フルメタル・ジャケット

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 それで、思わず「フルメタル・ジャケット」を見た。

 Amazon Prime Videoは誠に便利である。見たい時にすぐ見られる。壱金壱佰圓(ひゃくえん)也。

リー・アーメイ氏死去を今知る

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 「ミリタリー・チャンネル」の銃器レビュー番組などにもよく出ていた「サージ・ガニー」ことリー・アーメイ氏が死去していたことを今知った。

 「この人、そういや長生きだなあ、いくつなんだろ」などと思い、ウィキペディア見たら没年の記載があって、今年の4月とあるものだから、驚いた次第である。

 祈冥福(めいふくをいのる)

雨あがる

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 梅雨のさなかである。

 山本周五郎原作の、かれこれ18年前の映画、「雨あがる」がAmazon Prime Videoにあるのを見つけた。黒澤明の未完の脚本だという。

 この映画を知っていたわけではないし、特別な黒澤ファンというわけでもないのだが、惹き付けられるようにして見てみた。

 いやもう、こういういい映画を、見て暮らしたいモンだよねえ。

ロシアン・スナイパー

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 Amazon Prime Videoで「ロシアン・スナイパー」を見た。戦時中のソ連の女狙撃手、リュドミラ・パブリチェンコを描いたものだ。

 「スターリングラード」のような狙撃手と狙撃手の緊迫戦を期待して見たのだが、何だか、「リュドミラ・パブリチェンコのイメージビデオ」のような趣で、あまり面白くなかった。

 原題は「BITVA ZA SEVASTOPOL/BATTLE FOR SEVASTOPOL」となっており、これだと「セヴァストポリの戦い」という日本語訳になるが、文字通り「セヴァストポリの戦い」という題のままのほうがよかったのではないか。

 しかし、この主演のユリア・ペレシルドと言う人は、なんとも言えぬ変わった美しさで、作品はなんとはない暗い作品なのに、どこかしら茶目っ気が垣間見え、魅力的だなと思ったのだが、後でYoutubeを見ているとこんな動画があり、ロシア語で何を言っているのかわからないのだが、なかなかの演技派女優なのだなということが何となく分かるのである。

ICHI

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 流感(インフルエンザ)による風邪籠(かぜごもり)である。節々が痛く、熱も高熱で、しんどい。だが、静かに横臥していると、もともと所謂(いわゆる)「寝腰」のひどい私は、腰痛のためにたびたび起き上がらざるを得ない。

 しんどいのに、暇だ。

 家族が感染を用心しているため、リビングに出ていけない。寝室でPCでも見ているか、読書ぐらいしかすることがない。

 そこで、前から見たいなあと思いつつ見そびれていた映画をAmazon Prime Videoで見る。綾瀬はるか主演の「ICHI」。もう10年も前の映画だ。

 公開時にこれが「座頭市」へのオマージュ映画だということを、私は全く気付かなかった。なので、見なかった。最初から知っていたら見に行ったのに、と残念でならない。と言って、DVDなどを買って見るのも、高いので二の足を踏んでしまう。

 しかし、Amazon Prime Videoだと、Prime会員特典で見ることができる。

 面白かった。「座頭市」へのオマージュがふんだんに盛り込まれ、また、あの「泥まぶれ、血まみれ」の世界観もキッチリ踏襲していて、良かった。

 勝新太郎にせよビートたけしにせよ、主人公座頭市をややコミカルな人物として描きかつ演じている。しかし、「ICHI」ではコミカルな部分は助演の大沢たかおが受け持ちである。

 「あの人」というような扱いで、主人公が少女の頃の父代わりのような人物として、「座頭市らしき人」が出てくる。これがまた、味があって面白い。

 宿場町、賭場、イカサマ、博徒(やくざ)野伏(のぶせり)との対立、危機(ピンチ)、クライマックスでの対決など、もう、これほど忠実な座頭市映画もあるまい。毎週放映の「水戸黄門」を見るような安心感の中にも、座頭市を若い女に置き換えるという新たな設定が光る。いい仕事しているなあ、脚本家。

 ネットの評判はいろいろとあるようだが、座頭市が好きな私は、当然映画も好きだな。

 クレジット・ロールに、原作は子母澤寛の「座頭市物語」と出るが、これはわずかに誤りである。なんとなれば、「座頭市物語」で子母澤寛の書籍を探しても、ないからだ。あるのは童門冬二の「新・座頭市」か、子母澤寛の座頭市物語を含めたアンソロジーものである。座頭市物語は正確には子母澤寛の「ふところ手帖」の中にたった6ページほどしか出てこない短編なのである。勝新太郎の座頭市シリーズでも、作品によって「ふところ手帖」とクレジット・ロールに出る場合があったように記憶する。

ロッキー

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 先週いつだったか、タイムラインかウォール上に「実は『ロッキー』という映画は逆差別の映画だ」というリンクを見かけた。なるほど、そりゃ確かに……と思ったものの、よく考えてみたら私は「ロッキー」を見たことがないということに気付いた。

 Amazonプライムで見られることがわかったので、見てみた。

 見ているうちに差別がどうとかはもうどうでもよくなり、貧しい主人公たちの純愛に思わず涙ぐんでしまった。脚本はスタローン自身が書いているわけだが、よくこれだけのものを作る才能があったなあ、と思う。否、努力と言うべきか。

安藤親分

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 へええっ……というか、まだ生きてたとは知らなんだ。昔の人だとばかり思っていた。

