人権って、文明って

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 フランスの徴兵制のことがニュースになっており、興味深い。

 というかむしろ、普通の人々は「フランスが徴兵制を廃止したのって、たった17年前の2001年なんだ!?」というような新鮮な驚きも隠し得まい。

「あんな『基本的人権発祥の国』で!?ヨーロッパきっての文明国で!?」

 ……「人権」って、そして「文明」って、なんなんでしょうね。言えるのは、「軍事」と対立するようなものではないってことでしょうよ。

金ちゃん花火大会

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 「金ちゃん花火大会」、絶賛失敗中(笑)。

 しかし、まあ、淡々としたもんだなあ、今年も。

雑感少々

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プロ

 「佐藤プロ~、ちょっと」と呼びかけられたので、「いや、プロだなんてそんな、よしてくださいよ」と謙遜したら、「何勘違いしてるの、プロレタリアートでしょ」と真顔で言われ、腹が立つという想像をした。

 ……想像かい。

空目

 「サイバー攻撃露が関与」という新聞の見出しを遠くから瞥見(べっけん)して、「サイバー攻撃霞が関?」と見間違え、また何かあったんかい……!と身構えたが、老眼と思い込みによる空目(ソラメ)だった。

言い換えの猥褻(わいせつ)

 昔から言われていることで、言い古されてもはや口にもしたくなく、文章に綴りたくもない飽き飽きした言い分だが。

 戦争への忌避感による軍事用語の言い換え、つまり、「軍事」を「安全保障」、「戦争研究」を「平和研究」、「戦闘」を「防衛」、「歩兵」を「普通科」……挙げていけばもうエンエンとキリがないが、これは猥褻である。

 猥褻。読んで字のごとく、ワイセツだ。

 つまり、「モザイクのかかったエロビデオ」を見ている感じがするのである。クッキリと写り込んだ違法ノーカットエロビデオよりも、余計にいろいろと妄想していやらしい。実際のところ、あんまりにもアケスケにクッキリ写ったのは、ちょっとした不潔感もあって多少こっちも辟易(へきえき)するが、モザイクのかかったソレはこちらの(あきた)りなさもあって脳内で勝手に清潔化され、かえって助平(スケベ)であり、いやらしいのである。

 軍事用語の言い換えも同じことだ。

 「戦争」を「平和」と言い換えてモザイク隠しにするものだから、もう、よけいにあんな戦争やこんな軍事……、とあれこれ考えが巡ってしまい、平和だの安全だの言えば言う程かえって危険で、漂うバイオレンスの香りがオトコノコを()き付け、暴走させてしまうのだ、だから猥褻だと言うんだ。

潘基文(ばんきぶん)

 ほんと、韓国人ってのも、トホホだよなあ。取り巻き連中が有力者の足を引っ張るわけだ。

 朴槿恵(ぼくきんけい)にしたって結局はそうだったわけだし、歴代韓国大統領ほとんど全部、取り巻きが私腹を肥やしたりしてダメになってンだもんな。

 まったく、チャンとしろよ、と。早く秩序を取り戻してくれないと、北朝鮮に向き合う国がなくなっちまうんだよ。韓国70万の陸上兵力は、朝鮮半島の鎮め石として、今後永久に持続してくれないと困る。しかも韓国は、本気を出せば動員令一下150万もの大兵力に膨れ上がる強烈な軍事国家なのだ。あの狭小な国土にそんな高密度の兵力を持て余す韓国軍部が国内情勢を(はかな)んでクーデターなんか起こしてみろ、目も当てられやしない。

 そういう点で、日本の右翼も、単に日韓合意不履行だけを癇癪(かんしゃく)まかせに言い募ってちゃアだめなのさ。連中の軍事力を当て込んで、コッチが楽をする道を考えるンだよ。アイツらをおちょくり誤魔化し操って、日本のために死んでもらうにはどうしたら一番いいのか、方策を必死で考えろ。昔のイギリスみたいに、卑怯に生き延びなくっちゃ、なあ。

三島由紀夫肉声テープ

 亡くなってこんなに経つのに、まだまだ話題性があるんだな、とむしろ不思議に思う。

 丁度世間で憲法問題も色々と取沙汰されている折柄だ。そのことを含みつつこのテープの一部を聴くと、三島が憲法について言っていることはストレートで、純というか、生真面目(きまじめ)というか、戦後70年を経て来た私達には(むし)初心(うぶ)にすら感じられる。

 三島由紀夫の忌日「憂国忌」は11月25日である。彼が市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に乱入し、割腹自殺を遂げたのは昭和45年(1970)だ。今は防衛省の本庁舎となった市ヶ谷に、旧東部方面総監部庁舎の一部――それは実は旧大本営であり、極東軍事裁判所法廷でもある――が保存されており、そこには三島が斬り付けた刀傷が今も残る。

