよくわからないが人だかりがしている。近づいて行ってみると、伊豆諸島の観光イベントをやっているようだった。

 くさやの干物などもあるようで、お土産に買いたかったが、妻と子供は嫌がるだろうなあ、とも思い、買わなかった。

 日の出埠頭までのろのろと歩き、水上バスで帰ることにしたが、気が向いたので反対向きのお台場向きへ乗った。

 今日は何か花火が上がるらしく、お台場の船着き場はあちこちに立ち入り制限がしてあって面白くなかった。すぐに浅草行きへ乗って引き返した。

 船の屋上で風にあたりながらヘッドフォンで音楽を聴いていると、吾妻橋のあたりだったか、船員が駆け上がってきて、大きな声で乗客に何かを指示した。私はヘッドフォンをかけていたので、何を言っているのかわからなかったのだが、立っていた乗客たちが皆てんでにしゃがみこんだ。私も驚いてしゃがんだ。今日は満潮が近くて川の水位が上がり、船の屋上がぎりぎり橋の下を通れるくらいだかららしい。実際、橋の底がしゃがんだ乗客たちの頭上をきわどくかすめ過ぎていき、「ゲゲッ、危ないじゃねえか!」と思うくらいであった。

 それが2回くらいあった。動画は多分、永代橋の下を通るところじゃないかと思う。

 だが、面白かった。

 浅草で降りて、浅草寺の二天門から仲見世通りへ入り、新仲見世をちょっと見た。神谷バーで電気ブランでも、と思って覗いてみたが、ものすごい混みっぷりで、いつも陣取る壁際のスタンドカウンターまでいっぱいだったので、やめてしまった。


 東武線で家に帰る。帰りに市立図書館の南部分室へ立ち寄り、本を2冊借りる。なんとなく手に取った文庫の古本、林望の「イギリスはおいしい」と辰巳芳子の「味覚日乗」。

 家でもう少し飲んでから晩御飯を食べた。それから、妻と一緒に昨日借りた「のだめカンタービレ」を見た。続けて「百日紅」を見たが、10分くらい見たところで眠くなり、そのまま朝まで眠ってしまった。

百日紅~Miss HOKUSAI~

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 「百日紅」を読み終わった。

 たしかこの作品はアニメ化もされていて、Amazon Prime Videoで視聴できたはず、と思って探したら、あるにはあったが、

「このタイトルは現在ご利用いただけません/現時点では、コンテンツプロバイダーとの契約により、このタイトルを購入できません。」

……なんぞと表示されていて、見ることができない。

 うーん、なんだかよくわからんが、見れないのなら店頭に並べておくべきではないわナ。

ベルセルク[39]

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 Amazonでポチッておいた漫画、「ベルセルク」最新刊、届く。第39巻。

 私が20代の頃から連載されているが、まだ終わらない。

 本が届く前にふとYoutubeで検索してみたら、ベルセルクの海外版の劇場アニメがけっこうアップロードされている。どうも違法臭いが……。

アルムおんじ

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 Twitterでこんなことを書いている人がいて、どなたかのリツイートでそれが私のタイムラインにも流れてきた。

 そうそう、そうなんだよな、と思ったものだから、思わず次のようにリプライした。

 そうしたら、このリプライまで一緒くたにリツイートされている。

 後でこの元ツイートの人も書いているのだが、意外に、あの世界的名作「ハイジ」は、原作が読まれていないのだと思われる。

 さもあろう、原作は野生児ハイジがおじいさんともどもキリスト教信仰に目覚めていくというのが基本的な筋書きで、色んな所がアニメとはまるで違う話なのだ。心が「(キリスト教的に)正しく」なったおじいさんが教会通いをするようになる話などはアニメ制作当時の日本では到底受け入れられなかったため、バッサリ切除されているわけだ。

 参考までに、おじいさんに人殺しの噂があることや、傭兵時代に上官を看護した話などは、原作では次のようになっている。


以下、岩波少年文庫「ハイジ」(上)(下)(ヨハンナ・スピリ作・竹山道雄訳 ISBN4-00-112003-8・4-00-112004-6)から引用……
上巻p.15~

……デーテはいきおいこんで答えました。「もともと、おじいさんは、ドームレシュッグでいちばんりっぱな農家の主人のひとりだったの。あの人は総領(そうりょう)で、弟がひとりいたんだけれど、こちらは、静かな、まじめな人だったわ。ところが、にいさんのほうは、金持風(かねもちかぜ)をふかせて、あちらこちらを旅行して、素性(すじょう)のわからない、みょうな人たちとばかりつきあって、あげくのはてに、家もやしきも、ばくち(、、、)やお酒でなくしてしまったの。それがわかった時に、父親も母親も、悲しみのあまり、つづいて死んでしまい、弟も、そのために、世の中がいやになり、こじき同様になって、遠い旅に出かけました。どこにいったのか、わからないのよ。とうとうしまいに、おじさん自身も、わるい評判(ひょうばん)だけを(のこ)して、姿を消してしまい、しばらくは、ゆくえ(、、、)がわかりませんでした。やがて、兵隊(へいたい)に入って、ナポリにいった、といううわさがつたわっただけで、それからあと、十二年か十五年のあいだも、消息はありませんでした。ところが、とつぜん、かなり大きくなった男の子をつれて、ふたたび、ドームレシュッグに姿をあらわし、この子を親類(しんるい)に、あずけようとしたの。でも、どの家でも、おじさんを入れてはくれず、だれも、かまいつけなかったの。おじさんは(はら)をたてて言いました。『こんなドームレシュッグなんかに、もう二度とは足をふみいれんぞ。』それからこのデルフリ村にきて、男の子といっしょに住みました。おかみさんだった人は、ビュンデン州の女だったらしく、おじさんはその人と一緒になって、まもなく死なれたの。お金は、まだいくらか持っていたらしく、そのトービアスという男の子に、大工仕事を勉強させました。きちんとした子だったから、村の人からはみんなに()かれていました。けれども、おじさんの方は、だれも信用(しんよう)しなかったの。うわさによると、おじさんは、ナポリで脱走したのですって。もし、しなかったら、ひどいめにあったでしょうね。人殺(ひとごろ)しをしたんですもの。それもね、いいこと、戦争でではなかったのよ。けんかだったのよ。それでも、わたしたちは、親類の(えん)()ちませんでした。わたしのおかあさんのおばさんは、あの人のおばさんと、いとこどうしだったんだもの。わたしたちは、あの人をおじさんとよびました。もともと、わたしたちは、デルフリ村のたいていの家と、父方(ちちかた)の親類でしょう?それで、村の人は、やっぱりみな、あの人をおじさんとよんでいるのよ。アルム山の上へ越していってからは、ただ、アルムおじさんと言っているけれども。」

