アルプスの少女ハイジの爺さんは、若い頃に傭兵として戦地に行った元戦争のプロ。クララの介護が上手な理由は傭兵当時に負傷兵の介護を叩き込まれたから(上官だか戦友の介護を続けた過去がある)。原作設定だけど「一番危険な人物」で間違いない。https://t.co/i6l3lxZV0e
— motoyuki (@motoyuki) December 25, 2016
Twitterでこんなことを書いている人がいて、どなたかのリツイートでそれが私のタイムラインにも流れてきた。
しかも爺さん、戦争でではなく、ケンカで人殺しをし、兵営を脱走してデルフリ村に逃げてきたんですよね。間違いなく危険人物ですよ。
— SatoToshio (@SatoToshio) January 3, 2017
そうそう、そうなんだよな、と思ったものだから、思わず次のようにリプライした。
そうしたら、このリプライまで一緒くたにリツイートされている。
後でこの元ツイートの人も書いているのだが、意外に、あの世界的名作「ハイジ」は、原作が読まれていないのだと思われる。
さもあろう、原作は野生児ハイジがおじいさんともどもキリスト教信仰に目覚めていくというのが基本的な筋書きで、色んな所がアニメとはまるで違う話なのだ。心が「(キリスト教的に)正しく」なったおじいさんが教会通いをするようになる話などはアニメ制作当時の日本では到底受け入れられなかったため、バッサリ切除されているわけだ。
参考までに、おじいさんに人殺しの噂があることや、傭兵時代に上官を看護した話などは、原作では次のようになっている。
以下、岩波少年文庫「ハイジ」(上)(下)(ヨハンナ・スピリ作・竹山道雄訳 ISBN4-00-112003-8・4-00-112004-6)から引用……
……デーテはいきおいこんで答えました。「もともと、おじいさんは、ドームレシュッグでいちばんりっぱな農家の主人のひとりだったの。あの人は
総領 で、弟がひとりいたんだけれど、こちらは、静かな、まじめな人だったわ。ところが、にいさんのほうは、金持風 をふかせて、あちらこちらを旅行して、素性 のわからない、みょうな人たちとばかりつきあって、あげくのはてに、家もやしきも、ばくち やお酒でなくしてしまったの。それがわかった時に、父親も母親も、悲しみのあまり、つづいて死んでしまい、弟も、そのために、世の中がいやになり、こじき同様になって、遠い旅に出かけました。どこにいったのか、わからないのよ。とうとうしまいに、おじさん自身も、わるい評判 だけを残 して、姿を消してしまい、しばらくは、ゆくえ がわかりませんでした。やがて、兵隊 に入って、ナポリにいった、といううわさがつたわっただけで、それからあと、十二年か十五年のあいだも、消息はありませんでした。ところが、とつぜん、かなり大きくなった男の子をつれて、ふたたび、ドームレシュッグに姿をあらわし、この子を親類 に、あずけようとしたの。でも、どの家でも、おじさんを入れてはくれず、だれも、かまいつけなかったの。おじさんは腹 をたてて言いました。『こんなドームレシュッグなんかに、もう二度とは足をふみいれんぞ。』それからこのデルフリ村にきて、男の子といっしょに住みました。おかみさんだった人は、ビュンデン州の女だったらしく、おじさんはその人と一緒になって、まもなく死なれたの。お金は、まだいくらか持っていたらしく、そのトービアスという男の子に、大工仕事を勉強させました。きちんとした子だったから、村の人からはみんなに好 かれていました。けれども、おじさんの方は、だれも信用 しなかったの。うわさによると、おじさんは、ナポリで脱走したのですって。もし、しなかったら、ひどいめにあったでしょうね。人殺 しをしたんですもの。それもね、いいこと、戦争でではなかったのよ。けんかだったのよ。それでも、わたしたちは、親類の縁 は絶 ちませんでした。わたしのおかあさんのおばさんは、あの人のおばさんと、いとこどうしだったんだもの。わたしたちは、あの人をおじさんとよびました。もともと、わたしたちは、デルフリ村のたいていの家と、父方 の親類でしょう?それで、村の人は、やっぱりみな、あの人をおじさんとよんでいるのよ。アルム山の上へ越していってからは、ただ、アルムおじさんと言っているけれども。」
「おじょうさんは、なれたいすにかけさせてあげたほうが、いいでしょう。旅行のいすはかたいから。」おじいさんは、こういいながら、ひとが手をだすのを待つまでもなく、すぐに自分のつよいうでで、病気のクララをそっとワラのいすからだきあげて、注意ぶかく、やわらかいいすに
移 しました。それから、ひざかけをなおしてやり、足をできるだけ、らくにのせてやりました。そのようすが、まるで、これまで、手足のきかない病人のせわをしてくらしてきたようでしたから、おばあさまは、びっくりしてながめていました。「まあ、おじさん、」と、おばあさまは思わずいいました。「どこで
看護法 をおならいになったのでしょう。それがわかったら、知っている看護婦 をみな、そこへ習いにやりますわ。ほんとうにまあ、こんなことがおできになるなんて!」おじいさんはすこし
笑 いました。そして「べつに勉強したのではありません。やっているうちに覚 えたのです。」と、答えました。けれども、笑っているその顔は、なんとなくかなしそうでした。おじいさんの目の前には、ずっと昔の思い出が浮 かんだのです。それは、やはりこんなふうに、手足を使うこともできずにいすにすわったきりだった、ある人の顔でした。その人は、おじいさんの隊長 でした。おじいさんは、シシリアの激戦 のあとで、隊長が地面にたおれているのを見つけて、かついでいきました。それからあと、隊長は、とうとうさいごの苦しい息をひきとるまで、おじいさんだけをそばにおき、どうしても手ばなそうとはしませんでした。いま、おじいさんは、それを目の前に、まざまざと見るような気がしました。それで、この病気のクララを看護 して、自分にできるかぎりのせわをして、その苦痛 を軽くしてやりたい、これが自分の仕事だ、と思いました。
原作内には現れてこないが、シシリアの激戦というのは日本で言えば江戸時代、幕末の頃にあった戦いだ。
端は割拠分裂の状態にあったイタリアの、統一への動きに発する。この時に起こった「ソルフェリーノの戦い」は、英仏連合軍とオーストリア軍との間で激しく繰り広げられ、
この戦争の流れの中で起こったのが「シシリアの激戦」である。
これらの戦いでは名将ジュゼッペ・ガリバルディの名がよく知られるようだ。「ガリバルディ」でググると、シシリアの闘いについて概要が分かると思う。
また、この戦争の傷病者の悲惨さに心を痛めたスイス人アンリ・デュナンにより赤十字が設立されたことはよく知られる。
同じ頃、旧ロシア帝国と旧オスマン帝国の間で起こった「クリミア戦争」において、かのナイチンゲールが看護婦のあり方を確立したことも知られている。
当時は旧来の凄惨な
そんな当時の、「血の輸出」とまで言われたスイス傭兵の、戦闘惨烈の極処にハイジのおじいさんの姿もあった、と想像すると、児童文学にしてはなかなか大人の味わいもあって、物語の行間にも読むところは多い。