ほっつき歩き

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縄文―1万年の美の鼓動

 上野の国立博物館で特別展「縄文―1万年の美の鼓動」というのをやっていることを知った。電車の車内広告のポスターで知ったのだ。ポスターでは学校の教科書で何度も見たことのある火焔型縄文式土器がフィーチャーされている。

 面白そうなので行ってみた。多くの縄文式土器や土偶が集められ、何と言っても国宝の土偶・土器が6点集結していたが、これは初めての試みだそうだ。

 ポスターに載っていたあの有名な国宝「火焔型縄文式土器」や、これもまた有名な重要文化財「遮光器土偶」の実物もあった。

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 かつて火焔型土器は考古学上の資料にすぎなかった。が、かの前衛芸術家・岡本太郎は、この火焔型土器の内包する芸術に感応した。岡本太郎が縄文式土器の芸術性を激賞したことから、以後縄文式土器の芸術性を鑑賞することが普及したのだそうである。

 なるほど、実際、間近にこれを見てみると、燃え盛るような躍動感が伝わってくる。教科書で見る限りは植木鉢程度の大きさなのかな、と思っていたが、実物はかなり大きいことも分かった。

 常設展も少し見て回った。

銀座「そば所 よし田」

 午後を過ぎても博物館でうろうろしていて、朝から何も食べていなかったので腹が減った。折から猛暑である。上野公園ではパキスタンの親善イベントが開かれていて、パキスタンの音楽やカレー料理などの出店があったが、この暑さではちょっと敬遠せざるを得なかった。

 思いついて銀座まで行き、有名な蕎麦舗「よし田」へ行ってみることにした。

 「木鉢會」のホームページでは、銀座すずらん通りにあると書かれているが、移転したらしく、この場所に行っても、ない。

 今の店舗は左の地図の場所にある。「銀座6-4-12 KNビル2階」だ。それと、実はもう1か所、このすぐ近所の「銀座7丁目5 銀座7丁目5−10 第2一越ビル 3F」にも分店があるから気を付けないといけない。

 ここの名物は「コロッケ蕎麦」だ。こう書くと、立ち食い蕎麦屋の安物を思い浮かべるかもしれないが、そうではない。「よし田」のコロッケは、この店独自のアレンジを施した独特の和食揚げ物なのだ。これは鶏肉を細かくたたき、鶏卵・山芋などと練り合わせて粉を付けて揚げたもので、パン粉は使われていない。食感は鳥のつみれ団子のようなもので、天つゆと山葵で食す。歯ごたえよく、噛むと油と鶏肉のうまみがゆっくりと味わえる。

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 盛夏で、熱いコロッケ蕎麦はさすがに食べる気はしないが、もちろんこれはコロッケだけの「皿盛り」でも出してくれる。これをつつきながらの蕎麦前の一杯はこたえられない。

 盃一杯ほど酒の残っている頃合いに「もり」を一枚たのむ。旨い。

値段
コロッケ天皿 500円
日本酒 630円
もり 600円
合計 1730円

 満足して店を出る。値段はそんなに高くない。

KITTE

 帰り、東京駅で途中下車して、丸の内南口駅前の「KITTE」に寄る。

 4階の書店で立ち読みして、何も買わずに帰る。

ドラマ×マンガ 「戦争めし」

 これもまた電車の車内広告で知ったテレビ番組。

 録画して見ることにした。最近テレビよく見るなあ。

運慶展

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 このところ、二、三日暑い日が続くな、と思うと今度は少し雨となる。繰り返しだ。晴雨交互の(たび)に涼しくなっていく。秋らしい。

 既に近所の柿が色づき、熟し始めた。

 今日は秋雨だ。朝から霧雨が()()えとあたりを包んでいる。

 昨日、「運慶展」が催されていることを知った。通勤電車内で、ポスターを見て知ったのだ。上野の国立博物館で催されているという。

 早速昨日のうちに上野に寄った。私は毎日秋葉原で乗り換えるので、上野は通勤経路だ。仕事の帰りに寄ったのである。これはすぐに運慶展を見るためではなく、(あらかじ)め図録を買うためだ。

 私は時々こういうことをする。図録だけ先に買い、金曜の夜にゆっくり図録を眺めて予習をするわけである。歴史や背景などの理屈、諸々のエピソードなどを予習してから、土曜に実物を見に行くわけだ。こうすることで、実物を見るときに展示物以外のことに気を散らさないで済み、作品に集中出来る(わけ)である。丁度(ちょうど)昨日は金曜だ。

