(あお)り運転の宮崎文夫

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牛タンなんか食ってやがる(笑)

あ痛タタタタ……(蔑笑)

 例の「借り物の高級車で(あお)り運転」事件。

 異例の全国指名手配となった宮崎文夫なる人物だが、事件後も悠揚迫らず不敵な行動をしていたようで「事件後、SNSに食事した写真を投稿した」と報道があった。

 文春などもえっらい熱の入れようで記事を連発している。

 それで興味を覚え、検索してみたら、インスタグラムで本当に下のようなアカウントが出てきた。

 上のInstagramのコメント欄はいたずら書き、嫌がらせのオンパレードで大炎上中である。

 本当に「宮崎プロパティマネジメント(株)」と「(株)オマス」という二つの会社の社長だそうである。顔写真などもあり、間違いないようだ。

 しかしそれにしてもこの宮崎何某、騒動になったあと、上のように牛タンなんか食って写真を上げていて、俄かには信じがたい行動ではある。

 だが、冷静に考えるに、被害に遭われた方には本当に気の毒ではあるが、「あおり運転」「暴行傷害」「借りた車を壊した」ということそのものは「微罪」であり、仮に裁判となってもせいぜい罰金だの執行猶予付きの判決だので終わりだろう。会社にしても、自分で経営しているわけだからクビになる心配などないし、会社の登記が抹消されるわけでもなかろう。むしろ、「車を返しに来た」という社員を名乗る男の方が哀れにもクビになってしまうかもしれない。

 その辺がわかっていてこういう大胆不敵な行動をとっているのだとすると、逆にあっぱれと言うか、そら恐ろしい感じがする。

 というのも、こういう連中って、他にも沢山いると思うからだ。微罪など屁とも思っていない、捨てるものが何もない、裸一貫の連中である。こういう連中を根絶やしになどできない。この宮崎何某だって、警察の取り調べでは警官の言うことなど聞く耳持たずに吠えまくり、検察でも屁理屈をこね、裁判で自分に不利な判決が出ても屁とも思わず、適当な弁護士を通してさっさと始末してしまい、仮に取り調べ中拘留されたって金があるから面倒くさそうにさっさと保釈金など払い、「今回は少し運が悪かった」程度にしか感じないだろう。

 まあ、経営者に限らず、偉くなってる連中なんて、多かれ少なかれこういう異常性格を持っている。ああ、嫌だ嫌だ。


令和元年(2019)08月18日(日)12時08分 追記

 この男、結局今日逮捕されたようだ。

立秋

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 毎日身に応える暑さである。

 だが、昨日の朝、出勤時には羊雲を空高くに見た。蒼空が日に日に高くなる実感がある。そして、日が短くなっていく実感もまた、ある。

 昨日の夕刻、帰宅する頃、風にはどことなく秋隣が感じられた。無論、依然熱帯夜続きではあるのだが。

 さもあろう、今日は既に「立秋」だ。月はちょうど上弦の半月。

何が「全力」だよ(笑)

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 「全力」なんていう言葉を軽々しく撒き散らすような(やから)を信用したくない。

 全力、というのは並大抵のことではない。自分だけが懸命になって額に汗して頑張ればそれが全力だ、などと言うのは、みっともなく痛々しい。

 私が考える全力と言うのは、次のようなことだ。

 今日はテストの日だ。数年にわたって勉強してきた力を発揮する日である。

 これまで、貯蓄をテストに注ぎ込み、妻を働かせ、両親から学費を無心し、子供たちの進学をあきらめさせて一心不乱に勉強に励んできた。合格だけが唯一至高の目的である。

 ところが、よりにもよって今朝(けさ)、電話がかかってきた。

「警察です。あなたの実家の父上と母上が強盗に押し入られた挙句殺されました。あなたの実家を訪ねていたあなたの奥様と生後間もない子供さんも殺されました。奥様には性的暴行の痕跡があります。ともかく、すぐに現場へお越しください」

