禁煙所感補遺

投稿日:

 私が煙草をやめたのは、確か平成12年のことだったか。

 一発でやめることができた。それなりに苦心はしたものの、だがその結果、禁煙の苦労ということを1回こっきりしか経験していないということになる。そんな私だから、人に偉そうに禁煙について語る資格はないかもしれない。

 だが、禁煙について書かれていたりすると、つい反応してしまう。

 "zodi"さんの禁煙に関するブログが「ブログ人情報局」で取り上げられていたときも、もう黙っておれない感じで、コメントなどさせていただいた。

 zodiさんという人は寛容な人だ。私は何を書くにつけてもキツい言葉を選んでしまいがちで、相手にされないこともかなり多いのだが、この人は相手をして下さる。それで、2~3度ほど、コメントをした。zodiさんはいい人だから、多分禁煙も成功するだろう。

 さて、先に記した私の記事からあと、禁煙に関してよく他人に語ることが二つほどある。どちらも、私が自分の肉体と精神を通して感じとったことで、多分よそには書いていないことだと思うので、書きとめておきたい。

  •  脳について

 禁煙した人の多くが「煙草を吸う夢を見る」という。私も実際によく見た。また、周囲の人に聞いても、禁煙に成功した人は煙草を吸う夢を見たと言っている。そして、その旨さについても皆が異口同音に言っている。さすがに、私の場合は今はもう煙草の夢は見ない。

 これは私自身の経験だが、禁煙中に夢の中で吸う煙草のうまさを何かに例えるとすると、誤解を恐れずありのままここに書けば、「夢精」するときに似たうまさなのである。これは男にしかわからないと思うが・・・。

 性的な快感は、人間などの高等な生き物の場合、実は肉体的なものではなく、大脳新皮質の働きが大きくあずかると聞く。夢にしても同じで、大脳の不思議な働きの深奥に大きなかかわりがあることは専門家ならずとも想像はつく。

 「夢の中」の「煙草」が、「非常に強い快感」をともなった、ということは、私の大脳が煙草から極めて強い感作を受けていた、ということではなかろうか。

 煙草の成分に目を転ずる。タールについては吸い味や香りに作用するが、ニコチンというのは、これはつまり、植物性アルカロイドであって、向精神作用をもたらすものだ。

 これらのことは、煙草の向精神作用が私の脳細胞にどれほど深い瑕疵を刻み、壊していたかを物語っている。

  •  血液がらみのこと

 煙草をやめてしばらくの間、頭に血が上ることに悩まされた。顔が火照り、赤くなる。こめかみの辺りがとくとくと脈を打ち、しかも怒りっぽくなっていた。

 煙草を吸っていると赤血球が増える。これは煙草からの一酸化炭素の吸引で足りなくなった酸素を肉体が補おうとするためだ。私は100本からゼロ本にハードランディングでやめたので、おそらくは血液の酸素運搬機能が余り気味になったのだろう。

 だがこれは、3ヶ月ほどで治ったと記憶する。

煙草

投稿日:

 家を建てる前頃、煙草をやめた。先おととしのことだ。

 約15年間喫った。やめる直前には一日に100本──喫煙に寛容な職場でもあったため──もの煙草を灰にしていた。

 本当に、いい時にやめたと思う。私が煙草をやめたあたりから、喫煙に寛容であった職場の方針が変わり、喫煙者に厳しくなった。しかし、私が煙草をやめたのはそれが理由ではない。単に小遣いが欲しかっただけだ。当時は本代にも事欠いていた。

 なんとかやめることができた。私の主人は私なのだ。

 やめてから、非常に自由になった。禁煙の場所など、つらくもなんともなくなった。また、最初から煙草をやらない人とは違って、そばでプカプカやられたところで別に屁でもない。昨日おとといまで一日に100本も喫っていたわけなんであるから、「もっとどんどん喫ってくれ」とでも言いたいほどである。喫煙場所・禁煙場所、そのどちらもが私にとって非常に自由な場所に変わった。

 煙草を喫っている間、小遣いに不自由していたが──そりゃそうだ、一日に5箱も空にしていたのだ。月に直せば3万円以上。月々、万札3枚に火をつけて灰にしていたわけだ──小遣いに余裕ができた。

 私は体のために煙草をやめたのではない。小遣いが欲しいという不純な理由である。

 やめて2年ほどの間、煙草を喫う夢をよく見た。リアルそのものだった。夢の中の煙草は、これまでに味わったこともないほど旨い。「ああ、なんてウマい煙草だ」と思うと同時に「これでせっかくの禁煙もオジャンだな」と自嘲気味の後悔が苦く胸をつき、それがまた逆に、夢の中の煙草を旨いものにする。目を覚ませば禁煙が破られておらず、ほっとする。

 最近はそんな旨い煙草の夢も見ることがなくなった。

 私の中では煙草は、青春の日々から自分の子供が生まれて育つまでにいたる日々を彩った、なつかしくさえあるたしなみごとになった。また煙草を喫うかもしれない、という不安も、今は既に去った。おそらく生涯煙草を喫うことはないんだろう。

 ……そう思うとすこし残念ですらある。今、私の小物入れの中に、ダビドフの細巻きとローランドのブライヤーパイプとシンクレアのネイビーカットと、JTの「小粋」という刻みの銘柄と、キャメルの両切りがひっそりと眠っている。なぜか、一日に100本も喫っていたキャビンマイルドはその中にはない。

禁煙をしていらっしゃる方のブログ(有名)
やさしい一日