酷暑のオリンピック

投稿日:

 酷暑の真夏にオリンピックを開催せざるを得ないのは、プロサッカーの開催と時期が重なり、テレビの放映権などの関係でオリンピックのほうが時期を譲らざるを得ないからだという。

 それなら、別に、オリンピックのテレビ中継なんてしなくてよくないだろうか。サッカーなんか関係なくオリンピックはオリンピックでやり、テレビ屋に儲けさせることなんて放棄して、YouTubeあたりで放映すればそれでよかろう。

 そうでなければサッカー見るのなんかやめてしまえ。あるいは、オリンピックなんかやめてしまえ。選手にだって人権があるんだ、酷暑の東京でマラソン走って、選手が死んだらどうするんだ。

いや、そうじゃない。

投稿日:

 プロ野球の視聴率が落ちているという。

 私はもともと野球が大嫌いで、見ていない。

 プロ野球中継の視聴率が下がるのは、野球離れがおこっているからだという評論を見かける。

 いや、そうじゃない。

 日本人は、もともと野球なんか大嫌いなのではないか。

 私が野球を嫌いなのは、野球が「野球は好きにならなければいけないものなのですよ」という相貌で私に近づいてきたからである。私はその押し付けがましい、人の好悪の感情をも統制しようということそのものに反抗し、セットで野球が嫌いになった。

 子供会や学校の野球で、別に野球なんか好きでもなんでもないのに、義務的に「好きです」と言わなければならないようなふうに追い込まれ、そう言わされたなんて奴は、おそらく沢山いるにちがいない。

 今、「これこれのことは、好きでなくちゃ(OR嫌いでなくちゃ)いけないのですよ」というような、どこかねじくれ曲がった感情の統制のようなことを感じるとき、そのほとんどに、外国の影を見ることが出来る。野球もそうだ。旧軍隊は悪者だ、というようなのもそうだ。