 三島由紀夫の膨大な作品群は、あと3年ほどで著作権が切れ、ネットなどで読めるようになるだろう。

任天堂

 ……う~ん……。

 まあ、通勤電車で年甲斐もなくゲームに熱中している中年のおっさん・おばはんが持ってるのって、10年ほど前は間違いなく「NINTENDO DS」だったんだが、今は爺・婆がスマホで無料(タダ)の「なんちゃらツムツム」だの「ポケンモンうんたら」だのに熱中しているのがもはや背後風景というか、そういうものになってるもんな。そりゃあ、わざわざカネ払ってゲーム機なんか買わんだろ。ゲーム機の主市場は、実感として、子供じゃなくって爺ィと婆ァなんだもの。

 通勤電車の乗車行列の前の方にゲームに熱中している爺婆がいると、熱中のあまり動き出しが遅く、混雑しているときなど本当に迷惑だったり、ポケモンなんちゃらなんて自動車運転中の使用で死人まで続出しており、その点大人や爺婆のゲームにはいろいろと難癖の付け所が多いが、まあ、それはスマホだろうが任天堂だろうが同じではある。

今週雑想

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おまいう(笑)

 沖縄県知事は「法治国家ではない」と吐き捨てたそうだが、いや、それなら辺野古の判決を踏みにじるアンタでしょうが。いやほんと、まさに今はやりのネットスラング、「おまいう(お前が言うか)」である。

平和と安全

 だいぶ前からだが、この「平和」「安全」という言葉は、すっかり「危険な言葉」になってしまった。とても良い言葉なのに……。

 これは、政府やマスコミが、この良い言葉を「軍事」「戦争」などの言葉の置き換えに使うようになったからだ。

 最初のうちはよかったが、最近では直接意味が通るようになってしまったため、例えば、元々は「平和・安全」という言葉を聞くと、左のようなほのぼの画像がイメージできていた。

 ところが、最近はもう、「平和ッ!」「安全ッ!」ってメディアに出てくると、こういう画像が脳裏に浮かんでしまうのである。

 これのどこが平和で安全なのだ。

 こういう風になってしまうと、今度は本当の意味で「平和」「安全」ということを言いたいときに、これらの言葉を使ったとたん、相手が「戦争ですかッ!」「軍事ですかっ!」と、違うイメージを持ってしまうから、実に具合が悪い。

 もう、こういう、猥褻な言い換えをやめたほうがよいと思う。「国際協力法制」とかはまだいいけど、たとえ露悪的だろうと、ちゃんと「軍事法制」とか、正直に言った方がいいと思うね。

言葉
鼎立(ていりつ)

 「鼎談(ていだん)」と同じように、三者並び立つような状況を言うそうな。

(ゆるがせ)

 これで「(ゆるがせ)」と()むそうな。「粗忽者(そこつもの)」という漢語から、おのずとその意味は通る。

 この読み方、産経のコラムで見た。

 この中に、夏目漱石の文になる「明治天皇奉悼之辞(ほうとうのじ)」が引用されており、

(以下囲み内は夏目漱石「明治天皇奉悼之辞」、上の記事から引用)

過去四十五年間に発展せる最も光輝ある我が帝国の歴史と終始して忘るべからざる

 大行天皇去月三十日を以て崩ぜらる

 天皇御在位の頃学問を重んじ給ひ明治三十二年以降我が帝国大学の卒業式毎に行幸の事あり日露戦役の折は特に時の文部大臣を召して軍国多事の際と(いえど)も教育の事は(ゆるがせ)にすべからず其局に当る者()く励精せよとの勅諚(ちょくじょう)を賜はる

 御重患後臣民の祈願其効なく遂に崩御の告示に会ふ我等臣民の一部分として籍を学界に置くもの顧みて

 天皇の徳を(おも)

 天皇の恩を(おも)ひ謹んで哀衷を巻首に()

 ……とあり、そこではじめて知った。「せ」と送って「(ゆるが)せ」としてもよいようだ。

 (ちな)みに、この「忽」という字、これで「ち」と送れば「(たちま)ち」、「か」と送れば「(おろそ)か」、となる。

 また、「たちまち」の意味からは非常に小さい数の事も表すのだという。即ち、「1(こつ)」というと「10のマイナス5乗(10^{-5})」を表すのだそうな。

 この漢字の少数単位で私たちが知っているのは、普通は

  •  1()(0.1、10分の1、10^{-1})
  •  1(りん)(0.01、100分の1、10^{-2})