 運慶・快慶の作品は、学校の教科書に出てくるから、誰でもよく覚えている。東大寺の金剛力士像や、興福寺の四天王(してんのう)立像(りゅうぞう)などは日本人には懐かしくさえあるものだ。

 正岡子規に

無著(むじゃく)天親(てんじん)その()の仏秋の風

……という句がある。今回の展覧会は、興福寺に伝わる、その「無著菩薩」「世親(天親)菩薩」の立像(りゅうぞう)は無論、高野山金剛峯寺の八大童子立像(はちだいどうじりゅうぞう)や、運慶の直接作品ではないらしいまでも、多大に運慶の影響を受けていると伝わる十二神将立像(りゅうぞう)など、過去なかったほどに運慶及び所謂(いわゆる)「慶派の仏師」の作品を集めて開かれている。

 やはり目当ては興福寺の運慶作である。

 実は子供の頃、興福寺にも東大寺にも、何度も行っている。東大寺の金剛力士像は勿論のこと、興福寺の無著菩薩も世親菩薩も、また四天王立像など、数多くの運慶作品に親しんできた。ただ、そうしたものをしょっちゅう見られる事が()(がた)い事だとは、子供の頃にはわかる筈もなかった。

 事前の情報ではかなり混むということだったが、今日は生憎(あいにく)秋雨(あきさめ)のせいか人々の出足が鈍いらしく、待ち時間0分で入場できた。

 会場は平成館の2階で、第1会場と第2会場に分かれている。年代順に前期が第1会場、後期が第2会場だ。

 いやもう、眼福、眼福、眼福、これあるのみであった。

無著菩薩立像

 なんと言っても、見どころは無著菩薩立像(むじゃくぼさつりゅうぞう)だろう。

 粘土でかたどるブロンズなどとは違い、彫り直しのきかない木彫(もくちょう)だ。その制約のもと、一体どうやって、この悲しみとも内省ともつかぬ深い精神、慈悲と言うとかえって当たり過ぎで、逆に軽く感じてしまって十分に形容できない、鎮々沈々として、かつ()()みとした人生の表情を彫り出したのだろうか。しかも、これは実在の無著を写したものではない。「多分、無著と言う人はこういう表情を(たた)えていたであろう」という想像によって彫られている。しかもその想像は、800年も後の私たちをして(うべな)わしむるに足る。

 東大寺の金剛力士像の迫力とはまた違った説得力を持っているのがこの無著菩薩立像である。

 評論家の西尾幹二は東大寺の金剛力士像を、その通俗ゆえにか、バッサリ「愚作」と切り捨てている。だがしかし、通俗のものは、違う角度から見た本物と言うべきであろう。金剛力士像もまた運慶の面目躍如たる作品であり、切り捨ててしまうのはあまりにも果断に過ぎる。そうは言うものの、西尾幹二が金剛力士像を愚作と言い切ってまでこの無著菩薩立像に入れ込む気持ちもよくわかる。

 四天王の足下に踏み(しだ)かれる邪鬼(じゃき)に目を奪われる。人外の者であることを表す四本指に二本(ひづめ)、踏みつけにされて飛び出た目玉、見れば見るほど考え込まされる。

 重要文化財「十二神将立像」は、もとは京都の浄瑠璃寺の所蔵であったが、今は国立博物館と静嘉堂文庫美術館が別々に蔵しているため、一度に見ることができない。この展覧会では、これらが四十数年ぶりに一か所に集められた。めったに見られない展示で、これも見ものであった。十二支(じゅうにし)、つまり干支(えと)のそれぞれをわかりやすくかたどった神将群で、それぞれ額に子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥(ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い)のシンボルを頂いている。直接の運慶作ではないらしいが、運慶の名は当時の彫刻ジェネレーションを象徴してもいて、運慶ムーブメントのうちであると言っていいのだろう。

 昼遅く、たっぷりと運慶展を見終わる。

 せっかく国立博物館に来たのだから、ということで、常設展も一回りすることにした。

名物(めいぶつ)三日月宗近(みかづきむねちか)」こと三条宗近(さんじょうむねちか)太刀(たち)

