万愚節(ばんぐせつ)と改元

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 エイプリル・フールは「四月馬鹿」と訳され、また「万愚節(ばんぐせつ)」とも訳されている。

 「万愚節」は俳句の季語でもある。私などは西洋由来のエイプリル・フールに「万愚節」という訳語をあてた先人の教養のほどに敬意を覚えざるべけんや、という感じがして、これはこれでまた、いろいろと蘊蓄(うんちく)の余地があると思う。

 それはともかくとして、(かしこ)きあたりの(おぼ)()目出度(めでと)うして、ついに政府も

「平成31年(2019)5月1日改元を宣せらるるにつき同4月1日に前(もっ)てこれを()国事(こくじ)万般(ばんぱん)遺漏(いろう)なきよう沙汰(さた)す」

……としたところである。

 それにしてもしかし、である。

 ネット上ではおそらく、「祭り」の状況となるだろう。なんと言っても「エイプリル・フール」である。

 今や親日のエイプリル・フールの本場、イギリスなどではこれがどう取り扱われるか、楽しみでもある。

 われわれ国民は、安心すべきところと思う。なんとなれば、これしきのことで動揺恐慌(どうようきょうこう)するわが国体ではないからである。泰然自若としてこの事態を楽しめばよいと思う。

 行政事務(かた)は、予算年度の節目のことに御英慮(おんえいりょ)(かたじけの)うした畏きあたりの思し召しに感謝百度万度をもって(ほう)ずべきであろうか。

IT技術者たるものダイバーシティブならざらんや

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 昨今ダイバーシティという言葉は、まるで女権・性倒錯者権を指して言うようになってしまった感じがするが、これは違う。ダイバーシティとは多様な価値観、多様な方法を受容していこう、ということであり、性別や性癖のみではなく、例えば人種などの多様性を受け入れること、出身、門地、そういうことを乗り越えていこうという反差別の思想までもがこれに含まれていると解してよい。

 さておき、他方。来年、畏きあたりにおかせられては、御譲位の思し召しの既に定まったところ。国・政府もその方針で諸処置方に遺憾なきことを期しているところだ。

 そんな中、IT技術者から聞こえてくるのは不平・不満・愚痴である。大抵は「この国は」という例の「『この国』呼ばわり」の冠詞がついたうえで、

「元号などという日本にしか通用しないガラパゴス・ローカルに閉じこもっているから日本人はダメなんだ」

「元号なんて皇室観の押し付けであり、戦前の主義思潮への悪しき懐古趣味であり、軍国主義、全体主義への回帰願望がほの見えて危険だ」

「元号は日の丸・君が代と同じくアジアの人の感情を(さか)()でしている」

「我が国経済の長期間にわたる停滞はこのバカバカしい元号なるものこそが原因の一つだ」

「西暦が世界標準なんだ、これだから日本人はダメなんだ、すべて西暦にしろ」

「ITシステムの新元号対応にどれだけかかると思ってるんだこの糞どもが!!」

……などと叫んでいる。

 よくもこんなにロクでもない理屈ばかり考えつくものだ。自分こそが選ばれし正義の者、広い世界に目が開かれた開明な価値観、非差別的な価値観、多様な価値観を持ったグローバル人材だと言いたいのだろう。

 これは良くない。自分たちではそれと知らないまま、偏狭で、さまざまな人種や国の文化、言い分を頭ごなしに否定する危険な状態に陥っている。

 なんとなら、元号や紀元を持っている国は、日本だけではないからである。

 誰でもすぐに考えつくところでは、イスラム教の国々は「ヒジュラ暦」という西暦とは異なるものを使う。また、イスラム教の国々は太陽暦を採用しておらず、太陰暦(月暦)を用い、昔の日本や中国とは違って「うるう月」を置かない独特の暦法を用いる。言うまでもないことだが、アジアの国々のほとんどは中国文化の影響もあって、つい最近まで太陰暦を使っていた。

 紀元に話を戻すと、インドは「サカ紀元」を国定紀元として用いる。また、台湾などは建国紀元だし、中国は西暦をわざわざ「公元」と呼んで区別する。イスラエルではユダヤ教の人々が「ユダヤ紀元」というキリスト紀元とは別のものを大切にしている。北朝鮮などは言うまでもなく「大将軍様」にちなむ紀元である。