 両親、妻、子。私にとってかけがえのない、全身全霊をもって愛するべきものがこれらである。しかし、私は全力でテストを受けると決めたのだ。これら、自分にとって全てであるものをもかなぐり捨てて顧みないことこそが「全力」ということである。

 しかるをもって、私は警察からの電話を無視し、テストを受けに行った。

 旬日が経過し、両親と妻子の死に目に会うことことすら(なげう)ったテストの発表日が来た。

 合格した。

 こういうことが、いわゆる「全力」である。自分の持てるもの全てどころか、自分以外のもの(すべ)てをも()した全力だ。

 だが、こんな(たぐ)いの「全力」を尽くして(かえり)みないような(やから)を私は見下げ果て、唾棄し、嘲笑する。

 軽々しく全力などと言うのは甘すぎる。それほどに全力を尽くしたいなら、テストの日など待たず、たった今、玄関から走り出して、100メートル走の全力疾走と同じだけの体力を注ぎ込み、100000メートルほどを力の限り走り続けて死ねばいいと思う。文字通りの全力だ。できるものならやってみるがいい。

 だがしかし、できまい。

 そして、仮に100キロメートル無休全力疾走を敢行して派手に死んだとして、それで尊敬されるなどとは思いのほか、そんな暴挙に出たところで、誰もが「バカなんじゃねえの?」と嘲笑して済ませてしまうだろう。

 そんな嘲笑をすらものともしないことが「全力」である。

 誰かのために、何かのために死ぬなら、それは確かに全力である。だが、人間、そう簡単に死ねなどしない。つまり、全力などと言いながら全力など出せない、そういう惰弱(だじゃく)で薄甘く、最低限の生きる便(よすが)だけはキープしておいて卑怯とも思わないような、どうしようもなくいい加減な存在が人間なのである。

 だから私は、「全力」だなどと簡単に言い捨てる人種、一見意識が高いようでいて、そのくせ身の回りだけは確保しておきたいような奴が嫌いである。

 妻や子、両親、自分のどうしようもない無能、楽しみ、悲しみ、諦め、弱さへの哀惜、同情、悔恨、そういった諸々を抱きしめて、沁々(しみじみ)と誠実に生きることの方が、「全力」だなんていう取って付けたような情動より、幾層倍か美しい。

白濁液の味わい

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 今日は健康診断を受けた。

 バリウム飲んでひっくり返ったり横を向いたり、噯気(ゲップ)を我慢しつつ、毎年恒例である。私ほどの手慣れた受診者には、もはや噯気の我慢など、なんらの痛痒(つうよう)もなく、整斉粛々淡々(せいせいしゅくしゅくたんたん)たるものである。

 ところで、最近、何を調達するにも公正な取引云々とうるさいようで、職場の健康診断に使うバリウムにも熾烈な競争が働いているのか、このところ銘柄が年々歳々(ねんねんさいさい)違うようだ。

 家畜さながら、次々と効率よく胃検診システム室内に送り込まれる立場、マジョリティにしてその他大勢、給料取りそのものの身であってみれば、バリウムのラベルの文字をしげしげと読んでいるような暇はない。だが、ボトルの形は毎年違うから、調達ごとに違う銘柄であることは素人でもわかる。

 なんといっても、違うのは「味」である。

 今日のバリウムは、ひろやかな伸びの中にも意外なコクと味わいが感じられた。

 しかし、去年の細いボトルのものは、のど越し、なんというか、「コシ」があるというか、飲み応えに重点があった。これは飲み込むごとにズッシリとした、「胃検診を受けるのだなあ」という実感ないし充実が感じられるものであった。

 一昨年のものは、はかない舌触り、やわらかに広がる味わいに、ふと母乳を思わせるような展開が感じられ、さながら「衆生よ、胃検診に幸福を覚えよ」とでもいうような作り手の直情が感じられた。これを調製した製薬会社の社員は、キリスト教徒、なかんづく聖母を崇拝するカトリック教徒だったのではあるまいか。おそらくはワインを飲むにつけても、「聖母の乳(リープフラウミルヒ)」一辺倒だったのであろう。

