万愚節(ばんぐせつ)と改元

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 エイプリル・フールは「四月馬鹿」と訳され、また「万愚節(ばんぐせつ)」とも訳されている。

 「万愚節」は俳句の季語でもある。私などは西洋由来のエイプリル・フールに「万愚節」という訳語をあてた先人の教養のほどに敬意を覚えざるべけんや、という感じがして、これはこれでまた、いろいろと蘊蓄(うんちく)の余地があると思う。

 それはともかくとして、(かしこ)きあたりの(おぼ)()目出度(めでと)うして、ついに政府も

「平成31年(2019)5月1日改元を宣せらるるにつき同4月1日に前(もっ)てこれを()国事(こくじ)万般(ばんぱん)遺漏(いろう)なきよう沙汰(さた)す」

……としたところである。

 それにしてもしかし、である。

 ネット上ではおそらく、「祭り」の状況となるだろう。なんと言っても「エイプリル・フール」である。

 今や親日のエイプリル・フールの本場、イギリスなどではこれがどう取り扱われるか、楽しみでもある。

 われわれ国民は、安心すべきところと思う。なんとなれば、これしきのことで動揺恐慌(どうようきょうこう)するわが国体ではないからである。泰然自若としてこの事態を楽しめばよいと思う。

 行政事務(かた)は、予算年度の節目のことに御英慮(おんえいりょ)(かたじけの)うした畏きあたりの思し召しに感謝百度万度をもって(ほう)ずべきであろうか。

下弦、真夜中。

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 真夜中になり、下弦の月が昇った。

 下弦は真夜中にならないと見られない。

 今日はよく晴れているから、冷え込み、月の角もギザギザとして、ガリッと頬を切られそうだ。

下弦

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 今日は下弦だそうな。

 夜更かしをしていて目が冴えてもいるから、ひとつ真夜中に月の写真でも撮ってみようか。

 昼は真っ青な空が広がり、冬麗(とうれい)そのものだった。真夜中も冬の月が冴えるに違いない。

掃除

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 年末なので、家の内外の掃除をするなど。玄関先の草取り、掃除、庭の草取り。これで半日。

 続いて今日、自分の小部屋を掃除したら丸1日かかってしまった。

 怠慢に積んだままにしていた来簡・資料類を全部仕分けし、目を通した後ScanSnapに叩き込んでデジタル化し、物理資料は全部シュレッダー行きにする。

 あちこち拭き回して真っ黒になった雑巾を洗い、ひと段落する。

 今日は終わりにしよう。ウィスキーをショットグラスに次いで一杯やると、胸のあたりにあたたかい燈がともったような心地になる。

 いい休暇だ。

目袋(めぶくろ)

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 美容だヒアルロン酸だ整形だメイクだエステだ……というような文脈で、「目袋(めぶくろ)」のことを「目の下のたるみ」と説明的に言っているのは、まあ、わかりやすくするためであって違和感がないが、先日見かけた名詞的表現は「目の下たるんたるん」であった。

 もう、こうなってくるとほほえましいというような表現でもなく、表現力が幼児化というか白痴化してきており、心配になる。だいたい、目袋が出てくるような大人は、酸いも甘いも嚙み分けた40歳50歳と言った年齢である。「タルンタルン」はないと思う。

 それとは別に、目袋が下がった大人の顔と言うのは重みがあり、魅力的だ。なにも、若者ぶった、あるいは小娘ぶった顔など、わざわざ顔に刃物まで入れて作る必要はあるまい。

美しい、とは

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 どうも、多少「釣り」臭い記事であるような気もするが。そこをなんとなくわかった上で。

 昔は「駕籠(かご)に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」などと言った。この言葉を、私の母などは耳にタコができるほど私に吹き込んだものだが、そこには、この言葉がさしているであろう「世の中いろいろな人のいろいろな働きで成り立っており、そこに支配や圧迫、隷従などの上下関係はない」というようなことではなく、「草鞋づくりになど、どんなことがあってもなるな」というような、差別意識があった。

 母の差別意識は、戦前生まれの人であってみれば、普通の意識であって、これはやむを得まい。だが、いまどき、いわゆる賤業卑業とされるようなこと、塵芥、死体、汚物、屠畜、こういうことを「いやしむべきこと」などと考える、また、それが「勉強を怠けたから」などと、こんなことをどういう種類の、どういう人間が言うのであろうか。

 汚れ仕事というなら政治家など最も汚いし、金持ちも汚い。かつては「金持ちと蠅叩きは、たまればたまるほど汚い」と言ったものだ。一千万の年収を誇る者は一千万円分汚れ蔑まれるべきであり、2千万、1億となればそれだけ汚いのである。