 面白かったのが、刀剣の展示に若い女性が行列をなして群がっていたことだ。

 「名物(めいぶつ)三日月宗近(みかづきむねちか)」こと三条宗近(さんじょうむねちか)太刀(たち)を見るための列が、ほぼ「30分以上待ち」であった。刀剣の鑑賞が女性の間で流行っているということは知っていたが、30分も並んで刀剣を鑑賞するほどの流行になっているとまでは知らなかった。こんな風に「流行」と言ってしまうと、「違うわよ、私は芯から本物の刀剣愛好家よ!ちょっとやそっとの流行と一緒にしないでよ!!」と女性陣に叱られる気もするが……。

 さておき。

 国立博物館は、一度入ってしまうとさながら罠のように私を(から)め捕える。いつまでも入り浸っていたいのだが、いい加減のところで未練を切らないと、出られなくなってしまう。後ろ髪を惹かれるようにして、15時頃、博物館を後にした。

 上野公園では何か「にっぽん文楽」という催しをやっていた。和風の扮装の一団が音楽に合わせて踊り演ずるものだ。一部始終を面白おかしく見物した。

 仲町通りで一杯、それからアメ横の藪蕎麦で「なめこ蕎麦」を啜り込み、帰路につく。

 帰宅すると、いい感じに18時である。楽しい土曜日であった。

図書館~蓮玉庵~不忍池(しのばずのいけ)

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蕎麦通・天婦羅通

 図書館へ本を読みに行く。この前から読みかけの「蕎麦通・天婦羅通」という戦前の本の復刻だ。

 最近珍しい本を読むことが多く、市立・県立の図書館にはないようなものに限って読みたくもなるもので、それで国会図書館へばかり行っていた。

 国会図書館には古今のあらゆる本があり、漫画や雑誌まで含めて全て読むことができる。だが、ただ一点の難は借り出しができないことだ。なので、文字の多い本を数日かけてじっくり読むと言う事ができない。

 この本、「蕎麦通・天婦羅通」は、先日たまたま市立図書館で見つけた。市立の図書館なので、この本は借り出すことができる。

 読み始めた時には拾い読みする積もりで、借り出す気はなかったのだが、面白いから全部読みたくなってしまい、結局、今日になって借り出した。

蓮玉庵

 こういう本を読んでいると本当に腹が減ってしまう。蕎麦の本だから蕎麦を手繰(たぐ)りたくなるのは自然の理屈だ。

 前々から気になっていて、だが入ったことのなかった、上野・池之端、仲町通り入り口に近い「蓮玉庵」へ行ってみることにした。

 上野・池之端と言うと「池之端藪蕎麦」に限ったくらいのものだったが、残念ながら先頃閉店してしまった。今は店も取り壊されて、すっかり更地だ。

 だがこの「蓮玉庵」も、なかなかどうして、江戸時代創業の有名店なのである。

 樋口一葉の日記や野村胡堂の作品などにも登場する古い蕎麦(みせ)だ。

 上野・池之端の仲町通りはピンサロなどの客引きが多くて閉口するが、そんな中、この蕎麦屋は貫禄のある古い店構えで、ひときわ目立つ。

 臆せず入ってみる。

 表の店構えは相当に古びているのだが、一歩店内に入ると、美しく調度されており、非常に清潔な店内である。壁の造り付け棚に蕎麦猪口(そばちょく)が飾られてあり、見飽きない。

 品書きはそれほど多くはない。酒の銘柄がいろいろ揃っているというわけでもない。だがそれだけに迷わず楽しめるのだ。

 酒をぬる燗で一合、肴に焼海苔をとる。

 焼海苔はシンプルにお皿に乗せて出してくる。通しものは煮豆だ。やさしく、かつ味わい濃く煮てあって、これは酒に良い。

 盃一杯ほど酒の残っている頃おい、蕎麦をたのむ。私は蕎麦屋に入ったら、いつもは大抵、「もり」や「せいろ」、あるいは「かけ」をたのむことにしているのだが、今日はこの店名代(なだい)の「古式せいろそば別打ち入り三枚重ね」というのをとってみた。

