読書

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 昨夜はクリスマス・イブということで、目下読書中の「菜の花の沖」第2巻は脇へ置き、キリスト教の理解に努めんものと、手元の文語体「舊新約聖書」のうち新約から「マタイ傳福音書」「マルコ傳福音書」「ルカ傳福音書」「ヨハネ傳福音書」を交々(こもごも)読み、「使徒行傳」に少し入ったかな、というあたりで深更1時となり、力尽きた。

 私の持っている聖書はこの文語訳版1冊のみだ。文語訳の方が口語訳のものよりも格調が高く、読んでいて楽しい。

 なにしろ、クリスマス・イブの晩に聖誕譚、聖跡譚なぞ読み耽ろうというのだから、我ながら、キリスト教徒よりもキリスト教徒らしいのではなかろうか、などと思わぬでもない。

 しかし、信仰心で読んでいるわけではなく、冷静な理解の一助としようとして読んでいるのであり、また他面、聖書は物語として読むと結構人間臭くて面白いと思うから楽しんで読んでいるのであって、キリスト教徒から言わせれば恐らく不埒という他なく、その点私は我知らずというような無意識をも含めて、キリスト教徒ではない。

 むしろキリスト教なぞ嫌いですらある。

キリスト教と北朝鮮

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 今日は話題の映画二本をハシゴしてきた。以前も見たいなあと書いた「沈黙」「太陽の下で」だ。映画のハシゴなんてことは、生まれて初めてした。

 どちらも見応えがあった。



 「沈黙 ―サイレンス―」は原作に忠実な映画だったが、ラストシーンにはかなり野心的というか、原作に対して挑戦的な解釈が加えられていたと思う。

 「太陽の下で」は興味深く、私としては見応えはあったが、反面淡々とした映画で、映画評で騒ぎ立てられているほどの見応えでもなかった。とは言え、平壌の景色風物、主人公の少女の心の動きが活写されていて、それに費やした制作陣の労苦を思うと興味深かった。あのような映画が公開されて、製作陣や、(いわ)んや少女の一家が苦難に()ったりしていなければよいが、と思う。

 二つの映画を見て、洗脳、という言葉が我知らず反芻される。キリスト教の洗脳と、北朝鮮主体(チュチェ)思想の洗脳だ。その二つの共通項にどうしても思いが向いてしまう。

 多分、私などが「往古のキリスト教宣教師など、教会に洗脳された狂信者集団だ、その教会はエホバの威圧によせて支配と圧迫を強制するもので、所詮北朝鮮の中間軍人や官僚と異なるところなどない、彼らが(さげす)む特攻隊、カミカゼよりも残酷で非人道だ」と(うそぶ)けば、いやそれは違う 、それは偏った見方だ、純粋なキリスト教徒を洗脳したのは日本の幕府の方だろうなどと本気で反論されるだろう。だが私に言わせれば、キリスト教だからと言って正義だ洗練されているカッコいい頭良さそう、とばかり無条件に加点から始めるような人の方が偏っている。「アメリカサイコー!」も「金日成(きんにっせい)マンセー」も、結局一緒だということだ。

 筋金入りのキリスト教徒・遠藤周作はそこが分かっていたと思う。文庫でたった300ページほどに過ぎないあの短い原作で、それを言内言外両面からえぐり出して見せている。

 残念ながら、名監督マーティン・スコセッシにしてなお、多少見解に相違があるようだ。スコセッシは最後のシーンの作り込みで、そこのところを惜しくも取り(こぼ)してしまったのではないかと私には感じられた。

 他に、読書感というのは変わるものだと強く思った。

 私が「沈黙」を読んだのは二十年以上前で、神戸松蔭を出た妻の持ち物の中にあったから手に取ったものだった。

 私はキリスト教なぞ大嫌いだ。その説くところも嫌いだし、歴史的背景や、まとっている空気感も生理がうけつけない。

 だが、数十年来それを理解すべく、無駄なこととは知りながら努力をしている。なぜそんな努力をするかというと、殺し合いが良くないことだと思うからだ。相互に解り合おうとしなければ、また殺し合いが繰り返される。

 今日映画を見るつもりだったからこの機会に読み直そうと思い、妻に「あれ、どこにいったかな」と問うてみても、この数十年、引っ越しを繰り返した後のこととて詮もない。

 昨日駅前の書店で文庫を(もと)めなおし、今日映画を見る迄の間、久しぶりに読み直してみたのだ。

 私にとっては沁み入るように美しく、かつ、尖った文体と構成だと再び思う。

 昔読んだときと違って登場人物が若く感じられる。

 覚える痛みの質も違う。若い頃はキリスト教徒の痛みに強く共感したが、今は主人公の敵である日本の武士たちの描写すら痛く感じる。思えば老練の書き手遠藤周作は、それを当時から全て書きとってあった。作品は発表当時から寸分も変化していないのだ。

 遠藤周作は、情報取得不自由な往時にあって、調布にある岡本三衛門ことジュゼッペ・キアラ(主人公ロドリゴ・岡田三衛門のモデル)の墓所をも訪ね調べたものであろうか。そうした営為を思うと、作家と言うのは(あだ)(おろそ)かなものではない。こんなに苦しく痛く残酷で緊張した文章を、読み手にとっては読めば半日のこととはいえ、書くのにどうやったらいいのだろうかと、想像すらつかぬ。

顔隠しマスクと妻の話と女の心理とヒジャブとブルキニ

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 ネットなどで話題になっていることに、

「風邪とかアレルギーとか言うわけではないのにマスクをつける」

……という人が結構いるらしい、というのがある。

 いわゆる「顔隠しマスク」だ。これは「眩しいわけではないけどサングラスをかける」というのと似ている。

 私の妻子もそういうところがあり、どこも悪くないのに殊更マスクをつけて外出することがある。妻にあらためて聞いてみると「友達など、周りの女の人たちも、顔を隠すためにマスクをつけるというのはわりと普通」なのだという。のみならず、私の娘どもなど、「マスクがあるから人前に出られるし、というよりマスクがないと恥ずかしくて生きていけない」とまで言うのであった。

 そんな大げさな、お前、この父、この母から貰った何不自由ない立派な顔を隠したいだなんて、何を恥ずかしがる必要がある、そんな弱々しいことでどうするかッ!……などと()いるのはオッサン特有のデリカシーのなさであって、人間、目立たず引っ込んでいたいときは引っ込んでいたいものである、というのは理解できる。

