マホメットからトルコまでをいい加減にたどる

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 少しでもイスラム教徒に心を寄せようと言う気持ちもあって「千一夜物語」など読んでおり、昨日読み終わったところだった。

 その感想文を書いて、ふとニュースを見ると、トルコでクーデターだと言う。驚いてしまった。

 トルコというと、首都アンカラよりも、この「なつメロ動画」のイスタンブール、つまり古都コンスタンチノープルのほうにどうしても心が動かされてしまう。というのも、千一夜物語の読後感を深くしようと思って、ちょうど、昔習ったサラセン帝国、今でいうイスラム帝国の歴史を年表などでたどっていたところだったからだ。

 中東の一大帝国、文化も軍事も並ぶもののなかったイスラム帝国は、マホメット入寂以降、ウマイヤ朝、アッバース朝と帝権は変遷しつつも、800年近くの長きにわたって存続した。だが、千夜一夜物語が編まれた頃を最後にアッバース朝は衰退していき、似たような版図のオスマン帝国が起こり、これが大帝国となってついには欧州に2千年続いたローマ帝国の残滓、東ローマ帝国の帝都コンスタンチノープルに攻め入って陥落させ、ローマ帝国にとどめを刺したことは学校でも習うところだ。

 オスマン帝国は多民族多宗教の「ユルい」大帝国だった。その表れとして、コンスタンチノープルに突撃していったのは何と元キリスト教徒からなる戦士軍団であった。

 このキリスト教徒由来の軍団をイェニチェリと言う。オスマン帝国はキリスト教の牙城に向かうに、実にキリスト教徒からの徴兵をぶつけたのだ。彼らはこれも有名な文化遺産、軍楽「メフテル」で景気を付け、ローマ帝国を滅亡させてしまった。

 メフテルというと、向田邦子脚本のドラマ、「阿修羅のごとく」のテーマ曲に使われた「ジェッディン・デデン」が日本人にも親しみが深い。

 当時のオスマン帝国では、キリスト教徒の青少年のうち、素質豊かな者を戦奴として徴兵し、改宗などイスラム化の過程を経て軍事訓練を施した。結婚を禁じ、そしてこれをイェニチェリ軍団に組み入れ、皇帝に仕える最強戦士として闘わせたのだ。一見無残で過酷なようだが、無税、高給、強固な組織化、鉄砲など当時の最新ハイテク装備とその運用を与えられ、数々の特権も認められた誇り高い戦士たちであった。今もトルコ国防省では歴史的な記念としてメフテルやイェニチェリの扮装・風俗を保存しており、陸軍記念日などに軍人がこれに扮して演奏や閲兵行進を披露する。上のジェッディン・デデンの動画には、そうした展示の一齣(ひとこま)が含まれている。

 地中海一帯のほとんどを版図に収め、700年も存続したオスマン帝国だが、体質が古くなり、近代には適合できなかった。すなわち、ドイツとともに参戦した第1次世界大戦で、イギリスの裏工作によってアラブ地方のほぼ全部に離反されてしまい、また、コーカサス山脈での苦戦などもあって、ついにはドイツともども敗戦してしまったのだ。

 この時、「オスマン帝国はキリスト教徒の不倶戴天の敵、回教徒の巣窟である」として、これを破るだけのためにイギリスが行ったアラブへの杜撰(ずさん)な工作「サイクス・ピコ協定」等が、後世どのような禍根を残し、今も多くの人を死なせているかを知ると、しばらく考え込んでしまわざるを得ない。

 戦勝国に蚕食され荒廃しようとする寸前の国土だったが、そこで救国の英雄、ムスタファ・ケマル・アタテュルク元帥が立ち上がった。元帥は帝室保全のために勝手な講和条件を飲もうとしたオスマン皇帝メフメト6世を廃位し、追放してしまった。そして、逆に戦勝国に戦争を挑み、これに勝利して追い出してしまったのだ。このように書くといかにも簡単そうだが、これは簡単なことではない。日本で例えると、フィリピンから「マレーの虎」こと山下大将が無理やり帰ってきて、終戦の詔勅を出した昭和帝を廃位して追放し、進駐してきたアメリカとソ連に改めて宣戦を布告して逆転勝利、これを駆逐し、日本共和国を作るようなもの、というとその大変さが分かると思う。

 こうして、現在のトルコ共和国が出来た。

 現在のトルコはアラブではなく、蒙古人を祖先に持つトルコ人の国になっているが、もとのオスマン帝国がユルい多民族多宗教国家であったため、なにかとユルい危なっかしさを内包している。

 第1次大戦後、トルコは平和路線をとり、第2次大戦にもなかなか参戦しなかった。昭和20年(1945)のヤルタ会談後にもなって、しぶしぶ連合国側で参戦したので、両大戦を通じて日本とは敵国であったことになるが、寛容なトルコ人たちはどうもそういうことには無頓着で、むしろ日露戦争でロシアをブチのめした日本に好意を持っているという。また、最近ではエルトゥールル号遭難事件のことが、どういうわけか日本でのほうがよく取り上げられている。

 ともあれ、今度のクーデター騒ぎも、最近のISISやシリア、積年の敵国ロシアとの難しい関係はもちろんだが、こうした建国経緯の下地もあってのことと思う。日本人が考える単純な流れとは少し違うのだろう。

千一夜物語(13)

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 今年の正月前からずっと読み続けていた「千一夜物語」、今日ようやく13巻全部を読み終わった。通勤電車内で少しずつ読んでいたので、約7か月、月に2冊くらいのペースでゆっくりゆっくり読み進めてきたことになる。