 1枚目と3枚目は新蕎麦風味の蒸篭(せいろ)蕎麦だ。基本に忠実な蕎麦で、旨い。

 2枚目に、季節ごとの変わり蕎麦が入っており、今の時季は「桜切り」である。写真の左側のものだ。馥郁と桜の香りがする。桜の花と葉が練り込んであるのだ。

 実に旨い。

 蕎麦(つゆ)は濃いが辛くなく、出汁(だし)が利き、変わり蕎麦の桜の風味にも絶妙に絡む。

 蕎麦湯は銅の薬缶(やかん)にたっぷりと入ってくる。

酒 一合 700円
焼海苔 400円
古式せいろそば別打ち入り三枚重ね 1000円
合計 2100円

 本当に東京の蕎麦屋らしい蕎麦屋で、のんびりと飲みかつ手繰(たぐ)ることができ、満足した。

不忍池(しのばずのいけ)をうろつく

 この前まで不忍池の周りは工事中で、東京オリンピックや外国人観光客の誘致を狙ったものか、舗装などを相当直したようだ。

 今日は工事が完成していて、沢山の人で賑わっていた。

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 桜は七分咲きというところだが、折()しく雨がぱらついて寒い。ところが、気も(そぞ)ろというところなのだろうか、もう敷物を拡げて、賑やかに花見宴を繰り広げている人たちも多くおり、本当に花見が好きだなあ、と感心してしまった。

弁天参詣

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 折角だから弁天に詣でる。

 布施をして、「融通守銭」というのを頂き、お香も寄進する。

 花見の時季を当て込んでか、相当数の露店が出ていて、美味しそうな匂いをふりまきつつ、焼いたり煮たり、声を枯らして客を呼び込んでいる。昔の風景と違うんだろうな、と思うのは「ケバブ」の店が何店かあることだ。それに、縁日などを見物に出かけていつも思うことだが、寺の境内で肉類の露店、豚焼きや焼き鳥などがあるのも面白い。これは関東の特色だろうか。

 弁天堂の参詣列にヒジャブを被ったイスラム教徒が並び、手を合わせている。……いや、コッチはいいんですがね。正月に皇居の一般参賀に行った時にも思ったことだが、あなたがた、イスラムのバチが当たるんじゃないですかと、他人事ながら心配してしまう。

下町風俗資料館

 弁天島からボート乗り場に隣り合う堤を歩いて行って、池之端の方に戻り、ふと思いついて「下町風俗資料館」へ入ってみる。

 昔の長屋の暮らしが再現されており、座敷へ入ってみることもでき、大変面白かった。

 微醺(びくん)を帯びて帰宅する。

 小雨の桜もいいものだな、と思った。

上野藪蕎麦

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 承前、図書館で蕎麦の本など読んでいたら、俄然(がぜん)蕎麦を手繰(たぐ)り込みたくなるのである。

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 近所の蕎麦でもいいが、せっかく駅前にいる。私の住む越谷から上野までは電車で一本、30分ほどである。上野の藪蕎麦にでも行って見よう。

 菊正宗を焼海苔で一合飲んで、それからのんびりと「せいろ」を手繰る。

 ふと思いついて、名店・池之端藪蕎麦の跡地はどうなったかなと思い、行って見た。

 すっかり更地になってしまっている。

 不忍池(しのばずのいけ)のほとりを歩いて帰ろうと思っていたら、なにか大規模な再開発工事中で、立ち入りできなかった。枯れ蓮の池に百合鴎(ゆりかもめ)の羽づくろいが眼を惹いた。

 

徘徊

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 徘徊する。

 と言って、今日は徘徊するつもりでもなかった。子母澤寛の「ふところ手帖」を読みたかったから、図書館に行って、いつものように赤坂の砂場で蕎麦でも、と思っていた。

 その前に、床屋に寄る。正月用に調髪するにはまだ早いが、如何(いかん)せん髪が伸びすぎている。

 行きつけの床屋さん「ファミリーカットサロンE.T 南越谷店」の、顔見知りの理容師の女性は私よりうんと若い人だ。明るい美女で、よく話しかけてくれる。今日はひとつ話題でも、と思い、自分の薄くなってきた頭髪をネタに、

「抜け毛、ハゲというものは、これは俳句の季語になってましてね、『木の葉髪(このはがみ)』と言って、冬の季語なんですよ。有名な俳人、中村草田男の句に、『木葉髪(このはがみ)文芸長く(あざむ)きぬ』なんてのがありましてね」

