先生っ、おとうさん、おかあさんは差別だそうです。

 ものすごいな。

 だったら、当のおとうさん・おかあさん側から言うと、逆もまた差別と言うことになるわなあ、「GLBT」とか「保護者の方」ってのが、さ。

 息子、娘もダメだな、この論法でいけば。「(せがれ)」なんて、もう、死刑ッ!……って勢いだな。

 (しゅうと)(しゅうとめ)もダメ、叔父(おじ)伯父(おじ)叔母(おば)伯母(おば)の使い分けも全部ダメ。

 だけど、「ぱぁとなあ」はオッケー。

 フザケんな、馬鹿野郎。

モデル叩いたって朝鮮叩いたってしょうがねェだろ

 なんだか、水原希子というモデルとサントリーのプレミアムモルツのプロモーションの組み合わせが気に入らない人がいて、ツイッターで悪口なんか言うものだから、それがちょっと話題になっているようだ。

 頭の悪い好戦右翼である私は、この「リテラ」ってサイトがあんまり好きではないのだが、それにしても、ねえ。そんな私ですら、これはリテラの記事に一理あると思うよ。……まあ、スクリーニングや体系化のプロセスを経た紙媒体から本質ニュースを掴む、というサイトの主義姿勢からは大きく離れ、Twitterで踊っているというところが、この記事のちょっとアレなところなんだけどね。

 右が問題のTwitterのタイムラインとリプライなどだ。リプライはクリックすれば見られる。

 いま現在これを見ると、ボロカスに言ったとされるヘイト・ツイートはそれほど目立たず、むしろ水原希子側に立つツイートに埋もれて見つからないくらいで、一体誰がヘイトなんかやってるんだ、むしろ差別主義者なんて弱小勢力なんじゃねえのか、……などとも思えるが、さておき。

 いやもう、よくこんなことで盛り上がれるな、と思うねえ。ほんと、しょうがねぇなあ。いや、水原希子が政治家だとかなんとか言うんだったら話は別だよ? けど、そうじゃないだろうが。むしろ、逆に炎上気味を狙った製品プロモーションなんじゃねえかとすら勘繰ってしまう。

 モデルや女優なんてものの本領は、美しく目立ってセリフが回って演技が良くって人気がありゃあそれでいい。それが彼ら彼女らの至上命題、任務であって他の事はどうだっていい筈なんだ。多少の社会的な影響を考えて身持ちや慎重さなども要求されはしても、そんなこたァ芸能事務所や媒体が外側から勝手に管理すればいいことだ。タレント風情ごとき、政治家や倫理学者や思想家じゃねえんだからさ。モデルや女優なんか、アメリカ人だろうと朝鮮人だろうと、誰だっていいし、何を言おうが発表しようが勝手だ。その点、水原希子なんて人は、100点か90点かはわからんが、ともかく優秀な才能だろうよ。

 この「天皇陛下バンザイ」な私ですらそう思うんだからさ。

 ただ、この水原希子ってモデルさんも、ミョーに思想的なことなんか言わなければいいのに、ねえ。以前の靖国神社一件騒動に関するコメントとかさ。ほっとけよ、違う考え方の人なんか。どうして芸能事務所の方でそういうことが漏れ出たりしないように管理してやらんのかね。若い女なんだから、失言とか恋愛とか主義主張とか思想的な傾きとか、そりゃいろいろあるだろ。それが彼女の仕事になんの関係があるんかね。プレミアム・モルツの、肉をほおばってビールを飲む映像を見てみなよ、職人と言えるほどの完璧な仕事じゃないか。

ロッキー

 先週いつだったか、タイムラインかウォール上に「実は『ロッキー』という映画は逆差別の映画だ」というリンクを見かけた。なるほど、そりゃ確かに……と思ったものの、よく考えてみたら私は「ロッキー」を見たことがないということに気付いた。

 Amazonプライムで見られることがわかったので、見てみた。

 見ているうちに差別がどうとかはもうどうでもよくなり、貧しい主人公たちの純愛に思わず涙ぐんでしまった。脚本はスタローン自身が書いているわけだが、よくこれだけのものを作る才能があったなあ、と思う。否、努力と言うべきか。

改元・差別・多様性・測地系・カレンダー……

 以前、GIS(空間情報システム)について深く考えていた時、「地球上のある一点」とか、あるいは「宇宙のある一点」を何らかの座標で表した時、現実の空間に存在するその地点はただ一つであるにもかかわらず、使用する座標系によって表現や数値が異なり、あたかも違う地点が複数存在するかのようになってしまうのは、何としてもどうにかしなければならない、と思った。

