正月だろうと盆だろうとそんなの個人の自由にしてはどうか

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 「働き方改革」へのアイデアを思い付いた。

 正月や盆に一斉に休むのは、非合理である。

 先祖の霊への礼拝や、人生の節目をそれに認めるといった意義は宗教的なものであり、人によって基準は違う。盆や法事に意味を認めなくとも、恋人と初めてセックスをした記念日としてクリスマスを大仰(おおぎょう)かつ下品に祝う者だって、この多様性を飲み込もうとしている世相においては認められなければならぬ。

 ならば、盆に休みたければ勝手に休めばよいし、クリスマスにラブホテルにシケこみたければそうすればよいし、イースターか過越(すぎこし)か、はたまた萬鬼節(ハロウィーン)かなんか知らんが、そうしたければ勝手にそうすればよい。旧正月でも正月でも、各人が祝いたいように祝えばよい。

 そのようにしないと、さまざまな習慣や信仰を持っている何十億と言う数多(あまた)の人間に対応していくことはできない。

 仏教徒以外は盆の時期にノンベンダラリと休んでなどいず、一意徹底、勤労することにしてはどうか。盆など、これは宗教的意義のもの以外の何物でもないからだ。

 宗教をもって休むのが差別で、こんなのはダメだとかなんとか言うなら、働く者の休暇を1年中に分散して社会的影響を低減すべきである。

 休みたいときに勝手に休み、盆だろうと正月だろうと、はたまたゴールデンウィークだろうとシルバーウィークだろうと、萬鬼節(ハロウィーン)でも節分でも逾越(イースター)でも、適当に旅行でも何でもして遊ぶなり、仏壇や墓石に額づいて号泣するなり、好きなようにすればよい。

 それで会社に睨まれたとか馘首(クビ)になったとか、そんなの各人の自由であり勝手である。休んで上司に睨まれ、退職に追い込まれるというのなら、それも自由というものだ。

 そのように考えてきてみると、土曜・日曜というのも不自然である。人工的で、人間の自由を縛ろうとするものだ。何も人間のリズムが7日に強制される必要などない。10日でも30日でも働きたいバカもいれば、毎日休みっぱなしでないと身が持たないという者だっている。

 1年365日には、無論冬や夏があり、それには人間がどうしたって調整することのできないリズムがある。会社の事務所だけが人間の働き場所ではなく、農業や土木の職業には春夏秋冬は変更できない規律である。だから、そういう仕事は、そういう仕事で独自にリズムを刻むがよろしい。

漫生活

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 (そぞ)ろ生活を楽しむ。林語堂の所説は、私にはぴたりと来るのである。

 記して、「漫生活」である。

 髪をモヒカン風に刈る。自分で刈るのだ。

 昨年、長年にわたりお気に入りの床屋だった「ファミリーカットサロンE.T.南越谷店」が業態替えして「mod’s hair men 南越谷南口店」としてリニューアルオープンしたのだが、同時に値段の方も倍以上となってしまい、それにもまして、私は美容院に行くような美青年ではなく(むし)汚中年、いや正確に書くなら「コ汚ねェ初老の親父(オヤジ)」なんであるから、もう、頭なんぞ自分で刈ってしまうことにしたわけである。自宅の物入れには愛用の電動バリカンがあり、これで刈っているわけだ。

 これはこれで、いっそスッキリして良い。

 本当は丸坊主にしたいのだが、妻が難色を示すので髪を残している。つまりこのモヒカン風の天辺(てっぺん)の髪は妻のための髪である。……ま、これがいわゆる愛、っちゅうかねェ、グフフ。

 早いうちにひと風呂浴び、汗を流す。

 曇、晴、また曇……と天気が入れ替わる。曇る時には季節らしい羊雲が出る。しばらくして窓外を見上げると、今度は真っ青な空がひろがっている。

 晩秋と初冬が好きだ。初冬は汗ばまず清潔である。古くから日本を悩ませる風水害も初冬にはようやくおさまる。ただ惜しむらくは花に乏しいことだろうか。しかし、月や鳥を見るにはこの時季がよい。

 一昨夜は十六夜の月が美しかった。旧暦九月十三日(今年は新暦10月11日)の「後の月」も、(さかのぼ)る同八月十五日(今年は新暦9月13日)も、実は天気の悪い日が多い。二百十日前後ともなれば(けだ)(むべ)なるかな、あまりいい月は見られないのだ。それに比べると新暦11月の月はだいたい良い。

 米国の天気のことはよく知らないが、この時期に萬鬼節(ハロウィーン)とて子供が夜遊びするというのも、この天気、この清涼、またこの良月のためであろうか。白人は日本人とは異なり、どういうわけか月を忌むが、むしろ月の魔性は初冬の時季の方が感じやすく、それゆえにこそ扮装を凝らしてお化けごっこを楽しむのだとすれば納得もゆく。

 アイスピックでカチワリを削り、日の高いうちから安いウィスキーを一杯。気取らずドップリ注ぐ。

 鍛冶屋の動画をのんびりと見る。楽しい。スウェーデンの人らしい。

 動画の中で、何か、「スウェーデンの盆踊り」みたいなことをして人々がのんびりと踊っているシーンや、動画作成者本人らしい人が広々とした湖にザンブと飛び込むシーンなどがそれとなく紛れ込ませてあり、見ていて休まる。

コーヒーと老眼鏡

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 近所の庭木の手入れのいい家々では、南天、千両、万両の実が真っ赤になり始めた。石榴(ざくろ)の実が大きくなって色づき、柿は既に濃い黄色から赤になり始めている。

 雨が過ぎ去って、ますます冷涼となった。

 先日来、台風に伴う大雨が降り続き、全国各地に水害が出ている。

 この雨、幸い、私の住居(すまい)する辺りではなんともなかったが、被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い生活の再建をお祈りする。

 朝食代わりに到来の菓子とコーヒー。京都の五色豆。少し香料が入っているのか、鉢に盛ると涼しい香りがする。

 間もなく萬鬼節(ハロウィーン)とて、それらしいマグカップもまた良からんか、というところだ。

 休みの日は大してカロリーも使わないので、こんなものでよい。むしろ、何も食わなくても丁度良いくらいである。

 最近精神・肉体の進境が著しい。つまり物忘れがひどく、非常に老けてきたということであるが、面貌が険しくなってきたように思うので、老眼鏡をラウンド・タイプの丸いものにしてみた。多少愛嬌が出たように思う。

 度数がわかっているので、Amazonで買えば1000円かそこらの安いもの。

恵方巻もクリスマスケーキも全部一緒

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 節分である。

 毎年毎年恵方巻が大量に廃棄されることは話題になるのに、更にもっと捨てられているであろうクリスマスケーキとかハロウィーンの生菓子のことなど欠片ほども話題にならないのはどうしたことか。

 というより、日本人は口が驕るようになり、節分であろうと春彼岸であろうと雛祭りであろうとゴールデンウィークであろうと子どもの日であろうと、はたまた、夏休みであろうと秋彼岸であろうと大晦日であろうと正月であろうと、なんだかんだと理由をつけて嫌いなものを汚ならしく食べ残し、酷く醜く捨ててしまうような民族になり果ててしまった、ということと、キリスト教はよくて和風はダメ、みたいな風潮に腹が立つ話と、ビジネスマンはすぐに損失とか経済とかなんとか言いたがるよな、食い物が勿体ないという気分の問題の話にさ、というような話が綯い交ぜとなって、もはや、逆になんだか面白い。