……などと、無駄な知識を押し付けて差し上げる。……理容師さんには意味が解らなかったかも知れないが、まあ、理容師さんという職業上、髪の毛ネタというのは多い方がよかろうと思ったようなわけである。

 新越谷の自宅からは、半蔵門線に乗っていけば国会図書館のある永田町まで直通一本なのだが、通勤定期で市ヶ谷まで行けばそこから永田町まではふた駅で、この方が安くつく。それで、平日の通勤と同じように日比谷線経由で遠回りしていく。

 日比谷線の上野まで来てふと、床屋に行って頭もスースーするし、そうだ、この前愛用のカスケット無くしたんだった、同じようなやつをアメ横の同じ店で買おう、と思った。

 アメ横と言う所は、意外に店の入れ替わりが激しい。無くしたカスケットを買った店に行ってみたら、とうに別の、何か中華料理屋みたいな店に代わってしまっていた。

 おっさん向けの帽子を置いているところというのは少ない。しかたなしに他の帽子店を探して入ってみたのだが、どうも、1万円とかいう値札が付いていて手が出ない。贅沢をして1万円の帽子なんかかぶったら、もったいなさのために頭皮がかぶれ、ツルッパゲになる恐れがある。

 帽子を買うのをあきらめて、さてどうしようか、と思う。時間も中途半端である。昼近くなってしまったので、今から図書館へ行っても、文庫本1冊全部は読めないし……。

 神田へ行って「やぶ」か「まつや」に行こう、と思い立った。上野から神田はすぐである。秋葉原で降りれば(ふた)駅だ。

 ところが、いざ「やぶ」の前へ行くと、いつも以上の長蛇の列だ。辟易して、並ぶのをあきらめる。それでは、というので「まつや」に行って見たが、「やぶ」以上の行列で、更に気持ちが萎えてしまう。

 うーん、どうしよう。目先を変えて、日本橋のあたりまで出て、虎ノ門・大坂屋砂場へ行って見ようか、と考えを変える。

 新橋の駅で降りて、通りを歩いていく。烏森(からすもり)口というところから出たのだが、大坂屋砂場に向かってしばらく行くと、右手に色とりどりの(のぼり)が並び立っていて、その奥の方に、なにやら鳥居と燈明がゆかしげに鎮座している。

 覗いてみると、「烏森神社」とある。幟には「心願色みくじ」と書いてあって、なんなんだろう、と惹かれた。

 さほどゆかしいところでもないように見えたが、その実、創建縁起を辿(たど)ると、遠く平安時代に遡る古社で、祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)だという。倉稲魂命というのは俗に言う「お稲荷(いなり)さん」のことだが、普通の稲荷社とはたたずまいが少し違っている。普通の稲荷社は赤い鳥居が何重にもなっていたり、狐の使者(おつかい)が殊更に赤い前掛けをして狛犬(こまいぬ)座に据えられていたりするものだが、全然そういうことがない。

 沢山の人が参拝していたので、寄ってみた。

 さっそく名物らしい「心願色みくじ」というのへ初穂料を納める。神職さんの説明によると、祈願したいジャンルごとに色分けされた御神籤(おみくじ)をひくというものだ。ではひとつ、今日は金運を祈願してみようと思いつき、それをお願いする。金運は黄色の御神籤だ。

 「中吉」をひきあてた。頂いた(くじ)には、心願をジャンルと同じ色のペンで書き込んで、奉納するのである。私は金運祈願であるから、黄色いペンで願いを書き入れ、奉納処へ結びつける。ヒッヒッヒ、儲かるといいなあ。

 さて、そんなことなどありつつ。

 そのまま通りをまっすぐ西へ行けば、数分で東京屈指の蕎麦(みせ)、虎ノ門・大坂屋砂場に着くのだが、着いてみて残念、休みであった。良く確かめずに来たもんなあ。

 一度蕎麦に決まった口腹の欲求はなかなかひっこめられない。ではというので、スマートフォンでGoogle Mapsにアクセスして、すぐ近所の「巴町・砂場」を検索したら、これがまた、Google Mapsの優秀さ、「今から行っても閉まっています」と即座に警告してくれる。

 うーん。

 そうだ、浅草に行くと、仲見世に帽子専門店が何軒かあったなあ、と思い出す。それなら帽子を買って、それから浅草の並木で蕎麦を手繰(たぐ)ればいいじゃないか、と思いつく。都営浅草線で一本、数駅だ。