……ぐらいまでだが、その下には更に

  •  1(もう)(0.001、1000分の1、10^{-3})
  •  1()(0.0001、1万分の1、10^{-4})

……というのがある。「(もう)」くらいまではちょっとした大人なら知っているが、「糸」になるとだいぶ物知りの人でないと知らないだろう。

 いよいよその次にこの「(こつ)」があり、これはかなり物知りの人でないと知らない。「1(こつ)」は「10万分の1」「0.00001」「10^{-5}」のことを言う。これは「忽然(こつぜん)として……」という言葉に「非常に速く・急に」という意味があることから(けだ)()に落ちるものがある。

原発議論と軍事

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 小泉元総理は、また、なんだか変にヒネクレ出したなあ……

 だが、このあたりも含めて、原発議論の中に、「軍事の観点から」という要素が全然ないのは奇怪極まる。誰も一言も言わない。

 「軍事」と言ってアレ方面のアレルギーがムズムズ痒いと言うなら、「国家安全保障の観点から」などと、猥褻な現代語で言い換えてもよい。

「やろうと思えばいつでも原爆ぐらい作って敵国に叩き込めるだけの潜在的実力を営々と保持し続ける、それによって不気味なニラミを効かせる」

……これが原子力発電所を建設・維持する本当の理由なのだ。電力なんてどうだっていいのである。そんなものはタテマエだ。つまり、先日米副大統領のバイデン氏が中国でわざわざ代弁した、アレなんである。

 だが、「日本は原爆を作ります」なんてことは、唯一の被爆国として口が裂けても言えないのだ。だから言わない、言わないが、「アイツら、いつでもそれくらいやってのけるぞ」という、そういうニラミなのである。

 そこを避けて通って、原発廃止も存置もヘッタクレもない。

 それに、逆に阿呆な話で、仮に北朝鮮に対して核抑止を効かせることだけが目的だと言うなら、何も自力製造なんかしなくったっていいのだ。アメリカに、「1兆円ぐらい払いますから水爆1発売って下さい」って言えば、ホイキタ、とくれるだろう。仮にくれなくても、配備はするだろう。

 だが、それもまた、ダメなのだ。工業力の保持だって、原子力発電所の目的なんだから。そしてまた、私の論では「どうでもいい」と極論したが、冷静に言えば電力だって大切なのだ。

 アレも、コレも、ソレも大切なのだ。

トランプしおしお(笑)

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 ドナルド・トランプ。しおらしく「反省している」とか言い出したそうで、ほんと、面白いおっさんだなあ。

 何だか、軍部の気分に障るようなことを言って叩かれまくってたのもおかしい。戦死した兵を愚弄するようなことを言ったらしいのだが、わが日本なんて、ちょっと前まで──と言っても、今だってそんなに変わんないんだけどさ。意見の傾きには世代差もあるしな──軍人の悪口言ったり、自衛隊を批判しておけばだいたいオッケーで、公務員を理由もなくケチョンケチョンに(けな)しとけば世間から褒められるってのが普通なんだからさ。

 ところが、それをまた、日本の革新思想の人たちが、「そうだそうだ、トランプはみんなのために死んだ軍人の家族を愚弄している!謝れ」みたいな空気に傾いてるんだから、なんなんすか、アンタら、と思ってしまう。アンタら、軍人とか軍隊とか皆嫌いだろうが(笑)。

 キチガイはどっちもどっちだわ。

真田工場

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 軍事用3Dプリンタについて、一部ではだいぶ取り沙汰されているようだ。

 まあ、「飛びながらミサイル」というのは少々大袈裟で、そうする理由が合理的でないと思うが……。

 しかし、例えば航空機の整備用部品を、派遣先の現地基地でプリントして現場整備に使う、などは、十分アリかもしれない。いわゆる「IRAN(アイラン)」の高価さに辟易する現場へ(もたら)すなんらかのものがないとは言えないだろう。

 思い出すのが、名作アニメーション「宇宙戦艦ヤマト」の、あのシーンである。

 これはもう、先に挙げた記事の言う所そのまんまである。

 なんだか、世の中、ひたすら「宇宙戦艦ヤマト」の風景を目指して突き進んでいるような気もするな。アレで育った世代の人たちは、もう大概(たいがい)爺ィ世代なので、こうした、所謂(いわゆる)イノベーションには、それほど(くみ)しているとも思えないのではあるが……。

分散は簡単なことではないが追及すべき軍事課題である

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PHM11_0904 IT妄想論者は、すぐにでも在宅勤務の延長として、首都の分散ないし疎開は可能だ、みたいなことを言いたがる。