 もし私に、しげしげとバリウムのラベルを読む暇を与えてくれたなら、「()きバリウム」の蘊蓄(うんちく)をまとめ、一廉(ひとかど)の好事家として名を成すこともあながち夢ではないような気がするのだが、いかんせん、一般ユーザとしてのバリウム味覚はまだまだ未開拓の分野のようで、情報が少ないのが残念である。

 多分、バリウムを作っている製薬会社の人々は、毎日バリウムを味わってはテストをし、より飲みやすい、人々の健康に裨益(ひえき)するようなものをと、日々年々努力怠りないのであろう。毎年のバリウムの味わいの違い、銘柄ごとの差に、医療関係者の一所懸命な姿勢が感じられ、尊敬を覚えるものである。

PC捨てる

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 先日から自宅の屋根裏を片付けようと、少しづつ色んなものを捨てている。

 当節流行の「断捨離」なんていうほど気合を入れるといっぺんでヘトヘトに疲れてしまう。だから、気が向いたときに少しずつ捨てている。

 先月、古いPCのケースなど、捨てるのに少し困るものが出た。縦・横・奥行き、どれも50cm以下でないと不燃物で出せないのだが、古いATマザーとAT電源付きのフルタワーがあって、これはディスクグラインダーか何かで裁断しないと楽な捨て方ができない。

 それで、これはまあ春永(はるなが)に……などと玄関フロアに放置していたのだが、そのまま3週間ほど経ってしまった。私の妻は辛抱強いが、さすがに「お父さん、明日不燃物の日なんだけど、玄関フロアのアレ、……?」と言い出す。

 よしきた、始末しよう、と、ハンマー、グラインダー、ドリル、その他工具一式の店をひろげ、表でやかましい音を立ててやりはじめる。

 今日は他にもいろいろ捨ててやれ、と、30年前から後生大事に保管していた17インチと14インチのCRTモニタなど、いろいろと始末した。こんな古いもの、家電リサイクルもヘッタクレもないから、分解して捨ててしまう。ケースは20センチ角ほどに裁断し、基盤も割り砕いてバラバラにする。ブラウン管は陰極のところに注意深くドリルを立てて空気を入れ、ハンマーでパリンパリンと割り砕く。ガシャガシャのゴシャゴシャ、もはやただの不燃物である。

 勢いで、屋根裏でかさばる、これもまた20年以上放っておいた自作PCを捨てることにする。

 とてもPCには見えないが、その実これでPCである。段ボール箱に組み付けてある。

 段ボール箱を取り去ると、こういうふうに割と堅実に組み付けてある。

 これは、25年ほど前、PC/AT互換機の自作が定着し出したころに作ったものだ。マザーにASUSの「PI-XP55T2P4」という当時人気の名板を使い、CPUにPentiumの120MHz、メモリを変則で48MB、グラフィックにNumber 9、SCSIカードにAdaptecのAHA-2940UW、RealtekとDECのNICを2枚挿したマルチホームである。

 ケースにまで手が回らず、仕方がないので机の上に部品をゴチャゴチャぶちまけたまま使っていたが、片付かないのでその辺にあった木や金属で段ボール箱の中にまとめたのだ。

 まあ、今時(いまどき)こんなものを持っていたってしょうがない。HDDには念入りに9ミリの鉄鋼ドリルでゴリゴリ穴を空け、始末する。マザーとカード類は壁にでも掛けるべく取り外す。

 さらば、段ボールPC。

ザマぁ見やがれ(笑)

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 今朝は女梅雨(おんなづゆ)のぐずつく中、早々と参議院の投票を済ませた。

 開票が進みつつある。

 だいたい自分が内心していた通りの投票結果となり、やや胸がすく。

 思うに、選挙期間にSNSその他でいろいろなことが言える人は、実は少ない。多くの人は職場、職務、義務などに縛られ、政治活動を厳しく制限されているから、SNSに刺激的なことなど書けないのだ。会社勤めの人、公務員、公共の仕事をしている人の多くは皆そうだ。