 その頃、ちょうど日本では「測地成果2000」という標準が行き渡り、明治時代からの伝統である「ベッセル楕円体」を使用した所謂(いわゆる)「日本測地系」の使用をやめ、国際標準の「GRS-80」にほぼ完全に切り替え終わっていたが、切り替わる前後しばらくの期間、旧ベッセル楕円体測地系と、新GRS-80測地系が混在し、地球の同じある一点を示すのに、複数の数値が混在していた。

 そこへ、GPSの普及、またこれを活用したカーナビの普及で、米国主導の座標系である「WGS-84」も混在して使用されるようになった。そのため、当時の情報システム内部では、旧日本測地系、GRS-80測地系、WGS-84測地系の三つの測地系を矛盾なく混在させて作動させる必要があった。

 プログラミング技術上では、例えばC++やJavaなどのオブジェクト指向言語なら、こうした事態を解決するため「座標」のクラスを作り、クラス内部ではいずれか適切な座標系で数値を保持させる。その数値は「プライベート」にして隠蔽し、クラス外からの直接操作はこれを禁ずる。「アクセッサ」のみを使用して座標を操作するのだ。そして、いずれの測地系を使用して値を入力しても、内部では必ず空間の一点のみを指す値に変換して保持し、また逆に、値を取り出す際には、いずれの測地系での値を要求しても正しく取り出し可能とする。

 こうしたふるまいをするクラスを作ることで、プログラム内部では混乱も矛盾もなく座標を扱えるようになる。無論、アメリカの旧測地系であるクラーク楕円体をはじめとして、世界中の測地系を詰め込んでクラスをデラックス化するのもよい。

 さて、こうしたことを思い出していて、日付についても似たようなことを考える。

 世界には多様な文化があり、そのため、「ある日ある時間」を表すにも、文化や地域によってさまざまな表し方が存在する。思いつくまま挙げるだけでも、例えば教祖イエス・キリストの生誕を基準とする西暦、ヨーロッパのグレゴリオ暦やユリウス暦、太陰暦を基本とするイスラム暦、同じ太陰暦でも中華文化圏で用いられてきた干支(かんし)を使用する日付表現、日本の元号や朝鮮、就中(なかんづく)北朝鮮の現在の革命年号、日の出・日の入りを基準とした不定時法など、様々だ。

 だが、どんな日付表現をしようが、科学的には「ある日ある時間」は、ただ一つである。

 一方、コンピュータシステムは人間を支えるものであって、人間がコンピュータに奉仕しているようでは本末転倒だ。コンピュータはあらゆる日付の表現ができ、かつ、あらゆる日付の表現を受け取ることができることこそ望ましい。世界中の多様な文化を矛盾なく受け()れ扱うことができてこそ、人間に奉仕するためのあるべきコンピュータシステムの姿であると言える。

 しかるに、現在のコンピュータシステムはその点が貧弱である。「建久二年辛亥(うるう)十二月(ついたち)」と入力しても、「1192年1月17日」と入力しても、はたまた「587年のズー・アルヒッジャの13日」と入力しても全てこれを許し、かつ、それが同じ日付を指しており、また逆に、どんな日付表現の出力を要求されようと、考え得る限りの多様さで人間にこれを返すようでなければならない。

 今このようなことを考える理由は、ただ一点、畏きあたりにおかせられて、近々まさに譲位あそばされんとし、恐れながら改元の沙汰もこれあることと考えられるからだ。

 改元であろうと何であろうと、人間に奉仕するべきコンピュータシステムは、これを平然と受け()れるものでなければならない。そこに多大のシステム保守作業があるなどもってのほかである。

 だが、現代のコンピュータシステムはそこが貧弱であるため、改元で右往左往しなければならないのだ。

 それどころか、コンピュータシステム運用上の煩雑さを理由として、元号制に反対したり、イスラム文化やアジアの文化を否定し、「西暦で統一すべき」などと、多様な文化を蔑んでそれでよしとする差別主義者がIT技術者にすら少なからず見受けられるのは、あまりにも残念である。

いいコマーシャルだと思う。

 日本人は差別が好きで、差別感を楽しみながらでないと生きられない。……のだそうな。

 受け売りだ。しかもどこの馬の骨が書いたかも判然とせぬ匿名ブログの受け売り、というかそこからインスパイアされた考えだ。だが、そのブログはどうやら人気ブログらしいから、それなりに真実を含んでいる、とも言える。