 そんなふうに思いを巡らしていたら、ふと、回教徒の女性がつける「ヒジャブ」や「ブルカ」のことに考えが至る。

 この「ヒジャブ」や「ブルカ」は回教特有のひねくれた女性抑圧、男尊女卑の象徴だなどとして、特に退廃した白人文化圏から排撃されることがある。また、昨年夏、ヨーロッパ辺りでは回教徒女性が海水浴場などで使う「ブルキニ」が問題視されたことも思い出される。曰く、「女性を解放し、女権を確立しようとする世界的趨勢、ひいてはこれによって人類全般を進歩させようとする正義の観点から言って、回教徒のように女性を隠そうとするが如きは、文明に対する挑戦であって、断じて許容されない」というのだ。

 白人文化圏なんてものは最近(とみ)に多様性を標榜しだした割にはちっともそういう異質なものを受け入れようとしないよな、言ってることがなにかとチグハグだよまったく、などという欧米への不満はひとまず置くとしても、非寛容なのは回教徒側だけでなく、欧米白人も負けず劣らずであることは否めまい。

 仮に宗教的抑圧や戒律、強制がなくても、自ら(はだ)など(さら)したくない、顔を隠したい、だって恥ずかしいんだもの、なにが女性の解放よ、私はイヤよジロジロ見られるのなんか……という女性は、実は大変多いのではないか。

 実際、日本には顔を隠せというようなルールや戒律などないが、今の時期、都内を歩くと、感覚で言って9割の人がマスクをかけている。このすべてがインフルエンザ予防やアレルギー性鼻炎の治療のためなどという医療的な意味合いでマスクをかけているとは思えず、相当多くの人が顔を隠すためにマスクをかけているのであろうことは、前掲のニッセイのコラムによらずとも想像に難くない。

 であれば、ヒジャブやブルカを強制されていなくても、「だって、海水浴場でおハダなんか見られるの、恥ずかしいじゃない」という回教徒女性は、たくさんいるはずである。日本人女性だって、「ビキニなんて絶対イヤ。お腹が出てるの見られちゃうんだもの」などと言う人はたくさんおり、それと同じだ。

 そう考えてくると、フランスなどで騒動になった「ブルキニ問題」など、欧米キリスト教白人の「余計なお世話」というものだ。隠そうがどうしようが、はたまた逆にオッパイ出そうがフリチンになろうが、そんなの人の勝手である。

 そんなに裸体になりたきゃ、自分たちだけでいくらでもスッポンポンになってりゃいいじゃない、あたしは恥ずかしいのよッ、嫌よ、人にジロジロ顔や体を見られるのなんか。私はモデルとか女優じゃないんだから。……たとえ回教徒でなくたって女性の多くはそう言いたいだろう。

 つける意味がわかんねえ、機能上の意味がないから外せ、などと言うなら、「ネクタイ」なんてものだって、何のためにつけてるんだかさっぱりわからない。機能上の意味なんか、ない。むしろ、ネクタイなんてものは引っかかったりして邪魔であり、電車のドアに挟まって難渋する場合もある。昔、発車する列車にネクタイが巻き込まれ、挙句それで首が締まって死んでしまった人もいるくらいだ。だからと言って、危険で無駄だからネクタイなんてものは廃止しろ、こんなものは健全な人類の肉体に対する抑圧だ、などと言われて納得する人もいるまい。

 ならば、ブルカやヒジャブやブルキニだって、許されなければなるまい。

沈黙

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 遠藤周作の「沈黙」、かのマーティン・スコセッシ監督がメガホンをとって映画化され、今ちょうど掛かっているのだそうな。

 「沈黙」、若い頃読んだっけ。たしか結婚したばかりの頃で、妻の持ち物のハードカバーの中にあり、元は義兄のものだったのだったか。小説の発表自体はそれよりも更に20年くらい前だったように思う。

 原作は遠藤周作得意の「キリスト教もの」で、彼の代表作と言ってよい。いわゆる「(ころ)伴天連(バテレン)」の物語で、ロドリゴというパードレ(神父)が主人公である。

 苦しく、重い物語だ。

 このパードレ・ロドリゴにはモデルがあったことも近年広く知られている。モデルはジュゼッペ・キアラという実在の人物で、東京・調布市には墓もあるそうな。また、小説中に出てくる同じ転び伴天連のフェレイラも実在の人物であるという。

 この映画、見たいなあ。妻と一緒に見たいが、妻は結構歴史ものなどが好きなくせに、拷問シーンや血が出たりする映画がダメで、時代劇はすぐ合戦で人が泥まぶれになって死んだり、切腹したりするから苦手なのである。多分、切支丹が逆さ(はりつけ)水刑(みずぜめ)になったりするシーンなんて、妻に見せたらショックを受けて体調を悪くしてしまう。うーん、小説は大丈夫なクセに……。

 ……そのうち一人で見に行くか……。

 あと、未読だけど、コレあたりも読んどかなくちゃダメかなあ……。

アルムおんじ

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 Twitterでこんなことを書いている人がいて、どなたかのリツイートでそれが私のタイムラインにも流れてきた。

 そうそう、そうなんだよな、と思ったものだから、思わず次のようにリプライした。

 そうしたら、このリプライまで一緒くたにリツイートされている。

 後でこの元ツイートの人も書いているのだが、意外に、あの世界的名作「ハイジ」は、原作が読まれていないのだと思われる。

 さもあろう、原作は野生児ハイジがおじいさんともどもキリスト教信仰に目覚めていくというのが基本的な筋書きで、色んな所がアニメとはまるで違う話なのだ。心が「(キリスト教的に)正しく」なったおじいさんが教会通いをするようになる話などはアニメ制作当時の日本では到底受け入れられなかったため、バッサリ切除されているわけだ。

 参考までに、おじいさんに人殺しの噂があることや、傭兵時代に上官を看護した話などは、原作では次のようになっている。


以下、岩波少年文庫「ハイジ」(上)(下)(ヨハンナ・スピリ作・竹山道雄訳 ISBN4-00-112003-8・4-00-112004-6)から引用……
上巻p.15~