 直ちに首肯(しゅこう)はし得ないものの、一掬(いっきく)()るところなしとしない。それは、軍事的健在性、強靭性のゆえに、物理的弱点は分散すべきという考えからである。

 人の蝟集(いしゅう)点こそがリーサル・ウェポンを叩き込むための好適点そのものであるとすれば、そこを強固に守るよりも、多少の出血はするにもせよ、分散してしまうことが合理的である。どこを叩いても大した戦果が上がらず似たり寄ったりの結果になるとすれば、核兵器もテロリズムもその存在価値を低くし、無駄が多いことから次第に行使の是非を再考せざるを得ない厄介ものということにならないか。

 原子力発電所を減らすことにとっての障害は、電力なんかではない。ずばり、核兵器開発を未来永劫あきらめるかどうかだ。核兵器の無力化は、核兵器の実質上の無意味化である。迎撃兵器の開発に血道を上げたところで所詮は如何にせん、分散弾頭の一発を取り逃がせば無意味である。だが、人口の分散は、これに対しても相当有力である。人口の分散により核兵器の意味が減殺されるとすれば、日本人が嫌う原子力発電所も削減ないし全廃が可能となる。

 極端な例は、ユダヤ人かもしれない。バビロン捕囚からイスラエル建国までの間、彼らは国境すらも超越して分散・健在した。しなくてよい苦労はしたにもせよ……。

 どうしてIT妄想論者の言う所を直ちに採れないかというと、結局のところ、物理的ネットワークを物理的2次元平面に延伸すれば、単純にそれは半径の累乗に比例してネットワークパスが増えるからである。それはそのまま、金銭的に負担が増えるという事である。分散した人口を密に結合するネットワークの維持には、莫大な金銭を要する。そのため、高度にネットワークが発達して、在宅であるはずなのに、多くの人は、大規模ネットワークトラフィック交換設備の近傍に住むしかない。畢竟(ひっきょう)大都市近傍に居住せざるを得ない。

 しかもなお、物理的労働、生産、配送、サービスなどは、家でマウスをクリックしておれば済むというわけではない。買う方はクリックしていればいいかも知れないが、売る方は客の玄関口に「ごめんくださ~い、佐川急便ですぅ~」と配達してくれる人を絶対に必要とするのである。ロボットがこれを代行する、との論も、就業保証ということを考えると単純でない。

 人口が日本列島の山に野に分散し、それら分散したノードがすべて高度に機能すれば、これにまさる防衛はないと思うのだが、思うだけに終わってしまうのはここである。

昔のソ連のほうがよっぽど怖かった

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 (かね)てから「新聞ばかり読んでいると、アホになるばかりか、死ぬぞ」なぞという極論、暴言を振りかざしている私である。

 例えば、昨今、新聞記事の影響でか、軍事問題への関心が高まっているように感じられる。日本をとりまく軍事的脅威はますます高まっている、不安だ心配だ、国はなにをやっている、憲法はどうなんだ、官僚は軍備を真面目に整えとるのか、自衛隊はどうなっとるんだ……というような論調に傾いてきたように見えるのだ。

 が、私は、現在の我が国を取り巻く軍事情勢、就中(なかんづく)中国や北朝鮮がどれほど怖いかということは、比較論で言って、昔の対ソ連の時代の足元にも及ばないと思っている。

 ところが、どうも、人々は「昔のソ連や北朝鮮なんか怖くなかった、はっきり言って日本に関係なんかなかった、戦後の日本は戦争を放棄して、安心で安全だった、あの頃はバブルでお金もいっぱいあって幸せだった」と思い込まされているように思う。あるいは、単にその頃若かったか子供だったかして、そういう感覚を持っていなかった、という人もいるかも知れない。

 昔のほうが切実な軍事問題があった、ということには、感覚に訴えやすい好例がある。よく思い出してみてほしい。昔の北朝鮮のほうがよほど怖かった。その例は拉致問題である。

 気の毒にや、日本人が北朝鮮に相次いで拉致されていた頃。考えても見てほしい、かの横田めぐみさんがさらわれたのは、今を去る30年以上も前のことなのだ。今の北朝鮮はさすがに人(さら)いなどしていない。つまり、今の北朝鮮が怖いのではない、「30年前の北朝鮮のほうが現実の意味で怖かった」のである。

 その一方で、30年前の一般の人々の意識はどうであったか。かわいそうに、30年前、拉致の被害者なぞ一顧(いっこ)だにされなかった。自分が30年前、そんなことを問題にしていたかどうか、思い出してほしい。金があった者は財テクなどと言って利殖にうつつを抜かし、かわいそうな拉致の被害者なんかほったらかしだった。北朝鮮だけを例にとってさえ、このとおり、昔のほうが怖かったのだ。