 さておき、有名企業に勤めている連中は無名企業に勤めている連中を(さげす)み、ホワイトカラーはブルーカラーを蔑み、大卒は高卒を蔑む。

 忘れてはならないのは、そのすべての逆もまた然りであることだ。無名企業の連中は有名企業の連中を、ブルーカラーはホワイトカラーを、高卒は大卒を、徹底的に憎み抜き、強烈に蔑み返しているのだ。知能の高い者が知能の低い者を蔑む以上に、実は逆に、知能の低い者は知能の高い者を激しく憎悪している。私は統計学者ではないし、新聞屋でもないからそこに証明だのなんだの、裁判所じみた根拠は持っていない。だが、実感としてそれはよくわかる。

 面白いことに、覚醒剤中毒者などの最底辺の人種どもですら、煙を吸引する主義の奴は注射をする主義の奴を激しく見下し、また注射をする連中は煙を吸う奴を蔑んでいるのだという。更に言えば脱法ドラッグをやる奴と覚醒剤をやる奴、大麻をやる奴とシンナー中毒、シンナー中毒と咳止め剤中毒はお互いに相手をバカにしているそうである。まさしく「目糞鼻糞を(わら)う」の(たぐい)だが、そうやって「俺はアイツより偉い」と思って安心するそうな。

 私の父は刑務官を長年務めて定年で辞めたが、かつて語ったところによると、人殺しは窃盗、窃盗は強姦犯、強姦犯は詐欺師、詐欺師はやくざ者、という具合に、全部が全部お互いを「下らぬ連中」と言って馬鹿にするそうである。

 私は長い間、人から見下されるような変な職場で働いてきたので――それももう35年を超えた――、人から見下される気持ちがよくわかる。まして、生まれつき備わったものではなく、自分で選んだもので見下されるのだから、文句の言いようもない。これがもし、生まれつき備わったこと、肌の色や髪の色、知能などで見下されるのであれば、それこそやりきれないだろう。

 「日本人は差別が大好き」と書いたが、アメリカ人だってヨーロッパ人だって中国人だってアフリカ人だって、世界中の人間はどいつもこいつも差別が大好きだ。結局は政府にそれを利用され、煽られて戦争へ行き、殺し合うわけだ。

 そうした差別意識の渦巻く社会にあって、この「ジョージア缶コーヒー」のテレビコマーシャルは一服の清涼剤のように思えた。非常によくできている。爽やかで、それでいて泥臭く、そして、なにより差別でなく、つながりのない社会人相互の尊敬(リスペクト)をテーマに持って来たということに好感を覚える。

 実は、私はテレビが嫌いで、あまり見ない。テレビのニュースもドラマも悪意に満ち、差別意識を煽るようなものしかやっていない。見ていて腹が立つ。身銭で電気代を払って腹を立てることほど馬鹿々々しいことはないから、できるだけ見ないようにしているが、(たま)さか妻子が付けているテレビを瞥見(べっけん)したらこのコマーシャルが流れていて、珍しくいいコマーシャルだな、と思ったのである。

桜井おもろいわあ~

 年末年始、テレビ見てなかったので気づかなかったが、これ、オモロイわぁ~。1か月も話題に乗り遅れてた。

 桜井誠。オモロイわあ~。エエぞ、オモロイからもっとやれやれ。快男児だコイツは。……(うべな)うわけにはいかないところも多々あるけどな。

 私には桜井誠のような根性はないし、この男がどうやって口を糊しているのかも謎だが、何もしないでいる私なんかより、この男の方がよっぽど立派だわ。

先週雑想

サラザールのことなんか思い出す

 世相から「開発独裁」なんてことを連想し、かつてのポルトガルの変人宰相、サラザールのことなんか思い出す。

差別

 ある人との対話なのだが、その人が言うには、

「『崩御』『薨去』などという言葉を使うのは差別である。皇族に敬意を払うのも差別だ」

……だそうな。

 言いたいことはわからんでもないが、私に言わせれば、「生前退位」などといういたわりも奥行きもない言葉のほうがよっぽど差別である。

下手ロビー

 ネットで漁ったところによると、中国・韓国などは、米国議会へのロビー活動を非常に熱心にやるが、わが日本は、これが全くダメなのだそうである。

 日本がこの点で劣る理由は、在米日本人、あるいは日系人コミュニティというものは、中国・韓国のそれに比べると、票田としての魅力がゼロに等しいからだという。

 在米日本関係者の間では、70年前の「日系人強制収容」の記憶が、いまだにトラウマのようにくすぶっており、そのため、政治に容喙(ようかい)することを極力避けようとする心理が働き、ために日本人コミュニティは政治に全く触ろうとせず、消極的だそうである。