……デーテはいきおいこんで答えました。「もともと、おじいさんは、ドームレシュッグでいちばんりっぱな農家の主人のひとりだったの。あの人は総領(そうりょう)で、弟がひとりいたんだけれど、こちらは、静かな、まじめな人だったわ。ところが、にいさんのほうは、金持風(かねもちかぜ)をふかせて、あちらこちらを旅行して、素性(すじょう)のわからない、みょうな人たちとばかりつきあって、あげくのはてに、家もやしきも、ばくち(、、、)やお酒でなくしてしまったの。それがわかった時に、父親も母親も、悲しみのあまり、つづいて死んでしまい、弟も、そのために、世の中がいやになり、こじき同様になって、遠い旅に出かけました。どこにいったのか、わからないのよ。とうとうしまいに、おじさん自身も、わるい評判(ひょうばん)だけを(のこ)して、姿を消してしまい、しばらくは、ゆくえ(、、、)がわかりませんでした。やがて、兵隊(へいたい)に入って、ナポリにいった、といううわさがつたわっただけで、それからあと、十二年か十五年のあいだも、消息はありませんでした。ところが、とつぜん、かなり大きくなった男の子をつれて、ふたたび、ドームレシュッグに姿をあらわし、この子を親類(しんるい)に、あずけようとしたの。でも、どの家でも、おじさんを入れてはくれず、だれも、かまいつけなかったの。おじさんは(はら)をたてて言いました。『こんなドームレシュッグなんかに、もう二度とは足をふみいれんぞ。』それからこのデルフリ村にきて、男の子といっしょに住みました。おかみさんだった人は、ビュンデン州の女だったらしく、おじさんはその人と一緒になって、まもなく死なれたの。お金は、まだいくらか持っていたらしく、そのトービアスという男の子に、大工仕事を勉強させました。きちんとした子だったから、村の人からはみんなに()かれていました。けれども、おじさんの方は、だれも信用(しんよう)しなかったの。うわさによると、おじさんは、ナポリで脱走したのですって。もし、しなかったら、ひどいめにあったでしょうね。人殺(ひとごろ)しをしたんですもの。それもね、いいこと、戦争でではなかったのよ。けんかだったのよ。それでも、わたしたちは、親類の(えん)()ちませんでした。わたしのおかあさんのおばさんは、あの人のおばさんと、いとこどうしだったんだもの。わたしたちは、あの人をおじさんとよびました。もともと、わたしたちは、デルフリ村のたいていの家と、父方(ちちかた)の親類でしょう?それで、村の人は、やっぱりみな、あの人をおじさんとよんでいるのよ。アルム山の上へ越していってからは、ただ、アルムおじさんと言っているけれども。」

下巻p.151~

 「おじょうさんは、なれたいすにかけさせてあげたほうが、いいでしょう。旅行のいすはかたいから。」おじいさんは、こういいながら、ひとが手をだすのを待つまでもなく、すぐに自分のつよいうでで、病気のクララをそっとワラのいすからだきあげて、注意ぶかく、やわらかいいすに(うつ)しました。それから、ひざかけをなおしてやり、足をできるだけ、らくにのせてやりました。そのようすが、まるで、これまで、手足のきかない病人のせわをしてくらしてきたようでしたから、おばあさまは、びっくりしてながめていました。

 「まあ、おじさん、」と、おばあさまは思わずいいました。「どこで看護法(かんごほう)をおならいになったのでしょう。それがわかったら、知っている看護婦(かんごふ)をみな、そこへ習いにやりますわ。ほんとうにまあ、こんなことがおできになるなんて!」

 おじいさんはすこし(わら)いました。そして「べつに勉強したのではありません。やっているうちに(おぼ)えたのです。」と、答えました。けれども、笑っているその顔は、なんとなくかなしそうでした。おじいさんの目の前には、ずっと昔の思い出が()かんだのです。それは、やはりこんなふうに、手足を使うこともできずにいすにすわったきりだった、ある人の顔でした。その人は、おじいさんの隊長(たいちょう)でした。おじいさんは、シシリアの激戦(げきせん)のあとで、隊長が地面にたおれているのを見つけて、かついでいきました。それからあと、隊長は、とうとうさいごの苦しい息をひきとるまで、おじいさんだけをそばにおき、どうしても手ばなそうとはしませんでした。いま、おじいさんは、それを目の前に、まざまざと見るような気がしました。それで、この病気のクララを看護(かんご)して、自分にできるかぎりのせわをして、その苦痛(くつう)を軽くしてやりたい、これが自分の仕事だ、と思いました。

以上引用


 原作内には現れてこないが、シシリアの激戦というのは日本で言えば江戸時代、幕末の頃にあった戦いだ。

 端は割拠分裂の状態にあったイタリアの、統一への動きに発する。この時に起こった「ソルフェリーノの戦い」は、英仏連合軍とオーストリア軍との間で激しく繰り広げられ、(おびただ)しい死傷者を出した。英仏連合軍には多くのスイス傭兵が加わっており、甚大な損害を受けたという。

 この戦争の流れの中で起こったのが「シシリアの激戦」である。

 これらの戦いでは名将ジュゼッペ・ガリバルディの名がよく知られるようだ。「ガリバルディ」でググると、シシリアの闘いについて概用が分かると思う。

 また、この戦争の傷病者の悲惨さに心を痛めたスイス人アンリ・デュナンにより赤十字が設立されたことはよく知られる。

 同じ頃、旧ロシア帝国と旧オスマン帝国の間で起こった「クリミア戦争」において、かのナイチンゲールが看護婦のあり方を確立したことも知られている。

 当時は旧来の凄惨な刀槍(とうそう)の戦闘に、発達を始めた火砲・火器の威力が加わり、戦争はますます残酷の度を加えつつあった。そのために赤十字や看護婦への関心もまた高まっていったのであり、そこからも逆に当時の戦争の悲惨さがわかろうというものだ。

 そんな当時の、「血の輸出」とまで言われたスイス傭兵の、戦闘惨烈の極処にハイジのおじいさんの姿もあった、と想像すると、児童文学にしてはなかなか大人の味わいもあって、物語の行間にも読むところは多い。

皇居一般参賀~靖国神社

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 畏きあたりにおかせられては御高齢であり、夏には玉音放送を(かたじけの)うされたことを受けて政府も真剣に御譲位に関する議論を進めつつある。

 私如き(しづ)の者が御光顔を拝すには、もはや今年をおいて他はないような気持ちが沸々と盛り上がってきたので、意を決し、妻ともども新年の一般参賀へ行った。

皇居正門へ陸続と詰めかける人々

 9時に家を出、東京駅丸の内中央口に10時過ぎ頃到着、10時12、3分頃には二重橋前広場に到着した。参賀は午前・午後を通じて5回行われるが、午前中3回目、11時50分からの、宮様方も多くお出ましになる回を期待して行列の端に取り付いた。

