元日

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天皇陛下万歳

 祝日「元日」である。軒先に国旗を掲げ、拝礼する。

天皇誕生日

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天皇陛下万歳

 祝日「天皇誕生日」である。自宅の軒先に国旗を掲揚し、拝礼する。

 昔で言えば「天長節」である。

 すでに御譲位について渙発あらせられたところ。皇太子殿下の御誕辰は2月23日であらせられるので、誠に畏れ多きことながら、これで最後となろうか。

勤労感謝の日

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天皇陛下万歳

 祝日「勤労感謝の日」である。

 自宅の軒先に高々と国旗を掲げる。

 勤労感謝の日は、もともとは皇室行事で、「新嘗祭(にいなめさい)」と言われていた。天皇陛下が新収穫を召し上がり、五穀豊穣を祈念するものだ。

 遠く飛鳥時代、皇極天皇がはじめられたものであり、日本書紀にもそのことが記されてある。

 戦後この神事はGHQの蹂躙にあってしまったが、農事の五穀豊穣は勤労を尊ぶことにもつながることから、心ある政府関係者によって「勤労感謝の日」として残されたものである。

文化の日

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天皇陛下万歳

 祝日「文化の日」である。自宅の軒先に国旗を掲揚する。

 もともと今日は「明治節」であり、すなわち明治大帝の天長節(誕生日)であった。戦後、混乱の中で「文化の日」となったが、これは心ある政治家がうまく立ち回って明治節の消滅を食い止めたのである。その最大限の努力に感謝したい。

体育の日

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天皇陛下万歳

 祝日「体育の日」である。国旗を掲揚して拝礼する。

 もともと体育の日は、東京オリンピック開催を記念して定められたものだ。戦後の荒廃を乗り越えた日本人が、どれほどめでたくこれを心に刻んだか、思いやるだに余りある。

 いまや、きたる東京オリンピックには文句のつけどころ満載で、いろいろと思いやられるが、前回は違った、ということだ。

秋分の日

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天皇陛下万歳

 祝日「秋分の日」である。国旗を掲揚し拝礼する。

 戦前は秋季皇霊祭であったが、民間でも昔から「彼岸の中日」でもあり、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」というこの祝日の主旨と一致する。
 

敬老の日

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天皇陛下万歳

 祝日「敬老の日」である。国旗を掲揚し拝礼する。

 今や、老人があまりにも複雑な状況に置かれる世相となった。しかし、老害だなどと批判に晒されるのは、半面手厚い保護と尊敬があるからでもある。

 何にせよ、老いることを忌避すべきことと思うまい、悲しむべきことと思うまい、懊悩すべきことと思うまい。それは寿(ことほ)ぐべきことだ。もし自分の老いる日々が想像の外にあったとしても。

 なぜなら、その日々は全く来ないか、確実にやってくるかの二者択一なのだから。老いる前に死ぬか、老いるかの二者だ。

 まったくやって来ないものは、確実に来るもの同様に現実感をともなって感じられる場合もある。つまり、老いる前に死ぬのを想像することは、現実に老いるよりもなお老いの感覚を濃厚にする。

海の日

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天皇陛下万歳

 祝日「海の日」である。朝から真夏らしく暑い。青い空の下、玄関先に国旗を掲げる。

 四面環海の我が国柄を思う。今日の小笠原あたりの海は、どれほど青く、海風が渡り、暑いだろうか。

 (かしこ)し、そういえば、眞子内親王殿下の婚約者小室圭氏は、「海の王子」だったなあ。

 皇室の平安を祈るとともに、若い二人が世間に揺さぶられず、平穏に愛を成就できるよう祈ってやまない。

こどもの日

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天皇陛下万歳

 祝日「こどもの日」である。

 かつては「子供の日」と書いたが、「子供という言葉は差別だ」などというわけのわからない差別団体の運動により、ゆかしい「子供」という言葉が廃せられようとしているのは、残念なことである。しかし、「悪法も法なり」ということもあるから、屈従してこれを受け入れよう。

 いつも書くことであるが、この「こどもの日」は、法定の「母の日」でもある。

 祝日法を以下に引いてみよう。

国民の祝日に関する法律(祝日法)より引用

第二条 「国民の祝日」を次のように定める。
(中略)
こどもの日 五月五日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
(後略)