 刑務所で臭い飯を食った堀江何某(なにがし)など、どれほど卑しむべき存在であるか。

 政治や経営などに携わることが、どれほど泥水を飲み下さなければならないか、誰でもわかることだ。勉強すればするほど、犯罪者に近いものになっていく。物理学の蘊奥を究めた学者は、日本の共産主義者が全力で反対する原子力発電所の推進者であって、勉強の結果犯罪者扱いされるのだということだ。頭のいい者は、汚れるのである。

 むしろ、街で、野で、田畑で、働く人たちがどれほど美しいか。戸板に飴菓子ならべて売っていようと、これが立派な堅気の衆、ということだ。

今秋はじめて

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 蝉の声は止んだ。まだまだ暑い日もあるが、徐々に気温は下がり、日が短くなり始めた。夜に虫が鳴く。

 秋である。

 祝日の朝、今秋はじめて、ホットコーヒーを入れた。久しぶりの湯気、香り、刺激。砂糖を入れぬかわり、朝食代わりのチョコレートを食べながら啜る。

 チョコレート3(かけ)。働かぬ日の朝食はこんなものでよい。肥満すると身軽に動けなくなってしまう。

敬老の日

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天皇陛下万歳

 祝日「敬老の日」である。国旗を掲揚し拝礼する。

 今や、老人があまりにも複雑な状況に置かれる世相となった。しかし、老害だなどと批判に晒されるのは、半面手厚い保護と尊敬があるからでもある。

 何にせよ、老いることを忌避すべきことと思うまい、悲しむべきことと思うまい、懊悩すべきことと思うまい。それは寿(ことほ)ぐべきことだ。もし自分の老いる日々が想像の外にあったとしても。

 なぜなら、その日々は全く来ないか、確実にやってくるかの二者択一なのだから。老いる前に死ぬか、老いるかの二者だ。

 まったくやって来ないものは、確実に来るもの同様に現実感をともなって感じられる場合もある。つまり、老いる前に死ぬのを想像することは、現実に老いるよりもなお老いの感覚を濃厚にする。

自刈り

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 長年行きつけてきた新越谷の床屋さん、「ファミリーカットサロンE・T」へ先月行った時のことだ。顔なじみの美男理容師が「お客様、ポイントカードお持ちですか?」と聞く。

「ええ、持っていますよ」

「あ、そうですか。実はですね、来月9月、このお店、会社は同じ会社のままなんですが、大改装をしまして、店のコンセプトも変わることになりまして」

「へえ、それはおめでとうございます」

「で、申し上げにくいんですが、お値段のほうも倍くらいの設定に変わっちゃうんです」

「えっ」

 これは参った。1940円の格安で一通りの理容メニュー(顔剃り、洗髪等)がちゃんとあり、理容師さんはみな若い美男美女で、接客も丁寧でやわらかく、明るい店である上、子供を連れてくると子供席でちゃんと親のオーダーを聞いて刈ってくれるなど、他店をもって代えがたい魅力があるので、この十数年以上通ってきたようなわけである。

 結婚以来、床屋に2千円以上かける習慣は、私にはない。

「で、お客様、ポイントカードをお持ちの方には、新店舗の最初の1回は旧価格でご提供することになっておりまして、それでお知らせいたしました」

「ああ、そうなんですか。……しかし、E・Tさんと言えばなんといってもこの値段が魅力でしたから、私としてはちと残念ですね」

「申し訳ありません。……同じコンセプトで同じ会社のお店が越谷駅のほうにもありまして、そちらはそのままですので、どうかご贔屓頂ければ」

 ああ、そうですか、それではそうしましょうかね、……と返事はしたものの、越谷駅(新越谷駅の隣駅)まで床屋に行こうとはちょっと思わない。多分行かないだろう。

 それが先月のこと。

 最近ハゲても来たので、床屋でシャレっ気でもない。そこで、昔10代後半から20代頃までしばらくやっていたように、自分で刈ってしまうことにした。

 近所のヤマダデンキで税込2678円の電気バリカンを買う。TESCOM社製ヘアーカッター「TC450」

 家へ帰ってビニールの大きいごみ袋を鋏で切ってケープにして首に巻き付け、買ってきたバリカンの刃を「1ミリ」に調整し、とっとといつもの刈り上げスタイルにしてしまう。

 最近流行(はや)りの「自撮り」ならぬ、ちっとも流行ってない「自刈り」(笑)。

 ま、多分これから、床屋代使わなくなっちゃうんだろうなあ。

「はてなダイアリー」終了だそうな。

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