 日系コミュニティには何の力もないから、日系議員は支援を得るため、力のある団体にすり寄らなければならず、中国系コミュニティにすり寄って反日活動などする。それで、この前落選して話題になったマイク・ホンダ議員なんてのが出てきてしまうのだそうだ。つまり、議員になるための支援さえもらえるなら、中身なんてどうだっていい、というわけだ。彼らに節操なんぞという言葉は言うだけムダだということである。

 そういえば、往年の名議員、欧州戦線の英雄、亡くなったダニエル・イノウエなんかも、たしか貿易摩擦の頃なんか、反日の急先鋒で有名だったっけなあ……。

マック赤坂

 マック赤坂氏は、ドナルド・トランプ氏にならって、次期大統領選に出馬するのだという。オモロイおっさんやのう。

AI

 もう、憲法はAIで新規作成したらどうかね。アホな人間が考えるより、よっぽど冷厳で合理的に仕上がるだろうぜ。……多分、AIが作った憲法にはさ、「日本人は滅びた方がよっぽど日本のためになる」とかいうミもフタもない条文がこともなげに挿入されているんだろうと思うぜ。

グローバル

 「何がグローバル化だ、グローバル化なんて、所詮『アメリカ化』じゃないか、こんなのでトクすんのなんてアメリカ人だけだろう」……なんて屈折してホザいていたら、アメリカ自身も実は屈折して苦しみ、悩んでいたんだ、ということに、トランプ氏当選で気づかされた。中流未満の白人の不満は、グローバル化経済で生まれたものに他ならない。

バカとか

 人間観測の結果、次のような類型があるように思った。すなわち……

  •  すごく賢い人は、賢い人に厳しく、バカに優しい。
  •  中途半端に賢い人は、賢い人に優しく、バカに厳しい。
  •  バカは、賢い人に厳しく、バカにも厳しい。時々ブチ切れて暴力も振るう。バカどうしで戦いだすと、手が付けられない。
  •  普通の人は、優しくも厳しくもなく、誰にでも「普通」である。

 ……そう言えば、昔、谷村新司のラジオ番組で、「天才・秀才・ばか」というのが流行ったっけな……。リスナーの投稿コーナーで、ある状況に対して天才はこうする、秀才はこうする、バカはこうだろう、というのを言って楽しむわけだ。小学生だったから深夜放送なんか聞いていると叱られたので、生で聴いたことは(ほとん)どないけど、「ワニの豆本」という小中学生向けの流行本シリーズがあって、その中に読者投稿をまとめた一冊、題名も「谷村新司の天才・秀才・ばか」というのがあり、兄がそれを買ったから、私もそれを盗み読みした。

 なんで兄の本を盗み読みしたかというと、私の兄はこだわりの強い精神質の人で、他人が自分のものに触ることを極度に嫌い、それがたとえ兄弟であろうと容赦がなく、私が本に手を触れたりすると暴れたからだ。

 しかし、そんな兄も死んではや33年。この正月に三十三回忌である。

原発避難者へのいじめ

 あまりにもいたましいニュースである。

 こうしたことが起こるたび、対応しなければならない教師は、何の権限も持たされず、あまりにも無力なのではなかろうか、と思うのである。人間的魅力でもって生徒を感化善導し、精神の底から感服させて悪い人間をも悔悟心服せしめる、なんてことは、単なる理想論であり、無茶な空論だと思う。

 と言って、人をいじめるような悪い奴を手当たり次第にぶん殴っていては、これは体罰容認であって、不可である。

 そこで、警察官の武器使用等と同じように、厳密な法定の懲戒体罰権を、司法的に、公務員である教師に与えてはどうか、と思うのだ。

 警察官は拳銃を持っているが、好き勝手にこれを使用することは許されておらず、法定の基準を満たしており、かつ、真にやむをえない場合に限り、限定的に使用できるのだ。教師の懲戒体罰権もこれと同じで、厳格な基準により、いじめなど、威厳をもって戒めなければならない素行の子供を取り扱う場合に限り行使が許されるのである。

 無論、その行使が誤っている場合は、警察官の拳銃使用と同じように、懲戒処分などが下される。

 たまに拳骨を振るってクビになる教師がいるが、そこに何らの基準もなく、反面、少々痛い目にあわせなければわからないバカな子供だって大勢いるわけだから、これは、厳しい基準を設けることでむしろ安全化するのではあるまいか。

言葉
奇貨(きか)

 運の良いイベント。

桎梏(しっこく)

 手かせ足かせのこと。「(しつ)」は足かせ、「(こく)」は手かせ。

マンデート

 Mandate。被委任権限。国連がらみ。

均霑(きんてん)

 平等に利益を得ること。

韜光養晦(とうこうようかい)