 そればかりではない、ソ連によって日本に照準された核ミサイルはいつでも発射可能な状態に温められ、その数は何百発という途方もない数だった。しかもなお、彼らには上陸戦闘をやってのける潜在力があった。

 韓国も恐ろしく、竹島近辺で拿捕された何百という日本の漁民の中には殴り殺される者すらいた。

 そして、何千万という粛清が続いていることだけが断片的に伝わってくる、国交のない中共の不気味さと言ったらなかった。しかも、中共は昭和39年にはとっとと核実験をすませ、核武装国になりおおせていた。田中角栄大活躍の国交回復後、日本がせっせと献上した金で、せっせと核ミサイルを増備して日本に照準を合わせていたのだから、笑えぬ冗談もいいところだ。

 たとえ日本に直接の関係はなくても、子供の頃、クラスにインドシナ難民の子がいたという人もいるだろう。兵庫県の人には覚えがあると思う。難民キャンプが姫路にあったからだ。ベトナム戦争を持ち出すまでもない。あの頃、人々が国を捨てて逃げ出すようなアジアの戦乱は、即、日本にも指向されておかしくなかった。

 そして、日本に原爆を叩き込んで虐殺の限りをつくし、沖縄の人々を虐げていたアメリカ人を、誰も彼もが大好きという、もう、脳味噌はどうなっているんですかと言わざるを得ない、狂気のような状況に日本はあった。

 昔のほうがよほど、日本とその周辺国がそういう不気味な殺戮の嵐に包まれていたのに、ほんのごくわずかな人しかそれを直視しようとせず、何とかしようという努力を誰もしていなかった。そして、防衛費はGNP比1%の枠に(かたく)なに固定され、軍事問題に理解のない国民が圧倒的大多数を占め、自衛隊は土木作業員か賤民のような地位にしかなく、弾薬すらないありさまだった。

 新聞にそれらの問題が論じられることはまったくなかった。狂気の中でちいさい平和を見つけては、平和経済大国日本万歳とみんながみんな言い続けていた。

 私に言わせれば、むしろ最近は日本をとりまく軍事的脅威の絶対量なんか弱まっている。そうなってから、みんな軍事問題に首を突っ込み出した。

 勝手なものだ。

 アラビア~イスラムと言うけれど、9.11でどれほどの人が死んだか、広島・長崎の10倍も人が死んだのか、アメリカ人もよくよく自問自答すべきだ。

 これらがすべて、新聞の作用によると言ったら、言い過ぎだと非難されるだろうが、私は言い過ぎだと思わない。

 ただ、なにか、私自身がルサンチマンめいたねじれ方をしている、ということは、多少なりとも認めざるを得ないとは思う。

浮動首都

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 浮動首都、というようなことを妄想した。自分が書いた砲兵のことと、石原莞爾の「最終戦争論」を読んでのことだ。

 石原莞爾によれば、戦術は点から線、線から面、面から体へと発展し、航空技術の究極に達したところで最終戦争となるという。

 その論の多くは外れてしまい、最終戦争は起こらず、米国の言う核抑止ドクトリンを経てアメリカ一強によるイスラムいじめの様相を呈していることは、歴史の事実である。

 だが、石原莞爾の論説は、東京・大阪の大空襲、広島・長崎の惨劇を経る前に書かれたものだ。それをわきまえたうえで読めばなかなかに興味深い。

 石原莞爾は「近未来には、戦闘員・非戦闘員の区別はなくなる。3次元化した戦闘は都市の無差別爆撃の形をとり、女子供までもが殺される役割として、戦闘に参加することとなる」と喝破している。石原莞爾が言い当ててからたった数年後にそれは東京・大阪、また広島・長崎の形で精密に現実化した。

 アメリカの戦略ドクトリンは変遷したとはいえ、各国のミリタリーはまだ太平洋戦争の呪縛から脱しえない。米国軍隊は縦横に飛び回り、かつ世界のどこへも決定的リーサル・ウェポンを叩き込む自由を得たが、それを生身に浴びる弱い者たちは、2~3百年前からほとんど変わらず、町や村に固定されて生きている。

 リーサル・ウェポンから逃れるためには、首都が浮遊せねばならぬ。情報技術等によって、殺害の主対象である何億もの弱者が、さながら雲のように形を変えてあちこちを浮動し、物理的決定点を持たぬようになることだ。一発の致死兵器が決定点に炸裂しても、そこに人口が蝟集していなければ、その兵器は恫喝の意味を持たなくなる。