 恐らくそういう「何も言うことができない人」は、感覚的なものではあるが有権者の過半数を超えているだろう。ざっと7割5分はいるのではなかろうか。

 逆に言えば、選挙期間にワァワァ言ったり書いたりできる騒がしい人と言うのは、「残り2割5分のどうでもいい連中」である。

 選挙前には反社会的・左翼主義的な言説が増え、そうでない言説はピタリと止むが、それは前述の如く「どうでもいい人たち」だけががなり立ててよい仕組みになっているからである。私などの右翼乃至保守的な人物にとっては悔しく腹の立つことではあるが、しかし、多くの人に平等な発言機会が確保された理想的な民主主義であるとは言える。

 いずれにせよ、何かを言うことが許されていない多くの人たちが、騒がしくてどうでもいい世迷言を垂れ流す人たちなぞ無視し、現実の精髄たる一票によって国を選ぶことができるのだ。実に優れた民主主義である。

 しかし、一部、山本何某如き騒がしい政治家もどきとその一党が案外な得票をしてのけたのは、これはまあ、許容せられるべき範囲のポピュリズムというものであって、そういう余白というか、冗長性と言うものも国にはなくてはならないのだから、やむを得ない。とは言え、山本何某本人は落選してしまったようだが。

 ま、さんざん愚弄された私如きマジョリティにして、このくらいの表白(ひょうびゃく)も許されてよかろう。選挙は終わったんだし。

メモいろいろ

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良し悪し メモの態様
良い


悪い

メモしなかったが、忘れなかった。
忘れないようにメモしておき、メモしておいたのを見て思い出した。
忘れないようにメモしておいたが、メモすることで覚えてしまい、メモが無駄になった。
メモしなかったし、忘れてしまった。
忘れないようにメモしておいたのに、メモしたことそのものを忘れてしまった。
メモをせず、忘れてしまったが、何かを忘れてしまっていることだけは微妙に覚えていて、思い出せずに煩悶した。

目線の高さを合わせる

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 子供に話しかけるなら、しゃがむなり、腰を(かが)めるなりして、子供の顔に目線の高さを合わせてやることが大切だ。子供も子供なりに人格を認められたと感じることだろう。

 難しいのは、「背伸びをしてこちらの高さに合わせようとしている子」の目線の高さに合わせることだ。背伸びをしなくていいようにこちらの目線を少し低くしてやると、子供は「バカにされている」と感じるし、かといって背伸びした高さに合わせると、つま先立ちの不安定さからやがて子供はよろめき、あるいは立ち転び・居転びしてしまうかもしれない。

 どの高さに目線を合わせてやるべきかは状況により様々であり、正解はないが、いずれにしてもこういう子供は慎重に扱ってやらなければならないことは確かだろう。

 が、時間が経てば、子供の背は伸びる。せいぜい20年で、対等に喋ることができるようになる。つまりは、単純に時間が必要なだけだ。

 ……言うまでもないが、上記は社会人における人間関係の例え話である。

友好

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 日韓友好のために、まことに良い動画だと思う。

 日本人にもこういう人物が出てくればいいと思う。

見たくないニュース

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 Facebookで堀江何某(なにがし)のコメントがニュースとなってリコメンドされてくる。

 リコメンド元は「ニフティ・ニュース」だ。

 「ニフティ・ニュース」はそれほど嫌いではなく、時折参考にはしたいのだが、堀江何某のコメントなど噴飯以外の何物でもなく、嫌いなので見たくない。

 堀江何某関連のニュースのみ遮断したいのだが、FBのタイムラインでは、機能上ニフティ全体を遮断するような選択しかできない。

 実に腹立たしいことである。「堀江を唾棄したいなら他のニュースも抱き合わせであきらめろ」というわけだ。