 着いてみると浅草は相変わらずの混雑っぷりだ。外国人の多いこと多いこと。紺碧の空にスカイツリーの屹立、そりゃあ観光にもってこいだ。

 人をかき分けて新仲見世通りを歩いていくと、「銀座トラヤ帽子店」の浅草店があった。

 こういう帽子専門店は値段が高い。だから立ち寄ってもダメかな、うーん、どうかな、と思ったのだが、年末らしく表に「2千円から」の札の出たワゴンがあって、形の古いものなどがたくさんある。二~三ひっくり返してみると、下のほうから軽くて黒いカスケットが出てきた。思いがけずなかなかいい品物で、縫製も布もしっかりしている。

 カスケット(キャスケットとも)というのは、ハンチングの一種だ。普通のハンチングは前後にまっすぐ縫い目が通り、「3枚はぎ合わせ」が普通だ。ところが、この「カスケット」と呼ばれる帽子は、中心から放射状に6枚はぎ合わせになっているのが特徴だ。戦前の公務員などがよくかぶっていたこと、また、有名なところでは「レーニン」がカスケット好きで、これをかぶった写真が多く残っている。

 乃木将軍と東郷提督が二人でカスケットをかぶった写真も有名だ。

 で、おお、これこれ、こういうのが欲しいんだよな、と手に取っていたら、店員さんが出てきて、「お客さん、掘り出しましたねえ。これ、処分品なんですけど、カシミヤで、なかなか出てない帽子なんですよ。お安くなってますから、いかがでしょう?」と薦めてくる。もとより、これは大変気に入ったので、即決、3千円で買う。かぶって帰る旨伝えると、きちんと値札を切り取り、袋をつけずに手渡してくれる。

 所詮(しょせん)、飛び込みでヒョイと買った安物だ、と気楽な気持ちでいたのだが、後でタグをひっくり返して見たら、この帽子は大掘り出し物だった。「ボルサリーノ」の銘品なのである。

 この帽子の型番は「BS249」というのだが、後でネットで検索したら、なんと1万6千円である。これはまったく、掘り出したものだ。

 ボルサリーノのカシミヤのカスケットが3千円というのは安かった。

 それから、並木通りの方へ出て、「並木藪蕎麦」へ行ったのだが、もう14時過ぎにもなろうというのに、(みせ)前は行列である。驚いた。

 それでも、15分ほど並んでいたら入ることができた。

 ぬる燗で酒を一本。ここの通しものは固く練った蕎麦味噌で、辛口の菊正宗によく合って、うまい。

 いつもなら蕎麦屋の酒は一合くらいにしておくのだが、なんだか(あきた)りない感じがして、焼海苔でもう一合。ここの焼海苔も火の(おこ)った炭櫃(すみびつ)で出してくれ、ホカホカのパリパリに乾いていて旨い。

 一杯ほど酒の残っている頃おいに、「ざる」を一枚。並木藪蕎麦独特の塩辛い蕎麦(つゆ)は、何度来ても飽きないおいしさだ。

 蕎麦湯をたくさん飲んで、ホカホカに温まって舗を出る。今日は冬麗(とうれい)にも拘わらず気温が低いが、それすら快く感じるほどの酔い心地と温まり方である。

 自作「東京蕎麦名店マップ」に写真を足す。

 せっかく浅草にきたのだから、と神谷バーに寄る。

 電気ブランを一杯。肴に枝豆を頼んだら、店員さんが「すみません、今日枝豆ないんです」と珍しいことを言う。仕方なしに、たまたま目についた「公魚(わかさぎ)の天婦羅」を頼む。単に安いから頼んだだけだったのだが、これがなかなか大ヒットの旨さで、よく揚がっているし、種も美味しく、思いがけない口福が得られたことであった。

 酔っ払って帰宅。

池の端藪蕎麦の写真があった

投稿日:

 自作の「東京蕎麦名店マップ」。ここには、東京の蕎麦屋さんを訪ねては自分で撮った写真を載せている。

 しかし、一店だけ、何度か訪れて写真を撮ったはずなのに、どうしても見つからないものがあった。今取り壊されている「池の端藪蕎麦」の写真である。

 以前まだ盛業のおりに撮っておいた写真があるはずだったのだが、どこかへ紛れてしまい、どうしても見つからなかった。訪れた日にちも記憶が曖昧で、よくわからない。

 ところが、今日、Facebookの自分のタイムラインを繰っていたら、不意にその写真が見つかった。

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 この写真によると、平成26年の8月に訪れていることがわかる。