 団体のボランティアや自衛官などが日の丸の小旗を参賀客に次々に配っているのを貰う。

 新年の恒例で、皇宮(こうぐう)警察官が古式ゆかしく騎乗で警備にあたっており、人々の撮影モデルになって話題をふりまいている。

 見渡す限りの人、人、人。新年の外出と言うと、以前、成田山新勝寺の大伽藍前をこれでもかと埋め尽くす人の波に唖然としたことがあるが、今日はそれを凌ぐ。

 さすがは日本一人気のあるお方である。

 人の波、押すな押すなの大雑踏は、一般参賀会場の長和殿前で最高潮となる。

 たまたま時間的に狙い通りドンピシャだったので、天皇皇后両陛下御来臨に加え、皇太子皇太子妃両殿下、秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃殿下、眞子内親王殿下・佳子内親王殿下御姉妹が群衆の参賀に応えらた。天皇陛下におかせられては、人々の平安を祈る旨、御聖旨を下し遊ばされた。

 人々は歓呼し、日の丸の小旗を打ち振って聖寿(とこしえ)ならんことを祈った。

 陛下のお姿を拝するや、右翼の私は感が極まり、「天皇陛下万歳」「皇后陛下万歳」「皇太子殿下万歳」……と、喉笛も裂けよと絶叫を繰り返していたところ、鮨詰めで押すな押すなであったにもかかわらず、私の周りだけ10センチぐらい人が引いていった。これはおそらく、私のような愛国者からは、天皇陛下への強い思慕が全身から溢れ出ているため、周囲の人間には触れがたい聖性として現れ出で、人をして控えしめたものと考えられる。(いや、わかってますって、声が大きいからドン引きされただけですよ(笑)。)しかし、「眞子内親王殿下万歳、佳子内親王殿下万歳、宮様万歳」と叫んだ途端、周囲からクスッと笑いが漏れたというのは、うーん、わからん。たぶん、内親王御姉妹に不逞の親しみを抱いている「美少女オタク」だと思われたのかもしれない。

 面白かったのが、朝鮮語・中国語がそこかしこに聞こえたことである。(ヤッコ)さんたち、嬉々として日の丸を打ち振りつつ、天皇陛下に参賀の気持ちを送っているのだ。……ワカラン。アンタら、日本なんか、とりわけ皇室なんか、大嫌いなんじゃないの。うーん。しかし、現実にはこういう人たちが沢山いる、ということで、多分、これは新聞やテレビが、嘘を人々に吹き込んでいるのであろう。恐らく、悪の外国政府による洗脳であり、謀略だ。

 外国人と言うと、白人も多かったが、「ヒジャブ」で正装したイスラム教徒の女の人が沢山いたことにも少し驚いた。こうした外国人たちが挙って日本のシンボルを参賀してくれるのは、まことに結構なことだ。しかし、こちらはいいんですが、皆さん、「日本神道の神主の別格大親分」でもあらせられる天皇陛下を参賀しても、イスラム教のバチは当たらないんですかね……。逆に心配してしまった。イスラム教もキリスト教も、異教に厳しいからねえ。いや、こっちはいいんですがね。

GPSトラックによる本日の歩行経路

 その後、参賀客は坂下門、桔梗門、乾門の3か所の出口からそれぞれ退出するが、めったに宮城域内に参入することはないこととて、一番遠い乾門、武道館の方へ出る門まで歩いた。

 スマホでGPSトラックを取っておいたのだが、結構な距離である。

 折角皇居の北側に来たのだから、初詣は靖国神社にしよう、と一決する。今上陛下を寿いだのであるから、明治天皇を寿ぎに明治神宮へ行く、という選択肢もあったが、ここは靖国神社にしたわけである。

 由来、天皇陛下は神道の別格宗主のようなお立場である。さもあろう、ごく簡単な言い方をすれば、天皇陛下は日本の神社の根本的本尊、日本国民の総氏神(うじがみ)天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫であるので、宮中三殿において今も連綿2千6百有余年にわたって伝えられる神事をつかさどっておられるわけである。ごく最近、戦後になってから、天皇陛下の政治的に微妙な立場もこれあり、祭祀は皇室の私的事項というふうな位置づけになったものの、それはわずかにここ数十年のことであって、微細な変化に過ぎない。

 その天皇陛下を参賀してきたのだから、これはもう、霊験あらたかなんてものではなかろう。

靖国神社の境内を埋め尽くす人々

 一方、靖国神社の御祭神は少し違っている。祀られているのは護国の鬼、英霊であって、かつては天皇陛下ですら御親拝をされていたという別格の神々である。別格であるからには、ここを素通りはできないのである。天皇陛下を仰いで、それから靖国神社へ詣でると言う事は大いに意義があることなのだ。

 行ってびっくり、驚いた。今年もすんごい人、人。2時間ばかりも並んだろうか。どうしたわけか最近の靖国神社は、みたままつりや正月にも露店を集めなくなってしまったので、賑わいもそこそこなのかな、と思いきやさにあらず。初詣に来る人も非常に多い。

 英霊安らかに鎮みたまえ、と、それのみ念じ祈った。

 だいぶ歩いて疲れたが、帰りに上野に寄り、近所知己へのお遣い物を買って帰る。


参考サイト

子母澤(しもざわ)(かん)→蕎麦屋→聖書→カポーティ

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子母澤寛

 子母澤寛の「ふところ手帖」を読みに国会図書館へ行った。

 なんで今更、子母澤寛の「ふところ手帖」なのか。

 実は30年くらい前から読みたい読みたいと思っていたのだが、いつか読もう、今度読もうと思っては忘れてしまう。忘れるたびに先延ばしになっているうち、30年も経ってしまったのだ。

 そうこうするうち、Amazonなどが出来て、古い本でも気楽に手に入るようにはなったが、値段が高いのでどうしても買うのを躊躇する。そんなことで、読んでいなかった。それがずっと気になっていたのである。

 この本を読みたかった理由は、勝新太郎の「座頭市シリーズ」が大好きだからだ。実は30年前の頃でも、座頭市は既に古い作品群であったが、私はこれをビデオレンタルで借りては見ていたのである。

 で、その「座頭市」の原作が、子母澤寛の「ふところ手帖」なのである。

 30年ほど前、既に旧作となっていた座頭市を勝新太郎が久しぶりにリメイクし、新作として撮ったら、撮影中に勝新太郎の息子の奥村雄大(たけひろ)が過失致死事件を起こし、それが騒ぎになってしまい、そのせいもあってか興業があまり上手くいかなかったというような、そんなこともあった。