キリスト教と北朝鮮

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 今日は話題の映画二本をハシゴしてきた。以前も見たいなあと書いた「沈黙」「太陽の下で」だ。映画のハシゴなんてことは、生まれて初めてした。

 どちらも見応えがあった。



 「沈黙 ―サイレンス―」は原作に忠実な映画だったが、ラストシーンにはかなり野心的というか、原作に対して挑戦的な解釈が加えられていたと思う。

 「太陽の下で」は興味深く、私としては見応えはあったが、反面淡々とした映画で、映画評で騒ぎ立てられているほどの見応えでもなかった。とは言え、平壌の景色風物、主人公の少女の心の動きが活写されていて、それに費やした制作陣の労苦を思うと興味深かった。あのような映画が公開されて、製作陣や、(いわ)んや少女の一家が苦難に()ったりしていなければよいが、と思う。

 二つの映画を見て、洗脳、という言葉が我知らず反芻される。キリスト教の洗脳と、北朝鮮主体(チュチェ)思想の洗脳だ。その二つの共通項にどうしても思いが向いてしまう。

 多分、私などが「往古のキリスト教宣教師など、教会に洗脳された狂信者集団だ、その教会はエホバの威圧によせて支配と圧迫を強制するもので、所詮北朝鮮の中間軍人や官僚と異なるところなどない、彼らが(さげす)む特攻隊、カミカゼよりも残酷で非人道だ」と(うそぶ)けば、いやそれは違う 、それは偏った見方だ、純粋なキリスト教徒を洗脳したのは日本の幕府の方だろうなどと本気で反論されるだろう。だが私に言わせれば、キリスト教だからと言って正義だ洗練されているカッコいい頭良さそう、とばかり無条件に加点から始めるような人の方が偏っている。「アメリカサイコー!」も「金日成(きんにっせい)マンセー」も、結局一緒だということだ。

 筋金入りのキリスト教徒・遠藤周作はそこが分かっていたと思う。文庫でたった300ページほどに過ぎないあの短い原作で、それを言内言外両面からえぐり出して見せている。

 残念ながら、名監督マーティン・スコセッシにしてなお、多少見解に相違があるようだ。スコセッシは最後のシーンの作り込みで、そこのところを惜しくも取り(こぼ)してしまったのではないかと私には感じられた。

 他に、読書感というのは変わるものだと強く思った。

 私が「沈黙」を読んだのは二十年以上前で、神戸松蔭を出た妻の持ち物の中にあったから手に取ったものだった。

 私はキリスト教なぞ大嫌いだ。その説くところも嫌いだし、歴史的背景や、まとっている空気感も生理がうけつけない。

 だが、数十年来それを理解すべく、無駄なこととは知りながら努力をしている。なぜそんな努力をするかというと、殺し合いが良くないことだと思うからだ。相互に解り合おうとしなければ、また殺し合いが繰り返される。

 今日映画を見るつもりだったからこの機会に読み直そうと思い、妻に「あれ、どこにいったかな」と問うてみても、この数十年、引っ越しを繰り返した後のこととて詮もない。

 昨日駅前の書店で文庫を(もと)めなおし、今日映画を見る迄の間、久しぶりに読み直してみたのだ。

 私にとっては沁み入るように美しく、かつ、尖った文体と構成だと再び思う。

 昔読んだときと違って登場人物が若く感じられる。

 覚える痛みの質も違う。若い頃はキリスト教徒の痛みに強く共感したが、今は主人公の敵である日本の武士たちの描写すら痛く感じる。思えば老練の書き手遠藤周作は、それを当時から全て書きとってあった。作品は発表当時から寸分も変化していないのだ。

 遠藤周作は、情報取得不自由な往時にあって、調布にある岡本三衛門ことジュゼッペ・キアラ(主人公ロドリゴ・岡田三衛門のモデル)の墓所をも訪ね調べたものであろうか。そうした営為を思うと、作家と言うのは(あだ)(おろそ)かなものではない。こんなに苦しく痛く残酷で緊張した文章を、読み手にとっては読めば半日のこととはいえ、書くのにどうやったらいいのだろうかと、想像すらつかぬ。

沈黙

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 遠藤周作の「沈黙」、かのマーティン・スコセッシ監督がメガホンをとって映画化され、今ちょうど掛かっているのだそうな。

 「沈黙」、若い頃読んだっけ。たしか結婚したばかりの頃で、妻の持ち物のハードカバーの中にあり、元は義兄のものだったのだったか。小説の発表自体はそれよりも更に20年くらい前だったように思う。

 原作は遠藤周作得意の「キリスト教もの」で、彼の代表作と言ってよい。いわゆる「(ころ)伴天連(バテレン)」の物語で、ロドリゴというパードレ(神父)が主人公である。

 苦しく、重い物語だ。

 このパードレ・ロドリゴにはモデルがあったことも近年広く知られている。モデルはジュゼッペ・キアラという実在の人物で、東京・調布市には墓もあるそうな。また、小説中に出てくる同じ転び伴天連のフェレイラも実在の人物であるという。

 この映画、見たいなあ。妻と一緒に見たいが、妻は結構歴史ものなどが好きなくせに、拷問シーンや血が出たりする映画がダメで、時代劇はすぐ合戦で人が泥まぶれになって死んだり、切腹したりするから苦手なのである。多分、切支丹が逆さ(はりつけ)水刑(みずぜめ)になったりするシーンなんて、妻に見せたらショックを受けて体調を悪くしてしまう。うーん、小説は大丈夫なクセに……。

 ……そのうち一人で見に行くか……。

 あと、未読だけど、コレあたりも読んどかなくちゃダメかなあ……。