読書

 「北槎聞略」、さっそく通勤電車の行き帰りの楽しみに読書中である。

「北槎聞略」読書メモ
距離

ロシアの1里 500間 約900メートル
1間 約1.8メートル
10丁 約1090メートル
送還船エカテリーナ号の大きさ 長さ15間幅3間弱 長さ27メートル幅5.4メートル弱
当時の千石船の大きさ 長さ29メートル幅7.5メートル

その他

 北槎聞略の口語訳は、雄松堂書店から7200円で出ているものしかないことを知った。

 私が他のものを何も見ずに口語訳するのもいいかな、と思った。……暇がないし、一文の得にもならないが。

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 注文しておいた岩波の「北槎聞略」、夕刻帰宅したら届いていた。さっそく読み始める。

 文語体とは言っても中世のものとは違って江戸時代のものだからかなり読み易い。また漢字の異体字は通用のものに直す等してあるので、かなり楽に読める。

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 吉村昭の「大黒屋(こう)太夫」、上下巻とも読み終わる。

 実在の大黒屋光太夫は10年もの間異郷ロシアで過ごす。しかしこの作品での物語の展開はスピーディだ。主人公光太夫がダメもとでオランダ公使に手紙を託すシーンがあって、その文中で「この八、九年と申すものは……」と、突如9年ほどもの時間が経っているとことを知らされて読者は驚くのである。多くの読者は、このあたりを読んでいるときには、「あれっ?……まだ(ふた)冬か()冬くらいしか経っていないはずだが……?」くらいの感覚しか多分ないと思う。

 ともあれ、とても良い本で、面白く読み終えた。女帝エカテリーナに拝謁するシーンの緊張感、高揚感、また帰国後将軍に引見されるところなど、光太夫の気持ちが伝わってくるようであった。

 司馬遼太郎が「菜の花の沖」で高田屋嘉兵衛を描いた昭和57年(1982)頃は、大黒屋光太夫の伝記にはまだはっきりしていない部分があったらしく、一般に大黒屋光太夫は晩年不遇であったということになっていたらしい。「菜の花の沖」の中にも、「高田屋嘉兵衛に比べて、大黒屋光太夫は帰国後幽閉のような状態に置かれ、不遇な晩年を過ごした」というような描写がある。

 ところが、吉村昭が「大黒屋光太夫」を書いた平成15年(2003)頃までには、それまで未発見であった古文書などが見つかり、光太夫はそれほど不遇ではなかったらしいことがわかってきたそうで、そうした古文書の研究結果などが反映され、この「大黒屋光太夫」の作品中ではどちらかというと平穏で恵まれた晩年を送ったように描写されている。あとがきや、Wikipediaの「大黒屋光太夫」の項目などからも、そうしたことがわかる。

 さて、次の読書だ。この実在の人物・大黒屋光太夫に関する基礎資料中の基礎資料は、なんといっても「北槎(ほくさ)(ぶん)(りゃく)」である。これを読まなければ面白くない。

 「北槎聞略」は岩波文庫から出ている。越谷図書館の蔵書にないか探してみたが、どうも、ないようだ。では、とAmazonで探すが、現在は市場にないらしく、入手可能なのは中古品のみである。

 では、ということで、184円+送料350円=534円で購入。Amazon Primeではなく、古本屋の出品なので、月曜以降に届くようだ。
 

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 「大黒屋光太夫 上」を読み始める。

 大黒屋光太夫が最初に漂着したのはアリューシャン列島の「アムチトカ島」である。この島の名を見てふと思い出すのは、アメリカが行った「カニキン」水爆実験の現場がこのアムチトカ島であることだ。

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 「北槎聞略」が岩波文庫にあることを、Amazonのリコメンド広告で知る。

 「菜の花の沖」を読んでいるとき、たびたびこの文書が取り上げられていたので、興味を覚えた。

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 引き続き読み進む。司馬遼太郎「菜の花の沖」第5巻。

 この巻では相当長々と主人公高田屋嘉兵衛とは直接関係のない、しかし物語上重要な当時の状況、ロシアとの国際関係、国内の政治状況などが作家・司馬遼太郎自身により語られる。そのページ数たるや、53ページから387ページまでの335ページに及ぶ。全部で414ページ中の335ページだから、この第5巻の8割はそういうページで占められている。

読書メモ
言葉
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 この作品中に、度々、主人公高田屋嘉兵衛と前後する時代の船頭、「大黒屋光太夫」が登場する。沖船頭で、東廻り(太平洋)で難破・漂流し、アリューシャン列島に漂着、紆余を経て貴顕の教授ラクスマンの助力によりロシア皇帝エカテリーナ2世への謁見まで許された。やがて皇帝の力により送還され、10年後に帰国した人物だ。

 帰国後、光太夫の体験談を幕府の奥医師で蘭学者の四代・桂川甫周が聞き取って書きまとめたものが「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」であり、今に伝わる。

 この書名の「北槎(ほくさ)」というのは何かということだが、「()」は「いかだ」とも()み、してみると「北槎」とは「北の筏」、ひいては「北方の漂流」というほどの意味である。

 下の「聞略」のほうは「聞略」でひとつではなく、どちらかというと「北槎聞」の「略」ではあるまいかと思う。つまり、「北方の漂流記」の「概要」とでもいった意味が妥当であろう。