 ところが、あれほど長大な映画シリーズになり、後年にはビートたけしも取り組み、また別作に綾瀬はるか主演の「ICHI」も制作されるなどするほどなのに、子母澤寛の原作は、この「ふところ手帖」の中に、「座頭市物語」という題で、たった6ページしかないのである。

 そのことは以前から映画評論などで読んで知っていたが、実際に読んだことがなかったのだ。

 それをはじめて、やっと読めたというわけである。

 実に面白かった。

 勝新太郎があのたった6ページの短編から、どうしてあれほど構想を膨らまたせかもよくわかった。ふところ手帖の「座頭市物語」では、居合抜きの名人、(めくら)の座頭市は自分の親分の不任侠に怒り、女房を連れて出奔し、行方不明になってしまうのだ。だから、勝新太郎の座頭市シリーズは、そうやって旅に出た座頭市が、行く先々で巻き込まれる事件を描いているのである。

 ただ、原作では座頭市には女房がおり、その女房と出奔するのであるが、勝新太郎の座頭市シリーズには女房は出てこない。そのかわりに、行く先々で色々ロマンスめく、というふうになっている。

 さておき。

 子母澤寛は古い作家だから、青空文庫あたりで読めないかな、とも思った。しかし、確かめてみると亡くなったのは昭和43年(1968)だ。著作権切れまでにはまだあと2年ほどある。

 もしそうでなければ、たった6ページほどの分量だから、図書館で本を見ながら全部入力して、ここに載せてしまうところだった。法律上そうはいかない。「引用」と明記して載せる手もあるが、それはやりすぎというものだろう。

室町砂場・赤坂店

 国会図書館にいくと、帰りはやっぱり蕎麦を手繰(たぐ)りたくなる。寒いし、歳の暮れなんだし、今日はひとつ、天婦羅蕎麦を食べてみよう、と最初から決めていた。

 まず、通しものの浅蜊の炊いたのを肴に、ぬる燗で一杯。

 一緒に天婦羅蕎麦を頼むと、店員さんがちゃーんと「ちょっと間をあけて……」奥へ注文を通してくれる。

 海老や貝柱がたくさん入ったかき揚げで、実にうまい。これに葱と山葵を少しづつ乗せながら啜る。

 少し手繰っては、交々(こもごも)酒を飲む。

 ああ、やめられない。

クリスマス・イブなので

 私はキリスト教徒ではないから、クリスマスの本義とするところには無関係である。いや、もっとはっきり言えば、キリスト教なんか嫌いだ。

 だが、そうはいうものの、八百万(やおよろず)の神を(おろが)む日本人として、ヨーロッパやアメリカの大多数の人々が大切にしているものを罵ってないがしろにしようというような気持ちは毛頭ない。アッチが大切にしているのであれば、ならば、もともと何でも拝む習慣のあるコッチなのだから、アッチのものも大切にしてやろう、というのが好ましい姿勢だと思うのだ。

 それにしてもしかし、日本社会一般のクリスマスの扱い方は、イエス・キリストの生誕をコケにしているとしか思えない。如何(いか)に日本中に歪められた形で広く流布した習慣であろうと、キリスト教圏のひとびとが大切にしている宗教的節目をないがしろに汚し、大の大人がセックス三昧に(ふけ)る日であるなどと曲解している近代日本の風俗は、断固不可であると言う他はない。そんな過ごし方をするくらいなら、家で阿呆(アホ)マスコミの手になるテレビか新聞でも見ている方がまだマシというものである。

 もし、こうした日本でのクリスマスの実情を、ありのままにわかりやすくヨーロッパやアメリカのキリスト教徒に説明すれば、彼らは多分、自分たちが大切にしているものを汚されたと思って、「黄禍を今こそ絶ってくれよう」なぞと、例のヴィルヘルム2世の漫画を押し立てて、核戦争の火蓋を切るかも知れない。ああ、おそろしや。

 そういうことがないようにするには、「理解をすること」、それができなければ「理解をしようと努力すること」、これだろうと思う。

 クリスマスには、私の家もこれまでは子供たちが小さかったこともこれあり、楽しませてやろうとて、飾りをしたり、私が腕をふるって洋菓子を拵えたり、キリスト教の話をしてやったりもしてきたのであるが、最近は子供たちも大きくなってきたから、もっぱら私自身が「キリスト教を理解する努力をする日」ということに、自分ではしている。

 今日も、愛蔵の古びた聖書を出してくる。私の持っているのは文語訳のこの一冊だけだ。

 イエス・キリスト生誕の節は、一説だけではなく、「マタイ(でん)福音(ふくいん)書」「ルカ傳福音書」の2書に分けて収められている。

 これらはとうに著作権も消滅していることだから、以下に書き写しておこうと思う。

イエス・キリスト降誕(「マタイ傳福音書」から)
(ルビのみ新かなづかい、佐藤俊夫による)

 イエス・キリストの誕生は()のごとし。その母マリヤ、ヨセフと許嫁(いいなづけ)したるのみにて、未だ(とも)にならざりしに、聖靈によりて(みごも)り、その孕りたること(あらわ)れたり。夫ヨセフは正しき人にして、之を公然にするを好まず、(ひそか)に離縁せんと思ふ。かくて、これらの事を思ひ(めぐ)らしをるとき、()よ、主の使、夢に現れて言ふ『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを()るる事を恐るな。その(はら)に宿る者は聖靈によるなり。かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。 (おの)が民をその罪より救ひ給ふ故なり』すべて此の事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言の成就せん爲なり。 曰く、『視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと(とな)へられん』之を()けば、神われらと偕に(いま)すといふ意なり。ヨセフ(ねむり)より起き、主の使の命ぜし如くして妻を納れたり。されど子の生るるまでは、相知る事なかりき。 かくてその子をイエスと名づけたり。

 イエスはヘロデ王の時、ユダヤのベツレヘムに生れ給ひしが、視よ、東の博士たちエルサレムに來りて言ふ、『ユダヤ人の王とて生れ給へる者は、何處(いずこ)に在すか。 我ら東にてその星を見たれば、拜せんために(きた)れり』ヘロデ王これを聞きて惱みまどふ、エルサレムも皆然り。王、民の祭司長・學者らを皆あつめて、キリストの何處に生るべきを問ひ(ただ)す。かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者によりて、「ユダの地ベツレヘムよ、汝はユダの長たちの中にて(いと)(ちいさ)き者にあらず、汝の中より一人の君いでて、わが民イスラエルを(ぼく)せん」と(しる)されたるなり』