 日本でも絵本や童話などの児童文学に翻案されて有名な「船乗りシンドバードの物語」「アラジンと魔法のランプの物語」「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」などはフルサイズで全部含まれる他、それこそ「数え切れないほどの……」知られていない物語がテンコ盛りだ。
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 上述の有名な話の他に、「教王(カリーファ)大臣(ワジール)御佩刀(みはかせ)持ち」の話が何度も出てくる。

 「教王」というのは、千年以上前のイスラム帝国──私などは若い頃、学校の歴史の授業でこれを「サラセン帝国」と習ったものだが、今はこの呼び名は「学問の欧州中心主義から来た蔑称である」とされるようになり、サラセン人とかサラセン帝国とは言わなくなったのだそうな──最盛期、アッバース朝第5代教王(カリーファ)ハールーン・アル・ラシード(最近の表記では『ハールーン・アッ=ラシード هارون الرشيد‎ ​ Hārūn al-Rashīd』だそうな)のことである。

 実は、この千一夜にわたる数え切れないほどの物語の全巻を通じて、それこそ最多登場回数ではないかと思えるのが、このハールーン・アル・ラシードなのだ。

 水戸黄門か、暴れん坊将軍かという具合に、大宰相のジャアファル・アル・バルマキーと御佩刀(みはかせ)持ちの宦官マスルールを助さん格さんよろしく左右に従え、変装して街を歩き回り、直接庶民とふれあい、ある時は不正を糺し、あるいは弱者を助け、あるいは珍しいことに驚嘆したりする。

 この最終巻では、そのハールーンがどのようにして教王位を継いだかが、シャハラザードから直接でなしに、シャハラザードが語る物語の中の登場人物の口を借り、話中話として語られる。

 そして、全13巻、千一夜にわたるこの浩瀚(こうかん)なアラビアの古譚集の最終巻の、それも最後に近く、唯一の実話ではないかと思われる一話が出てくる。それは、この3人の主従のうちの最も重要な人物、大臣(ワジール)ジャアファルが、一族もろとも滅ぼされる話である。

 実在の人物であるこのジャアファル・アル・バルマキーは、ディズニーアニメの「アラジン」にも、「大臣ジャファー」として名前が登場する。ディズニー映画では悪役として描かれているが、実際のジャアファルは洒脱で軽妙な性格であり、かつ、教王(カリーファ)ハールーン・アル・ラシードの忠実な家臣で、教王のなくてはならぬ右腕であった。
 
 ジャアファルは教王が最も信頼する臣下であったにもかかわらず、突如逆鱗に触れ、王命によりマスルールに首を()ねられる。のみならず、一族もろとも、親兄弟に至るまで滅ぼされてしまうのだ。バルマク家は大きな一族であったため、その処刑は1200人にも及んだという。このことは史実だが、千年以上も前の事なので、研究が進んだ今もその原因ははっきりとはわからないそうだ。この千一夜物語の中でも「原因には諸説がある」とされ、シャハラザードはいろいろな歴史家の説を引用し、この物語の決まり文句風に言えば「さあれ、アッラーのみが真実を知りたもう」として物語を置く。

 さて、最後にもう一度、この物語全体を振り返ってみよう。

 物語のスタートはよく知られるとおりだ。すなわち、妃の不貞と淫乱に怒り狂ったシャハリヤール王が、ついに暴王となりはて、治下の処女を差し出させては一夜(なぐさ)んだだけで殺してしまうようになる。ついに国の処女は大臣の二人の娘を残すのみとなってしまうが、この二人娘のうち、姉のシャハラザードは自ら父に申し出て、暴王のもとへと嫁ぐのである。

 シャハラザードは他の処女たちと同様、一夜で殺されると誰もが思った。

 しかし夜更け、シャハラザードは「せめて妹ドニアザードに今生の別れを告げたい」と王に乞う。王はこれを()れる。やってきた妹はせめて別れに、いつもの昔話を聞かせてください、と姉に頼む。姉は明日の処刑までの時間が許す限り妹に物語をしてやることにし、語りはじめたのが「商人と鬼神(イフリート)との物語」であった。ところが、物語の一番いいところ、途中で夜が明けてしまうのだ。隣で物語を聴いていた暴王シャハリヤールは、どうしても続きが知りたくなり、その日一日だけはシャハラザードの刎頸(ふんけい)を延ばす。

 だが、これは賢い姉妹の作戦なのであった。

 こうして、物語は千一夜にわたる「切れ場」の連続となり、シャハラザードは一夜一夜を生き延びる。また、こうして国中の処女が一日一日、命を救われる。

 この物語のスタート、ここまでのところはよく知られる。あまり知られていないのは、この枠物語の最後、「大団円(めでたしめでたし)」と題されているエンディングだ。それは次の通りである。

 千一夜にわたって物語を聞いた暴王は、物語の中に含まれる教訓や叡智、愛や善悪について聴き、学ぶうちに精神が熟し、寛仁で立派な王に変貌するのだ。そして、決してシャハラザードの命を奪うまいと誓うのだが、この約3年の間には、二人の間には長男と双子、合わせて3人の子供が生まれていたことが、この最終夜に明かされる。お産の間もシャハラザードは王に物語をし続けたのである。王はこの子供たちに、千一夜目にはじめて引き合わされて、感動のあまり涙にむせぶ。IMG_3918

 少女だった妹ドニアザードは大人の女になっており、これは同じく改心したシャハリヤール王の弟王に嫁ぐことになる。そして、弟王は感動して退位し、姉妹の父大臣はその代わりの隣国の国王となるのである。

 最終ページはデザインになっており(写真)、フェードアウトしていくかのように物語が結ばれる。