 他に、暦法は西暦に切り替えてはいても、例えば韓国のように人の年齢を「数え年」で数えるのを公式としているような、昔の紀元や暦法のなごりを色濃く残す国も多くある。

 私のような知識の貧弱な者が思いつくまま挙げるだけでも、こんなに多様な暦法や紀元があり、しかも現在、実際に使われているのだ。専門家が整理すればもっと多くの紀元や暦法を挙げることができるだろう。

 世界にはこのように、多様な暦法で年月日を表現する様々な国々や人々がおり、それぞれの多様な価値観のもとに日々を送り、暮らしている。

 科学的には、相対性理論的な微細なズレはこの際おくとして、「ある年、ある月日、ある瞬間」というのは全部同じ年月日時間である。単に、暦法によってその表現が異なるだけだ。

 かつて人力で暦を換算するのは非常に煩瑣であった。しかし、コンピュータは違う。現代の高性能なコンピュータは、本来はあらゆる暦の表現を瞬時に他の暦に換算するに足るだけの性能を持っている。オブジェクト指向的には上手に「暦クラス」を定義することで、暦法の差異を吸収し、あらゆる表現での入出力を許容するようにプログラムを作成することなど、理論的には造作もあるまい。

 であるにもかかわらず、「合理的でないから(=面倒臭いから)」などという理由で、IT技術者が「多様な価値観の受容から逃避する」のはいかがなものか。コンピュータがひとりでにそのようにできているのではない。ハードウェアもソフトウェアも、技術者が作っている。コンピュータを偏狭な価値観に偏らせ、世界の国々の多様な価値観から目を背け、ひいては反差別の高邁な理想から逃げようとしているのは、ほかならぬIT技術者その人々ではないか。

 そんなものしか作れないIT技術者がダイバーシティを云々するなど、片腹痛いというものである。

 今一度確認しておきたいが、西暦などと言うものは、「ナザレ地方にいたと伝わる伝説の宗教家、イエスの生誕日を紀元としたもの」である。はっきり言うと、伝説の人物の生誕日と言う点では、例えば伝説の人物が国を開いたとされる日、つまり「神武天皇が国を作った」と言われる「紀元節」と変わらない、ということである。もっと不愉快に言えば、金日成が抗日闘争に勝利して共和国を開いたと(うそぶ)く朝鮮紀元と同じなのである。

 これを言うと、偏った人々は「何を言うんだ、イエス・キリストはれっきとした実在の人物だ!神武天皇みたいなおとぎの人と違う!!」と叫び出すわけだが、あのね、実在の人物が処女から生まれますか?霊能力なんてもので食べ物を増やして信者に食わせたりできますか?復活かなんか知らないけれども、(はりつけ)になったあと腐乱死体から生き返って宙を飛んでいったりしますか?そんなの、神武天皇が神の直系だというのと変わらない、宗教的な伝説、おとぎ話のたぐいでしょ?伝説である以上、世界のいろいろな宗教と、ぜんぜん変わらないんですよ、キリスト教と、それを根拠にするさまざまな価値観なんて。

 そういう偏ったものに寄せていこうという動きが目に付いてくるのは、さまざまな国、さまざまな宗教、さまざまな習慣を受容しようというダイバーシティの根本精神から逸脱するものであり、ひいては女性差別、性倒錯者差別にまで一直線につながっていく危険な兆候だ。

 IT技術者は、ダイバーシティで働き方改革だなどと叫んでいる暇があるなら、元号に文句を言うのを今すぐやめ、西暦でもUNIX時間でもなんでもいいから、すぐにでも適当な基準暦と元号のマッピングテーブルを書き足し、とっとと仕事を終わらせるべきである。

 そして、ヒジュラ暦から台湾暦からユダヤ紀元や朝鮮将軍様紀元まで、いろいろ盛り込んだクラスやらマッピングテーブルを書き上げて荒い息をついたあと、余力があるなら、もっと別のすばらしい仕事を手掛けて金でも儲けてはどうか。