 ここにヘロデ(ひそか)に博士たちを招きて、星の現れし時を詳細にし、彼らをベツレヘムに遣さんとして言ふ『往きて幼兒(おさなご)のことを細にたづね、之にあはば我に告げよ。 我も往きて拜せん』彼ら王の言をききて往きしに、視よ、前に東にて見し星、先だちゆきて、幼兒の在すところの上に止る。かれら星を見て、歡喜に溢れつつ、家に入りて、幼兒のその母マリヤと偕に在すを見、平伏して拜し、かつ(たから)(はこ)をあけて、黄金・乳香・沒藥など禮物(れいもつ)を献げたり。かくて夢にてヘロデの許に返るなとの御告(みつげ)(こうむ)り、ほかの路より己が國に去りゆきぬ。

 その去り往きしのち、視よ、主の使、夢にてヨセフに現れていふ『起きて、幼兒とその母とを携へ、エジプトに逃れ、わが告ぐるまで彼處(かしこ)(とどま)れ。 ヘロデ幼兒を(もと)めて(ほろぼ)さんとするなり』ヨセフ起きて、夜の間に幼兒とその母とを携へて、エジプトに去りゆき、ヘロデの死ぬるまで彼處に留りぬ。 これ主が預言者によりて『我エジプトより我が子を呼び出せり』と云ひ給ひし言の成就せん爲なり。

 ここにヘロデ、博士たちに(すか)されたりと悟りて、甚だしく(いきど)ほり、人を遣し、博士たちに由りて詳細(つまびらか)にせし時を計り、ベツレヘム及び(すべ)てその(ほとり)の地方なる、二歳以下の男の兒をことごとく殺せり。ここに預言者エレミヤによりて云はれたる言は成就したり。 曰く、『(こえ)ラマにありて(きこ)ゆ、慟哭なり、いとどしき悲哀なり。ラケル己が子らを(なげ)き、子等のなき故に慰めらるるを(いと)ふ』

 ヘロデ死にてのち、視よ、主の使、夢にてエジプトなるヨセフに現れて言ふ、『起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地にゆけ。 幼兒の生命を索めし者どもは死にたり』ヨセフ起きて、幼兒とその母とを携へ、イスラエルの地に到りしに、アケラオその父ヘロデに代りてユダヤを(おさ)むと聞き、彼處に往くことを恐る。 また夢にて御告を蒙り、ガリラヤの地方に退()き、ナザレといふ町に到りて住みたり。 これは預言者たちに由りて、『彼はナザレ人と呼ばれん』と云はれたる言の成就せん爲なり。

イエス・キリスト降誕(「ルカ傳福音書」から)
(ルビのみ新かなづかい、佐藤俊夫による)

 その六月めに、御使(みつかい)ガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる處女(おとめ)のもとに、神より(つかわ)さる。この處女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁(いいなづけ)せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。御使、處女の(もと)にきたりて言ふ『めでたし、(めぐ)まるる者よ、主なんぢと(とも)(いま)せり』マリヤこの言によりて心いたく騷ぎ、(かか)る挨拶は如何なる事ぞと思ひ(めぐ)らしたるに、御使いふ『マリヤよ、(おそ)るな、汝は神の御前(みまえ)に惠を得たり。()よ、なんぢ(みごも)りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。彼は大ならん、至高者の子と(とな)へられん。また主たる神、これに其の父ダビデの座位をあたへ給へば、ヤコブの家を永遠に治めん。その國は終ることなかるべし』マリヤ御使に言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』御使こたへて言ふ『聖靈なんぢに臨み、至高者(いとたかきもの)能力(ちから)なんぢを(おお)はん。()(ゆえ)(なんじ)が生むところの聖なる者は、神の子と稱へらるべし。視よ、なんぢの親族エリサベツも、年老いたれど、男子を孕めり。石女(うまずめ)といはれたる者なるに、今は孕りてはや六月になりぬ。それ神の言には(あた)はぬ所なし』マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女(はしため)なり。汝の(ことば)のごとく、我に成れかし』つひに御使はなれ去りぬ。

 その頃、天下の人を戸籍に()かすべき詔令(みことのり)、カイザル・アウグストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督たりし時に行はれし(はじめ)のものなり。さて人みな戸籍に著かんとて、各自その故郷に(かえ)る。ヨセフもダビデの家系また血統なれば、既に孕める許嫁の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを()でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ(ところ)に到りぬ。此處に居るほどに、マリヤ月滿ちて、初子(ういご)をうみ、之を布に包みて馬槽(うまぶね)()させたり。旅舍(はたごや)にをる處なかりし故なり。

 この地に野宿して夜、群を守りをる牧者(ひつじかい)ありしが、主の使その傍らに立ち、主の榮光その周圍を照したれば、(いた)(おそ)る。御使かれらに言ふ『懼るな、視よ、この民一般に及ぶべき、大なる歡喜(よろこび)音信(おとづれ)を我なんぢらに告ぐ。今日ダビデの町にて汝らの爲に救主(すくいぬし)うまれ給へり、これ主キリストなり。なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒(みどりご)を見ん、(これ)その(しるし)なり』(たちま)ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、『いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』御使(たち)さりて天に往きしとき、牧者たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起れる事を見ん』(すなわ)ち急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ。既に見て、この子につき御使の語りしことを告げたれば、聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。(しか)してマリヤは(すべ)て此等のことを心に留めて思ひ(まわ)せり。牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞(みきき)せしによりて、神を崇めかつ讃美しつつ(かえ)れり。

 八日みちて幼兒(おさなご)割禮(かつれい)を施すべき日となりたれば、未だ胎内に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。