 早速名店マップに写真をアップロードしておく。

国立西洋美術館あたり

投稿日:

 今日は日本ITストラテジスト協会関東支部の月例会があったが、行かず。野暮なことがいろいろとあり、このところ全然行ってない。レゴを使ったワークショップとのことで、変わっていて面白そうだし、興味を惹かれたが、今日も他で野暮用があり、行かなかった。

 先週水曜日、妻が車の後ろ隅のあたりを自宅の角に(こす)った。丁度6か月点検で、今日の10時にトヨタに持っていくことになっていた。

 傷はパネルを取り換えて、だいたい5万だという。まあ、仕方がない。明日までに出来る、とずいぶん早い返答だったので、それで了承し、車を預ける。中途半端に時間を余らせる。

 ふと思いついて上野まで出る。しとしと雨が降る中、昼食でも、と思って、久しぶりに池之端の籔蕎麦へ行って見た。

 ……アレ??

 池之端・籔蕎麦、……が、ない。

(後日撮影・工事中の池の端・籔蕎麦あと)

(後日撮影・工事中の池の端・籔蕎麦あと)

 あれれれれ……!?ハテ、たしかこの建物のハズだが、……という、そのビルの中には重機が入っていて、シートで覆われ、取り壊している最中ではないか。

 Googleで検索してみると、Wikipediaの「池の端籔蕎麦」の項目に、「平成28年現在、二代目が体調を崩し、休業中である」というようなことが書かれてある。

 ネットではそれ以上のことはわからなかったし、不忍通りの一本裏にあるこの「仲町通り」で道行く人に尋ねたりすると、これが昼サロなんかの悪質な客引きだったりして騙されることもこれあり、聞くこともしなかった。

 取り壊し工事中だったわけで、これは休業中というようなものではなかった。改装するのかもしれないが、ハテ、かの名店がもうなくなってしまうのか、どうなんだろう。

IMG_4326 気を取り直し、他へ行くことにする。一度蕎麦だと思うと、蕎麦を手繰らなければ気が済まない。上野・アメ横のほうの籔へ行った。

IMG_4327 いつものように、蕎麦味噌で半合、焼海苔でもう半合。ここの焼海苔も、「籔御三家」同様、炭の(おこ)った海苔箱に入れてくるので、ホカホカと乾き、うまい。

IMG_4328 それから(おもむ)ろに「せいろ」を一枚手繰る。

IMG_4324 ここは目の前で蕎麦打ちを見せてくれるので、飽きない。昼時は客が立て込むので、そこだけが難点だ。

 アメ横のほうへ出ていくと、「祝・国立西洋美術館、世界文化遺産指定」などと横断幕が張られている。そうか、そうだったな、と思い、上野公園のほうへ歩いて行ってみると、そぼ降る雨にもかかわらず結構な人出で、また最近の例により外国人が多い。

IMG_4330 西洋美術館の前の、ロダンの彫刻の広場にも外国人が詰めかけており、日本語の注意書きがわからず、ロダンの彫刻「地獄の門」の、免震台座の上に上がり込んで写真を撮ろうとして通りすがりの人に怒られている奴もいる始末だ。

 チケットカウンターで何か案内を言っていて、耳をそばだてたら「今日は常設展は無料です」と言っている。ほほう、そりゃいい、というわけで、入った。

 国立西洋博物館は数奇な運命を経た「松方コレクション」を展示するため、これまた紆余曲折の末に国で整備した美術館だ。

 つい先頃、クーデターの真っ最中にイスタンブールで行われていた会議で世界文化遺産に登録されたことが思い出される。これは日本のお手柄というようなことではなく、世界的建築家のル・コルビュジエ氏の一連の作品、ということで、各国に残る他の建物も含めて「全体で一組」ということで登録されている。

 常設展では中世頃の教会美術・宗教画から風俗画、近代のキュビズム等に至る幅広いコレクションが無料で見られる。ミレー、マネ、ルノワール、ゴーガン、ゴッホ、ピカソと言ったあたりの真作も多くあり、見飽きない。

 用事を済ませ、夕刻帰宅。