 毛沢東の語録にあるという。力をひけらかさないようにし(韜光)、じっと動かず実力を養う(養晦)、というほどの意味だそうな。

ジェイコブ・シフ

 例の、高橋是清と日露戦争の外債の話の重要人物。ユダヤ人。

戒厳令と非常事態宣言

 同じことでも、軍が主導すれば「戒厳令」。軍が主導しないのが「非常事態宣言」。

名刺

オープン/フリーの名刺管理ソフトでいいのがないか、と思い始める。

知・美でコミットコミット~

 毎日毎日、陰惨な気持ちで通勤している。

 すし詰めの通勤電車にようやっと乗り込んで、さて、と一息ついて、壁から天井から絢爛(けんらん)豪華にうるさくぶら下がっている車内広告を眺め渡すと、こんなに独立起業が困難で大抵の会社は4年以内に潰れてしまう、なんていう冷厳な指摘があるにもかかわらず、いろんな金儲けが存在するものだな、と、むしろ感心してしまうのである。

 その中でも、ははあ、と、色々考え込まざるを得ないのが、

バカ・デブ・ブス・ハゲ

……に訴求する広告である。

 上記の通り、片仮名で人の形容を書きつけると、本当に差別的で腹の立つ字面(じづら)になるなあ、と思う。なので、これを美しい字面に書き直すと、

知・美

……となろうか。

 「知」には「高学歴・英語」、「美」には「デブ・ハゲ・ブス」など、もろもろが含まれるのだろう。

 いや、これは、私がそういうことを言ってるんじゃないんです。電車の中に貼られている広告を、「結局こういうことでしょ?」と、私ができるだけ分かり易く訳してみようとしただけで、私には責任はないんです。

 いまや、こういうふうに、差別的カタカナ用語で書いたら多分袋叩きに遭って路上で(なぶ)り殺しにされかねないような、ものすごい広告のオンパレードである。この十年、状況は変わらない。

 金もうけの奥義なんだろうなあ、これ。なんというか、知とか美って、本来人間には寄り添ってない不自然なものだから、大概(たいがい)はそんなのコッチの味方じゃないのよ。ところが、嫉妬というか、知性や美が自分より優れた他人を見ると、「ワタシだってぇ~」と、焦るわけだ。

 単なるやかましい訴求のことを「コミット」などと言い換えて、卑怯なもんだと思う。

 そこへつけこんで、一発勝負をかけると、あぶく銭がじゃらじゃら入る、ってことなんでしょうね。

ジャンル等 訴求先
バカ
英語 バカ
ライザップ デブ
TBC ブス・ハゲ
GABA・ベルリッツ バカ
林修 バカ
社会人大学院で修士 バカ

 こういう貼り紙に惑わされて、じゃぶじゃぶお金つぎ込むわけだわ、ほとんど全部無駄なんだけれどもさ。

 だからさ、こういう、善意を装った、その実、結局、「差別の増大」を図るようなものは、戒めなくちゃならないんじゃないか。こういう広告は差別だから、公権力で取り(はら)わなくてはいけないのではないか。

【暴言】だから野球はダメなんだッ

 こういう差別的・抑圧的・前時代的・軍隊的スポーツであるから、野球はダメなんである。

 この時代に多様性(ダイバーシティ)が認められないと言うのなら、野球なんぞいっそ廃止・禁止してはどうか。

六曜は差別だそうな

○ 六曜カレンダー「差別につながる」と大分で配布中止 なぜ?

 いやー、これは、ナイわ~、……。

 馬鹿なこと言うよなァ……。こんなことしてたら、六曜だけじゃない、日月火水木金土の七曜だって、科学的根拠のない俗習だぜ?1年365日の某日の特定は「第1日」「第2日」って数えていきゃあ農業なんかの目安にはちゃーんとなるんだし、5日置きに2日休み、って決めれば「土日」なんて必要ないんだし。まあ、毎週日曜日にミサに出るキリスト教徒は困るんだろうけど、そんなの宗教上の理由じゃねえか、俺ら関係ねえだろ。クリスマスだって宗教上の節目で、差別なんじゃないの、六曜がダメなんだったら。盆踊りだってハロウィンだって正月だって、みんな差別だろ。

 だけど、七曜は、()るんだよ、みんなが使ってるから。クリスマスも非科学的で迷信だけど、でも、()るんだよ。盆踊りも正月も、差別じゃないし、必要なんだよ。ハロウィンだって、みんなで楽しくやってるんだろ?別にいいじゃん。俺はハロウィンは無視してるけど。

 だからやっぱり、六曜も、()るんだよ。