 モーセの律法(おきて)に定めたる(きよめ)の日滿()ちたれば、彼ら幼兒を携へてエルサレムに上る。これは主の律法に『すべて初子に生るる男子は、主につける聖なる者と(とな)へらるべし』と(しる)されたる如く、幼兒を主に献げ、また主の律法に『山鳩 一對(ひとつがい)あるひは家鴿(いえばと)の雛二羽』と云ひたるに(したが)ひて、犧牲(いけにえ)(そな)へん爲なり。()よ、エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は()かつ敬虔にして、イスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に(いま)す。また聖靈に、主のキリストを見ぬうちは死を見ずと示されたれしが、()のとき御靈(みたま)に感じて宮に入る。兩親その子イエスを携へ、この子のために律法の慣例に遵ひて行はんとて來りたれば、シメオン、イエスを取りいだき、神を()めて言ふ、『主よ、今こそ御言(みことば)(したが)ひて、(しもべ)を安らかに()かしめ給ふなれ。わが目は、はや主の救を見たり。是もろもろの民の前に備へ給ひし者、異邦人をてらす光、御民(みたみ)イスラエルの榮光なり』かく幼兒に就きて語ることを、其の父母あやしみ居たれば、シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ『視よ、この幼兒は、イスラエルの多くの人の(あるい)は倒れ、或は起たん爲に、また言ひ(さから)ひを受くる(しるし)のために置かる。――(つるぎ)なんぢの心をも刺し(つらぬ)くべし――これは多くの人の心の念の(あらわ)れん爲なり』

 ここにアセルの(やから)パヌエルの娘に、アンナといふ預言者あり、年いたく老ゆ。處女(おとめ)のとき、夫に()きて七年ともに居り、八十四年寡婦(やもめ)たり。宮を離れず、夜も(ひる)も斷食と祈祷とを爲して神に(つか)ふ。この時すすみ寄りて神に感謝し、また(すべ)てエルサレムの拯贖(あがない)を待ちのぞむ人に、幼兒のことを語れり。

 さて主の律法(おきて)(したが)ひて、凡ての事を果したれば、ガリラヤに歸り、己が町ナザレに到れり。

 幼兒は(やや)に成長して健かになり、智慧(ちえ)みち、かつ神の(めぐみ)その上にありき。

 いつもこのように聖書を書き写すなどしていて思うのだが、言ってみればおとぎ話みたいな荒唐無稽な話、例えばマリアが処女にもかかわらず神の威力で妊娠する、といった話の合間合間に、突然、夫のヨセフが「世間体から言って具合がわるいので、離婚しようと思った」とか、原文のままに書けば「ヨセフ(ねむり)より起き、主の使の命ぜし如くして妻を()れたり。されど子の(うま)るるまでは、相知(あいし)る事なかりき。」とかいったような、ミョーに人間臭い現実の反応がくっついていたりするところが大好きである。

カポーティ

 そんなことを小難しく考え込んだり書いたりしつつ、しかし夜に鶏肉を食ったりワインを飲んだりケーキを食ったりする。

 キリスト教嫌いだとか言っておいて支離滅裂やなアンタ、と言われそうだが、そんなこと別にどうだっていいのである。

 妻と話していて、どうしてだったか、ふとトルーマン・カポーティのことが話題にのぼる。それで、「おお、そういえば……」と、カポーティの「クリスマスの思い出」という作品の事を思い出す。

 私の家にある本はわりと新しいめの本で、友達に薦められて買った村上春樹の訳のものだ。「クリスマスの思い出」は、「ティファニーで朝食を」の文庫に一緒に収められているのだ。

 で、読んだ当時、「ティファニーで朝食を」よりも、この「クリスマスの思い出」のほうが深く心に染み入り、気に入ったものだ。カポーティが子供の頃に一緒に暮らした、スックという年の離れたいとこの女性の思い出だ。

 妻はこれを読んだことがないという。そこで、二人でテーブルに並んで座り、一緒にページを繰った。何度読んでもいい話である。村上春樹の翻訳がいいというのも、効果があるのだろう。

 この作品は、アメリカでは教科書に取り上げられたり、クリスマス時期にテレビやラジオで朗読されたり、あるいは朗読会が開かれたりする定番であるそうな。そういう理由もあってか、英文だと、アメリカのサイトなどにけっこう沢山貼り付けられたりしている。

 ただ、米国法では著作権保護没後70年だったはずで、カポーティが亡くなったのは昭和59年(1984)だからまだ30年余りしか経っておらず、それをこんなにばんばん貼り付けるのは、多分、無断でやってるっぽい。

 このスックという女性の写真は、「capote sook」あたりでググると、彼らが並んで写ったものを簡単に見つけることができる。ネットで多くヒットするこの写真こそ、実は作品の中に取り上げられている、通りすがりの若夫婦が撮ってくれたというカポーティとスックの唯一の写真である。

おっさん勃然ボヤキ文字列

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こんなアホな投票あるかい(笑)

 あほかい。

 こんな、いかにも「教員そのもの」の男が、大学の構内のこういう所にこんなデカい看板持って立っててだな、ボードにシール貼らせる式の公開投票なんかしてみろ、こんなところでこんなこと聞くような男なんざ、「軍事研究断固反対」の活動家だって顔に書いてあるようなモンじゃねえか。

 そんな男が通行する学生に向かってだな、「オイッ!投票しろ!」なんて睨みつけながら迫ったら、そりゃ、学生は単位欲しいんだし、いい点数付けてほしいんだから、「はいいいいっ!軍事研究反対に投票しますっ!」って、ソッチにシール貼るに決まってるだろ。教員なんて公権力みたいなもんで、それで言えば教員と学生は、いわば「権力関係」にあるんだからさ。

 こんな不公平、不誠実な投票なんかあるもんかい、北朝鮮の選挙じゃあるまいし。

今上(きんじょう)陛下」か、あるいはせめて「今上天皇」と言えんのか、また「譲位」と言えんのか

 「退位」という言葉については、まあ、この前の「譲位という言葉には『譲る』という天皇陛下の能動的な意思が含まれ、政治への容喙という憲法違反の恐れがあるから云々」という屁理屈を百歩譲って聞きおくにしても、「今の陛下」とはなんだ、「今の陛下」とは。不敬だこんなものは。断固不可だ。今上(きんじょう)陛下と書け。

オスプレイ墜落の取り上げ方も気に入らぬ

 オスプレイが沖縄で墜落した。

 まるで「鬼の首でもとったような……」「祭りだワッショイ」のような、不謹慎なマスコミの騒ぎっぷりに腹が立つ。

 私としては、負傷した搭乗員の一日も早い回復を祈るとともに、今後の軍務に支障が出ないよう、心ばかりながら見舞いを申し上げ、同時に、一般の無辜(むこ)の沖縄県民の驚きと不安にも見舞いを申し上げたい。