下巻p.151~

 「おじょうさんは、なれたいすにかけさせてあげたほうが、いいでしょう。旅行のいすはかたいから。」おじいさんは、こういいながら、ひとが手をだすのを待つまでもなく、すぐに自分のつよいうでで、病気のクララをそっとワラのいすからだきあげて、注意ぶかく、やわらかいいすに(うつ)しました。それから、ひざかけをなおしてやり、足をできるだけ、らくにのせてやりました。そのようすが、まるで、これまで、手足のきかない病人のせわをしてくらしてきたようでしたから、おばあさまは、びっくりしてながめていました。

 「まあ、おじさん、」と、おばあさまは思わずいいました。「どこで看護法(かんごほう)をおならいになったのでしょう。それがわかったら、知っている看護婦(かんごふ)をみな、そこへ習いにやりますわ。ほんとうにまあ、こんなことがおできになるなんて!」

 おじいさんはすこし(わら)いました。そして「べつに勉強したのではありません。やっているうちに(おぼ)えたのです。」と、答えました。けれども、笑っているその顔は、なんとなくかなしそうでした。おじいさんの目の前には、ずっと昔の思い出が()かんだのです。それは、やはりこんなふうに、手足を使うこともできずにいすにすわったきりだった、ある人の顔でした。その人は、おじいさんの隊長(たいちょう)でした。おじいさんは、シシリアの激戦(げきせん)のあとで、隊長が地面にたおれているのを見つけて、かついでいきました。それからあと、隊長は、とうとうさいごの苦しい息をひきとるまで、おじいさんだけをそばにおき、どうしても手ばなそうとはしませんでした。いま、おじいさんは、それを目の前に、まざまざと見るような気がしました。それで、この病気のクララを看護(かんご)して、自分にできるかぎりのせわをして、その苦痛(くつう)を軽くしてやりたい、これが自分の仕事だ、と思いました。

以上引用


 原作内には現れてこないが、シシリアの激戦というのは日本で言えば江戸時代、幕末の頃にあった戦いだ。

 端は割拠分裂の状態にあったイタリアの、統一への動きに発する。この時に起こった「ソルフェリーノの戦い」は、英仏連合軍とオーストリア軍との間で激しく繰り広げられ、(おびただ)しい死傷者を出した。英仏連合軍には多くのスイス傭兵が加わっており、甚大な損害を受けたという。

 この戦争の流れの中で起こったのが「シシリアの激戦」である。

 これらの戦いでは名将ジュゼッペ・ガリバルディの名がよく知られるようだ。「ガリバルディ」でググると、シシリアの闘いについて概用が分かると思う。

 また、この戦争の傷病者の悲惨さに心を痛めたスイス人アンリ・デュナンにより赤十字が設立されたことはよく知られる。

 同じ頃、旧ロシア帝国と旧オスマン帝国の間で起こった「クリミア戦争」において、かのナイチンゲールが看護婦のあり方を確立したことも知られている。

 当時は旧来の凄惨な刀槍(とうそう)の戦闘に、発達を始めた火砲・火器の威力が加わり、戦争はますます残酷の度を加えつつあった。そのために赤十字や看護婦への関心もまた高まっていったのであり、そこからも逆に当時の戦争の悲惨さがわかろうというものだ。

 そんな当時の、「血の輸出」とまで言われたスイス傭兵の、戦闘惨烈の極処にハイジのおじいさんの姿もあった、と想像すると、児童文学にしてはなかなか大人の味わいもあって、物語の行間にも読むところは多い。

PATHS OF HATE

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 まずは御覧(ごろう)じろ、というところだが、この動画、手描きアニメに見えるが実はフルCGで、わざわざ手書きに見えるようなエフェクトを施してあるのだという。しかも、そのエフェクトにも手描き作業は入れておらず、すべてコンピュータ・エフェクトで手描き風にしたのだというから驚きだ。

 コンピュータ・アニメーションが手描きの味わいを志向しだしたのが驚きなのか、コンピュータ・アニメーションでも手描きの味わいが出せるようになったのが驚きなのか、なにがなんだかもう、……という、そんな未踏の境地へ、エンターテインメントは突き進んでいっているようだ。