 操縦者は傷ついた機体を巧みに操縦し、冷静な判断の上で真夜中の海上に機体を落下させた。無論、意図せざることとはいえ、空中給油モジュールをプロペラにひっかけたのは操縦者の責任だ。だがしかし、機体の無残な壊れ方から、正常な機動は極めて困難であったことは素人にも想像がつく。不幸中の幸い、操縦者の卓越した技術により絶妙な地点に落下し、2名の重傷者は出たものの、それでも全員命はあった。いわんや、沖縄県民に被害を出さなかったことは本当に良かった。

 彼ら搭乗員は、遊んでいたのではない。なんのため、誰のために深夜の空中給油という困難な技術を要求される仕事をしていたのか。アメリカに故郷と家族のある者、大の大人が、それを、何のため、どこの上空でしていたのか。それは、誰のためなのか。なぜ今なのか。そんなことをなぜする必要があるのか。

 クリスマスだのハロウィンだの、そんなキリスト教行事に浮かれる私たち日本人には、少し考えればわかることだ。たとえそれが自ら願ったことではないにもせよ……。

 もとより、合理的なアメリカ人はしなくていいことなんかしない。危険を冒す必要も、アメリカ人が金を払う必要もさらさらない。だが、それをしなければならなかった。

 それを日本中のメディアが(こぞ)ってボロカスに言うのは、あまりにも品がなさすぎ、残念である。

 しかし、沖縄の副知事と面談したニコルソン中将も、まんまと副知事の挑発に引っ掛かってしまった。これは痛い。ここは腹が立ってもグッと我慢するべきだった。

 ニコルソン中将が顔をゆがめて反駁(はんばく)する写真ばかりが、これでもかというようにクローズアップされている。気の毒である。

 つまり、この安慶田(あげだ)という副知事は、ヘリパッド工事を警備する警察官から「土人」「支那人」などという暴言を引き出すのに成功した例の活動家連中と同じなのだ。安慶田氏の立場になれば、「してやったり」というところで、嬉しくて仕方がないだろう。

 いくら武闘派、軍人中の軍人である海兵隊中将と言ったって、中将と言う極官にある者が、しかも元来は明るく楽天的なアメリカ人が、ちょっとやそっとのことで激怒なんかするものか。おそらく、この一部始終を報じる新聞記事には、意図的に削除された行間がある筈だ。安慶田副知事の口汚く狡猾な挑発について全ては書かれていないということが、この前の「土人」事件の一連の報道から容易に想像することができるのだ。

 さればこそ、……。オスプレイの搭乗員を庇う発言が、日本側から出る前にニコルソン中将から出てしまったのは、なんとしても惜しかった。

 ニコルソン中将は、部下を()べる責任者として、更に言うなら恤兵(じゅっぺい)を天与の義務として負う将校、アメリカ国民から兵という大切な命を預かっている士官として、至極(しごく)普通の気持ちを持っていたと想像されるだけに、惜しかった。

 ニコルソン中将にしても、かの「ディベート」などという、品のない文化(まか)り通るアメリカに生まれ育った生粋のアメリカ軍人だから、「ここは断固抗議して見せるのが正義である」と判断したのかもしれない。日本ではボロカスに書き立てられるが、こんなふうに書き立てている日本のマスコミは、米国では冷笑・憫笑(びんしょう)をもって無視されていることだろう。

 更に書きつのるなら、「やはり普天間(ふてんま)の住宅地の直上でこういうことが起こってはいかん。危険を取り去るためにも、すぐ辺野古(へのこ)へ移転しよう」となるのが素直(そっちょく)流露(りゅうろ)だと思うのだが、沖縄の活動家は全く逆に

「辺野古移転絶対反対普天間死守闘争断固完遂猛進激烈突撃激昂玉砕!!」

……みたいな、なんで、どうしてそうなンのよ、という、もう()(ほぐ)すことなど絶対不可能という状況にあるのが、実に恥ずかしくて仕方がない。

 うっすらと感じるのは、沖縄県民一般も勿論、沖縄をネタに活動する思想家の急先鋒も、自分たちが何をどうしたいのか、どういう生活を得たいのか、さっぱり(わか)らなくなっているのであろう、ということだ。

クリスマスの日にち

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 「オイ長女、クリスマスって何日だっけ、24だっけ、25だっけ!?」

……と気楽に質問して、「ええええ~っ、なんだよこの親父ッ!?」みたいな、「信じられませーン」みたいな顔を返される。

 だって、そんなもん、あんた、わからんやろ。クリスマスって、イブとかあって、どっちがどっちだかわかんねえんだもの。

「お父さん、それ、わざとギャグで聞いてない?……ギャグだったとしても、全然面白くもないしさあ」

 ええい、キリストの誕生日が一日ズレたからって、天皇誕生日を間違えることに比べたらそんなもんどうだってええんじゃあ、と叫び出しそうになるが、辛うじて思いとどまる。

 わからん。ワカランに決まっとるッ。なぜなら、私はキリスト教徒ではないからだ。

 では、あんたは何教徒なんですか、と問われるとグッと答えに詰まる。仏教徒ですと答えておけばあたりさわりはないが、仏教徒としての暮らしや精神を守ってなどいないし、神道ですなどとは言うも愚か、禊もしないし拝礼もしていないのであって、宗教的なあれこれなど、はっきり言って何もしていないのである。

 結局、ひょっとすると、俺は「共産主義者なのでは……」とすら思えても来るのである。共産主義者は、そりゃあ、宗教なんてありますまいよ。

障害者と感動とキリスト教

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 何か、NHKの番組が評判になっている。今夜放送されるという。評判になっている理由は、例の24時間なんちゃらの裏番組としてぶつけるべく作られた、「ケンカ売っとんのか」みたいな番組だから、らしい。

 さておき、私が思うには、「本来、障害者は人を感動させるべき人たちである」という決めつけに違和感を覚えるのは、それが聖書・マタイ伝にある、

(以下、聖書『マタイ傳』より引用)

幸福(さひわひ)なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を()がん。幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。幸福なるかな、憐憫(あはれみ)ある者。その人は憐憫を得ん。幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と(たた)へられん。幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり。我がために、人なんぢらを罵り、また責め、(いつは)りて各樣(さまざま)()しきことを言ふときは、汝ら幸福なり。」

……というような観念、つまり、「(めし)ひたる者は(さひは)ひなる(かな)、そは神により許されたればなり」というキリスト教的な価値観念に通じているからではないだろうか。

 つまり、このことに関する違和感は、それはキリスト教に対する違和感であると思えばよい、と私は思う。